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振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

土佐藩の脱藩者たちのルートにあった梼原

2020-11-25 11:54:09 | 旅行


土佐藩には明治維新に関わった人物が多くいるが、やはり最も著名なのは坂本龍馬に違いない。彼が脱藩を決意して実行したのは1862年。高知から梼原に入り、龍馬と親交のある郷士で、後に脱藩する那須親子の家に泊まった。翌日は那須親子の案内で韮ケ峠を越えて伊予に入り、大洲、長浜を経て海路で長州藩の三田尻に向かっている。

また同じく土佐藩を脱藩して天誅組を組織し、大和五条で挙兵したもの幕府軍に敗れて戦死した吉村虎太郎は、梼原の庄屋を勤めていた。その庄屋のあった場所に梼原の勤王の志士、掛橋和泉の邸宅が移築され現存している。







掛橋和泉なる人物は初めて知ったが、吉村虎太郎と親交があり、脱藩する志士たちに家財を費やして多くの援助をしていたようだ。そのことが一族内で発覚し、自決とある。



明治維新に至る時代の混乱の中に身を投じた脱藩者たちやその支援者8人の銅像が梼原にある。







戦いに向かって駆ける躍動感にスゴイものが感じられる。吉村虎太郎ら大和で挙兵して戦死した3人と、長州軍に加わって禁門の変で戦死した者となっている。

逆光でシルエットしかわからないが、脱藩する龍馬と澤村惣之丞の二人を那須俊平が道案内をしている場面のように見える。そしてそれを掛橋和泉が見送っているのだろう。

新しい夜明けを見ることなく非業の死を遂げた者たちの出発点は、ここ山奥の里、梼原にあったと言っているようだ。