振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

JALの「どこかにマイル」で鹿児島へ

2017-06-06 15:01:45 | 日記
JALのどこかにマイルに申し込んで鹿児島に決定したことは5月の初めに書いた。東北地方に行きたくて青森、秋田、山形と鹿児島のグループに申し込んだが一番望まない鹿児島に当たってしまったのだ。

嫁と二人で伊丹空港から乗り込んだのはエンブラエル190(画像は鹿児島空港)で、初めて搭乗する機材だ。ブラジル製だが今やJALローカル路線の中心機材になっている。7年前くらいにも同じ路線を仕事で飛んだが確かMD90だった気がする。

鹿児島空港に10時半に到着。予約していたレンタカーに乗ってネットで調べておいた姶良市にある回転寿司屋に向かった。

国道に面しているがロードサイド店にありがちな背の高い看板がないのでナビが到着を告げるものの見落として行き過ぎた。店名は「七八」と書いてナッパと呼ぶ。


昼はランチメニューがあり、900円くらいのAランチと1300円くらいのBランチを注文。それぞれネタは違うがにぎりが6貫、巻きが2貫、それに2品が選べて私は茶碗蒸しとアラ炊き、嫁は茶碗蒸しと天ぷらを頼んだ。もちろん魚の赤だし付きだ。Bランチは雲丹かイクラのどちらかを選べた。

大変満足だった。近くにあれば毎週行くだろう。

実は翌々日も予定を変更してまたこの店にやって来た。嫁がエライ気に入ったのだ。帰りのレジで嫁が会計をしたが顔を覚えられていたのか「ポイントカードをお作りしましょうか?」と言われたそうだ。京都から来ているのでと断ったが、お互いに残念だ。



昼食を済ませてから知覧の特攻平和会館を経て、池田湖から開聞岳を眺め、山川港でかつお節を買って指宿に入った。


平戸で400年前を想像する

2017-06-05 09:30:21 | 日記
約40年前になるがサラリーマンになって4年目の頃、営業マンとして九州北部を4年間担当していた。その間に九州全域(島しょ部以外)に行く機会があり殆どの土地に行くか通過したが、松浦~平戸には縁がなかった。

17世紀初頭、平戸は数少ない海外への玄関口の一つだったこともあり、遺跡やその名残を見たいと長らく思っていた。



オランダ商館とザビエル記念教会に行ってみた。いずれも復元された建物だがここに外国人商人たちや宣教師がいて海上には商船隊が停泊していたと空想するとゾクッとする。現地に行くと空想力が活発になるのか、これが旅の醍醐味だ。

オランダやイギリスの商船だけでなく中国のジャンクも多数来航していたはずだ。鄭成功が生まれたのもこの平戸島だが、彼が成人する前にはオランダ商館は幕命によって長崎出島に移転し、玄関口としての役割を閉じてしまったのは惜しい。




昼食は幸橋と言う元禄年間に架けられた石橋の前にある一楽食堂に行った。Y氏の希望で平戸ちゃんぽんを食べるためだ。

定番のちゃんぽんは野菜たっぷりでボリュームがあった。ここはちゃんぽん専門店ではなくいろんなメニューがあり、入口横の棚には100円の小鉢のおかずも並んでいた。小鯵の南蛮漬けに食指が動きかけたがY氏の同意が得られず、一人では食べきれそうにないので断念した。

平戸島の対岸にある宿から

2017-06-04 09:12:10 | 日記
名護屋城博物館と城跡で時間をとりすぎたので平戸観光は翌日にすることにして伊万里の手前で鷹島に向かった。

13世紀の元寇、弘安の役の際に江南から押し寄せた数千の軍船が集結したのが鷹島あたりだ。ここで暴風に会い壊滅的な損害を出して元軍は撤退する。

目ぼしい元寇の遺跡や資料館でもあれば立ち寄るが目的は明石海峡大橋をはじめ呼子大橋や名護屋大橋を見たついでに鷹島大橋も見たいだけだ。

鷹島は長崎県松浦市に属するがこの立派な唯一の橋が佐賀県唐津市とつながっている。鷹島から松浦市役所に陸路で行くには佐賀県の唐津市と伊万里市を経由するわけだ。橋の反対側から松浦市へはフェリーが就航しているが何かビミョーな感じがする。

平戸では海峡越しに平戸城やサビエル記念教会を眺められる田平と言う場所にある宿に泊まった。

画像は翌朝宿から撮影したものだが快晴だったこともあり良い景色だ。

左手にはこれから渡る赤い平戸大橋も見える。周辺の島との間を結ぶ小型のフェリーや渡船、そして漁船が白い航跡をひいて行き交う景色が良い。

宿のレストランでの食事中にちょうど落陽を見ることができ、平戸島に太陽が没して行った。左下にオランダ商館が見える。これまた良い景色であった。