振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

昔の質感がそのまま残る犬山城の天守閣

2017-10-06 15:56:47 | 日記
想像していたよりはこじんまりしていた犬山城。前日には300メートルを超す金華山の山頂にある岐阜城の天守閣から持参の双眼鏡で犬山城を探したが確認できなかった。各務原の航空自衛隊飛行場まではよく見えたがその先にあるはずの犬山城はわからなかった。


城の手前には三光稲荷神社、針綱神社、猿田彦神社の三社が城をガードするように並んでいる。少し離れて犬山神社もある。犬山城近道と書かれた看板が置いてあるお稲荷さんの鳥居から入ると神社の裏口が登城路につながっていた。ついでと思ってお賽銭をあげて参拝したが上手く誘導されたもんだ。


戦国時代に築城され江戸時代は尾張徳川藩の重臣の居城だったが平成の代までその重臣の末裔が個人で所有する城だったそうだ。現在は城の維持保存のために設立された財団法人に寄付されているが、国宝に指定されたこれだけの歴史遺産を管理するだけでも大変なことだろう。


柱や床、急峻な階段、ほとんどが建築当時のままでが質感が直接伝わってくるのが素晴らしい。この城と比較するとすれば彦根城や姫路城など、建築当時のまま残存する城になるが、ここは壮大でもなく豪華でもなく質朴とした感じだがそれが良い。

コンクリートで再建された城は遠くから眺め、そして展望台として城に登ってみるのも悪くはないが昔の質感や空気感があまり伝わって来ない。それならば石垣だけが残され草の茂った城跡にたたずんで昔を想像する方がまだ楽しい。


天守閣からは城山の脇を流れる木曽川が下に見える。犬山城の別名を李白の詩にある「白帝城」と呼び、江戸時代に荻生徂徠が名付けたらしい。「朝辞白帝彩雲間」50年前に習った幾つかの漢詩の中ではよく覚えているやつだ。

自分で想像していた白帝城とは随分違う感じで、どう見ても木曽川が峡谷の急流に見えない。が、野暮なことは言うまい。

次に来る機会があれば早朝に木曽川の対岸から城を眺めてみたい。少しは白帝城に見えるかもしれない。