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の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

プラ・プッタ・チンナラート国立博物館

2015年11月20日 | 博物館
ホテルの朝食です。今朝の朝食はビュフェです。宿泊の客数によってビュフェかメニューに変わるようです。


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食後はワット・ヤイへ参拝に出かけます。








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ワット・ヤイ前の並木は砲丸の木です。花は通年で咲いています。砲丸木の名の由来は、果実が直径20cmほどの球形をしており、一見砲丸のような実が太い幹から伸びた1mぐらいの花軸の先にぶら下がっているからです。
タイ名は「サーラ・ランカー」、ランカーとは上座部仏教が伝播した「スリ・ランカー」でサーラは「沙羅」です。どうもタイでは沙羅双樹と間違われたようで、聖木となって寺院の境内でよく見かけます。しかし、この木の原産地は熱帯南米でお釈迦様と全く関係ないはずです。




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参考に別の寺院の境内で撮影した「サーラ・ランカー」を載せておきます。砲丸状の果実がたくさんぶら下がっています。硬い外皮の中には柔らかな果肉とたくさんの種が詰まっているそうで、この実を食べたり、酒を造る所もあるそうですが、タイでは

ナーン川畔で朝食の近所の子供です。犬がおとなしく待っています。
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ワット・プラ・シー・ラタナ・マハータート(ワット・ヤイ)の西正面門の手前から境内に入っていきます。

門を入るとすぐに本堂と隣り合わせで、ご本尊の名を冠した「プラ・プッタ・チンナラート国立博物館」の入り口があります。



奥にはリタイ王の誓願で鋳造された3体の仏像のうちの1体で「プラ・プッタ・チンナシー」が祀られています。

明青花の碗と白磁皿です。

左手前はシー・サチャナライのタオ・ヤック窯で焼かれたヤック像、後はのスコータイ窯のパヤナーク、右はタオ・パー・ヤン窯の古陶器です。
スコータイ王朝の14、5世紀の作です。



病気治癒の儀式「シアカバーン」で首の折られた身代わり人形です。

青磁小壺です。右上は川フグです。

右上の焼き締め壺は13、4世紀のスパンブリーのバン・プーン窯です。その手前の横ったわているはシンブリーのメナム・ノイ窯のようです。左の焼き締め壺2点はシー・サチャナライのタオ61号窯です。
実は、見たかったのはワット・ヤイからナーン川の川上3.5kmほどにあるタオ・ハイ窯で焼かれた壺ですが、展示品にはありませんでした。

プラ・プッタ・チンナシーに参拝していきます。


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本堂のプラ・プッタ・チンナラートにも参拝です。朝からたくさんの参拝客です。



本堂の床タイルです。

シー・サチャナライの遺跡からはアラベスク模様のタイル片が出土しています。14世紀にペルシャから運ばれてきたタイルです。

回廊に安置された奉納仏です。


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本堂背面のプラ・ヴィハラ・カオ・ホーン(または、ヴィハー・プラ・アタロッス)へ来ました。

高さ9mのプラ・アタロッスです。


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ナーン川畔ではタンブンの魚を売っています。ビニル袋に入れられた魚を川に放つことで、その人が徳を積み重ねることになります。

こちらはお守りです。


ワット・プラ・シー・ラタナ・マハータート(ワット・ヤイ)

2015年11月14日 | ピサヌローク

バン・モンを後にし、途中でホテルの空室を確認して予約を入れた「ヨージヤ・ヘリテージ・ホテル」に宿泊です。25部屋の小さなホテルです。
バンコクからピサヌロークまで314kmでした。 



午後4時30分にチェック・インしました。価格交渉をしましたが、2,900バーツの宿泊料でした。

ひとまず部屋に荷物を置いて休憩です。










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午後5時40分、夕暮れを撮影にワット・シー・ラタナ・マハタート、地元の人はワット・ヤイと呼んでいますが・・・へ出かけます。ホテルからだとナーン川沿いに歩いて4、500mです。

ワット・ヤイの南にあるワット・ラーチャ・ブーラナの仏塔です。建立はスコータイ時代ですが、リタイ王(第6代スコータイ国王、在位1347年~1368or74年)の時代に修復されたことから「ブーラナ(修復)」と呼ばれています。



ナーン川に向かって西向きに建つワット・ヤイの本堂です。堂内に鎮座されているのはリタイ王によってチェン・セーン、ハリ・プーン・チャイの一級仏師を呼び寄せ、青銅で鋳造された3体の仏像の一つ「プラ・プッタ・チンナラート」です。一説には10世紀の鋳造とも言われています。
高さ3.5mのプラ・プッタ・チンナラート仏はタイで一番美しいといわれる仏像です。
他の2体は「プタ・プッタ・チンナシー」と「プラ・シー・サッサダー」と呼ばれています。

リタイ王は新興のアユタヤ王朝、ラーン・サーン王朝に対抗するため、1362年にピサヌロークに遷都しています。
後のアユタヤ王朝も南進するランナー王朝を防御するために第9代国王ボーロマトライローカナート(在位:1448年~1488年)治世の1463年から1488年にピサヌロークへ都を移すほどの要衝ですが、現存する遺構は多くありません。



本堂の東には釈迦の遺物が安置された同時代に建立されたクメール様式で、後のアユタヤ時代に現在のとうもろこし形に改築された仏塔と、高さ9mの施無畏印の仏陀立像「プラ・アタロッス」があります。

午後6時、暗くなりライトアップされました。もう少し写真を撮ります。



かっては大きな礼拝堂「プラ・ヴィハラ・カオ・ホーン」が建っていましたが、現在は基壇が残るだけです。



再び西側へ回って本堂前へ来ました。





タイで一番美しいと言われるお顔のアップです。ピサヌロークでは親しみを込めて「ルワン・ポー・ヤイ」と呼ばれています。

ナーン川に架かる国道12号線のナレースワン橋を見ます。新年の電飾がされています。

ホテルもクリスマス&新年の電飾です。

ロビーの照明です。

夜食にルーム・サービスでピザを注文、ちょっと大きすぎです。持ち運び用箱も依頼しました。

テラスのオイルランプに灯を点けて寛いでいたのですが、灯油が入っておらず灯芯を燃やしただけでした。

テラスから見るホテルのプールです。

焼き物の村・バーン モン

2015年11月12日 | ナコーン・サワン
2013年4月に「の~んびり タイランド」で正月休みのメーホンソーンを中心としたタイ北部の9泊10日の旅行からブログをスタートしました。
「の~んびり タイランド 2」と引き継いで2年半が経ちましたが、まだまだ紹介できていないことがたくさんあります。
そこで今回は、少し遡って2014年の正月旅行のパヤオ、ナーンを紹介します。

国道32号線、アジアン・ハイウェーです。4車線道路をゆっくりと走ります。
前を走るピック・アップ・トラックには袋に小分けした果物や野菜がぶら下がっています。村々を回って小売をします。

旧型のカムリですが時速90kmから100kmの走行速度であれば、15.3km/Lの消費燃料で走れます。ただし、国道32号線には信号がほとんどありません。

・・・と思いきや、急に渋滞です。

追突事故で中ほどの1車線塞がれていました。
空いているように見えた道路ですが、正月の帰省も始まっており、事故があれば一気に渋滞します。

渋滞を抜けたところで休憩です。ガソリンスタンド、パン・チャークによります。

太鼓が売られていました。大きいのが339バーツ、約1,000円です。





マンゴーの花が咲いています。まだ青い実もたくさんぶら下がっています。


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■バンコクからナコーン・サワンの国道117号線分岐点まで262kmです。
分岐点から3.2kmでチェンマイから流れてくるピン川に架かる橋梁ですが、この一帯の街灯には陶製の覆いが付けられています。近くに陶器製作村があることを示しているようです。
急ぐ旅ではなく、調べてみるとありました。
ピン川の手前で左折、国道1182号線を12kmでバン・モン陶器村があります。

国道117号線は直線でピサヌロークと結ばれていますが、国道1182号線は蛇行するピン川に沿ってピサヌロークへ通じています。バン・モン村はピン川に沿った国道1182号線沿いにあります。

まず「バン・モン陶器博物館」です。門内に車は止まっていますが、どうも人の気配がなく荒廃した感じがします。

バン・モン陶器博物館前のモニュメントですが、手入れされている気配がしません。

展示室には鍵がかかっており、ガラス越しに室内を窺いますが展示室には積もったほこり以外何もありません。ずいぶん長期間使われていないようです。

バン・モン陶器博物館の隣の工房で尋ねるが、かなり以前に閉館したそうです。

村の名前「モン」はモン族と関係があるようです。
モン族とは紀元前1500年ごろに東南アジアに到達した古い民族で、紀元前300年頃にはスパンブリー周辺に「スワンナプーム王国」を建国、上座部仏教を信仰し4世紀頃にはプラパトム・チェディーを建設します。ドヴァラヴァティー王国に発展しタイ、ミャンマーに一大文明圏を広げます。新興のタイ族にモン文字を含め建築や治水、農業を教えます。
サワンカロークの陶器やパヤオ等の北方窯もモン族、もしくはモン族の指導によるものでしょう。
ラマ2世の治世にはチャオプラヤ川河口近くの蛇行で出来た袋状の区域「プラプラデーン」に港建設のためモン族は強制移住させられます。チャオプラヤ川に運河で出来たクレット島もモン族の居住区ですが、島全体でアユタヤ時代から続く技法の素焼き陶器を作り続けています。

工房をしばらく見学していきます。働いているのは3名の家内工業です。
主人がロクロを回し、夫人が半乾きした成形品に細工をしていきます。
粘土の下準備や成形品を運ぶのは弟か親戚の子でしょう。

甕状の器体に透かし彫りを施していきます。





前に積まれた粘土を、若い主人がロクロで立ち上げていきます。
粘土は近くで産出するそうです。







ここまで成形するのにおよそ5分間です。完成を見極める真剣な目つきです。

捏ねた粘土を定量に分けていきます。

向かいの工場では焼成した製品を業者が引き取りに来ていました。


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スコータイ遺跡近くのバン・カオで出土した、約400年前のアユタヤ時代に作られた低温焼成の壺です。アユタヤ近郊で焼成されたと推測されますが、窯跡は洪水で流されたのか、開発によって破壊されたのか、現在に至るまで発見されていません。
発掘時は中に貝銭、銀銭などが入っていたようです。
戦乱の略奪を避けるため、この壺に財産を入れ地中に隠したのですが、何らかの理由で掘り出すことができなくなって、400年後に発見されました。

高さ31cm、口径21.4cm、胴径33.3cmです。壺同士の重ね焼きの痕がくっきりと残っています。



朝のナコーン・パノム

2015年11月05日 | ナコーン・パノム

朝7時30分にホテルをスタートしました。
国道22号線でサコーン・ナコーンを経由、国道213号線、国道12号線でカーラシン、マハ・サラカームから国道23号線、そして国道2号線でナコーン・ラーチャシーマ、サラブリから国道1号線、アウター・リング・ロードを通りバンコクへ戻ります。750kmの走行です。

まず、昨夜流された灯明舟が係留されている、メコン川畔へ寄っていきます。

昨夜9番目に流された、全長52mの灯明舟です。















この灯明舟は灯明を取り外し、かたづけの最中です。



この灯明舟は全長80mあります。明るいと、その大きさがよく分かります。



舟首のパヤ・ナークの頭です。







灯明はユニット毎に外し、ロープで岸まで運びます。



灯の点かなかった灯明もあるようです。

そういえば、ロイ・ルア・ファイを紹介した本がありましたが、1万個以上の電球を絵柄に沿って・・・とか、電球をともした竹のやぐらが川岸に・・・といった表現がされていました。しかし、ナコーン・パノムの灯明舟流しは、灯油を入れたコーヒーの空き缶に灯芯を挿しただけの簡単な燭台を点灯しており、電球は使っていません。また、川岸の竹を組んだやぐらが灯明舟です。





およそ1時間メコン川畔にいました。午前8時50分に出発です。



空いた道路を快適に飛ばしていました。サコーン・ナコーンの手前で警察のネズミ取りです。
幸運にも路肩からのスピード測定で、片側2車線道路の左側にはぎっしりと車が詰まっていたため、わが車両のスピードを測定できず、たくさんの警官を横目に無事通過です。
ところがサコーン・ナコーンとカーラシンを隔てるプー・パーン山脈を越えてアップ・ダウンの直線道路で、前方の遅い車両をごぼう抜きし、坂道を登ったところで警官が待っていました。追い越し禁止車線です。警官は正式な違反切符を書きながら、「違反金をいくら払う、400,300,200バーツのどれが良いか?」と尋ねてきます。意味が分からず、安くするようにお願いすると、車両証明書の不携帯という違反に変わって、300バーツの違反金を払うことになりました。追い越し違反は400バーツで、100バーツのおまけです。
「正式な違反切符」とは、バンコクなどの人目が多いところでは、違反切符に適当なことを書き、違反金をポケットに仕舞い込む輩もいます。公文書を書き損じにしてお金だけせしめるというやり方です。

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ソムデットのガソリンスタンドにある食堂で昼食です。
カノム・チーンを注文しましたが、鶏の足がいっぱいです。とりあえず麺だけ頂きました。

マハ・サラカームへ向かう国道213号線はドヴァラバティーの環濠遺跡カンタラウィチャイを通ります。国道に面した「プラ・プタループ・ユーン・モンコーン」に参拝をして行きます。午後1時になりました。バンコクまであと521kmです。



どんな意味があるのでしょうか、結界石の上にもち米が供えてあります。



国道23号線です。今日は交通取締りが各地で行われています。スピードをひかえ目に走行することにします。
おかげで、国道2号線へ出る手前のネズミ取りを無事通過することができました。

午後3時、国道2号線のガソリンスタンドで休憩です。バンコクまで残り400kmになりました。





コーヒー・ショップ「アメゾン」で一服です。



オーク・パンサー旅行の全走行1,874km、ナコーン・パノムからは743kmの走行距離でした。

ナコーン・パノムの灯明舟流し(4)

2015年11月01日 | ナコーン・パノム

イミグレーションの下の空き地から見ています。茣蓙をひいたときは回りに誰もいなかったのですが、いまは隙間なく見物の人が腰かけています。



午後9時22分、9番目の灯明舟が現れました。全長が52m、灯明の数12,00個を点けています。








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午後9時26分、第10番目の灯明舟と続く3槽の舟が現れました。

全長80m、8,900個の灯明が点灯しています。



残り4槽が視界に入ってきました。



全長45m、9,000個の灯明を付けていますが、午後9時50分となり着火から5時間近く過ぎ、強風も重なって、かなりの数の灯明が消えてしまったようです。
ヒマラヤを背景に仏塔と法輪、向かい合う恐竜が描かれているのですが、灯明が消えてよく分からなくなっています。

12番目は、菩提樹と仏陀を表わした、全長30m、灯明5,000個の小型灯明舟です。流れて行ったのは午後10時をまわっていました。

全長45m、灯明の数7,000個ですが、やはり消えた灯明がたくさんあります。

午後10時10分、最後の灯明舟が流れてきました。
全長46m、9,999個の灯明が点いています。