の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ラーチャブリーにドヴァラヴァティーを訪ねる(5)

2014年08月01日 | ラーチャブリー
「クー・ブア環濠都市遺跡」はラーチャブリー市街からメー・クローン川の下流8kmにある7世紀から8世紀に栄えたドヴァラヴァティーの都市国家の一つで、10世紀から11世紀にメー・クローン川の流れが変化して衰退したと考えられています。
幅800m、長さ2kmで南北に長い環濠と土塁で囲まれています。環濠内外で60カ所の遺跡が登録されています。

今回は赤印の3カ所の遺跡を訪ねてみました。上から「遺跡番号3」、「遺跡番号8」、そして環濠の中心に位置する「遺跡番号18」です。
■「遺跡番号3」は環濠の外側、北西の角にあります。約7mの方形の基壇が残っています。
遺跡へ向かう途中の「バン・クー・ブア」の鉄道駅です。

遺構の横は環濠です。

北側から遺構を見ます。



二重基壇の頂上部は崩壊しています。



基壇の上に2段で漆喰の像が嵌められていた壁龕があります。
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■遺跡番号8、「ワット・クー・ブア」です。一辺が20.8mの方形で、高さ5・4mとなっています。










基壇に上は壁龕となっていて漆喰の装飾がされていました。





遺跡の上に登ってみました。

全面を蔓草が覆っています。

漆喰の塊が落ちていました。掘り返しましたが摩耗して像は消えています。
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■「遺跡番号18」、「ワット・クローン・スワンキーリ」です。クー・ブア環濠都市の中心にあって、幅22・2m、長さ43.5m、高さ5.5mの最大の遺跡です。

手前、18号遺跡の東北に12.8mの方形、高さ1.2mの基壇が残っています。

東側が正面です。遺跡に登れる緩やかな階段があります。

遺跡の上に登って行きます。

遺跡上部にはさらに、幅7・5m、奥行き12.5m、高さ1.5mの煉瓦積みがあります。
かってはこの上に法輪が祀られていたのでしょうか・・・。

北側壁面です。

基壇のラテライトの上に塗られた漆喰が一部残っています。



南側の壁面です。

基壇はラテライトで1.45mあります。その上に蓮華を模した基壇の煉瓦積み、上段は縦柱と龕が交互に並んでいます。柱の間は仏像で埋められていたのでしょう。







西側から見ます。



遺跡横の祠に安置さてている仏塔の尖塔部です。

■遺構の大きさの割には出土した、焼成粘土や漆喰の装飾、仏陀像が少ないようです。また、環濠周辺からの出土を明示した法輪や石仏像が博物館にも展示されておらず不思議です。
メー・クローン川の流れが位置を変え、人々は南の半島へ移住したと解説されていますが、仏像や法輪はナコーン・パトムへ移されたのでしょうか・・・。それとも侵攻したアユタヤのタイ人が持ち去ったのか・・・。ナコーン・パトム出土の法輪の数が異常に多いし、アユタヤで法輪やドヴァラヴァティー仏が出土しています。
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■バンコク国立博物館に展示されている「クー・ブア環濠遺跡」からの出土品です。
「遺跡番号10」の出土品で5名の女性楽士です。遺跡の壁面龕を装飾していた漆喰彫刻です。左から2人目の右手を腿に置いた女性は楽器を持っていないので歌い手です。8世紀から11世紀の制作です。

貴族の女性と解説されています。

こちらも貴族の像と解説されています。





ここまで「遺跡番号10」からの出土品です。

「遺跡番号40」から出土の焼成粘土の観音菩薩立像です。6世紀から7世紀の造形です。





「遺跡番号40」の観音菩薩像です。







遺跡の壁面に貼られていた仏陀立像です。

同じく仏陀立像です。



「遺跡番号40」出土の焼成粘土製獅子像です。

右は6世紀から9世紀、左上は9世紀から11世紀の表示で「クー・ブア」出土の焼成粘土製と表示されています。観音菩薩像でしょうか。

ドヴァラヴァティーの漆喰製の仏頭です。
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「ポン・トゥク」で発見された5世紀から7世紀のビザンチンランプです。