の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

焼き物の村・バーン モン

2015年11月12日 | ナコーン・サワン
2013年4月に「の~んびり タイランド」で正月休みのメーホンソーンを中心としたタイ北部の9泊10日の旅行からブログをスタートしました。
「の~んびり タイランド 2」と引き継いで2年半が経ちましたが、まだまだ紹介できていないことがたくさんあります。
そこで今回は、少し遡って2014年の正月旅行のパヤオ、ナーンを紹介します。

国道32号線、アジアン・ハイウェーです。4車線道路をゆっくりと走ります。
前を走るピック・アップ・トラックには袋に小分けした果物や野菜がぶら下がっています。村々を回って小売をします。

旧型のカムリですが時速90kmから100kmの走行速度であれば、15.3km/Lの消費燃料で走れます。ただし、国道32号線には信号がほとんどありません。

・・・と思いきや、急に渋滞です。

追突事故で中ほどの1車線塞がれていました。
空いているように見えた道路ですが、正月の帰省も始まっており、事故があれば一気に渋滞します。

渋滞を抜けたところで休憩です。ガソリンスタンド、パン・チャークによります。

太鼓が売られていました。大きいのが339バーツ、約1,000円です。





マンゴーの花が咲いています。まだ青い実もたくさんぶら下がっています。


*****

■バンコクからナコーン・サワンの国道117号線分岐点まで262kmです。
分岐点から3.2kmでチェンマイから流れてくるピン川に架かる橋梁ですが、この一帯の街灯には陶製の覆いが付けられています。近くに陶器製作村があることを示しているようです。
急ぐ旅ではなく、調べてみるとありました。
ピン川の手前で左折、国道1182号線を12kmでバン・モン陶器村があります。

国道117号線は直線でピサヌロークと結ばれていますが、国道1182号線は蛇行するピン川に沿ってピサヌロークへ通じています。バン・モン村はピン川に沿った国道1182号線沿いにあります。

まず「バン・モン陶器博物館」です。門内に車は止まっていますが、どうも人の気配がなく荒廃した感じがします。

バン・モン陶器博物館前のモニュメントですが、手入れされている気配がしません。

展示室には鍵がかかっており、ガラス越しに室内を窺いますが展示室には積もったほこり以外何もありません。ずいぶん長期間使われていないようです。

バン・モン陶器博物館の隣の工房で尋ねるが、かなり以前に閉館したそうです。

村の名前「モン」はモン族と関係があるようです。
モン族とは紀元前1500年ごろに東南アジアに到達した古い民族で、紀元前300年頃にはスパンブリー周辺に「スワンナプーム王国」を建国、上座部仏教を信仰し4世紀頃にはプラパトム・チェディーを建設します。ドヴァラヴァティー王国に発展しタイ、ミャンマーに一大文明圏を広げます。新興のタイ族にモン文字を含め建築や治水、農業を教えます。
サワンカロークの陶器やパヤオ等の北方窯もモン族、もしくはモン族の指導によるものでしょう。
ラマ2世の治世にはチャオプラヤ川河口近くの蛇行で出来た袋状の区域「プラプラデーン」に港建設のためモン族は強制移住させられます。チャオプラヤ川に運河で出来たクレット島もモン族の居住区ですが、島全体でアユタヤ時代から続く技法の素焼き陶器を作り続けています。

工房をしばらく見学していきます。働いているのは3名の家内工業です。
主人がロクロを回し、夫人が半乾きした成形品に細工をしていきます。
粘土の下準備や成形品を運ぶのは弟か親戚の子でしょう。

甕状の器体に透かし彫りを施していきます。





前に積まれた粘土を、若い主人がロクロで立ち上げていきます。
粘土は近くで産出するそうです。







ここまで成形するのにおよそ5分間です。完成を見極める真剣な目つきです。

捏ねた粘土を定量に分けていきます。

向かいの工場では焼成した製品を業者が引き取りに来ていました。


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スコータイ遺跡近くのバン・カオで出土した、約400年前のアユタヤ時代に作られた低温焼成の壺です。アユタヤ近郊で焼成されたと推測されますが、窯跡は洪水で流されたのか、開発によって破壊されたのか、現在に至るまで発見されていません。
発掘時は中に貝銭、銀銭などが入っていたようです。
戦乱の略奪を避けるため、この壺に財産を入れ地中に隠したのですが、何らかの理由で掘り出すことができなくなって、400年後に発見されました。

高さ31cm、口径21.4cm、胴径33.3cmです。壺同士の重ね焼きの痕がくっきりと残っています。




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