の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

クウェー川鉄橋

2015年02月05日 | カンチャナブリー

ホテルに荷物を置き、400m離れた「クウェー川鉄橋」へやって来ました。
映画「戦場にかける橋」(The Bridge on The River Kwai」(1957年)で有名になった、第二次世界大戦中の日本軍が、バンコクからビルマへ軍事物資を輸送するために建設した泰緬鉄道のメークローン川に架かる鉄橋です。1943年(昭和18年)5月に完成したこの鉄橋は、名称「メクロン河永久橋」でしたが、映画によって「クワイ川」(タイ語表記はクウェー川)が有名になり、橋の下流にある合流点までをクウェー・ヤイ川、本来のクウェー川をクウェー・ノーイ川に改めています。メークローン川は合流点から下流の名称となっています。ただ、タイの地図ではクウェー・ヤイ川もメークローン川と表記されています。

川幅120m、鉄橋の長さ333mのクウェー川鉄橋は1944年11月29日以降数次に亘り連合軍の爆撃を受けますが、短期間の復旧作業によって物資輸送を止めることはできなかったようです。
曲線スパンは戦争中に建造されたオリジナルで、台形トラス部分が1948年に日本政府の戦後賠償として修復した個所です。
映画「戦場にかける橋」ではイギリス軍設計による木橋になっていますが、日本軍鉄道第九連帯第三大隊第五中隊が設計、建設の主体を担った鉄橋です。また、チェンマイからビルマへ軍事物資を輸送するために日本軍が1942年に建設した、同じ構造の橋がメーホーンソーンにパーイ・メモリアル・ブリッジとして保存されています。



橋の入り口には連合軍が投下した爆弾の模型が設置されています。
カンチャナブリーを訪れる観光客は年間600万人とも言われ、地元では世界遺産登録を目指しているそうです。



橋上から見る水上レストランです。



戦後に鉄橋の修復をした「横川橋梁」の銘板です。





橋梁部はここまでです。間もなく列車が通過するので警備員がでてきました。鉄橋の上にはたくさんの歩行者がいるため警備も大変です。
僕は写真撮影のため鉄橋の中ほどへ戻ります。

列車がやって来ました。



男性は車掌さんでしょうか、鉄橋の避難場所から差し出された手にタッチしていきます。タイならではのおおらかな風景です。



列車が通過した後の鉄橋の上は、再び人で埋まります。
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鉄橋の下流側には土産物屋が建ち並んでいますが、店を覗くお客さんは非常に少ないようです。

川に面して「戦争博物館」があります。午後5時半になりましたが、まだ開いているようなので入ってみます。



入ると軍事物資を輸送した、当時の機関車が展示されています。





右手の建物にはビルマ仏が安置されています。壁面にはクメール様式の干支にちなんだ神像のレリーフが並んでいます。

軍隊の食料コンテナーとなっていますが、どの時代の物か良く分かりませんが、味のある壺が無造作に並んでいます。



向かいの建物は戦争関係の展示物が中心となりますが、磚仏や陶磁器、屋外には第二次世界大戦中の不発弾と共にドヴァラヴァティー時代の石鐘などが無節操に展示されています。



日本軍の軍刀です。



捕虜による泰緬鉄道の建設を描写しています。このレールの位置がクウェー川鉄橋を建設するための物資輸送の仮設木造橋が造られた場所のようです。
写真はありませんが、レールはクウェー川まで伸びています。

ブログ「の~びり タイランド」の”メーホンソーン(3)”の「タイ日友好記念館」(クンユアム旧日本軍博物館」でも述べましたが、クンユアム親日的な博物館に対して、カンチャナブリーに数カ所ある戦争博物館はことさら日本軍の残虐さを強調することで成り立っているようです。
毎年11月末から12月にはクウェー川鉄橋を舞台にした、日本軍を叩き潰すショーが催されます。



「爆撃後に急いで修復された橋」と日本語で解説されています。台形トラスとなっている個所が木材で応急処置されているのが分かります。

「第二次世界大戦中の捕虜が、大急ぎでクワイ河の橋を建てている様子」と日本語で書かれています。

中段の写真は左から「カンチャナブリでタイ人の女性と幸せな結婚をした第二次世界大戦の捕虜」、「連合軍に爆撃された後、大至急修理されたクワイ河にかかる橋」、「第二次世界大戦中、連合軍によって爆撃されたクワイ河の橋」

「第二次世界大戦中のカンチャナブリの日本人将校」


過去に撮影した同一カ所と思われる写真がありましたので掲載しておきます。
崖に張り付くようにして列車は進みます。


この切通しはノミとハンマーで24時間ぶっ通しで掘削されたので、夜間の照明に使われた松明やランプをもじって「地獄の灯火の峠」と呼ばれています。
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午後6時過ぎにホテルへ戻り川辺で寛ぎます。





夕暮れの中を水上レストランが川上へ曳航されて行きます。

遅い昼食でまだ空腹を感じないが、取敢えず簡単な夕食です。





食事をしていると、上流へ曳航されていった水上レストランが戻って来ました。




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11月末から12月にかけて催される「クウェー川鉄橋祭り」の写真です。橋の少し上流にあるレストランから見物したのですが、茂った木が花火を遮りました。
花火は連合軍の爆撃を表現し、鉄橋が燃え上がっています。



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