の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ペックのコレクション展を見に行く(2)

2015年06月03日 | 陶磁器(タイ)

ペックは昨年「SUKHOTHAI AND SI SATCHANALAI CERAMICS」を上梓しました。242ページの豪華装丁本です。
展示品は、本に掲載した陶磁器を中心に構成されています。

初期サンカロークの無釉壺です。「サンカローク窯研究保存センター」内にあるタオ・61(61号窯)から大量に出土し、地元では無釉壺を「タオ・61」と呼んでいます。
ヨム川のコ・チェックの鉄分の多い陶土で細身に成形されています。頚と底縁周囲にライ・ウーと呼ばれるワラビ状のひもが貼り付けてあります。

タオ・61です。肩に耳のような突起がたくさん並んでいます。器形はスパンブリーのバン・バーンプン窯の影響を示しています。

タオ・61の無釉壺です。口縁部は破損していますが、非常に珍しい、肩にワニ、カメ、サカナの象形が貼り付けてあります。
胴部に陰刻された波文、肩から頚下までの印花文はクメール陶やバン・バーンプン窯からの技術移入がうかがえます。
高さ31.5cm、胴径21.6cmとなっています。この大きさで現存するのは、出土品で骨壺として用いられたものが多いようです。

右はカメが剥がれています。

カメと向かい合うワニです。

サカナを捕えたワニです。

特殊な形の壺です。広口の周りにさらに4本の口が伸びています。また、その間には絡み合う2頭の象が彫刻されています。宗教儀式に用いられたものでしょうか・・・。
サンカローク窯研究保存センターには、よく似た壺が2点展示されています。
高さ35.5cm、胴径25.8cmで14世紀から15世紀の生産としていますが、私見では13世紀まで遡ってもよいかと考えます。
(酷似した2点は2013年9月25日にアップした「サンカロークの古窯址 (1)」に掲載しています。また、タオ・61の無釉陶器は10世紀から11世紀に始まったと考えます。)


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モン(MON)陶です。コ・ノーイ窯の初期の陶器です。鉄分の多い陶土に白化粧に木灰釉を掛けています。平底で口縁部の釉薬は拭き取られ、口縁部同士、底同士を重ね合わせて焼成しています。
モン陶の生産時期は当初、9世紀から10世紀と考えられていましたが、その後のコ・ノーイ窯発掘品の科学調査が13世紀を示したことにより、生産開始時期が10世紀から11世紀に改められています。
さらに、近年は難破船の調査も進み、様々な積み荷から難破時期が絞り込まれ、陶磁器の製作年代が解明されています。モン陶は、パタヤ南方沖のラン・クウィアンの琉球船やベトナム中部のソーン・ドックの積荷に含まれており、ラン・クウィアンの難破船は発見された4834枚の中国銭から、明朝初期の海禁令が施行された1380年から1400年とみられています。
どちらの難破船にも高台付のサンカンペーン青磁が含まれています。また、積まれたベトナム陶器からは、鉄分の少ない半磁器に白化粧を施し、コバルトを用いた青花が、すでに生産されていたことが分かります。

1325年以前は積荷の陶磁器は中国製品が100%でしたが、ラン・クウィアンやソーン・ドックではタイ、ベトナム陶磁器が50%から70%となり、1430年頃には中国製陶磁器は30%、1400年末にはわずか5%ほどになり、海禁令による時代背景を証明しています。

モン陶です。焼成中に窯が破損したのでしょうか、珍しい酸化焼成で褐色に発色しています。

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1400年を過ぎると、コ・ノーイ窯の窯業技術は、短期間で飛躍的な発展をします。
背景にはモンゴルの侵入で崩壊した南宋から、窯業従事者を含む難民の移住による窯業技術の伝播。カオ・シーラーンの良質な陶土発見などが考えられています。
いづれも15世紀の青磁です。








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サンカロークの鉄絵です。15世紀に生産されています。見込みに置台の爪痕が残ります。サンカロークの初期の鉄絵は短期間ですが、置台を用いた重ね焼きをしています。



上写真の左側に置かれた皿の底面です。高台には窯印が鉄で描かれています。裏面にも花模様が描かれているのは珍しいです。





15世紀のスコータイ窯です。直径23cm、高さ8cmとなっています。

1340年代になるとスコータイで寺院建設が盛んになり、寺院装飾などの建築資材の需要が拡大します。スコータイ都城の北に窯が築かれます。
1380年から1440年には輸出陶器が大量に生産されます。
本品は16世紀のスコータイ窯の鉄絵蓋物です。直径19.5cm、高さ22.5cmです。透明釉が薄く、鉄絵が赤く発色しています。


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16世紀のパ・ヤーン窯の白釉製品群です。

壺口辺に貼り付けられていたリスです。

白釉蓋付三耳小壺です。地元ではタオ・ヤック(ヤック窯)と呼ばれる、ヨム川に近い区域で焼かれていました。パ・ヤーンの窯跡を歩いてみると、散乱する陶片から、区域ごとに焼成された製品が異なるようです。





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