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の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

プラサート サドック コック トム 1

2022年05月17日 | サケーオ

タイ東部、カンボジアに国境を接するサケーオがあります。
書籍「Ancient Khmer Sites in Eastern Thailand」 Asger Mollerup著にはタイ東部で著者が撮影したクメール遺跡と位置が紹介されており、サケーオでは87ヶ所が掲載されています。大半は崩壊し、点在する石材で遺跡であることが分る程度ですが、よく遺跡にたどり着き写真に収めたと感心する労作です。
さてそのサケーオには東部で最も大きく、重要な遺跡「プラサート サドック コック トム」があります。

シヴァ神を祀る主祠塔と2棟の経蔵を囲む東西42m、南北36mの回廊、そして回廊を囲むコの字形の内堀、さらに東西126m、南北120mの外壁で構成されたクメール神殿と外壁の東塔門から東200mに南北200m、東西370mのバライがあります。バライの東はカンボジアとの国境です。

プラサート サドック コック トムは937年にジャヤヴァルマン4世よって建立、その後崩壊し1057年ウダヤーディチャヴァルマン2世によって再建されたパブーオン様式のヒンドゥー寺院です。
遺跡からはジャヤヴァルマン2世によって937年に刻まれた建立の経緯が記された石碑とウタヤーディチャヴァルマン2世によって1053年に刻まれた2基の石碑が発見されています。
第二碑文は802年頃にクメール王朝を建国したジャヤヴァルマン2世から約250年にわたって支配した12人の王の功績や主要な出来事が刻まれているクメール王国の歴史を知る貴重な石碑です。








2013年3月24日春分の日から4日遅れで日の出を撮影に来ました。日の出は午前6時05分です。この場所だと東に山はなく太陽は地平線から昇るはずですが、朝靄と木立でなかなか太陽を見ることが出来ません。日が差して撮影できたのは午前6時21分でした。
ちなみに翌年は春分の日に訪れたのですが朝霞が濃くて塔門の上でやっと太陽がのぞきました。

遺跡一帯はカンボジア内戦で地雷が敷設され長らく危険地帯となっていましたが、日本のNPO法人、人道目的の地雷除去の会によって2002年から2004年にかけて整備されました。ちなみに48個の地雷と30個の不発弾が除去されたそうです。
その後遺跡の修復工事が行なわれていました。

5月7日(土曜日)今年初めて蝶々撮りにパンシダー国立公園まで出かけたのですが、公園職員は1月に大量発生して以来蝶々の発生はは非常に少ないとの説明です。
通年なら5月は足の踏み場もないくらいに集団吸水しているのですが、天候不順に起因するのか当日に見られた蝶々は数えるぐらいしかいませんでした。
そこで翌日は久し振りにプラサート サドック コック トムへ出かけました。
サケーオ市街から遺跡まで82km、途中驟雨に見舞われて午前10時に到着です。










入り口に旧知の芸術局職員いて15日(翌週)にシリントーン殿下の御臨席で「サドック コック トム歴史公園」の除幕式の準備中で忙しく動き回っていました。15日以降は入り口にあるインフォメーションセンターがオープンするそうです。
新しい石材が大量に使われ、かっては古い石材との違和感があったのですが10年の歳月と降雨のため目立たなくなっています。
主祠塔へ通じる石畳の参道は殿下の歩行のためパネルを設置作業中です。




まだ準備が終わっていないサドック コック トム歴史公園の銘板とインフォメーションセンターです。

残念だったのは長年参道脇にあった、地雷撤去に協賛した日系企業や個人が刻まれた顕彰碑「サドックコックトム遺跡の復活を記念して」が撤去されていたことです。


* * * * *








5月15日にテレビ放映されたサドック コック トム歴史公園の除幕式の様子です。

次回は崩壊寸前の主祠塔と修復の様子を紹介します。

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