ちょっといいな、ちょっと幸せ

映画、アート、食べ歩きなどなど、私のちょっといいなを書き留めました。

Triennes ROSE 2007

2009-12-31 21:27:16 | ワイン

 「Vin de Pays du Var Rosé de Triennes 2007」。フランス・プロヴァンス地方のロゼワイン。オレンジ系のローズピンクがきれい。ラズベリーやいちごの爽やかな甘い香り。雑味のないしっかりとした辛さの後に、ふわっと甘味や果実味が膨らんで軽くなる感じがいいです。フレッシュで凛としたワインです。
 このワインを初めて試飲で口にした時、好みではないと思いました。私が知っているロゼワインとは大分違って、ちょっとクセのある辛口で硬い印象。それでも試したくなったのは、もう少し飲んだら美味しくなるような期待を持たせるワインだったから。慣れたら美味しくなる、美味しいの幅が広がる、そんな予感と、このワインには美味しいという暗示がありました。ワインを開けた最初は飲みにくさがありましたが、次第に美味しく感じられるようになりました。その後、同じものを買い求め、これは2本目。1600円くらい。

鉄塔 武蔵野線

2009-12-29 21:06:43 | 読書
  
 ソフトバンク文庫発行、銀林みのる著、「鉄塔 武蔵野線」。「武蔵野線」は、東京都西東京市と埼玉県日高市を結ぶ全長28.1km、送電電力15万4000ボルトの実在する送電線。
 見晴は、鉄塔を愛する小学5年生。ある日のこと、近所の鉄塔で「武蔵野線75‐1」と表記された番号札を見つけ、鉄塔には名前と番号があるという新発見に胸を躍らせる。引越しのために転校する2学期前の夏休みに、2才年下の親友アキラと「鉄塔調査隊」を結成し、鉄塔の行く先を追っていく。「オレたちは鉄塔を辿っていけば、絶対に秘密の原子力発電所まで行けるんだ」と、1号鉄塔を目指す冒険に出る。
 見晴は、鉄塔の4本の脚と4つの基礎コンクリートで囲まれた場所を「結界」と呼んで、特殊な力の働く禁断の聖域だと位置づけています。鉄塔の真下まで行ったら「結界」の中心にビールの王冠で作ったメダルを記念に埋めていきます。柵をよじ登って膝を擦りむいたり、作業員に怒鳴られたり、アキラの自転車のパンクを直したり、「鉄塔ばばあ」に捕えられそうになったり、アキラと別れて見晴一人で野宿したり、直向な少年の冒険に気持ちが寄り添います。
 著者の鉄塔への深い愛情から湧き上がる鉄塔描写の数々には感服します。
 「仮面を着けたようなその容貌からは残忍な印象が漂い、悪意が隠されているように感じられてならないのです。」「その鉄塔は私に中背の少女を連想させました。完全な大人というには早い、大人になりかかっているような、まだ含羞んだ様子が見受けられるのです。」「こうして短身で貧弱な男性型鉄塔が農地の中央にぽつんと立っている滑稽な姿に、わたしは37号鉄塔への強い愛着を感じました。」「それは男装した女性のように、毅然として審美的すらありました。」「孤高で峻烈な24号鉄塔」「鮮やかに伸びた脚柱で全身を支えた12号鉄塔は、防護ネット用の仮腕金の羽のように拡げて、森の中に立ち止まった自らの位置を神秘的な地点にしています。」
 この本は、1997年に刊行された作品を 2007年に著者自ら再編集したもので、著者が撮った500枚もの武蔵野線の鉄塔の写真が、1枚1枚に解説付きで掲載されています。1つの鉄塔をいろんな角度から撮ったそれらの写真からも、鉄塔を前にした著者の喜びと興奮が伝わってきます。鉄塔のある風景がまた違ったものに見えてきます。

ガーデン・イルミネーション

2009-12-25 09:50:13 | おでかけ
  
 国立西洋美術館で開催中の「ガーデン・イルミネーション」。静やかできれいです。白と緑色の光は庭園の木々や建物、ブロンズ像と調和して静謐な世界を演出しています。妖精の住む森の中にいるみたいです。抑えた明かりの下、ロダンの「考える人」や「カレーの市民」を目を凝らして見るのもいいです。クリスマスツリーの向こう、照らされているのは「地獄の門」。   ~12月27日

12月のバック

2009-12-23 22:12:40 | お気に入り
  
 レディディオール。色は黒。素材はラムスキン。カナージュ柄のキルティングステッチと、かちっとしたフォルムの取り合わせがエレガント。遊び心のあるゴールドトーンのレターチャームが華やかさを添えています。ちょっと特別な日に持ちたい。街がきらめく12月に似合うバックです。

グレーのコート

2009-12-20 13:56:15 | お気に入り
  
 グレーのコート。しっとりとした色合いが気に入りました。素材はアンゴラとウール混。なめらかな肌触り。しなやかにからだにフィットして、シルエットがきれい。ベルト通しが付いていないので、自分の位置にベルトを絞められるのもいい。やわらかな桜色の裏地もすてきです。
 明るい色合いのコートを探していました。なかなかイメージに合うのが見つからずにいたところ、このグレーのコートを勧めていただきました。とりあえずと試着してみると、案外いい感じ。少し暗く映ったグレーは実際に着てみると落ち着いた明るさに感じられ、丸みを帯びたデザインも着心地が良くきれいなラインでまとまっています。見ただけと、着て見るのとでは全然違う。時々こういう意外なものに出会えるから愉しい。

今日のお弁当

2009-12-18 08:43:33 | お弁当
 
 今日のお弁当の献立は、塩むすびと、豚肉の味噌漬け焼き、焼き野菜のサラダ、玉子焼き、いんげんの胡麻和え。焼き野菜は、プチオニオンと、パプリカ、人参、南瓜、さつま芋、ブロッコリー。豚肉の味噌漬けは、近所の精肉店の自家製で美味しいです。

千年の祈り

2009-12-16 22:11:55 | 映画
 
 年老いた父親シー(ヘンリー・オー)は、米国で一人暮らしをしている娘のイーラン(フェイ・ユー)を訪ねます。12年ぶりの再会です。父は離婚したばかりの娘の行く末を心配し気遣います。毎晩、妻を亡くしてから覚えた料理をこしらえて、仕事で遅い娘の帰りを待ちます。少し多すぎるくらいの料理が並びます。ふたりの間には会話はなく気まずい雰囲気。お互いを思いやりながらも、なかなか父娘の間の溝は埋まらない。シーは近隣に住むイラン人のマダムと、片言の英語で会話し、心を通わせていきます。彼女には、自分はいい父親ではないと素直に話すことができました。ある日、シーは娘に積年の想いをぶつけられ衝撃を受け、事実を告白をします。
 文化大革命に翻弄され、引退して改めて娘に向き合おうとする父と、父への不信の念を抱いたままアメリカへ渡り自由に暮らす娘。長い時間と距離が、ふたりの気持ちのずれを大きくしていました。異国の地で、父と娘の関係が色濃く浮き上がります。自分のことに干渉する父に苛立ったイーランが「いつまでこっちにいるつもり?アメリカを見に来たんでしょ。」と言う場面。「見たかったのは、おまえが幸せに暮らす国だ」と父は答えます。父親の深い愛情に心が動きました。とつとつと語られる言葉は心に響き、静かに時が流れ、時に自分を重ね、時に父が重なりました。終盤、川沿いのベンチにふたり並んで腰掛ける場面がすてきです。言葉などなくとも、同じ風を感じ、同じ風景を眺めていたら、それだけで互いに気持ちが通じ合う。じんわりと幸せが伝わってきました。
 「千年の祈り」。厳かで慎ましい言葉です。映画の中で、中国のことわざ「百世修来同舟渡、千世修来共枕眠(同じ舟に乗り合わせるならば百世もの前世の縁がある。枕を共にして眠るのであれば千世もの縁がある)」を、イーランが縁を祈りと英語に訳したものです。「千年の祈り」、美しい余韻が残りました。

セバスチャン・サルガド  「アフリカ」

2009-12-13 20:16:28 | おでかけ
  
 東京都写真美術館で開催中の、セバスチャン・サルガド 「アフリカ 生きとし生けるものの未来へ」展。サルガドが初めてアフリカを取材した1970年代から現在までの30年間に撮り続けたアフリカの写真100点を展示しています。
 アフリカの干ばつ、砂漠化、飢餓、難民化、伝染病、大量虐殺。サルガドの写真は、悲惨でありながら、美しい。惨状を告発するとともに、命の尊さを伝えています。心を惹き付け、その場の人々に思いを馳せる。どの写真からも、いとおしみと敬いを感じます。

 「カッサラ近くのワド・シェリファイ・キャンプに到着した、瀕死の息子を抱いたエリトリア難民。スーダン、1985年」は、乾いた大地に痩せ細った父子。うつろな目、為す術もなくうなだれてる。後ろには痩せ衰えたラクダ。今にも消えそうな命がいとおしく切ない。
 「茶園の茶摘み。村人たちは苗木をもらって自分の土地に植える。こうした小規模で数多くの農園が、ルワンダ茶の生産量の半分以上を占めていた。ルワンダ、1991年」「マタ茶園で働く子供。ルワンダ、1991年」「チャンググ近郊の農園での茶摘。ルワンダ、1991年」は、茶畑で働く子供たちを写している。貧しいながらも平和な茶畑の風景。内戦前のルワンダの市井の人の暮らしぶりを想う。
 「ルラ村近くの路上で、キサンガニから追い返されるルワンダ難民。彼らは数日前にルワンダから逃れて来た。ザイール、(現コンゴ共和国)、1997年」は、たくさんの荷物を頭に乗せて歩く難民の長い長い行列。昨日まで茶畑で働く農民だった人々が、ある日を境に殺戮の対象となり、追いやられ、難民となり、食料と安息の地を求めて歩き続ける。彼らを受け入れる場所はどこにあるのか。誰が彼らを救えるのか。
 「バチの難民キャンプに群集が押し寄せた日。救援隊が食糧を配給していると聞いて、周辺地域の人々がやってきた。エチオピア、1984年」は、森の中のキャンプで座り込む人々。疲れ果てているのと安堵の様子がうかがえる。降り注ぐ朝のやわらかな木漏れ日に、人々の生命の尊さが照らし出されているよう。
 「バラブ川流域に生息するヒョウ。ナミビア、2005年」は、夜の泉でヒョウが水に顔を近づけながらこちらを見据えている。水面には月光を浴びたヒョウの姿が映し出されている。力強い眼差しと、強くしなやかな姿が美しい。ヒョウの気高さにヒトとの境界線を感じる。
 「ルヒジャのブラウィンディ原生林に生息するマウンテン・ゴリラ。ウガンダ、2004年」。マウンテン・ゴリラの澄んだ黒々とした瞳がじっとこちらを見ている。その落ち着きと堂々たる風格。我々は対等である、そう言われているよう。

 生きていることは尊い。命あるものは美しい。アフリカの、世界中の、生きとし生けるものの尊厳が守られ、未来に光がありますように。   ~12月13日まで

NHK交響楽団 第1661回定期公演

2009-12-08 20:46:37 | おでかけ
  
 12月6日(日) 15時開演                  NHKホールにて

  指 揮・シャルル・デュトワ

  ピアノ・キリル・ゲルシュタイン
  チェロ・ゴーティエ・カプソン
  ヴィオラ・店村眞積

  演目
  ストラヴィンスキー / アゴン
  ショスタコーヴィチ / ピアノ協奏曲 第2番 ヘ長調 作品102
  R. シュトラウス / 交響詩「ドン・キホーテ」作品35
           騎士的性格の主題による幻想的変奏曲 


 ストラヴィンスキー の「アゴン」は、初めて聴きました。手前に配置されたハープの音色は太く、時折不気味なほど重い。それぞれの音が複雑に絡み合って、緊張と不安が交差する。聴き慣れない曲調に戸惑いを覚えるました。
 「ショスタコーヴィチ / ピアノ協奏曲 第2番」は、 キリル・ゲルシュタインのピアノがとてもよかった。鋭く切れのあるタッチで、小気味良く軽快な演奏。特に良かったのが第二楽章。その美しさは感動的でした。濃厚で叙情的。美しく緩やかな音。切ない音色にこみ上げてきました。20分ほどの演奏の後は、拍手が鳴り止みませんでした。明らかにアンコールを期待した拍手。キリル・ゲルシュタインのピアノを、まだまだ聴きたいと思いました。
 「R. シュトラウス / 交響詩 ドン・キホーテ」。華やかで、オーケストラの面白さ満載でした。ゴーティエ・カプソンのチェロは表情豊かで、ドンキホーテの悲しく痛ましい様子をよく表していました。店村眞積のビオラは、明るく落ち着きのないサンチョを、風格ある演奏で表していました。特記すべきは、篠崎史紀のヴァイオリン・ソロ。流麗な響きが「交響詩 ドン・キホーテ」をより格調高くまとめていたように思いました。

ヴェルナー・パントン展

2009-12-07 23:18:22 | 芸術鑑賞
  
 東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「ヴェルナー・パントン展」。デンマークのアーティスト、ヴェルナー・パントンの大規模な回顧展で、1950年代半ばから1970年代半ばに発表した、家具、照明、テキスタイル、模型、ドローイング、映像など約150点を展示しています。
 ヴィヴィッドな世界、色の洪水の中に居るようです。円をつなげたデザインや、流線型のデザイン。原色をわずかにくすませた色使いと、抑えた照明、布やプラスチック素材の質感を生かした空間は、過度な刺激はなく、大らかで、安らぎや心地よさを感じさせます。本展覧会のポスターにも用いられている「ファンタジー・ランドスケープ」は、1970年に開催されたドイツ・ケルンの家具見本市で発表されたのを再現した体験ゾーン。床・壁・天井を一体化させた空間は、深海や洞窟、秘密基地、細胞の中を連想させます。一歩足を踏み入れたら、冒険したくなったり、身を委ねてみたくなったりします。この時の入場者は大人のみ。この空間に小さな子どもがいたらどんな行動をとるのか見てみたいと思いました。パントン作品で特に惹かれるのがランプです。「ムーン・ランプ」や「シェル・ランプ」、ペンダント・ランプ「フラワー・ポット」。未来的なのにどこか懐かしい。洗練されたデザインでありながら、暖かみがある。身近な素材を使い、照明が直接目に入らないようにどれも工夫されたランプは、やわらかな明るさを演出しています。パントン作品のすてきなところは、そんな心遣いにあるのかなと思いました。   ~12月27日まで。