ちょっといいな、ちょっと幸せ

映画、アート、食べ歩きなどなど、私のちょっといいなを書き留めました。

ペンギンの憂鬱

2010-03-28 17:25:57 | 読書
 
 「ペンギンの憂鬱」。アンドレイ・クルコフ著、沼野恭子訳、新潮クレスト・ブックス発行。
 ソ連崩壊後に独立したウクライナの首都・キエフが舞台。売れない作家ヴィクトルは、鬱病のペンギン・ミーシャと一緒に暮らしている。恋人に去られたヴィクトルと、動物園に見捨てられたミーシャ。孤独な者同士が寄り添うように、静かに慎ましく暮らしていた。ある日、ヴィクトルの書いた小説に目を留めた新聞社から極秘の仕事が与えられる。それは、まだ生きている有名人の追悼文「十字架」を書くこと。ヴィクトルの仕事は好評で生活は安定し、めりはりができてきたが、作者として自分の名前が公表されないことに不満を感じるようにもなっていた。そして次々と死んでいく大物たちと、自分の周りの空気の変化に危険が迫るのを感じながらも、警察官のセルゲイと友情をあたため、ペンギンの研究者であるピドパールィと知り合い、ペンギンと同じ名前をもつミーシャの娘ソーニャを預かり、幸せな時間を過ごしていた。そんな時、ミーシャが重い心臓病だということがわかる。
 マフィアが暗躍していたり、人の命が軽々しく扱われていたり、不穏な空気に、ソ連崩壊後のウクライナの憂鬱を随所に感じました。そんな中でペンギンのミーシャの存在は、ヴィクトルにとって救いであったように、読者にとっても欠かせない存在です。ヴィクトルが座っているとその膝に身体を押し付けてきたり、バスタブに冷たい水を入れてる音を聞きつけてペタペタとやって来て、水がたまるのを待ちきれずにバスタブに飛び込んだり。ヴィクトルをじっと見つめたり、どことなく嬉しそうだったり。なんでもわかっているように、ヴィクトルに寄り添います。物語の展開はまるでわからず、話のつかみどころを探しながら、想像しながら、どんどん読み進めていきました。終わりは、予想外の展開に少々面食らいました。そして、寒々とした灰色の重い空を眺めているように、ちょっと憂鬱な気分になりました。

BRUNOMAGLI

2010-03-09 12:46:47 | お気に入り
  
 「ブルーノマリ」のパンプス。なめらかな曲線が美しい。色は濃紺。足にしっくりと馴染んで履き心地がいい。足を包みこむようにしっかりと支えられている安心感があります。ヒールの高さは、5cm程度に見えるのに実際には7cm。履いた感じも安定して、差ほど高さを感じない。いい靴に足を入れると、外に出たくなる、歩きたくなる。いい靴は、晴の日に履きたい。

パリ左岸のピアノ工房

2010-03-07 14:24:06 | 読書
  
 「パリ左岸のピアノ工房」、T.E.カーハート著、村松 潔 訳、新潮クレスト・ブックス。
 「わたし」は、毎日の子どもの学校の送り迎えで「デフォルジュ・ピアノ-工具とピアノ」の前を通っていた。ある日、中古のアップライトピアノを探すめに、この工房の扉をノックする。謎めいたギャラリーの奥のアトリエには、ありとあらゆるメーカーとモデルの、解体の様々な段階にあるピアノがならんでいた。「わたし」は、たちまちピアノの深い世界へ、贅沢な世界へと誘われ、静かに探求が始まったのだった。その春、ついにシュティングル社製のベビー・グランド・ピアノに出会い、所有することになる。それから翌年の春までの一年間、ピアノを軸として様々な人々と出会い交流し、音楽の世界を再発見していくのだった。
 スタインウェイ、プレイエル、ファツィオーリ、べーゼンドルファー、ベヒシュタイン、エラール・・・、古今東西の名器がこのアトリエに集まり、再生されていきます。たくさんの脚のないグランド・ピアノが平らな面を下にしてならべられた光景は、沖に引いていく幾重もの波のようだといいます。黄ばんだ象牙の鍵盤、精巧な象嵌細工を施したケース、ピアノの内側に記された製作者のサインや街の名前、彫刻飾りつきの脚、レモンウッドのガヴォー、ローウッドのスタインウェイ、ベートーヴェンのピアノ、ファツィオーリのピアノ。ピアノをまるで大切なゲストのように扱う職人のリュック、アル中の凄腕調律師ジョス、巨漢のピアノ配達人。こだわりを持った一癖も二癖もある職人たちの仕事振りが、いかにもパリらしくて魅力的です。何よりも、ピアノの音に関する表現がすばらしい。それぞれの登場人物たちがピアノについて語る豊かな語彙と表現に、美しいピアノの姿が優雅に浮かび上がってきます。そしてピアノの背後にある物語。楽器でありながら調度のような存在でもあるピアノは、音楽という思い出とともに特別な存在であることを感じるのです。

MICHAEL KENNA Landscapes and Memory

2010-03-04 21:22:56 | 芸術鑑賞
  
 札幌宮の森美術館で開催中の「マイケル・ケンナ写真展 風景に刻まれた記憶」。美術館2階では、北海道の風景写真と撮影風景のDVD上映、1階では、世界各地で撮影された写真が展示されています。(2階には、森山大道の写真も展示されています。)
 マイケル・ケンナの写真は心に響きます。静かで慎ましい。1枚1枚を見て歩きながら、記憶を辿っているような感覚になります。厳冬の風景は、静寂で凛々しく、そっと語りかけてくるようです。耳を澄ましてその言葉を聞き取ろうとする、五感が冴えてくるような感じがします。地上を覆い尽くした雪の上に残されたポールや鉄塔、柵、樹木は、ひっそりと佇み、不思議な安らぎを与えます。糠平湖のタウシュベツ橋梁は幻想的で、気配が伝わってきます。屈斜路湖畔の木は、長い時と風雪に歪んで盆栽のようです。凛とした老女の背中を見ているようでもあります。その場所で過ごした時間が凝縮されて、ひとつの生き様を見せているようにも感じます。
 写真には撮る人の心情が反映されます。マイケル・ケンナの写真が素晴らしいのは、自然に真摯に向かい合う、被写体に敬意を表して撮影する姿勢にあると思います。それは、厳しい自然の中に長時間身を置き、ひざまづいて撮影する様子からも伺えます。被写体を敬う謙虚な姿勢を写真越しに感じます。自然との対話、それが写真から囁き声のように聞こえてくるのです。   ~5月30日まで。

Caffe' Arte

2010-03-02 12:33:37 | おでかけ
   
 アルテピアッツァ美唄の松林の傍らにある「カフェ アルテ」。陽だまりのような居心地のよい場所です。高い天井、木の香り、窓から射し込むやわらかい陽射し。窓の向こうの雪景色。静かな店内に、パチパチとストーブの中で燃える薪の音が響きます。ここにはご馳走があります。いただいたのは、だんご汁とコーヒー、ちっちゃな手作りクッキー。だんご汁は、素朴でやさしい味。一番食べたかったものを食べさせてもらっているような、温かくて、美味しくて、幸せな気持ちになりました。そして、食後にいただいたコーヒーの美味しいこと。まろやかで深い味わい、とても美味しかった。お店の方との距離感も調度いい。本を読もうと持ってきていたものの、ぼんやりと外を眺めて過ごしました。何もしない、それがここでの一番の過ごし方のように思えました。そうして軽くなった心は、帰る頃には満たされていたのでした。