『 わかってないなぁ 』 2014-04-06 17:19:27 | Weblog 先日、娘の大学院入学式の帰り道。 娘が「どこの入学式でも来た?」、聞きました。 どんな大学でも入学式に出席したかという意味。 「どこだって出席するよ。喜んでるよ。」と答えたけど。 わかってないなぁ。 今までだって、そうしてきたでしょ。 迷ったって、つまづいたって、前に進もうとするひとを応援しないわけないでしょ。 自分の娘なんだよ。 いつだって誇りに思ってるよ。 わかってないなぁ。
2012年 2012-01-06 14:28:02 | Weblog 2012年の初日の出を利根川の土手の上から拝みました。 新しい年の始まり。 今年はいろんなことを抱えて年を越してきたように感じます。 日々の生活を大切に、小さなよろこびやしあわせを心に刻みながら、分かち合う、そんな一年にしたいと思っています。 誰にとってもしあわせを感じられる一年になりますように。
杉本寺 2011-07-03 19:21:15 | Weblog 6月27日、鎌倉・杉本寺へ。 ゆっくりと、居たいだけ居させていただいて、やっと気持ちが落ち着いた、そんな気分でした。 鎌倉のあじさいは、色が濃くてきれいです。
さくら 2011-07-03 15:12:26 | Weblog 4月13日、自宅近くの土手のさくら。 今年もさくらがきれいに咲いてくれて、とてもうれしかった。 奇跡のように思えました。 幾度となく見に行きました。
ラジオのちから 2011-03-17 07:00:03 | Weblog 被災地の親族とやっと連絡がとれました。 先日、あるFM放送のパーソナリティが「みんなの震災」と繰り返し言っておられました。ありがたかったです。ラジオはいいです。人とのつながりを感じます。必要な情報もきちんと伝えてくれます。いま私たちに必要なことは何か、出来ることは何か、伝えてくださいました。そして音楽に心が落ち着き、ユーモアに笑いました。救われました。ずっとラジオに励まされています。
大丈夫です 2011-03-13 19:52:26 | Weblog ご心配いただいている方々へ。 詳しいことはあえて書きません。 東北地方太平洋沖地震、 私の住む地域は普段通りの生活が出来る環境にあります。 祈ることしか出来ない身がもどかしいです。
あだ名 2010-04-16 10:32:42 | Weblog 「初めてあだ名が付いた。」、うれしそうにそのひとは話した。名前の漢字一文字を訓読みにして「ちゃん」を付けたそのあだ名は可愛らしくて、ふわりとやさしく響いた。よく似合ってる。いつも耳にする言葉、口にする言葉、文字にする言葉、大切だと思う。優しい言葉で呼びかけたら、優しい言葉で呼ばれたら、優しい気持ちになるんじゃないかな。あだ名も素敵だけど、あだ名を喜ぶそのひとが可愛いと思った。よかったね、ぬのちゃん。
節目 2010-04-06 15:30:48 | Weblog 「静かなところで考え事をしたい」と言う人に付き合う格好で、何日かを山で過ごしました。春の息吹に触れながら、毎日雪解けの山を歩きました。久しぶりの山は心地よく、やっと帰ってこられたような懐かしさと安心感でいっぱいでした。山の空気や静寂、木々に安らぎ、時計を気にせずゆったりと過ごした時間に解き解されました。縺れた糸がひらりと解けていくような、抱えていた荷物を降ろせたような、物事に区切りが付けられたような、そんな気持ちになりました。足を止めて景色や足元を静かに眺めてまた歩き出す。その度に一つひとつ区切りを付けて、新たに始められたような気がしました。人に付き合ってやって来たつもりでいたけれど、それは私が待ち望んでいた時間でした。
いただいた時間 Quality of Life 2010-01-31 22:38:47 | Weblog 秋の終わりに体調不良で受診をして、検査を重ねたところ、悪性腫瘍の可能性が高いと説明を受けました。それから最終検査の結果が出るまで10日間待ちました。結果、良性で様子観察。厳しい告知を覚悟していたので、力が抜けました。 検査の結果を待つ間は、川底の石になったような気持ちでいました。いろんなことを想い考えました。当たり前のことが奇跡のように思えました。日常の暮らしがいとおしく、些細なことに心を動かされる日々でした。自分のあり方を考えながら、いつもどおり、普段どおりの生活をしていたいと願いました。何か特別なことをするのであれば、会いたい人に会いに行こうと思いました。 いま、時間をいただいたような気持ちでいます。時間をいただいたと、しめやかにそう思うのです。 フォトは冬の海。