ちょっといいな、ちょっと幸せ

映画、アート、食べ歩きなどなど、私のちょっといいなを書き留めました。

セバスチャン・サルガド  「アフリカ」

2009-12-13 20:16:28 | おでかけ
  
 東京都写真美術館で開催中の、セバスチャン・サルガド 「アフリカ 生きとし生けるものの未来へ」展。サルガドが初めてアフリカを取材した1970年代から現在までの30年間に撮り続けたアフリカの写真100点を展示しています。
 アフリカの干ばつ、砂漠化、飢餓、難民化、伝染病、大量虐殺。サルガドの写真は、悲惨でありながら、美しい。惨状を告発するとともに、命の尊さを伝えています。心を惹き付け、その場の人々に思いを馳せる。どの写真からも、いとおしみと敬いを感じます。

 「カッサラ近くのワド・シェリファイ・キャンプに到着した、瀕死の息子を抱いたエリトリア難民。スーダン、1985年」は、乾いた大地に痩せ細った父子。うつろな目、為す術もなくうなだれてる。後ろには痩せ衰えたラクダ。今にも消えそうな命がいとおしく切ない。
 「茶園の茶摘み。村人たちは苗木をもらって自分の土地に植える。こうした小規模で数多くの農園が、ルワンダ茶の生産量の半分以上を占めていた。ルワンダ、1991年」「マタ茶園で働く子供。ルワンダ、1991年」「チャンググ近郊の農園での茶摘。ルワンダ、1991年」は、茶畑で働く子供たちを写している。貧しいながらも平和な茶畑の風景。内戦前のルワンダの市井の人の暮らしぶりを想う。
 「ルラ村近くの路上で、キサンガニから追い返されるルワンダ難民。彼らは数日前にルワンダから逃れて来た。ザイール、(現コンゴ共和国)、1997年」は、たくさんの荷物を頭に乗せて歩く難民の長い長い行列。昨日まで茶畑で働く農民だった人々が、ある日を境に殺戮の対象となり、追いやられ、難民となり、食料と安息の地を求めて歩き続ける。彼らを受け入れる場所はどこにあるのか。誰が彼らを救えるのか。
 「バチの難民キャンプに群集が押し寄せた日。救援隊が食糧を配給していると聞いて、周辺地域の人々がやってきた。エチオピア、1984年」は、森の中のキャンプで座り込む人々。疲れ果てているのと安堵の様子がうかがえる。降り注ぐ朝のやわらかな木漏れ日に、人々の生命の尊さが照らし出されているよう。
 「バラブ川流域に生息するヒョウ。ナミビア、2005年」は、夜の泉でヒョウが水に顔を近づけながらこちらを見据えている。水面には月光を浴びたヒョウの姿が映し出されている。力強い眼差しと、強くしなやかな姿が美しい。ヒョウの気高さにヒトとの境界線を感じる。
 「ルヒジャのブラウィンディ原生林に生息するマウンテン・ゴリラ。ウガンダ、2004年」。マウンテン・ゴリラの澄んだ黒々とした瞳がじっとこちらを見ている。その落ち着きと堂々たる風格。我々は対等である、そう言われているよう。

 生きていることは尊い。命あるものは美しい。アフリカの、世界中の、生きとし生けるものの尊厳が守られ、未来に光がありますように。   ~12月13日まで