ちょっといいな、ちょっと幸せ

映画、アート、食べ歩きなどなど、私のちょっといいなを書き留めました。

千年の祈り

2009-12-16 22:11:55 | 映画
 
 年老いた父親シー(ヘンリー・オー)は、米国で一人暮らしをしている娘のイーラン(フェイ・ユー)を訪ねます。12年ぶりの再会です。父は離婚したばかりの娘の行く末を心配し気遣います。毎晩、妻を亡くしてから覚えた料理をこしらえて、仕事で遅い娘の帰りを待ちます。少し多すぎるくらいの料理が並びます。ふたりの間には会話はなく気まずい雰囲気。お互いを思いやりながらも、なかなか父娘の間の溝は埋まらない。シーは近隣に住むイラン人のマダムと、片言の英語で会話し、心を通わせていきます。彼女には、自分はいい父親ではないと素直に話すことができました。ある日、シーは娘に積年の想いをぶつけられ衝撃を受け、事実を告白をします。
 文化大革命に翻弄され、引退して改めて娘に向き合おうとする父と、父への不信の念を抱いたままアメリカへ渡り自由に暮らす娘。長い時間と距離が、ふたりの気持ちのずれを大きくしていました。異国の地で、父と娘の関係が色濃く浮き上がります。自分のことに干渉する父に苛立ったイーランが「いつまでこっちにいるつもり?アメリカを見に来たんでしょ。」と言う場面。「見たかったのは、おまえが幸せに暮らす国だ」と父は答えます。父親の深い愛情に心が動きました。とつとつと語られる言葉は心に響き、静かに時が流れ、時に自分を重ね、時に父が重なりました。終盤、川沿いのベンチにふたり並んで腰掛ける場面がすてきです。言葉などなくとも、同じ風を感じ、同じ風景を眺めていたら、それだけで互いに気持ちが通じ合う。じんわりと幸せが伝わってきました。
 「千年の祈り」。厳かで慎ましい言葉です。映画の中で、中国のことわざ「百世修来同舟渡、千世修来共枕眠(同じ舟に乗り合わせるならば百世もの前世の縁がある。枕を共にして眠るのであれば千世もの縁がある)」を、イーランが縁を祈りと英語に訳したものです。「千年の祈り」、美しい余韻が残りました。