湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ラフマニノフ:交響曲第2番

2009年01月14日 | ラフマニノフ
コンドラシン指揮ACO(RCO)1980/8/18live・CD

もしこの録音を目当てにRCO80年代ライヴ・ボックス(5巻)を買おうと思っているかたで、既に000classicsの裏青(29日プロムスライヴ)を持っているかたがいらっしゃったら、買う必要は無いと断言する。10年前だったら私も非常に後悔していたろう。正規録音から起こしたものではない云々但し書きがある以上文句は言えないのだが、録音状態が悪いのだ。ステレオだが遠く昔のFMエアチェックのような音で、音場がぼやけていて聴きづらい。この曲は内声で絡み合うトリッキーな弦楽アンサンブルが要になる部分が多い。しかしこれは、別録にくらべ強弱が大きくついているように感じるものの、その弱音部が聴こえないのだ。終楽章でブラスの下で短いフレーズの掛け合いをする箇所など、コンドラシンならではの手を抜かない厳しさが売りであるはずが・・・肝心なそこが聴こえないのである。上澄みの旋律だけ聴いていたらあほみたいな曲である。これが作曲家ラフマニノフそのものの魅力と言っていい構造的書法なのに。いくら別録にくらべメロウで上品で起伏の大きいロマンティックなふりが伺え、全体の響きもスケールアップしているように感じられるとしても、単純に曲を堪能しきれないのではしょうがない。こういうのはいくら新しくてもSP録音よりも悪いと言える。だいたいコンドラシンに上品さは必要ないし、デジタルな変化のインパクトこそコンドラシンだ。レンジが広すぎるのも「らしくない」。そして何よりソロミスの多さ、バラケの多さも気になる。終楽章が特に問題。集中力が落ち精彩に欠ける。別録が突進の末に一斉ブラヴォで終わるのにくらべ、一歩置いて普通の拍手で終わるも道理である。

解釈は基本的に同じ。特有の無茶なカットも同じ。驚くことに演奏時間もほぼ同じ。でも、これは資料的価値しか認められない。
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ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲

2009年01月13日 | ラフマニノフ
○モイセイヴィチ(P)サージェント指揮BBC交響楽団(DA:CD-R他)1955/8/9プロムスlive

王道の技巧を誇るソリストに、寧ろ伴奏指揮者として一流のサージェントが俊敏なアンサンブルを絡めて秀逸な演奏ぶり。とにかくモイセイヴィチが半端なく巧い。手大きそう。ザ・イギリスな演奏陣でありいい意味でも悪い意味でも中庸の明るい音楽の中で、ただ巧いだけかと思ったら怒りの日の主題でのほの暗い音色表現がはっとさせ、揺れないテンポでひたすら廻りまくる指を見せ付けられているような思いで飽きてきたところに例のチャイコフスキー的主題を思い切りテンポ・ルバート。ただ音色は程よく深いそのままで余りロマンティックではない。それと、そのあたりからオケ、とくにヴァイオリンが(というか録音が悪すぎてオケの中低音域が殆ど聴こえないのだが)疲れてしまったようで残念。もともと薄い編成ではあるが終盤は明らかにバラケてきて、それでも文字通りの瓦解はしないで済んだのは職人サージェントのそつないさばきに拠るものだろう。まさに後期ラフマニノフ、というフレーズもソリストは即物的・・・ラフマニノフ自身の演奏を彷彿とさせる・・・にも粒だってカッコよく表現しているのに対しオケは冷たいままバラけそうになっている・・・BBC交響楽団はもともとそういう楽団だがこれはちょっと疲れすぎ。ソリストの素晴らしさは大ブラヴォを呼ぶしそれにここまでつけていったサージェントには拍手だが、オケは△。
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ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ他編)

2009年01月13日 | アメリカ
○ワイエンベルク(P)アムステルダム・サキソフォーン四重奏団(BRILLIANT)CD

かなり大人しいクラシカルな演奏。余りにスウィングしない「透明感だけの音楽」に違和感を感じる。だが、流石に年齢的にタッチの弱弱しさは否定できないものの、ワイエンベルクらしい美しい音の煌き、カデンツァでは実に軽やかな「胡麻のばら撒き」を愉しむことができる。録音操作か何かやっているのかもしれないが、サックスと音量的に拮抗できており、いや、オケが相手ならかなり辛いのかもしれないが、いや、前半はちょっと辛い部分もあるものの、生真面目なカルテットを相手に生硬なテンポを維持しながら、これが俺のガーシュインだ、と言い切っているような、往年のバリ弾きピアニストの片鱗を垣間見せる。ロンの弟子らしい、クラシカルな美学がこの生々しいロシア系アメリカ人の音楽を灰汁抜きしている。個人的には感銘は受けた。○。
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ラヴェル:ラ・ヴァルス

2009年01月12日 | ラヴェル
○モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1958/7/25放送live

昔はままあったことだがナレーションが序奏部にかぶっている・・・しかし、演奏自体はオケのパワーをフルに活用したもので凄い。そこを買って○はつけておく。冒頭より悪録音のせいで音量変化がそれほど感じられず、ピッチも高いものの、破壊的な結末に向けてリズムを叩き付け続ける終盤はなかなかの迫力で、確かに同曲をアメリカで得意としたミュンシュやパレーやライナーと比べると中庸の感は否めないものの、集中力は互角、一斉にブラヴォが叫ばれるだけのものがある。これ、指揮者を見ないで聴いて、あ、やっぱり音楽というのは指揮者が準備して結局オケが音にするものだ、と思った。指揮者のネームなんかどうでもいい。オケをここまで持ってくるのが指揮者であり、あとはオケ次第なのだ。このレベルのオケが地元にあったら、どんなに素晴らしいことだろう。もちろん、現代においては編成する事自体が困難だろうし、指揮者にそこまでの力はあるものかどうか。
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シマノフスキ:バレエ音楽「ハルナシー」より四つの断章

2009年01月12日 | 北欧・東欧
○フィテルベルク指揮ポーランド国立放送交響楽団(polskie radio)1952スタジオ・CD

こうやって聴くとシマノフスキの非凡な才能が再確認できるわけだが、フィテルベルクの、前時代的なポルタメントをもちい旋律を煽りながらもキレよく尖鋭な響きを整え複リズム的な流れをきちっと収めていく手際よさが感じられ、この指揮者をも再認識させる。余り後期の曲をやらなかったイメージがあるが、後期に寧ろ向いていると思う。晩年のシマノフスキはタトゥラ山地に封じられたようなマンネリズムの中にあったとも言え、この曲と交響曲第4番とヴァイオリン協奏曲第2番は旋律とリズムと構成にバリエーションを得ただけの殆ど三つ子のような様相を呈してはいるのだが、後者二作が余り評価されないのは、この「高地の首長たち」が既に全てを包含してしまっていたからかもしれない。多彩なリズムすら強烈なメロディの一部となり、ミラクル・マンダリンのような木琴からしてペトルーシュカを彷彿とさせて然るべきなのに、響きとリズム旋律の余りに特殊な民族性がそうはさせない。ここが要だなあと思う。フィテルベルクは切り裂くような音響表現が光り、オケすら破壊しそうな前進的なテンポで交響組曲のように仕立てて秀逸。録音は聴き易い。○。
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シマノフスキ:歌劇「ロジェ王」よりロクサーヌの歌(フィテルベルク管弦楽編)

2009年01月11日 | 北欧・東欧
○フィテルベルク指揮ポーランド国立放送交響楽団(polskie radio)1952スタジオ・CD

スタジオ録音のほうがライヴより音が遠いのは何故。まあそれはいいとして、「ロクサーヌの歌」はコハンスキによるヴァイオリン編曲で有名、シマノフスキの代表作と言っていいだろう(後期では「珍しい」)。「メロディ音楽」である。これは盟友フィテルベルクによる管弦楽編曲で、ちょっとハリウッド映画音楽的なロマンチシズムの入った手馴れた編曲に違和感を感じるところもある。原曲そしてシマノフスキ晩年特有の響きが終盤にあらわれるが、もっと怜悧にやったほうが「らしい」感じがしなくもない。甘いメロディを燻らせるさまは聴感悪くはないし、細かい伴奏の動きにも神経の行き届いた演奏にはなっているが。
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シマノフスキ:タランテラop.28-2(フィテルベルク管弦楽編)

2009年01月11日 | 北欧・東欧
○フィテルベルク指揮ポーランド国立放送交響楽団(polskie radio)1953live・CD

ヴァイオリンとピアノのための「夜想曲とタランテラ」より。曲的にはかなり露骨な民族主義があらわれたものだが指揮者である前に作曲家であったフィテルベルク、よくシマノフスキの芸風を知っていたことが確認できる透明な色彩感溢れるいい編曲。ちょっとリムスキーのシェヘラザードを彷彿とさせるところもある。テンポ感がもっさい部分もあるがウブい音も手伝って力強い舞踏を楽しめる。終演がかっこいいが拍手カット。
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ウォルトン:戴冠式行進曲「宝玉と杖」

2009年01月11日 | イギリス
○サージェント指揮ロンドン交響楽団(alto他)1954・CD

威風堂々と並び余りにも有名なウォルトンの二曲の行進曲の後のほう。サージェントは程よく雄渾で響きも絶妙に艶めいて出色だが(シベリウスが得意だっただけある)、それゆえ世俗的な雰囲気が出過ぎているように聴こえる。軽めで、リズム取りがやや「格好をつけている」ような感を受ける。弾むようなフレーズの切り方に若干遅めのテンポが、娯楽性を煽り過ぎて戴冠式行進曲というよりジョン・ウィリアムズ全盛期の映画音楽のようになっている(もちろん曲はJWが真似たのであるが)。録音が一部撚れたり古くなってしまっている部分もある。展開部の緩徐主題は雰囲気があって懐かしい感じがしていい。◎にする人もいると思う。○。
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ルトスワフスキ:小組曲(1951年管弦楽版)

2009年01月11日 | 北欧・東欧
○フィテルベルク指揮ポーランド国立放送交響楽団(polskie radio)1951ワルシャワlive・CD

フィテルベルク向きの曲。民族舞曲を中心とした小品集で、異常な音響が耳をつんざきせっかちなテンポが気を煽るなかなかの破壊的名演・・・終曲が凄い。オケが攻撃的で技術もあるゆえに破綻無く楽しめる。マーラーのボヘミア感覚に近い、東欧の民族に根ざした旋律やリズムを使いながら、西側的な普遍性を重視したようなオーケストレーションで、如何にも前時代的なノリがある一方この作曲家の世俗的なものを削ぎ落とした抽象音楽へ昇華させる鋭敏な感覚があざといまでに活きている。無駄の無い、空疎な響きが日和った後のコープランドを思わせる。曲的には一曲目の「笛」がなかなか理知的で面白い。○。
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シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2009年01月11日 | 北欧・東欧
○ウミンスカ(P)フィテルベルク指揮ポーランド放送管弦楽団(MUZA/POLSKIE RADIO)1951スタジオ・CD

私、同じものと誤解していたのですがこちらが全集盤(2曲だけだけど)のほうの録音。フィルハーモニアよりも精度が高く音もより新しい感がある。ただどうもこの時代にしては、やっぱり気になる録音状態ではあるが。フィテルベルクの雑味もこのくらいなら許容範囲。ウミンスカは2番ほどではないにせよ(恐らく2番より1番に思い入れがあるのだ)高音の痩せ方や枯れたようなボウイングが気になる。ただ、十分この曲の正統の表現を提示できているようである。○。
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シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2009年01月11日 | 北欧・東欧
○ウミンスカ(P)フィテルベルク指揮フィルハーモニア管弦楽団(LYS/monopol)1945/12/27スタジオ・CD

シマノフスキの十字軍的に活躍したソリストと指揮者が西欧に残したSP録音だが、録音こそそれほど悪くは無いものの冒頭からオケの乱れ方が尋常じゃなく、この指揮者の面目躍如なるところが見られる(?)。しかしアクの無い音作りで、拡散的演奏であるがゆえの煌く色彩感、美麗さはあり、リズムを強調し押し進めるところ含め、ストラヴィンスキーの硬質な音楽を思わせるものに仕上がっている。この曲は抽象的に演奏される傾向があるが、ここでは無難に演奏をこなしている女流ウミンスカの表現には起承転結がきっちりしたものを感じる。三部構成をしっかり意識しているので、比較的わかりやすいのだ。シマノフスキの前衛でも国民楽派でも無い微妙な立ち位置を示した曲だが、紹介盤としては十分に機能していたことだろう。フィテルベルクにも技術的問題も多いが○。フィテルベルクをポーランドのゴロワノフと呼ぶ人がいるみたいだけど、どこが・・・?強靭さのレベルが違う。ゴロワノフはこんなバラケ方はしない・・・
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ラヴェル:バレエ全曲「マ・メール・ロア」

2009年01月10日 | ラヴェル
○アンセルメ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1951/12/21live

全曲と書いたが抜粋かもしれない。スイスの硝子細工師アンセルメ向きの作曲家・楽曲であるとともに、ボストンの硬質な音も技術的な高さも、小規模アンサンブルもしくはソロの目立つ、繊細で無駄の無い構造を持つこの曲に向いている。録音が悪く、その点不利ではあるが、ミュンシュ的な曇ったロマンチシズムや情感の煽り方とは違った角度から、スコアそのものに明るい光を照射して、オケに投影しているというのか、どうにも文学的表現では説明しづらいものではあるのだが、とても「ラヴェルらしい」演奏と思う。○。弱音部の音の交錯がひときわ美しいがゆえに録音の弱さが惜しい。
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ラヴェル:マ・メール・ロア組曲

2009年01月10日 | ラヴェル
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1958/1/2live

各楽曲の特徴を明確に描き分け、非常にわかりやすい演奏になっている。キッチュな表現も板につき、カリカチュアをカリカチュアとわかるようにはっきり世俗的なリズムと響きで煽っていく、これはオケにも拍手である。とても感情移入できる演奏で、ライヴなりの精度ではあるし解釈も音もロマンティック過ぎると思うラヴェル好きもいるかもしれないが、恐らくラヴェルの時代の演奏というのはこのようになされていたのだろう。ミュンシュはラヴェル音楽祭の指揮者としてならした経歴もあり無根拠にやっているわけでもあるまい。四の五の言わずに感動でき、拍手が普通なのが寧ろ納得いかないくらい良い演奏だと思うが、録音状態をマイナスして○。久々にこの曲で感心ではなく感銘を受けた。
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ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番

2009年01月10日 | ヴォーン・ウィリアムズ
◎バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI)1956・CD

弦楽器が弱い。素直なアレグロ楽章である終楽章クライマックスで音量変化がそれほど無いまま急にテンポ・ルバートするため流れが止まり、旋律線を見失いそうになるところもある。だが全般的には50年代バルビの持っていた力感と直進性が健在で、優秀録音がそれを後押しし求心力のある名演として印象に残る。晩年バルビは孤高の感情的な旋律表現と引き換えに、テンポの弛緩やリズム感のなさ全体設計の不自然さを得てしまったが、ここではそこまで踏み込んだ特異さが現れず、普遍性を保っている。緩徐楽章に晩年のうねるような強烈な歌謡性こそ感じられないものの、全体的な音楽のまとまり、何と言っても木管の音色の素晴らしさ、案外ばしっと決めるブラスや打楽器の、晩年RVW向きの巧さが弦の雑味をも物ともしない美観を提示して秀逸である。バルビのRVWにはグズグズなものもあるが、モノラル録音末期前後のものには締まった佳演がままあり、南極交響曲もその一つだが、これはバルビ自身に捧げられたこともあってもっと思い入れの強さも感じる名演。
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プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2009年01月10日 | プロコフィエフ
○D.オイストラフ(Vn)作曲家指揮モスクワ放送交響楽団(LYS/VENEZIA他)1938スタジオ録音・CD

性急なテンポ取りが特徴的で三楽章など最早突っ走るような感もあるが、独奏者が暴走しているわけではない。プロコが即物的な解釈とスピードに拘ったのはプーランクの証言を得るまでもなく自作自演のピアノ協奏曲第3番の、技巧が追いつかないテンポ設定で既に明確に聴き取れるところである(バックのコッポラもまたスピードに拘った指揮者だが)。プロコフィエフはリズムの取り方が生硬で如何にも非専門指揮者といったふう。不協和な響きや暴力的なフレーズを強調せず、綺麗で透明感があるのは特筆すべき点か。フランス的、土俗的な部分を出さずラヴェルの曲のように純粋にリリカルな音の粒立たせ方をしているところが面白い。独奏者の技巧はやや若い。1楽章の一部と2楽章にはもつれるように怪しい部分が聴かれ、後年の完璧に流麗な解釈の土台はきくことができるものの、旋律も痩せがちで、まだまだ完成された表現とは言えない。クーベリック・ライヴに繋がるものは確かに感じられるが、作曲家の指示に引きずられ自由にできないせいもひょっとするとあるかもしれない。○にはしておく。veneziaがいろいろまとめて復刻している。LYS(DANTE)との音質差は不明。他にも組み合わせの違う復刻があったが、いずれも板起こしであろう。モスクワ交響楽団という表記のものもある。
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