湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ドビュッシー 弦楽四重奏曲(2012/3までのまとめ)

2012年04月25日 | Weblog
弦楽四重奏曲(1893)

<国民楽派後の近代室内楽史上最高の名作だろう。これを習作に毛が生えたような作品と断じる評論家もいるようだが、弾いてみればその独創性は歴然。過渡期的と言えば過渡期的なのだが、素直に何の先入観も無く聞けばこれは紛れも無い名作である。清新な和声や熱狂的表現などボロディンからの影響ははっきりしているものの、五音音階の多用や旋法的旋律の導入には更に一歩二歩進んだ、より演奏効果の高いものが感じられる。2楽章のピティカートによるスペイン趣味もそれまでの習作に比べて直接的表現はなく、ドビュッシー独自の精妙な音楽に見事に消化されつながっている。まあ、いくら語ってみた所で説明のしきれるものではない。まずは聴いてから判断してもらいたい。>


○カペー四重奏団(EMI他)1927-28・CD

超有名な古典中の古典の演奏記録だが、そのせいか板起こしにしても注意深くやられているようで時代のわりに痩せも耳障りもなく音がいい。演奏様式にかんしては昔聞いていたときと同様、余りにスタンダードすぎて面白みがないという印象だが、逆に言うとこの時代に現代においてスタンダードと受け取れるようなロマン性を抑えた抽象度の高い演奏を行うことができたというのは凄いことであり、この曲の本格的な演奏史というのはカペーをもって始まったということにも気づかされる。音色は板起こし者によっても差異はありEMIなどはちょっと匂いを消しすぎている感じもするが、それでも色艶が品よく乗った往年の演奏の魅力もそなえたものとなっている。ドビュッシーについてはとくにこれがやはり、古典的な時代における模範といえよう。

スペンサー・ダイク四重奏団(NGS)1924/8・SP

いやー、最初から走る走る。と思ったら突然全部の音符を切ったり、弓の赴くままに伸び縮みするする。もう、ここまでくるとアマチュアである。オールドスタイルという言葉では済まされない(じじつアバウトさは同時期の他団体による演奏に比べ段違いである)。スペンサー・ダイクというNGSの代表選手のようなソリストはドイツものではがっしりやっているので、こういう不安定な演奏(音も浅くてボウイングは切れ切れ、とにかくなってない)は曲への無理解があるとしか思えない。確かに終楽章のコーダ前あたりなど法悦的で美しい場面は無いことも無いが、音色の浅さ単調さは如何とも。ボウイングがとにかくぎごちなく、学生時代の自分を思い出して恥ずかしくなった。そういう恥ずかしい演奏が好きなら。私は○をつける勇気が無い。NGS録音は正規にWEB配信化が進められており音質的にもそれなりに聴けるものとなっている。興味があれば検索してみつけてください。無印。

○ヴィルトゥオーゾ四重奏団(HMV)1925/9/14,12/4,9/18,10/21・SP

オケプレイヤーを中心にレコード会社主導で編成された録音用団体の模様。ヘイワード以外はよくわからないが他社に対抗して網羅的録音、しかも一部抜粋ではなく全曲という売りで啓蒙的活動をしたもののようである。演奏的にも専門団体にくらべ技術的安定感はあるが飛び抜けて上手くは無く、現在の耳からすれば手堅い解釈で特筆すべき表現もなく、ただそういった啓蒙的観点から?の客観性があるだけに、この時代の演奏に似つかわしくないくらい現代的で聴きやすいものでもある。集中的にかなりテイクを重ねて丁寧に録音していたようだが、なにぶん古い。だから盤そのものの瑕疵と演奏の瑕疵の違いがわかりにくい部分もある。チャイコのような音楽には適性を示すが、ドビュッシーのような風変わりな作品には特にどうも探り探り感が否めない。といっても3楽章などじっくりと、粘らずしとやかに演奏しているのがイギリスらしくて私は好きだ。また、何故か4楽章の出来がいい。ヴィブラートを多用せずポルタメントに頼らない、そこがこの曲の聴きやすさに繋がっている。ファーストが活躍する曲だからファーストだけが上手い(アンサンブル力は他も十分だが上手くは無い)この団体には向いているけれど、チェロなどもっと主張が欲しいかも。○。あ、特徴に付け加えると、この団体、スタッカートを切らない。スピッカート気味にして明瞭なアンサンブルを印象付ける団体が多い中、こういう奏法があったのか、というほどアクセントを強調しない「幅のあるスタッカート」を使うのだ。というか、このての「飛ばし」を使わないというのは遠い昔へっぽこな私も教わった(というか飛ばし自体教わらなかった!)やり方なだけに、英国にこういう奏法の流れがあったのかもしれない。裏返して言うとしっかりしたテンポやリズムを保つのが難しいので、腕のある団体の証左ではある。じっさい、チャイコでは活きている。

○プロ・アルテ四重奏団(HMV/biddulph他)1933/2/7・CD

音色は艶っぽいのにスタイルはいたって率直で、まっすぐなプロ・アルテの演奏。詰まらないととるか正統ととるかは意見が別れるところだろう。ラヴェルでもそうだったが、いたってスタンダードといった呈であり、強く訴える解釈の独創はないが集中力とアンサンブル精度は同時代ではブダペスト四重奏団に匹敵するものがある。まあ、プロである。○。ビダルフではラヴェルとフォーレのカップリング。1楽章に僅かに欠損?

ブイヨン四重奏団(新星堂EMI)

この演奏は終楽章が聞き物だ。他の楽章は余り個性的とは言い難く、ブイヨンのVnも余りに実直で、しかも音程がやや”フランス的”・・・。鋭い音を避けテヌート表現にこだわる姿勢は独特だが、音が細く、録音の限界もあり高音になるとさらに心もとなくなる。解釈は至って平均的で、ゆるやかなインテンポ表現は正直魅力的には感じなかった。師カペーの亜流に思える部分もある。だが終楽章にきて様相は一変する。運弓や運指に独特の創意が入交じり、面白い音色効果をあげる。付点音符を長めにとり、短い音符を詰めた表現は、今であればセンセイに注意されるだろうが、一種ジャズ的で愉快。速めのテンポにしてもそれまでの穏やかな表現とは一線を画し、心なしか音程も鋭さを帯びる。1VNのテヌート表現はボウイングのぎごちなさとあいまって不思議な効果をも生んでいる。最後の瞬間的なルバートも面白い。カルヴェなどの1Vn偏重とは異なり、技術レベルがまとまっている団体だ。録音は非常に悪い。SP復刻盤に慣れていない方は覚悟が必要だ。

◎カルヴェ四重奏団(LYS/PATHE)

なんといってもファーストヴァイオリン、ジョン・カルヴェの見事な解釈である。平坦に透明に音響を響かせるたぐいの詰まらない演奏ではない。寧ろロマンティックでさえあるが美しい音色とアンサンブルは決して脂肪太りしたものではない。隠れた名盤としてLP時代より定評のあった演奏。いろいろ書きたいことはあるが、古さを押しても聞く価値のある深情溢れる理想的演奏。

○パスカル四重奏団(concert hall)LP

戦前戦後の名演のひとつである。どの団体でも感じることだがラヴェルとカップリングされたりしていてもスタイルはまったく違い、この曲のほうが歌いやすく単純な感情もあおりやすいせいか、ドビュッシー名演ラヴェル凡演のパターンはある時代まで黄金律としてあった。パスカルも同じである。ラヴェルの精細に欠けるたどたどしさがここにはない。ソロとしても活躍したファーストヴァイオリンの雄弁な曲であるということも理由のひとつに挙げられるだろう。解釈の非常に巧みな演奏を繰り広げている。フランスのアグレッシブさというか、ロシアみたいなごり押しも中欧みたいな普通ぽさもアメリカ的な金属質音もない、オーソドックスと言うべきバランスを備えており、モノラル期のスタンダードと呼びたい。余り強くは印象に残らず特徴的な個性はないが○。

*********************************

レーヴェングート四重奏団

○旧録(DG)LP

独特の演奏。面白い(が飽きるかも)。緩急極端でディジタルなテンポ変化、音量のコントラストの激しさと常套句で言ってもなかなか伝わらないたぐいの演奏で、しいていえば「やらかしてやれ」という意気があふれつつも、諸所でその意気に演奏技術が追い付かず(とくにファースト)、緊急避難的に施されたルバートや最弱音での異様な低速・ノンヴィブ(1楽章)最強音で乱暴に響くピチカート(2楽章)などが結果として独特の聴感をあたえている。2楽章あたりはじつに面白い。4楽章は盛りだくさんなのでいろいろ楽しめる。唯、3楽章はつまらない。・・・聞けばわかるがけっこうぶっとんでいて、この団体のイメージからすると意外だ。音色に特色の少ない奏者の集団だから逆にまとまりはよく、だがその中でもとくにファーストがそれでもいろいろと特殊な音色を出そうとして奏法にさまざまな細かい変化をつけており、気持ちとしては非常にわかる(他の楽器はそつなくうまく弾き抜けている)。終楽章のクライマックスなどいにしえのフランスのカルテット張りの艶めかしいフレージングが頻出してはっとさせる。でもファーストは弱い。最後の駆け上がりがぐちゃっとなって結局ヘタッピだ(こんなんでDGはOKしたのか?)。もっともこれも気持ちは良くわかるが・・・。総じて○としておきます。私は3回目で飽きたが、1、2回目はワクワクした。

○(新)(CND)LP

モノラル末期のフランス録音。折り目正しくきちんとした演奏ぶりは寧ろ「なんじゃこりゃ」と思わせる雰囲気を漂わせた遅さだが、ドイツ的というか、引き締まった演奏方法が慣れてくると独特のタテノリになり心地よくなってくる。確かに独特の演奏で、当時としても特異だったからこそ評判になったのだろう。正確さを狙ってるのではなく、高音などハーモニーが揃わなかったりするが、カペー師匠に教わった若干引き芸の部分を伸張させ、緊張感をもって構成的な演奏を展開する、中間楽章から徐々に、そして終楽章ではまあまあの感興を催される。VOX録音があるのでこれに拘る必要はなく、モノラル末期特有の重厚な音があるとはいえ状態のいいものは高い可能性があるので(私はひさびさディスクユニオンに行って、あの大量消費中古店でもそれなりの値段がついていたものを、半額セールで買ったのだが、それでも裏表音飛びまくりの磨耗ディスクだった・・・半額じゃなければ何か文句言ってるところだ)。海外じゃ安くて原価2000円くらいか。

△新録(VOX)LP

新規メンバーによるステレオ録音。非常に厳しい演奏。遊びのない独特の解釈表現は特筆ものだ。録音も硬質で金属的な感じがありキンキンと聞きにくい箇所もある。そしてこのファーストヴァイオリンのあつかましさ!ぎりぎり弦の軋む音が聞こえるじつに耳障りな音。演奏レベルは初代にくらべ格段に上がったかもしれないが、この終始力んだような音色は耐えられないレベルに達している。ドビュッシーがこれほどあけっぴろげに弾かれたのを始めて聴いた。ニュアンスもへったくれもない、ただ3楽章にちょっと聞ける箇所がある程度。勉強用の見本としては存在価値はあるかも。フランセの四重奏では柔らかく軽妙なところを見せているというのに、なぜこういう力みかたになってしまったのか、不思議だ。

*********************************

スタイヴサント四重奏団(BLIDGE)CD

ひどく音が悪い。モノラルは当然の事、何やらプライヴェートな実況録音並の録音状態で、とくに高音域がかなり聞こえないというのは痛い。ヴァイオリンの音域が失われると骨組みだけ見えて外装の施されていない家のよう。台無しだ。それをしっかり念頭に置いた上で聞くと、この団体、とくにストヴァイはじつに柔らかい音を発しふくよかな響きを引き出していて嬉しい。私好み。やわらかいボウイングがもたらす軽やかで嫌味のない音は実演で聞いたらもっと楽しめたろうにと思う。だがこういう音を出す人は往々にして地味になりがちである。レガート気味で鋭い発音を必要とされる肝心のところで音が弱く埋没してしまう。これは録音だけの問題ではないだろう。優しい音作りは非常に評価したいところだが、この作品の新鮮で野蛮な音楽をしっかり表現するには優しすぎる。無印。

ハンガリー四重奏団(M&A)1951/8/1南カリフォルニア大学・CD

悪くはないのだがいささか性急であっさりしすぎている。現代の演奏のようにハーモニー重視で透明感ばかり目立つ類のものとは全く違う、各音符を須らくしっかり発音させ律動で聞かせるスタイルであるが、豊かな表現力の反面解釈に面白みが少なく(無いわけではないが)右から左へ抜けてしまう。技巧が安定して聞きやすいがライブなのかアタックの付け方がややアバウトでテンポが流れやすいようにも感じた。逆に肩の力が抜けた楽に聞ける演奏とも言えそうだが。嫌いじゃないが期待程ではなかった。

○パガニーニ四重奏団(COLUMBIA)LP

旧メンバーによる旧録。新盤よりかなり性急で揺れの無い演奏になっているが、なまめかしいファーストの音色はかわらず耳を楽しませる。とくに三楽章の憂いのある表現は新盤ともに出色といえるだろう。こういう色のついた演奏は古ければ古いほどイイ感じの味が出てくる。ライヴで目の前で聴いたら胃にもたれるのかもしれない(自分が演奏していてすら胃にもたれる)。いまどきの演奏に比べればかなり好きなほうです。KAPP盤はこれより音がよく多彩ではあるので、こちらはあくまで若さの余りのスピード勝負、みたいな感じでとらえておくといいかも。中声部以下の技巧は勝っているかもしれない。リズミカルで乱れ無く巧い。一楽章展開部に信じられないカットあり。意味不明。。○。

○パガニーニ四重奏団(Liberty)LP

テミヤンカがファーストを張るほかはメンバーチェンジを繰り返すことになる戦後モノラル期に活躍した団体。これはCOLUMBIA録音とKAPP録音の間のもので演奏スタイルは前者に近い直線的なもの。ひたすら突き進む趣が強いが、テミヤンカの古風な艶のある表現はさすが耳を楽しませるものである。ただ、セカンド以下の個性が弱く技術的にも表現力にも物足りなさを感じる。悪くは無いが、コロムビアのほうがアンサンブルとしての完成度は高い。

この団体は戦後46年全員パガニーニ伝来のストラディヴァリウス使いとしてアメリカで結成された。liberty盤(まだモノラルである)製作のころには西海岸からエジンバラ祭にいたるまで飛び回り1000回以上のコンサートをこなしてきていたといい、録音や映像にも積極的であったというがこんにち余り目にすることは無い名前ではある。セカンドはロッセールスで1680年製の初期ストラディを使用。ちなみにCOLUMBIA録音ではヴィオラがコート、チェロがマース。liberty録音でヴィオラがフォイダート、チェロがラポーテになり、現在よく知られるKAPP録音ではセカンドがリボーヴ、ヴィオラがシュワルツに変わっている。liberty盤のヴィオラはベルリオーズがイタリアのハロルドを作曲するのを手伝うさいパガニーニが使用したという1731年製のストラディで、チェロは1736年製、92歳死の前年の作とされている(従って工房作品の可能性が高いと思われる)。libertyにはシューマンの1番とブリテンの1番も録れている。この盤の裏面には中国出身のリースの新作(2番)が入っている。現代から古典までカバーする団体としても知られた。

最後にこの録音、何といってもこの時代のハリウッドを象徴するかのような「改変」が特筆すべき点として挙げられる。・・・ニ楽章に奇妙な「序奏」がついているのである!

○パガニーニ四重奏団(KAPP)LP

非常に惹かれた演奏である。ストラディだからというわけではないだろうが音色に情感篭りまくりであり、結構即興的な(でも弓いっぱいに使った大きなフレージングが目立つが)ルバートがつけられ、起伏はあるが、ポルタメントで歌い上げる戦前の演奏スタイルとも違い各音符の分離は明瞭で、この曲ではそこが非常に強みになっている。ピチカートが美しい。ドビュッシーの繊細な響きは普通にやろうとすると曖昧模糊になりがちだし、かといって精緻すぎてもまた物足りなくなる。この曲は比較的初期のものということもあって国民楽派のような激情の表現も必要だから、精緻が過ぎても心に残らないということがおうおうにして起こりがちなのだ。これは現代的な整理された演奏ではないし、かといってファーストヴァイオリンが突出して歌いまくる古いスタイルでもなく(パガニーニ伝来のストラディヴァリウスの線の細く音量の無い音が全体のセピア色の響きに溶け込み不思議な感傷を与えるのは特記できる)、「艶めかしいがからっとしている」イタリアふうで、特に弱音部の余韻といったらない。そう、弱音の表現においてこの演奏は非常に秀でている。全楽章中最も凄い出来ばえの1楽章からこの点に気づかされる。弱音に激しい感情を篭めることの難しさを思えば、凄いことをやってのけている。ところどころなんとなく稚拙に聞こえるのは古い楽器独特の生音のせいだろう。生木の楽器を弾いているような感じがあるのだが、録音も古いし(といっても50年代と思うが)やむをえまい。私はそういう音が寧ろ非常に好きなのでこれは大好物だった。確かに何度も聴いていると独特の音に飽きてくるが(「独特の音」特有の弱みだ)、「鳴らない楽器を鳴らそうとしたとき」の「鳴る楽器以上に深く響く」という感覚が味わえる。ただ、私の盤は余りに状態が悪い。音飛びまくりだ。CDになっていればぜひ入手したいところ。◎にしたかったが、何度目かで飽きがきたことや盤面の問題で正確な評価を下せない点を割り引いて○。

(後日記)KARPとあったのはKAPPの誤記の模様。但しチャント確認していないので別録音だったりして(KAPP名の別ジャケ欧州盤を入手したんですが、たぶんアメリカ盤のほうがリアルで原盤に近いいい音です)。

ボリショイ劇場四重奏団(melodiya)LP

モノラル。私の盤は盤面が荒れすぎて正直ひどい。でも、演奏も変。これで19世紀的な生ぬるい音色ならロマン派解釈のドビュッシーとして特筆できようが、音色は硬質で冷たいというか、ボロディンQに似た感じで、50年代までのロシア録音にしてはいささか感傷が足りず、でも非常に伸び縮みする独特のテンポ設定、特に3楽章のゆったりとした中で異常に引き伸ばされた起伏が、「透明感があるのにただ伸び縮みしている」、変なかんじだ。1楽章からもう異様な解釈が目立ち、やけにゆっくりだらけた(ように聞こえる)テンポから始まったと思ったらスピッカートを多用して奇妙にブツ切れの動きをしてみたり、酷く人工的なのだ。音色に魅力がないのが痛い。初期ドビュッシーにはロマン性は欠かせないから、ロマン性を音色のバリエーションで補ってほしかった。テンポとデュナーミクだけでは語れない。無印。奇演好きなら。最後の異常なアッチェルでそのまんま駆け上り焦燥感のまま終わるとこなんてのも、なかなか独特。

○タネーエフ四重奏団(MELODIYA)LP

とにかくねっとりしたフレージングに苦笑させられる。しかし麻薬のように効いてくるのは設計の巧さだろう。同じくゆっくりしたテンポでなまぬるい感情を表現した旧ボロディンQに似たものを、とくに1楽章では感じるが、終楽章における(けして速くはないし余り揺れない直截なテンポ設定なのだが)独特の上り詰めかたには耳をひくものがある。ボロディンQの「独特の奏法」には及ばない個性だが、特にあけすけに力強くねっとり表現し続けるファーストの一種暴力性には他国の演奏家には求めえない何かしら「変なもの」を感じさせ、それが慣れてくると面白くなってくる、そんな感じだ。中間楽章に余り魅力がないが、4楽章の「ソヴィエト派としてのドビュッシー」の表現方法に、若干ショスタコ的なものも感じつつ、○をつけておく。旧ボロディンより私はこちらのほうが好き。正直あまりうまくない団体なので、そういう「精度」を求めちゃいけません(残響がやたら付いてるはそのせいか?)。

ボロディン四重奏団(melodiya/CHANDOS)CD

オリジナルメンバー(*バルシャイのいた初期ではない)による有名なメロディア録音。ステレオ初期で音はよくはない。更にCD化に伴うデジタルリマスタリングによって元々の録音瑕疵が明らかになってしまうと共に音が硬く痩せてしまいふくよかな音響が失われている(ぽい)ところは非常に痛い。硬質な透明感が持ち味になったのは後年のことであって、オリジナル時代においては必ずしもそういう操作・・・特に擬似的なサラウンド効果の付加による不恰好にレンジの広い音響・・・はいい方向に働かない。ロマンティックと解説に書いてありながらも酷く人工的に感じるのはそのせいだろう。最近復活したメロディヤが出しなおした盤ではどうなっているか知らない。(ここまでラヴェルと同じ文章)

この時期のドビュッシーは熱い音楽をまだ志向しているがゆえにボロディンQの機械的に恣意的な解釈はかなり違和感をおぼえさせる。リマスタリングされた細くて冷たい音の違和感が影響していることもあるが、持ち芸であるノンヴィブ奏法にしても用法が徹底されていず(もっと計算したらうまく組み込めただろう場所はある)、どうも不完全燃焼感がある。恐らく板起こしであり、アナログであればかなり印象は違っただろう。このCDでは局所肥大のヘンな演奏という感じだけがおおいに残ってしまった。よくよく聞けばドゥビンスキーの音には艶があるし、ロマンティックな感じもないわけではないとは思うのだが、、、やはりリマスタリングの失敗か。無印。

イタリア四重奏団(EMI)1954・CD

妙に遅い。気宇壮大な出だしから単線の音楽になってしまっている。つまりは旋律音楽だ。ドビュッシーはハーモニーを響かせないとよさが出ない。それでもこの曲には旋律だけの魅力も十分訴えられるものがあるのだけれども、この演奏にはそれもない。とにかく旋律の歌い方にもドライブ感がないうえにハーモニーが余り意識されていないのだ。これはアンサンブルとしてもダメでしょう。。音色がイマイチで、三楽章の異様な盛り上がりも迫ってこない。無論CD復刻の痩せ方のせいもあろう。ただ、遅い!これだけは確か。三楽章の中間部くらいだろう、速さを感じるのは。遅かったらもうハーモニーか転調を聞かせるしかなかろうもんなのに・・・無印。

○イタリア四重奏団(PHILIPS)1965/8/11-14・CD

いわゆる響き系の演奏というか、特徴の無いいまどきの演奏につながる要素の多い演奏で、計算ずくの構築性から感情的盛り上がりにやや欠ける。ただ、いい意味でも聞き流せる演奏である。流せる、というところでは3楽章から4楽章の緩徐部にかけてゆったりとしたテンポの中に極めて精緻で美しい表現が爽やかに表現されており特筆すべきだろう。スタンダード。○。

◎ヴェーグ四重奏団(ORFEO)1961/8/19モーツァルテウムLIVE・CD

これぞ荒れ狂うドビュッシー。マイクのそばでぶつかり合い火の粉の飛び散りまくるアンサンブル。尋常じゃないギチギチな集中力。雑音もいとわない弓遣い。弦が悲鳴をあげている。ハーモニー?そんなんどうだっていい。セッションとはこういうもんだ、という見本。カルテットをロックバンド的な激しいグルーヴの中に昇華させた、唯一無比の絶演。この即興的な機知と気合いに任せたキ○ガイ踊りに狂え。◎以外にありえない。血まみれドビュッシーは、こちらだけになります。ライヴって、こういうもんだ!

○ヴィア・ノヴァ四重奏団(ERATO)CD

線の細いおとなしめの演奏だが、音色がなかなか繊細で美しい。軽やかで上品だ。フランスらしい演奏とはこういう演奏を言うのだろう。押しの強さではなく、引き方の巧さで聴かせる。全般遅めのインテンポで特徴的なものはないが、聞いていて気持ちのよい演奏だ。かなりさらっとしているので、2楽章などはBGM向きだろう。1楽章は余りに地味と思ったが、3楽章はやはり落ち着いた雰囲気であるものの、楽章の性格上なかなか思索的な演奏になっている。チェロの提示する第二主題が密やかに感傷を煽るのもまた何とも言えない。盛り上がりどころでの音量やテンポ変化がさほどなく、物足りなさを感じる人もいるかもしれないが、全体の統一のとれた解釈であり、静かな場面の表現により傾聴すべきものであろう。4楽章の静かな序奏部から警句的な主部への移行が実に注意深く、周到なアッチェランド含め耳を惹くものがある。主部が余りがなりたてない、やはり控えめな表現だが弓使いが巧く不自然さが無いのが耳心地いい。この団体で聞くべきはやはり弱音部なのだなあ、とシンコペ主題前の沈潜するヴァイオリンを聴いていて思った。その後のダイナミックな展開はきちっと出来てはいるが余り押しが強くない。しかしそこが「我々が思い浮かべるフランス的なるもの」をまさに体言している気もする。実に上品だ。それほど協和した音色でもなく、アンサンブル的に練られているわけでもないのだが、個々の技と全体の解釈の妙で(それほどあるわけではない「構造的な部分」になると敢えて内声を強く押し出し音楽全体の膨らみを持たせるなど、細かく聴けば発見がある)さすがと思わせるものがある。「踏み外さない演奏」というのを私は余り好きではないのだが、これは一つの立派な解釈だと思った。最後の協和音はきっぱり弾ききって清清しい。○。 (2005)

○ヴィア・ノヴァ四重奏団(ERATO)CD

注意深いテンポでヒポフリギアというよりイスパーニャな情緒をかもす通奏主題を「少しパレナン的に」ゆっくり、しかし柔らかくやった1楽章からしっとりした感触を残す演奏。若い感じもあるが、ファーストの震えるような細い音がいい。そのために迫力ある和音で弾けるべき表現に少しなよっとしたところがなきにしもあらずだが、野心的で荒々しいばかりがコノ曲の魅力でもなかろう。2楽章は1楽章に通じるピチカート主題を端緒として気まぐれに展開していく、かなり「やりづらい」楽章だ。パチパチ自在に跳ね回るとまではいかないものの、フランスの品を保ちイスパーニャな雰囲気も仄かに維持しつづけるバランスがいい(私はもっと激したほうが好きだが、結構演奏テクニックの相性が必要というか、じっさい難しい楽章です)。3楽章は重奏よりソロと和音という対照的な表現の交錯で微細な世界が形づくられるが、そのままやってもロマンティックで美しい。単にミューティングにより子守唄旋律を顕わにしないといういささか外道なやり方の発端から、中間部ではオルガン的な長いオクターブ重音とかけあうように単線で動く感傷的な音線で教会的な響きのうちに盛り上がりを作り、ミュートを外して解決の中間主題が陳腐に、しかし旋法的な動きにのって神秘的に歌われ、曖昧な調性の移ろいから冒頭の静けさに戻ってゆくが、そこにもミューティングにより陳腐さを暖かさにかえられた子守唄旋律がボロディンを模した締めにむかう。静かな独特の美しさをもった楽章で、ラヴェルはこの雰囲気音楽的な情緒(牧神の前哨とみなす人もいる)までは模倣しなかったが、古風なロマンチシズムすら感じさせるこの楽章、過度の浪漫を投入しないところがまたフランス派らしい表現である。終楽章はかなり謎めいたところがあり、3楽章と全く性格が違うにもかかわらず関連性があるかのような序奏部の静けさには4楽章構成という形式への挑戦の意図もあるのだろう。トリルの多用は単純に気を煽る効果と音色効果がありピアニスト作曲家にはよく見られる盛り上げ方だが、ドビュッシーの場合あるていど構造的効果を計算したトリルであり音の選び方も独特で、複リズム的発想が確かにある。スクリアビンが書くトリルとは違う(スクリアビンは弦楽器の曲を書いていないが)。焦燥感のある音線が従来的な勝利への方程式の「フリ」を独自の方法で提示しているが、このへんの書法については少し異論を唱えられそうな長たらしいかんじもある(形式打破にはこの有機的な「煮え切らなさ」の投入は仕方なかったのかもしれないが)。通奏主題のもはや三連符のリズムしか残っていない変化形の第二主題が、全曲の肯定的解決としてはじめD線音域で提示されるがこの下から入って最後高らかにうたう方法は前時代的であったりするものの、とても効果的だ。このへんはちょっと譜面を率直に読んだだけのような感じはするが下品にならないくらいに盛り上がる。焦燥感の表現として再現される第一主題から更に通奏主題やら2楽章第一主題(通奏主題の変化形)や第二主題が音を変えてリズミカルに織り交ざり、これもロシアの形式音楽の「大団円」への各モチーフ再現のやり方をぎゅっと凝縮したもので、非常にトリッキーな動きからいやおうにも気分を高揚させられるし演奏者はよく練習することを要求される。こういったところで煌びやかなアルペジオの繰り返しを投入する方法はラヴェルに受け継がれる。新鮮な音階を最も新鮮に聞かせることができる方法だ。いちいち創意を挙げだしたらとんでもないことになるのでこの楽章と3楽章はかなりはしょって書いているわけだが、コーダは結局エスパーニャなファーストの駆け上がりで大団円となる。ヴィア・ノヴァはまずは及第点といっておこう。

非常によく比較されるラヴェルのものに比べ、旋律性の高さから音感は単純素朴に感じるが、その新鮮な(決して「新しくはない」)和声感・移調+「リズム(ピチカートも一種の打楽器だし3拍を基準としたトリルやシンコペなども同様)による旋律表現」の構成の妙を押し出した、循環的形式のかもす直線性の裏に確かに極めて入念に巧緻に仕組まれた理知性が存在し、それこそがそれまでのカルテットになかった「新しい美しさ」の鍵となっている。前時代~ここには遠く飛び越えて古楽、南国やロシア経由のオリエンタリズムも含まれよう~の音楽への深い造詣が、更に独自の構成や創意をもって別の大成をなし、結局後代のカルテット作品表現をがらっと変え、いわば現代との橋渡しとなったものである。19世紀後半ロシアに多産された掟破りなカルテット群もドビュッシーへの伏線であったといえばとてもわかりやすい位置づけにおさまる。要素要素はどこからか持って来たものであるとはいえ・・・効果的な立体感と高揚感をもたらす「変則リズム」の源には確実に国民楽派の得意とした「踊りの主要素としての”リズム旋律”」がおり、構成論理的にはかけ離れたガチガチ形式的なボロディンを想起するのはこのあたりのせいだろう。また6連符の動きの上に不規則な4拍子の旋律を載せてくる、そういった二拍三連のようなものを効果を狙って投入してくる構造的な「創意」については、あるいはオクターブ重音のようなものをただの「音の増強」としてだけではなく音色表現の劇的変化を狙って突っ込んでくるといったやり方など、嫌っていたといわれる「しかし確かに革新者であった」ベートーヴェンもしくはワグナーの「王道」に源はある・・・「理念ではなく作品の完成度としては牧神すら凌駕するのではないか」?一部論者の述べるような「ラヴェルよりよほど落ちる」ものとは言い難い。今普通の人に聞かせて「どっちがわかりやすいか」と問われ皆が向くのはこちらであることは自明だろう。ラヴェルは自分で新しいものを生み出そうとしたらドビュッシーあたりに既に開拓されてしまっていて、結局数学的な理知性の追及に走りはからずも現代への扉を更に大きく開けてしまった人である。作品中使用される不協和音を吟味すればドビュッシーがあくまで「どこかに存在する”耳障りのいい不協和音”を発掘・”凌駕”しよう」という意識に立脚しているがゆえに「聞きやすさ」を獲得しているのに対し、ラヴェルが既に踏まれた轍のうえで「独自の別の音を創出すること」を目したがため、曲の一見優しげな表情に不適切なほど硬質で奇怪な不協和音が突出したりするのがわかるだろう。特殊奏法への意欲の差にもあらわれている(フラジオまで使うオクターブ跳躍を伴う装飾音など、古来演奏手法としてはあったものの、ここまで凝ったものを楽譜上に明記し無理に弾かせるなどラヴェル以外の誰もやっておらず、ちゃんと弾けている例も余りない)。まあ、聞けば聴くほどベツモノです。そして優劣などつけられない。ただ、ラヴェルのほうが後だったがために「影響を受けてしまったマイナス面」と「構造的完成度を上げることのできたメリット」はある。ここだけでドビュッシーをつまらんとは言えないよなあ。それぞれの作品の、同時代の目で見よう。 (2007/3/8)

○ガリミール四重奏団(新)(vanguard)

可も無く不可も無くといった感じもするが、聴いていて心地いいたぐいの演奏で、扇情的にも客観的にもなりすぎず、アメリカのすぐれた団体の演奏を聴いている感じがする。デジタル初期ということもあり、録音のほうにやや硬質で金属的な質感がのこり、そこが他の現代の音盤と比べて余り特徴的に聞こえてこないのが更に無個性であるという印象につながっている。しかしまあ、可もなく「不可も無い」わけで、○くらいには十分なりうるきちんとした演奏。ちなみに即物主義ではちっともありません。ちゃんとロマンティックです。

ブルガリア四重奏団(harmonia mundi)

古今東西の弦楽四重奏曲の歴史を一気に二巻のLPにまとめた後編の冒頭に収録されているもの。クロード・ロスタンによるブックレットなどクレジットより曲紹介に終始しており、基本的に「紹介」なので余計な解釈を入れずかなり生硬にやっているのかもしれない。つまりはつまらない。見せ所がない。譜面に忠実な演奏といえばそうかもしれないが、この曲に余り譜面の読みどうこうというのはいらない気もする。あくまで「紹介」としてしか聴けない演奏。うーむ。

○パレナン四重奏団(EINSATZ/PACIFIC)1950年代・CD

モノラル録音のほうで、ドビュッシーとラヴェルというステレオと同じ組み合わせではあるが、よりはっきりとしたコントラストをつけた激しい目の演奏にはなっている。ラヴェルのほうが集中度が高くスピードもあるように感じるが、こちらドビュッシーでは重いテンポでねっとりした感すらある1楽章からやや生硬な2,3楽章、そして4楽章では録音こそふるわないものの輝かしい終結に向けてしっかり設計がなされ、それまでの楽章で感じられた縦を意識した堅い表現というものがロマンティックさを帯びてなかなかに美しい。個性的な解釈が随所にみられるが基本的にはフランスの楽団という印象、技術的にもその「色合い」が強い。○。 (2007)

パレナン四重奏団モノラルLP期のPACIFIC録音だが、ドビュッシーに関しては師匠のカルヴェを想起させる感情的な動き、音色の暖かな揺らぎが感じられる。後年かなりクリアな演奏を志向しただけにこの若さや50年代的な力強さ、陶酔的な表現は意外でもあり、楽しくもある。時代のわりの音の悪さはかなりマイナスだが、参考盤としては十分か。○。 (2010/8/19)

○パレナン四重奏団(EMI)1969/7・CD

テンポが「遅いほうへ」伸縮する独特のスタイルを持ち、2楽章などかなり生硬ではあるものの、ラヴェルに比べるとずいぶんと情緒的な音色の感じがするのは曲のせいか、師匠カルヴェの影響か、ファーストのヴィブラートのかけ方が甘い古いスタイルのせいもあろう。この団体は技術的に特にすぐれているわけではなく、旋律勝負なところのあるこの曲のようなものでは、ファーストの音が細く弱いのは難しいところだと思う(もちろん録音当時のことであるしデジタル化時に痩せてしまった可能性も高い)。情熱的な表現が苦手なのかもしれない、と思った。テンポが遅く感じるのは勿論演奏があるていど制御されたレコーディングとして行われているという点が大きいだろう、終楽章最後のプレストで異常にテンポアップするところを聞いてもけっして技術的に速いテンポをとれなかったわけではなかろう(最後のファーストの駆け上がりでクレッシェンドが足りないし、頂点で音が揺れすぎとは感じた)。情緒的演奏ではあるのだが客観的に情緒を演じているように感じさせてしまう。3楽章は印象的な沈潜の仕方をする。今ひとつ乗りきれなかったが、独特さを買って○。 ensayo盤はこれとは別という説があるが未聴。

○ヴラフ四重奏団(SUPRAPHON)1959・CD

往年の東欧の名演のひとつとされるドビュッシー・ラヴェル集だが、非常に特異な演奏スタイルが聞いて取れる。ここにテヌートでつながった音符は存在しない。全部いちいち切られている。それが悉く四角四面で理知的な印象をあたえ、極めて人工的である。テンポはまったく揺れない。ひたすらゆっくりしたインテンポが維持されるが、しかしおかしいのはフレーズ毎にブツ切れにされた音符を、その切れ切れそれぞれの中だけで異常なくらい生々しく多彩な音色表現が施されているのだ。現代的なシャープな解釈とオールドスタイルのフレージング処理が平行線のまま最後まで続く。うまいのかヘタなのかまったくわからないが現代の耳からすれば下手なのだろう。ただ、異様な解釈が諸所に点在し、ロシアにもアメリカにもない、いや東欧にすらない、独特のドビュッシーがここにある。存在感、そして特異な解釈だけで○にしておくがしょうじき面白いとは思えない。録音はステレオ初期だがCD復刻では音が硬く倍音が減りとても聞きづらい。

○テシエ、ユーオン、バロー、コーディエ(musidisc他)

なかなか盛り上がる。演奏的にはフランス派のそれだがパレナン以降のような冷徹な方向にはいかず時には熱く時には丁々発止でわたりあう。このメンバーは知らないがいずれきちんとしたアンサンブルの訓練を行っている団体だろう。○。

○カーティス四重奏団(westminster)

この演奏の独創性は非常に大仰大胆な伸縮、アーティキュレーション付けとそれに反して分節をきっちり別けるように、音をいちいち切って思いなおすボウイングの細かく正確に計ったようなテンポ感、その両者の上に一種浅やかな音色が載っている点にある。前時代のロマンティックな演奏ではない、ロマン性を分析したうえでデフォルメし、あくまで譜面上に反映してから表現したような演奏ぶりはドビュッシーのこの曲に横溢する前時代的な音楽の激しさを、表層的な表現の過虐とは逆に落ち着いた客観的なものに引き戻すようなところがある。どちらかといえば硬質な音色についてはウェストミンスターの録音特有のものもあると思うが、楽器特有のものかもしれない。技術的には決して技巧派集団というわけではなく、技巧が表現しようとしているものについていかなかったりしているような場面も聞き取れる。面白い演奏で、ドイツ的アメリカふう解釈といったもので例えばロシア式とはまったく異なる感がある。○。

~Ⅲ

○ロート四重奏団(ODEON)SP

深い音色で丁寧に綴られる緩徐楽章。前時代のロマンティックな演奏様式はフレージングにあらわれるがそれほど鼻につく感はなく品がよい。ひそかに息づくようなテンポ運びが美しい。中間部はスピットにテンポが上がり躍動感ある、しかしインテンポで盛り上がる。頂点ではさすがに甘やかなポルタメントが入りまくるが、技術的に安定しているのでおかしくはならない。書法上旋律が薄くなるのは仕方ないが音色でカバーしている。非常に丁寧によくできている。○。
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ディーリアス 歌劇、合唱、... | TOP | サティ (2012/3までのまとめ) »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | Weblog