湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆グリエール:交響曲第3番「イリヤ・ムーロメッツ」

2016年09月26日 | グリエール
〇ラフミロビッチ指揮ローマ聖チチェリア音楽院交響楽団(EMI)1949/3ローマ・CD

初録音盤とあるがアメリカ初演者ストックもストコも部分又は短縮版ではあるが戦前に既に録音を遺している。この指揮者は比較的若くして亡くなってしまったので余り知られていないが、アメリカ20世紀前半における俊英の一人としてそれなりに名のある存在である。ロシア出身であり極めて少ない録音記録のほとんどがロシアものである。キャピトルに遺されたのは何れも聖チチェリア音楽院管との録音で、結局イタリアからの帰途の船上で亡くなったためジブラルタルをのぞむ場所に葬られることになったのだが、このオケには珍しいレパートリーは演奏史上独特の位置を占めるものといえる。

演奏スタイルは剛速球型でガウク的な突っ走りかたが楽しいが、復刻によってはその力感が伝わりにくい。何せ元が戦中戦後の古いものであるから復刻のさいの雑音除去によって生々しさが大きく害われかねない。このCDはまさにそのたぐいのものであり、できれば音量を最大にして短距離走的な烈しく揺れないスピードや2楽章のむせ返るような弦の音色の饗宴に耳を傾けていただきたい(イタリアのスクリアビンってこうなるんだ!)。颯爽としたテンポは感傷がなくスマートで清潔、だが力強く推進する音楽は、トスカニーニとも違うロシアの荒々しさを(人によってはだらしないと言うかもしれない縦の甘さ含め)内に秘めており、「人ごとではない」思い入れも意外と感じさせるところがあり、なかなか聞かせるのだ。歌心は輝かしさを放ちイタリアオペラでも演歌でもない美しい命を感じさせる。線の細い音が曲の迫力を減衰させている面は否めないが、非常に構造的に演奏しているため薄さは感じない。対位的な動きを鮮やかに浮き彫りにしてみせた3楽章後半は聞きものだ。短縮版を使用しているため物足りなさを感じるところもあるがこれも演奏の余りの充実ぶりの裏返し、もっと聞きたかった、である。響きの凝縮ぶりはモノラルだからというだけではない。曲への理解の深さと高度なテクニック、コントロールの上手さ、アメリカの指揮者と言って馬鹿にしたら損をする。この指揮者がタダモノではなかった、ということ、もっと円熟した演奏を(いささか一本調子で飽きる箇所もある)、いい音で聞きたかった。〇。

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