湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ネット交流の限界について

2006年08月01日 | Weblog
死んだら、埋めて下さい
百年待っていて下さい

~口にしなくてもいいようなことを、電脳指は喋る。電脳指同士の争いは物理器官の指示より離れ、仮想次元で事の解決をみようとする。それは虚偽の争いだ。争いを突き詰めたところで破局しかない。本来的にネットは終局を内在した関係性しか作り得ず、仮想空間を離れたレイヤで交流することなくして長期間の交流は有り得ない。9年は長すぎた。

人間という複合感覚端末を通して認識するこの実世界の何と「美しい」ことか。芸術を論じあうならやはりリアルでやるべきなのだ。音楽を語るなら音の出る場所で音を相手に論じないのはナンセンスである。つたない言葉で表現できる代物ではない。

大多数の音楽愛好家にとってネットは結局単なる外部記憶装置の拡張機能の範疇に帰結している。ほんとうに重要なことは、みんなリアルでやりとりされる。ただで提供される情報なんて、何らかの「下心」があるのが寧ろ当たり前なのだ。

・・・
冒頭は漱石「夢十夜」より。夢に仮想空間をかけてる、てことで。某音楽系老舗サイトの閉鎖によせてひっそり書いたまでで、わからないかたは当たり前のことです。仮想空間からの消滅は(匿名巨大掲示板でよく見られる痛い人の断言するところの)現実での死をちっとも意味しない。たんに薄い関係性を築くレイヤから一旦のいただけにすぎない。消滅サイトはきっと「別の形」で残るだろうが、積極的に手をあげ後継を宣言し構築維持運営する労すら担わない受身参加者だらけの状況において、今の形態で再開などあるはずもない。

百年待てば、あるかもしれないけど。

(某コミュニティより転載)
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