オルフ
<(1895ー1982)「カルミナ・ブラーナ」をはじめとする「トリオンフィ(三部作)」だけでクラシック音楽史に深く名を刻んでいるオルフだが、教育用作品にもかなりの力を注いでいた。プリミティブなリズムと単純な歌唱は単調な繰り返しもかかわらずとても印象的で、「カルミナ・ブラーナ」の誇大性とは対極にあるが根は同じ。ナチス協力者の謗りを受けていた。>
世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」
<67年のヨッフム・ベルリンドイツオペラ管弦楽団他の録音(ディースカウが参加してるけどどうでもいいや)は作曲家監修の定番。個人的には録音や演奏精度はともかく解釈表現にそれほど野性味は感じないが、普通の人は地元バイエルンの荒々しさに感銘を受けるらしい。リマスター新盤のほうが迫力がある。トレッチェル参加の53年モノラル旧録(DG)もある。>
◎ライトナー指揮ケルン放送交響楽団他(ARTS ARCHIVES)1973作曲家監修
これが予想に反して(失礼)いい演奏なのだ。まるで劇音楽のよう。冒頭(と最後)の「おお、運命よ」はややフツーの感もなきにしもあらずだが、聴き進めるにつれよく計算された音楽の流れに魅了される。第3部の後半で丁々発止の歌唱を聴いているうち、ああ、これはミュージカルだ、と思った。決して軽んじて言っているわけではない。ライヴ感にあふれ、生き生きと演じられる音楽はたとえようも無く美しい。これほどわくわくするカルミナ・ブラーナを初めて聴いた。そういえばこれは作曲家監修のもとにつくられた音源だった。オルフの手により音楽はその本来の姿を取り戻したのかもしれない。こういう面白い演奏でこそ生きてくる音楽。ピアノの効果的な導入やリズム性など、前期ストラヴィンスキーの影響は否定できない曲だが、娯楽的演奏を許すという点でストラヴィンスキーの世界とは隔絶している。オルフについては親ナチ派だったとかいろいろキナ臭いことも言われているが、イデオロギーと音楽は全く違うもの。オルフの個性は21世紀の今においてもその輝きを失ってはいない。
○フリッツ・マーラー指揮ハートフォード交響楽団、合唱団、スタールマン(SP)他(VANGUARD)CD
グスタフ・マーラーの甥フリッツとオルフは親交があったと言われる。後半生ハートフォード交響楽団のシェフとしてドイツ的なしっかりした腕を振るい録音も結構なされたが、いかんせんオケの知名度に欠けるせいか現在現役盤は殆ど無い。オケは結構巧いので見くびらないように。この演奏もよくできていて、日常的に聴きたくなったらいつでも聴ける類の演奏、と言ったらいいのか、変な山っ気もなくソリストが突出して芝居じみた表現を繰り出すこともなく、かといってヨッフムのように少々真面目すぎてつまらなく感じることもない。長く連綿と続く簡素な歌を聴き続ける部分が大半の曲で、結構飽きるものだが、これは締まった音が心地よく、耳を離さない。全体のバランス、設計もいいのだろう。力感溢れる両端部は録音マジックの部分も多少あるかもしれないが、誇大妄想的表現にも陥らない立派な表現である。いい演奏。○。
○コンヴィチュニー指揮プラハ放送交響楽団・合唱団他(MEMORIES)1957/4/31プラハの春live・CD
冒頭はいきなりの迫力ではあるものの、鈍重で、合唱とオケがすぐにずれ始めるのががくりとさせるが、ホール残響のせいでそう聞こえてしまっただけなのかもしれない。そのあとは徐々にまとまってきて最後には合唱・オケが素晴らしく規律のとれた迫力ある盛り上がりが出来上がる。録音がやや弱くバランスもインホール録音的な悪さがある。モノラルでも迫力のないほうのモノラルでコンヴィチュニーの実直さが表に立ってしまう、歩み淀むような遅いテンポが気になる箇所も。しかし独唱が素晴らしい。抜けがよく透明感があり綺麗にひびく。これも録音特性かもしれない。チェコとは浅からぬ仲のコンヴィチュニーだが正直コンヴィチュニーのよさはドイツでしか表れないような気もしていて、オケの光沢のある艶やかな特性とややあっていないようにも思った。○にはしておく。
○テンシュテット指揮ハンブルク北ドイツ放送交響楽団他(rare moth:CD-R)1980live
この曲はじつはヨッフムとケーゲルくらいしか知らない。オルフは好きだが、どちらかというと教育用に作曲されたオスティナート・リズムのつづく素朴な歌を寝る前などによく聴いていた。だが、そういった軽い曲はオルフの本領ではないのだろう、ほとんど話題にのぼらない。カルミナ・ブラーナは最初だけが異様に人気があり、テレビのBGでもしょっちゅう聞かれる。第二曲あたりは「スター・ウォーズ」の新作の音楽にそっくり。人気があるなあ。このテンシュテットの盤は、なんと80年代にもかかわらずモノラルである。モノラルはそれなりに聴き易い場合もあるが、できれば壮麗にステレオで聞きたかった。ラジオ放送をエアチェックした盤なのか、と思わせるほど細部が聞き取れない音質だったりする。しかし、ヨッフム盤からは聞き取れないようなダイナミックな音楽性が発揮され、聴き進めるにつれ疲れてやめてしまうことの多かったこの曲を、最後まで飽きさせず聞かせてくれた。付文にもあるが「生々しいまでの官能性」というのはたしかに感じるし、また、私個人的な感想かもしれないが、これは「マーラー」そのものの解釈であり、静かな局面では「大地の歌」を想起するほど諦念に満ちている。音楽の様々な側面を描いたこの曲の特質をよくとらえた演奏だ。魅力的な演奏。
○テンシュテット指揮トロント交響楽団他(rare moth:CD-R)1979/12/13live
オルフの世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」、”トリオンフィ”(三部作)の嚆矢にして、オルフの代表作である。少々ストラヴィンスキーの作風を思わせるところもあるが、より単純で、ひたすらのリズムのくりかえしが脳内に言い知れぬ液体を分泌させる。強烈なリズムと非和声的な音楽、とあるが(「クラシック音楽作品名辞典」)このカルミナ・ブラーナにはとてもその特質がよくあらわれている。南独の修道院で発見された坊さんたちの破戒詩「ボイレン歌集」から、24の詩とオルフの1詩により編み上げられたものである。さて、テンシュテット盤。同じレア・モスからのハンブルグ盤とくらべ、派手である。ひとつにはこれが曲がりなりにもステレオ録音で、ハンブルグ盤がモノラル録音だった、ということがあるが、私はそれよりむしろトロントといういわば「外様」の楽団がこれを演じるという「異様」が、奇矯なテンションをあたえたのではないかな、と思う。終演後の異様なブラヴォも会場の熱気を伝える。技量の問題もある。ハンブルグのほうが全般的に一ランク上の技量を持っている。がそれゆえにといおうか、ここでは足りないところをテンションで押し切っているさまが聞き取れ、却って面白い。テンシュテットはしかし面白い指揮者だ。緩急の差も著しくつけられており、圧倒的な声量の歌を聞かせたかと思えば、緩やかな歌などヴォーン・ウィリアムズあたりを思わせる
鄙びた美感をもたせ秀逸である。おそらく受信機からの録音、テープヒス等は例によって聞かれるし、通常のCDに求められる音質にはかなり足りない音だが、まずもってテンシュテットの「異様」を聞こう。最後に初曲が戻ったところの凄絶な表現に仰天、佳演だ。音質がもっとよければね。。。
シュミット・イッセルシュテット指揮ストックホルム・フィル(BIS)1954/11/26live
ストックホルム・フィル75周年記念ボックスより。リズム感がイマイチか。カツゼツがあまりよくない。横の流れが重視されているかといえばそうでもなく、歌唱を含め今一つだ。だいたい真面目すぎる。滑稽な歌は崩してほしいし、深刻な歌はきわめて厳しく表現してほしい。無印。
○ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団&合唱団、ヴェヌッティ(SP)他(Profil、Hanssler、NDR)1984ハンブルグlive・CD
ちょっと冷静な演奏だがいつもの狂乱的なカルミナ・ブラーナではなくケーゲルらのやったような「構築物としての」ブラーナが聴ける。ここには歌詞の意味内容より純粋音楽的な興奮をそそられるものがあり、もちろんそういうものはこの曲にはほしくない、という向きにはまったく薦める気はないのだが、静謐さや純粋さ、鋭さといったヴァントならではの持ち味がこの曲に違和感なく入り込んでいるさまには感銘を受ける。○。
○パレー指揮デトロイト交響楽団他、アレクサンダー、ボートライト、ババキアン(LANNE/DA:CD-R)1960/12/29live
破滅的な音響と爆発的な推進力で最初から最後まで突き進むパレーだが、管弦楽の強烈なリズム表現に派手なデュナーミク変化はいかにも凄まじいとして、合唱・歌唱の扱いがやや雑に感じられるところもある。ソリストはわりと自由に歌唱し、合唱は強烈さをアピールするために敢えて自発的な迫力に任せているようにも聴こえる。比して中盤歌曲の単調さは管弦楽にしか興味がないパレーの意図?とはいえこのわりと散漫なオラトリオの最初と最後の「おお、運命の女神よ」だけでも聴く価値はあり。録音がとくに前半悪すぎるが、パレーのこの曲、というだけで食指が動く人もいるのではないか。そもそもオルフは管弦楽は伴奏と位置づけ、あくまで演劇的連作歌曲として描いているのにこの管弦楽曲みたいな音楽は何だ、という教条主義者はヨッフムでも聴いとけ。新旧どっちの録音を選ぶべきかちゃんと調べろよ。○。そりゃ終演後は大ブラヴォ。冒頭がBGMに使いまわされて久しい運命論的なこの曲だが、オルフの本領はむしろオスティナート・リズムに貫かれた簡素な本編歌曲にある。数々の教育用作品に通じる特有の平易な表現だ。オルフが発掘した「とされている」中世大衆歌の味ももちろん両端だけでは味わえない。体臭をふんぷんとさせながらあけすけに大声をあげる下品さが求められるところもあり、パレーの芸風は曲にはあっている。歌唱は何とも言えないが俗っぽいところはきちんとそれなりにやっている。何よりアメリカだから俗っぽさでは中世ドイツ顔負けである。音色は明るいけど。
◎ストコフスキ指揮ボストン大学管弦楽団(DA:CD-R他)1954/11/19live
とにかく攻撃的な演奏である。スピードもさることながら音のキレが非常に激しく、とくに合唱の音符の切り詰め方にはしょっぱなからから焦燥感を煽られある意味小気味いいくらいだ。シェルヒェンの芸風をやはり想起してしまう。歌によってばらつきがないとも言えないしブラスはどうもブカブカとふかす感じだが、総体として終始楽しめるようにできており飽きさせることはまず、ない。盛大な拍手もわかる非常に興奮させられる演奏である。ストコの生命力は凄い。原典主義とは無縁の世界だってあっていいし、だいたいビートルズの弦楽四重奏編曲とか平気でやる分野の音楽家が、近現代の作品で多少譜面をいじることを何故躊躇し嫌うのか、金銭的権利的権力的問題以外の部分では私にはとうてい理解し難い部分があるなあ。 後注:DA盤はBSOではなく大学オケ盤(現在プライヴェートCD化)と思われる。そちらのデータに基づき書き直した。なおメンバーはそちらによれば以下。 Ruth Ann Tobin, soprano / Gwendolyn Belle, mezzo-soprano / Elmer Dickey, tenor / Kenneth Shelton & John Colleary, baritones / Boston University Chorus / Boys Choir from the Newton Public Schools
~リハーサル
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団他(DA:CD-R)1969/5放送live
1時間余りにわたってリハ風景が聴ける。こういうラジオ放送も古きよき時代ならではのものだ。流石アグレッシブなアメリカ交響楽団に対して比較的「抑える方向で」表現の機微を付けコントラストを明確にしていくストコフスキの方法がよく聞き取れる。比較的穏健に、冷静に、余り多くの説明をせずに(ここが肝心)、演奏の強弱を中心にしたかなりわかりやすいリハ風景といえるだろう。曲がまたダイナミックで単純なだけにオケもガシガシと攻めてくるのがリハとは思えない側面もあり面白い。もっともリハならではの一種楽にやっているふうな感じは弦に聞き取れる。声楽陣が素晴らしい。なかなかに飽きない。○。
<(1895ー1982)「カルミナ・ブラーナ」をはじめとする「トリオンフィ(三部作)」だけでクラシック音楽史に深く名を刻んでいるオルフだが、教育用作品にもかなりの力を注いでいた。プリミティブなリズムと単純な歌唱は単調な繰り返しもかかわらずとても印象的で、「カルミナ・ブラーナ」の誇大性とは対極にあるが根は同じ。ナチス協力者の謗りを受けていた。>
世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」
<67年のヨッフム・ベルリンドイツオペラ管弦楽団他の録音(ディースカウが参加してるけどどうでもいいや)は作曲家監修の定番。個人的には録音や演奏精度はともかく解釈表現にそれほど野性味は感じないが、普通の人は地元バイエルンの荒々しさに感銘を受けるらしい。リマスター新盤のほうが迫力がある。トレッチェル参加の53年モノラル旧録(DG)もある。>
◎ライトナー指揮ケルン放送交響楽団他(ARTS ARCHIVES)1973作曲家監修
これが予想に反して(失礼)いい演奏なのだ。まるで劇音楽のよう。冒頭(と最後)の「おお、運命よ」はややフツーの感もなきにしもあらずだが、聴き進めるにつれよく計算された音楽の流れに魅了される。第3部の後半で丁々発止の歌唱を聴いているうち、ああ、これはミュージカルだ、と思った。決して軽んじて言っているわけではない。ライヴ感にあふれ、生き生きと演じられる音楽はたとえようも無く美しい。これほどわくわくするカルミナ・ブラーナを初めて聴いた。そういえばこれは作曲家監修のもとにつくられた音源だった。オルフの手により音楽はその本来の姿を取り戻したのかもしれない。こういう面白い演奏でこそ生きてくる音楽。ピアノの効果的な導入やリズム性など、前期ストラヴィンスキーの影響は否定できない曲だが、娯楽的演奏を許すという点でストラヴィンスキーの世界とは隔絶している。オルフについては親ナチ派だったとかいろいろキナ臭いことも言われているが、イデオロギーと音楽は全く違うもの。オルフの個性は21世紀の今においてもその輝きを失ってはいない。
○フリッツ・マーラー指揮ハートフォード交響楽団、合唱団、スタールマン(SP)他(VANGUARD)CD
グスタフ・マーラーの甥フリッツとオルフは親交があったと言われる。後半生ハートフォード交響楽団のシェフとしてドイツ的なしっかりした腕を振るい録音も結構なされたが、いかんせんオケの知名度に欠けるせいか現在現役盤は殆ど無い。オケは結構巧いので見くびらないように。この演奏もよくできていて、日常的に聴きたくなったらいつでも聴ける類の演奏、と言ったらいいのか、変な山っ気もなくソリストが突出して芝居じみた表現を繰り出すこともなく、かといってヨッフムのように少々真面目すぎてつまらなく感じることもない。長く連綿と続く簡素な歌を聴き続ける部分が大半の曲で、結構飽きるものだが、これは締まった音が心地よく、耳を離さない。全体のバランス、設計もいいのだろう。力感溢れる両端部は録音マジックの部分も多少あるかもしれないが、誇大妄想的表現にも陥らない立派な表現である。いい演奏。○。
○コンヴィチュニー指揮プラハ放送交響楽団・合唱団他(MEMORIES)1957/4/31プラハの春live・CD
冒頭はいきなりの迫力ではあるものの、鈍重で、合唱とオケがすぐにずれ始めるのががくりとさせるが、ホール残響のせいでそう聞こえてしまっただけなのかもしれない。そのあとは徐々にまとまってきて最後には合唱・オケが素晴らしく規律のとれた迫力ある盛り上がりが出来上がる。録音がやや弱くバランスもインホール録音的な悪さがある。モノラルでも迫力のないほうのモノラルでコンヴィチュニーの実直さが表に立ってしまう、歩み淀むような遅いテンポが気になる箇所も。しかし独唱が素晴らしい。抜けがよく透明感があり綺麗にひびく。これも録音特性かもしれない。チェコとは浅からぬ仲のコンヴィチュニーだが正直コンヴィチュニーのよさはドイツでしか表れないような気もしていて、オケの光沢のある艶やかな特性とややあっていないようにも思った。○にはしておく。
○テンシュテット指揮ハンブルク北ドイツ放送交響楽団他(rare moth:CD-R)1980live
この曲はじつはヨッフムとケーゲルくらいしか知らない。オルフは好きだが、どちらかというと教育用に作曲されたオスティナート・リズムのつづく素朴な歌を寝る前などによく聴いていた。だが、そういった軽い曲はオルフの本領ではないのだろう、ほとんど話題にのぼらない。カルミナ・ブラーナは最初だけが異様に人気があり、テレビのBGでもしょっちゅう聞かれる。第二曲あたりは「スター・ウォーズ」の新作の音楽にそっくり。人気があるなあ。このテンシュテットの盤は、なんと80年代にもかかわらずモノラルである。モノラルはそれなりに聴き易い場合もあるが、できれば壮麗にステレオで聞きたかった。ラジオ放送をエアチェックした盤なのか、と思わせるほど細部が聞き取れない音質だったりする。しかし、ヨッフム盤からは聞き取れないようなダイナミックな音楽性が発揮され、聴き進めるにつれ疲れてやめてしまうことの多かったこの曲を、最後まで飽きさせず聞かせてくれた。付文にもあるが「生々しいまでの官能性」というのはたしかに感じるし、また、私個人的な感想かもしれないが、これは「マーラー」そのものの解釈であり、静かな局面では「大地の歌」を想起するほど諦念に満ちている。音楽の様々な側面を描いたこの曲の特質をよくとらえた演奏だ。魅力的な演奏。
○テンシュテット指揮トロント交響楽団他(rare moth:CD-R)1979/12/13live
オルフの世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」、”トリオンフィ”(三部作)の嚆矢にして、オルフの代表作である。少々ストラヴィンスキーの作風を思わせるところもあるが、より単純で、ひたすらのリズムのくりかえしが脳内に言い知れぬ液体を分泌させる。強烈なリズムと非和声的な音楽、とあるが(「クラシック音楽作品名辞典」)このカルミナ・ブラーナにはとてもその特質がよくあらわれている。南独の修道院で発見された坊さんたちの破戒詩「ボイレン歌集」から、24の詩とオルフの1詩により編み上げられたものである。さて、テンシュテット盤。同じレア・モスからのハンブルグ盤とくらべ、派手である。ひとつにはこれが曲がりなりにもステレオ録音で、ハンブルグ盤がモノラル録音だった、ということがあるが、私はそれよりむしろトロントといういわば「外様」の楽団がこれを演じるという「異様」が、奇矯なテンションをあたえたのではないかな、と思う。終演後の異様なブラヴォも会場の熱気を伝える。技量の問題もある。ハンブルグのほうが全般的に一ランク上の技量を持っている。がそれゆえにといおうか、ここでは足りないところをテンションで押し切っているさまが聞き取れ、却って面白い。テンシュテットはしかし面白い指揮者だ。緩急の差も著しくつけられており、圧倒的な声量の歌を聞かせたかと思えば、緩やかな歌などヴォーン・ウィリアムズあたりを思わせる
鄙びた美感をもたせ秀逸である。おそらく受信機からの録音、テープヒス等は例によって聞かれるし、通常のCDに求められる音質にはかなり足りない音だが、まずもってテンシュテットの「異様」を聞こう。最後に初曲が戻ったところの凄絶な表現に仰天、佳演だ。音質がもっとよければね。。。
シュミット・イッセルシュテット指揮ストックホルム・フィル(BIS)1954/11/26live
ストックホルム・フィル75周年記念ボックスより。リズム感がイマイチか。カツゼツがあまりよくない。横の流れが重視されているかといえばそうでもなく、歌唱を含め今一つだ。だいたい真面目すぎる。滑稽な歌は崩してほしいし、深刻な歌はきわめて厳しく表現してほしい。無印。
○ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団&合唱団、ヴェヌッティ(SP)他(Profil、Hanssler、NDR)1984ハンブルグlive・CD
ちょっと冷静な演奏だがいつもの狂乱的なカルミナ・ブラーナではなくケーゲルらのやったような「構築物としての」ブラーナが聴ける。ここには歌詞の意味内容より純粋音楽的な興奮をそそられるものがあり、もちろんそういうものはこの曲にはほしくない、という向きにはまったく薦める気はないのだが、静謐さや純粋さ、鋭さといったヴァントならではの持ち味がこの曲に違和感なく入り込んでいるさまには感銘を受ける。○。
○パレー指揮デトロイト交響楽団他、アレクサンダー、ボートライト、ババキアン(LANNE/DA:CD-R)1960/12/29live
破滅的な音響と爆発的な推進力で最初から最後まで突き進むパレーだが、管弦楽の強烈なリズム表現に派手なデュナーミク変化はいかにも凄まじいとして、合唱・歌唱の扱いがやや雑に感じられるところもある。ソリストはわりと自由に歌唱し、合唱は強烈さをアピールするために敢えて自発的な迫力に任せているようにも聴こえる。比して中盤歌曲の単調さは管弦楽にしか興味がないパレーの意図?とはいえこのわりと散漫なオラトリオの最初と最後の「おお、運命の女神よ」だけでも聴く価値はあり。録音がとくに前半悪すぎるが、パレーのこの曲、というだけで食指が動く人もいるのではないか。そもそもオルフは管弦楽は伴奏と位置づけ、あくまで演劇的連作歌曲として描いているのにこの管弦楽曲みたいな音楽は何だ、という教条主義者はヨッフムでも聴いとけ。新旧どっちの録音を選ぶべきかちゃんと調べろよ。○。そりゃ終演後は大ブラヴォ。冒頭がBGMに使いまわされて久しい運命論的なこの曲だが、オルフの本領はむしろオスティナート・リズムに貫かれた簡素な本編歌曲にある。数々の教育用作品に通じる特有の平易な表現だ。オルフが発掘した「とされている」中世大衆歌の味ももちろん両端だけでは味わえない。体臭をふんぷんとさせながらあけすけに大声をあげる下品さが求められるところもあり、パレーの芸風は曲にはあっている。歌唱は何とも言えないが俗っぽいところはきちんとそれなりにやっている。何よりアメリカだから俗っぽさでは中世ドイツ顔負けである。音色は明るいけど。
◎ストコフスキ指揮ボストン大学管弦楽団(DA:CD-R他)1954/11/19live
とにかく攻撃的な演奏である。スピードもさることながら音のキレが非常に激しく、とくに合唱の音符の切り詰め方にはしょっぱなからから焦燥感を煽られある意味小気味いいくらいだ。シェルヒェンの芸風をやはり想起してしまう。歌によってばらつきがないとも言えないしブラスはどうもブカブカとふかす感じだが、総体として終始楽しめるようにできており飽きさせることはまず、ない。盛大な拍手もわかる非常に興奮させられる演奏である。ストコの生命力は凄い。原典主義とは無縁の世界だってあっていいし、だいたいビートルズの弦楽四重奏編曲とか平気でやる分野の音楽家が、近現代の作品で多少譜面をいじることを何故躊躇し嫌うのか、金銭的権利的権力的問題以外の部分では私にはとうてい理解し難い部分があるなあ。 後注:DA盤はBSOではなく大学オケ盤(現在プライヴェートCD化)と思われる。そちらのデータに基づき書き直した。なおメンバーはそちらによれば以下。 Ruth Ann Tobin, soprano / Gwendolyn Belle, mezzo-soprano / Elmer Dickey, tenor / Kenneth Shelton & John Colleary, baritones / Boston University Chorus / Boys Choir from the Newton Public Schools
~リハーサル
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団他(DA:CD-R)1969/5放送live
1時間余りにわたってリハ風景が聴ける。こういうラジオ放送も古きよき時代ならではのものだ。流石アグレッシブなアメリカ交響楽団に対して比較的「抑える方向で」表現の機微を付けコントラストを明確にしていくストコフスキの方法がよく聞き取れる。比較的穏健に、冷静に、余り多くの説明をせずに(ここが肝心)、演奏の強弱を中心にしたかなりわかりやすいリハ風景といえるだろう。曲がまたダイナミックで単純なだけにオケもガシガシと攻めてくるのがリハとは思えない側面もあり面白い。もっともリハならではの一種楽にやっているふうな感じは弦に聞き取れる。声楽陣が素晴らしい。なかなかに飽きない。○。