湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ラヴェル:ツィガーヌ

2019年02月14日 | ラヴェル
D.オイストラフ(Vn)コンドラシン指揮ソヴィエト国立交響楽団(profil他)1949モスクワ・CD

独奏部は音が太く安定しすぎており、神経質なところの一つもない描き方が情熱をまったく感じさせない。うま過ぎる。だがオケが絡みだすとやっとドライヴがかかってくる(譜面のせいでもある)。コンドラシンの棒は統制しきれていないようで、このソロ志向が強いボワボワしがちなオケ相手だと、また曲が曲なだけになんとなくうまくいかない。戦後すぐのメロディヤのスタジオ録音ということを考えるとこんなものだったかもしれないが、ムラヴィンスキーが比較的若い頃からシェフとしての腕を振るえていたのに比べ才気的には落ちるように感じる。そこにラヴェルとくると、なかなか難しく、楽曲の民族色が変というか、オケの響きがスラブスラブしすぎてリムスキーみたいに聴こえたり(難儀している)、オイストラフはプロコフィエフのコンチェルトのような、、、まあ、そんなところです。profil初出かと思ったがセッションとなると既出lysかどこかの別オケ名義のものと同じだろう(他にもあったかも知れない)。
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ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲

2019年02月14日 | ラヴェル
ギレリス(P)コンドラシン指揮ソヴィエト国立交響楽団(profil)1953/5/14モスクワlive・CD

曲慣れしてなさすぎ。いきなり大外ししてギレリス大丈夫か?とハラハラすると、そのあとも音が濁ったり記憶が途切れたような音量低下など雑味が多すぎるというか雑。果てはコンドラシンもモスクワ・フィルではないせいかオケ制御がいまいちで、ギレリスと一度ならずずれたり、また管楽ソリストが辛そうな音ばかり出すのもきつい。ザンデルリンクとのライヴもここまでではなかった。よく正規盤として収録されたものだ。音は軽めで良くはない。YouTubeでタダで聴くレベル。profilのコンドラシンボックスに収録されたが、profilのデータは私はあまり信用できない。ただレコード屋のデータでは初出がないような書き方になっているものの、このトラックは初めて聴いたし、他にも(おそらく)オケ表記違いは置いておいて、いくつか知らないものがある。ロシア時代のコンドラシンの記録詰め合わせとしては、損なボックスではない。ただラヴェル集は期待に沿うものではない。左手以外は既出だろう。ツァーク(ザーク)との両手もまた冒頭ソリストとオケが揃わないように聞こえるがこちらはひょっとすると録音が悪くてそう聴こえるだけか(既出盤)。
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ラフマニノフ:交響的舞曲(独奏ピアノ編曲)〜全楽章からの抜粋

2019年02月14日 | ラフマニノフ
作曲家(P)(marston)1940/12/21live・CD

この30分前後の極度にノイジーな「実況録音」復刻のために既出音源などと組み合わせ三枚組ボックスとして出されたもので、非ノイズリダクションSP音源に慣れた人でなければ絶対に勧めない。よほど状態が悪かったのか実音も所々聴こえず、まるで素人が板起こしデジタル化したようだ。昔のSLS復刻と思えばいい。1940年はけして古くはない時期だが、これはテストプレスやプライヴェート録音を含むユージンオーマンディコレクション(ペンシルバニア大)の中に新発見されたもので、ラフマニノフが気まぐれに、というより楽曲紹介のため主として1、2楽章から掻い摘んで弾き、ところどころ立ち止まり、または歌い、ニュアンスを非常にデフォルメして聴かせている。新作紹介の意図があったというが、録音に残すのが目的というより演奏の手引として誰かに伝えるだけのため、もしくは単に「誰かに伝えているところ」をマイク録音しただけだろう。従ってこの悪いコンディションも仕方ないかもしれない。発売がだいぶ遅れたことからもそのようなものの正規盤化が難航したことをも想像する(コマーシャル的にはかなり難しそうだ)。耳に自前の脳内フィルターをかけ、集中して聴くとそれなりに聴こえてくるものはある。前記したようにラフマニノフの晩年スタイルからは離れて大袈裟な表情付けがなされ、タッチは陶酔しているようにも聴こえる。ただしばしば崩して弾いている和音そのもののバランスはすこぶる良く自然に響く(録音あるいはリマスターマジックだったらごめん)。特有のリズムがまた切れている。だが乗ってきたところでブツッと切れて別のところから始まることの繰り返しで、それも要所要所を意図してやっているわけではないのでこの曲の全容はさっぱり掴めない。リハーサルを聴くより聴きづらい(リハーサルは要点は押さえるものだがこれは要点を意図的に取り出すことはない)。ピアノソロ編曲なので管弦楽を知っていると音が足りない感も否めないし、ピアノソロ編曲演奏でありがちなリストかなんかかというような芝居がかったルバートが入るのもちょっと伝わりづらい(意図はわかる、同曲メロディアスで歌曲的なかんじはある)。一枚目に編集版、三枚目に無編集版が入っているが、楽曲としては編集版で音のある部分を重複を切って繋いだ状態で聴かないと最低限の鑑賞はできない。ラフマニノフの意図というと大袈裟だがどういう場面でその断片を弾き、曲聴きの流れは全体でどうだったのかは無編集版で聴くとある程度わかる。後者はドキュメントとしては自然だ。まるで同じ室内でラフマニノフが弾きながら解説し歌い、立ち止まっては説明をしたり休んだりしているようだ。楽屋風景というかそういうものが好きならこちらを聴くと良い。音としては同じものである(無編集のほうが編集版でカットされた繰り返しのぶん長い)。
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