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心理セラピストのひとりごと

『象徴的イメージ統合療法』という心理療法を行っています。日々の中で感じたことを書いていこうと思います。

過去のメルマガから⑧『人間は霊的な存在である(2)』

2019年08月09日 | 自分の体験からの気づき
閲覧が出来なくなっている過去のメルマガの記事の主要なものを抜粋して載せていっています。今まで一部の人にしか話していない、伝えることを躊躇していたものもいくつかありますが、このブログでも公開しようと思い立ちました。


ただし、ずいぶん前に書いた文章ですので、今の私の表現とはもうすでに違っているところもありますし、補足、追加したいところもありますから、その部分については加筆していきます。


よろしければ、お読み下さいませ(^_^)

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メルマガ しあわせに生きるための「トラウマ心理学」
人間は霊的な存在である(2)2016年2月

前回に続いて、あまり話してこなかったことを書いていきますね(^_^;)


心理療法の仕事を始めた頃に、高野山に行ったことがあります。奥の院という弘法大師のご遺体が安置されているところへと続く参道には、有名な戦国の武将たちや高名なお坊さんたち等々何千という色んな方々のお墓がありました。


奥の院に向かって歩いている時に、急に右手に見えない何かがひっついてきて、振り払おうとしてもしがみついている感じで取れませんでした。


とりあえずさらに歩いていると左手にもひっついてきました。さらに進んでいると体にもどんどんとひっついて来るのです。


そして、体中に山のようにひっついてきて、歩くこともままならないような状態になったことがありました。ひっついてきたものはすべて亡くなった人の霊でした。


またある時、付き添いで総合病院に行った時のことです。外来の待合にいてトイレに行きたいと思って場所を案内表示で確認すると、入院病棟へつながる通路の端っこにあることがわかりました。


行こうと思ってそっちに意識を向けるとすぐに、入院病棟の方には何人もの亡くなった人がいることがはっきりとわかりました。


ちょっと躊躇しましたが、しょうがなくトイレに行くと、入院病棟の方からトイレにいる私の方へと亡くなった人たちがどんどんと来ました。用を足して、逃げるように外来の待合に戻る時にも追いかけて来るのです。


病院でも高野山でも感じたのは、亡くなった方々が私に対して、「あの人間は自分たちの存在をわかっている」と感じ、私の仕事柄も相まって「なんとかしてくれ!」と集まって来たということでした。


亡くなった方々は、死んでしまったのに色んなネガティブな感情や思いをどうすることも出来ずに、成仏できないままこの地上に残られていたのです。中には、自分が死んだかどうかもわからないままの状態の人もいるように感じました。


前回もチラッと書きましたが、ネガティブな思いや感情は、振動数が遅いので重たくて、それを持ったままではあの世といわれる振動数が早く軽い周波数帯域には上がって行けません。あるいは、自分から上がって行きません。


このことは少しニュアンスが違いますが、生きている人間にも同じことがいえます。


私は心理療法の一つとして前世療法も行っています。それはインナーチャイルド療法で解放し切らない、例えば「自分が悪い」、「しあわせになってはいけない」などの強い思いや感情(思い込み・観念)がこの手法で消えていくことが多いからです。ですので、私のセラピーではクライアントさんのご状態に合わせて、適宜この二つの手法を使っています。


(生まれ変わりの真偽については、様々な意見があると思いますが、最近では学術的権威者がその存在を肯定することも増えています。私の場合にも、疑いようのない過去世の出来事の経験があります。私の「実体験」からの前世の存在の確信については、またどこかに書いていこうと思っています)


現場での前世療法からの経験では、一つあるいはいくつかの前世・過去世での出来事から持ってしまった強いネガティブな思いや感情、その時の感覚は、その当時に解放していないと魂の深い部分に染みつくように残って、あの世(専門的には中間世といいます)に上がっても、それがそのまま今生の自分のところへと持ち越してきてしまうということがわかりました。


例えば、過去世で人から裏切られてつらい思いをしてきた人は、「人は裏切るもの」という強い観念を持ってしまいます。また、そこには誰も信じられなくて、誰ともつながれなくて「独りぼっちでさみしい、悲しい」という感情も出てきます。


これを処理し切れずに持ち越した場合には、生まれ変わっても、もうすでに生まれてすぐの赤ちゃんの時から「独りぼっち」とか「さみしい」、「悲しい」という思いや感情を持っています。このために、この子は他の子供たちよりも、かなり傷つきやすい心の状態、資質を持っています。


(母親が子供の気持ちを受けとめてあげてスキンシップもしっかりとしているのに、よく泣く子、夜泣きが止まらない子などは、このあたりの過去世からのことが影響している可能性があります)


またそのために、大きくなるにつれて人との関係で、人からほんの少しでも自分に良い対応をしてもらえないと「コイツは裏切る」という思いが出てきて、「やっぱり、人は裏切るもの」、「人を信じてはいけない」という観念をさらに強化してしまいます。


そうして、この子(この人)は自分から人との距離を置くようになります。それでも、一人はやはりイヤだと思うと、自分と同じようなさみしさや悲しみを持っている人たちと関係を持つようになります。

それは、その方が明るく心が安定して元気な人たちといるよりも、同じ思いを持っている者同士なのである意味安心するのです。これが、周波数の共鳴、「類は友を呼ぶ」ということになります。


こうやって人は、ネガティブな思いや感情を解放、処理しないままでいることで、重たく暗い波動(周波数)を身にまとってしまい、軽くて明るい波動の流れ、人生へと進んでいけなくなったり、自ら進んでいかなくなりやすくなります。


このように、前世からのことも今生に密接につながり、多くの影響を与えています。


そして・・・、さらに大きな視野でこれらの現象を見つめてみると、過去世からのことも今生のこともすべて、魂が「体験する」ために自ら計画してきたことだということが長年の「実体験」からわかりました。


「魂の計画」というものがあります。占星術ではそれが垣間見られると感じていますし、実際によく当たります。占星術では、生まれた時の星の配列によって、基本的にどのような性格や特質を帯びるのかその傾向がわかります。


計画により、魂は自分が体験したいことをしっかり体験できるように、生年月日を選んで生まれてきます。


そして、この表現はイヤだと感じる人もおられるかもしれませんが、その体験に沿う親と家庭環境も選んで生まれてくることも「実体験」の中からはっきりと確信しました。 


◆編集後記

こうやって文章にすると〈書くことで私の中にも整理と気づきが起こってきますf(^_^;)〉私が行っていることは、スピリチュアル色の強い特殊なもののように感じられるかもしれませんが、私の中ではたくさんのクライアントさんから見せて頂いたものと私自身が体験したもの、それらの「実体験」をただただ感じて整理し検証していくと、自然にこのような結論に至りました。


それから、私の方へ助けを求めて寄ってくる亡くなられている方々についてですが、私側のことでいえば、かつての自分の中にあった過剰な「人を助けなければならない」という思いがこういった方々を極端に引き寄せていたということでもあります。


私たちみんなが、ありのままの本来の自分を取り戻し、その人々がつながり、この世界が平和で心地よく、バランスのとれたものに変容していけますように・・・。
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ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com
心理や人間存在についての専門的な内容は、HPの「こころのこと」に載せていきます。



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過去のメルマガから⑦『人間は霊的な存在である』

2019年08月02日 | 自分の体験からの気づき
閲覧が出来なくなっている過去のメルマガの記事の主要なものを抜粋して載せていっています。今まで一部の人にしか話していない、伝えることを躊躇していたものもいくつかありますが、このブログでも公開しようと思い立ちました。


ただし、数年前に書いた文章ですので、今の私の表現とはもうすでに違っているところもありますし、補足、追加したいところもありますから、その部分については加筆していきます。


よろしければ、お読み下さいませ(^_^)

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メルマガ しあわせに生きるための「トラウマ心理学」
人間は霊的な存在である2016年1月

今回は、今までごく一部の人にしかお話ししていなかったことを書いてみますね(^_^;)


私は、心理学者のユングさんは、彼自身が霊能者のような強い直感力、霊的な力を持っていたのだと感じています。


だから、人類が共有する集合的無意識の存在を見つけられたり、無意識に関するあの偉大な業績を積み上げて行くことが出来たのだと感じています。


そして、ユングさんには遠く及ばないのは当然のことですが、私も他の方よりも少しだけ強く、直感力や霊的な感覚を持っています。


それ故に、子供の頃より、霊的な不思議な経験をすることも多かったです。


死んだはずの人の姿を見たり、誰もいないところで足音を聞いたり明らかに気配を感じたり、不思議な光る存在を見たり・・・、とにかく色んなことがありました。


実は、私の母も兄も直感が割りと強く、兄も色々と見たり感じたりする人ですが、伯母(母の姉妹)の中にも霊能者のように人の運命がわかった人がいたりして、どうも家系的にそういう力が少し強いたちのようです。


私はこの霊感、直感のお蔭もあって、心理療法において他の方々よりも少しだけ、心の奥にあるものに色々と感じて気づいていくことが上手だったように思います。


セラピー現場の中でも、「憑依」という霊的な現象に出くわすことが時にあります。


例えば、その人の先祖に恨みを持っている霊が子孫であるクライアントさんに憑依していて、ある場合には、ざんばら髪の落ち武者がその人の後ろにいて、『こいつを楽にするな!!』と、ものすごい怒りのエネルギーでセラピストである私にも攻撃を仕掛けてくることなどもありました。最近はもうこのようなことはありませんが、こういった存在には何度か遭いました。


あるいは、あるお母さんと娘さんが同じ日にセラピーに来られて、はじめにお母さんを、その後に娘さんを見させて頂いた時のことです。娘さんと話しをしていると、急に霊的存在としておじいさん(母の父)が来て『あんた、この子を楽にしてやってくれ、頼むよ!!』といって、後ろからすがってこられました。


この時には、お母さんとの話しの内容からてっきりおじいさんはご健在だと思っていましたので、一瞬訳がわからなかったのですが、あまりにもはっきりと感じるので失礼のないようにお聞きしてみると、おじいさんはお亡くなりになっていて、病院で亡くなる直前までそのお孫さん(娘さん)の手を握っていたぐらい、その人のことを特別にかわいがっていたことがわかりました。


おじいさんは、彼女が色んなことで悩んでいて、長い間心の状態が不安定になっていたので、それがとても気になってずっとそばにいたようでした。


またある時には、クライアントさんと私の間に、何かもやっとしたような光のような玉(エネルギー)が浮かんでいるということが何度もありました。このパターンの場合には、かなりの確率で、その人に堕胎した子か流産した子がおられたのです。


この子たちは、お母さんとただただつながりたかっただけなのでした。しかし、お母さんがその子の存在に気づいていなくて、そういう自分の存在がわかる私に、自分がいることをお母さんに伝えて欲しいと出てきていたのです。


このお母さん方は、産んであげられなかったことをず~っと後悔している人と、お寺さんなどで供養したけれどもその子に対しての思いがあまりない人という二つのタイプの方でした。


私自身は、子供の頃から水子を見たりしていたので、そういう存在がいることには気づいていましたが、水子がその母親に対してこんなにも『自分の存在をわかってほしい』とか『そんなに悲しまないで。自分を責めないで』などという思いを持っていることなど、こういう経験をするまではまったくわかっていませんでした。


このような霊的な様々な体験からも、こんなにも人間の解放できなかった感情というものは強く、亡くなって霊的な存在となっても、その感情が原動力となって色んな行動をとるものだということを実体験を持って知ることが出来ました。

(こういう体験は、もっと色んなことがありましたが、それはまたの機会にゆずることにしましょう)


やはり、人間は感情を有する生き物なので、感情を処理し、解放するということがとてもとても大切で、本質的、根源的なことであるということを改めて理解させて頂いた出来事の数々でした。


この実体験から確信を持っていえるもう一つのことは、今回のテーマの通りやはり、「人間は霊的な存在である」ということです。いにしえの時代から言われてきていることですが、人間は「心」と「体」と「魂(霊)」という要素から構成されている存在であるのです。


そして、人間が本来のよりよい状態でいるためには、この3つの要素がバランスよく統合されている必要があります。


心理療法のような分野においても、統合的、エネルギー的、多次元的に人間存在及び心を捉えていくことがとても大切なことなのです。そうしないと、『真実』は見えてきません。


ただし、今はやりの「スピリチュアル」もおもしろい部分はあるのですが、大切なのは「スピリチュアリティ」だと感じています。


スピリチュアル(大衆的・商業的):超能力、呪術、占い、前世、守護霊、チャネリング、リーディング、宗教、古代文明、パワースポットなど


スピリチュアリティ(アカデミズム・対人ケア):純粋な宗教性、自己超越性、よりよい生き方や死に方、全体性、実存、美徳・崇高さ、スピリチュアル・ケアなど


このメルマガでは、このあたりのことも少しずつお伝えして行ければと思っております。


あなたの心が解放され、あなた本来の精神性、霊性が発露されることをお祈りいたします。


◆編集後記

このようなかなり特殊な個人的体験を文章として書くのは初めてのことですので、どこまで書いたらいいのか正直迷いがありました(^_^;)


霊的な存在は恐いものではなく、肉体を伴わないだけで生きている人間とまったく変わりません。ただ、ネガティブな感情を解放していなくて過度に持っているので、天国とかあの世といわれている安息の場所(周波数帯域)に上がって行けない、上がって行かないだけなのです。


感情、思いを残している多くの魂たちが、本来帰るべき安らかなる場所に戻りますように・・・。
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ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com
心理や人間存在についての専門的な内容は、HPの「こころのこと」に載せていきます。



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心のありか~心(ハート)はどこにあるのだろうか?

2018年03月05日 | 自分の体験からの気づき
先日、クライアントさんがある本を教えてくれました。


ハート(心)というものの大切さ、自分のハートを感じていく方法などが書かれている本でした。


脳科学では、「長年の研究により、心は脳の中にあり、どんな感情が脳のどの部位に生じるかまでわかってきている」と言及されています。


確かにその部分もあると思うのですが、私自身は感情・情動の反応はハートにあると実感しています。


では、ハートは実際にはどこにあるのでしょうか?


教えてもらった本の中に、簡単なハートを感じるワークが出ていたので行ってみた時。


その通りに行ってみたのですが、何かしっくりとこないものがあり、自分でも驚きました。


そして、しばらく感じているとわかりました。


ハートは心臓を含んだ胸の真ん中辺りにあるだけでなく、みぞおちのところにもあることが改めて感じてみて実感としてわかったのです。


厳密にいうと、ハートは胸とみぞおちを含んだところに縦に楕円形のような感じで存在していると感じました。


そう。お母さんが子供を抱く時に密着するあの位置です(*^_^*)


なんかこの辺り!と感じたのです。自分でも意外な発見でした。


ただし、これは私の感覚だけかもしれませんので、以下に本に出ていたハートを感じるワークを載せます。とても簡単なやり方ですので、ぜひ、あなたも自分でどのような感じがするか、どこに反応があるかなど、感じてみて実験、検証してみて下さいませ。


自分にとっての真実は、自分の実体験にこそ存在しているのですから・・・。


★ハートを感じるワーク

①胸の中央に手を置きます。ただ胸の真ん中に手を休めることで、この瞬間にもハートを感じることができます。

②胸の上に休めている手を感じながら、手の温かさ、あるいはひんやりした感覚を感じましょう。

③何度か深い呼吸をしましょう。息を吸い込むとき、胸が広がるのを感じ、息を吐くとき、体がゆるむのを感じましょう。

④手が内側へと溶け込んでいくのを感じます。ハートの中、深くへと触れながら。この瞬間、あなたのハートはどんな感じがするでしょうか?素直に感じてみましょう。


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11/1の講演会で改めて気づいたこと~自分を客観視することの大切さ~

2016年11月07日 | 自分の体験からの気づき


11月1日の吉備セラピスト交流会での講演会にご参加下さった皆様、お聞き下さりありがとうございました。


私は、10月にはこの仕事を開始してから初めて長期の休暇を頂きました。今回の講演会は、1ヶ月間まったく仕事から離れた状態のままで講演に望みました。その影響かどうかわかりませんが、何だか自動運転のように自分がしゃべった感覚が薄くて今までにない不思議な感じでした。


後日、自分で録音した音声を聞きいてみると、しゃべるペースが速すぎたり(元々速いですが(^_^;))、説明不足であったり、強い表現になり過ぎているところもあったり、私的にはちょっと気になるところが多かったのですが、それにもかかわらず、「よかったです」と何人もの方からご感想を頂きよろこびと共に恐縮もしております。


ただ、今回の講演会に限らず、今年に入ってさせて頂いたそれぞれの会では、実は・・・・・、私自身がそれによって癒されていることをとても感じています。


それは、聞いて下さる皆様との共有する時間であったり、触れ合いであったり、私自身が自分を隠すことなくありのままに自分のすべてをストレートに表現すること、それらにより私自身の癒しにつながっているのだと思います。


今年の講演会にご参加頂きました皆様に感謝しております。ありがとうございます!!そして、私自身にも・・・、ありがとう!!


今年はあと一回あるグループの内輪での講演会があります。会場や人など周りの色んなこと、私の内側の色んなことをしっかりと感じて意識しながら、また私を全開にしてお話しをさせて頂こうと思っております。


今回の講演会では、しゃべりながら自分が頭や雰囲気で感じている「主観」と、録音で聞くありのままの「客観」がかなり違うことにまた改めて気づきましたf(^_^;)


私のインナーチャイルド療法でも、イメージで大人の自分(クライアントさん自身)が子供の頃の自分(チャイルド)を客観視することではじめて、心の奥に抑圧あるいは封印していた子供の頃からの「ネガティブな感情」がほんとうはどのようなものだったかがはっきりと伝わって来てわかるようになります。


そしてそれにより、まったく自然に驚くような心からの共感が湧き上がり、自分が自分を心の底から受け入れ癒すことが出来るようになるというゆるぎない現象(事実)があることからも、『自分を客観視すること』がどれほど大切で大きな効果があることかがわかります。(こういったセラピーでは、客観視しなければ根源的な効果が出てこないのです!!)


自分をしっかりと客観視して、自分の心の奥の思いもしっかりと感じて大切にしながら、どんどんと前へと私の個性のまま進んでいきたいと思っています。


あなたがあなたの個性を大切にされて、その個性のままのあなたらしい人生を謳歌していかれますことをお祈りいたします。


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「受け入れる」ことの驚くべき効果

2013年08月30日 | 自分の体験からの気づき
私の仕事は座り仕事で、セッション中はほんとうにじ~っとしているので、体がなまってしまいます。

本来は体を動かすことがとても好きなのですが、近年はあまりしていなかったので、特に6月~7月の2ヶ月間は集中して筋トレをしていました。

でも、ストレッチをちゃんとせずに一生懸命していて、筋肉がかなり固くなっていたようです。筋トレを少しやめて8月の上旬に庭をスコップで掘っていて、一度にたくさん掘り出そうとして腰にかなりの負担をかけてしまいました。作業が終わって、顔を洗っていると、腰がだんだん痛くなってきて、強い痛みになりました。いわゆるぎっくり腰です。

まあそれでも、たまに痛くなることがあってもすぐに治るので、軽く見ていました。でも、今回は強い痛みがずっと引きませんでした。こんなことは初めてでした。そして、腰がかなりよくなってきたと思ったら、今度は少し重たいものを持って背中が痛くなりました。足の筋肉がつることがあるように、背中の筋肉がつるのでかなりの痛みでした。

横になって妻にマッサージをしてもらっている時も何度も何度もつるのです。しかしそうしているうちに、つる寸前の感覚がわかるようになったので、つりそうになった時に、「また痛くなるぞ」という「またか」の思いを「大丈夫、大丈夫」という思いに変えて心の中で思っていると、不思議なことに、最初の痛みと回数を100%とすると、そう思うと途端に70%ぐらい減り、30%程度のものになってしまいました。驚きでした。

本に「腰痛は怒りである」というものがありますが、私は以前にクライアントさんからこの本のことをお聞きして読んでみていました。これは、TMS理論と呼ばれ、TMSとは「Tension Myositis Syndrome」(緊張性筋炎症候群)の略称で、ニューヨーク大学医学部のジョン・サーノ教授が発見した、肩こり・腰痛などの筋骨格系疾患を、心理的緊張を解くことによって治療しようという方法です。

私に起こったことは、これに近いことではないかと思います。私の場合「また痛くなる」という何度か続いた経験からも来ている心的緊張を「大丈夫、大丈夫」という思いで気持ちを受け入れることで、その心的緊張がなくなっていったのではないかと思います。結果的に、ほんとうにこの通りのことが起こりました。

この「腰痛は怒りである」という本は、サーノさんの理論を日本人の方がわかりやすくまとめたものです。本の紹介には、以下のように書かれています。
【痛みと心の状態の間には、実は密接な関係がある。人間の体にはストレスや不快な感情を抑制しようとする「防衛機制」という働きがある。心の安定を保ち、精神的破局を避けるための意識的・無意識的な働き、心の安全装置だ。この防衛機制が、意識を他に向けさせるため、痛みを作り出すのである。不安、心配、恐怖、悲しみ、抑うつ、後悔、自責の念、罪悪感、なかでも「怒り」は無意識のうちに抑圧されてしまうことが多い。】

すなわち、簡単にいいますと、腰痛、肩こりなどの痛みは感情からの影響を受けている可能性があるということです。

サーノさん自身の著書は、「サーノ博士のヒーリング・バックペイン~腰痛・肩こりの原因と治療」や「心はなぜ腰痛を選ぶのか~サーノ博士の心身症治療プログラム 」という本もあります。上記のものを含めこれらの三冊の本は、読むだけで治ることが多いといいます。それは、理論がわかって、その部分の痛みや感情、思いを受け入れることで治っていくようです。

今回の私の経験でも確かにそうでした。ご興味のある方はお読み下さい。

そしてこれは、私の心理療法についてもまったく同じことがいえます。セッション中に、何もしていなくても体のどこかに痛みが出たりする人が時におられますが、その痛みは自分の感情や思いをうまく感じられていない時に出ます。私がすることは、そこを意識して感じてみてもらうだけで、感じるコツがわかってくると、そこにどのような思いや感情があるのかがすぐにわかりはじめます。わかると、その痛みはほんとうに嘘のように瞬間的に消えてしまいます。その痛みは、『ここに感じられないままになっている思いがあるんだよ』とただ教えてくれているだけなのです。

ですから、トラウマについても、『過去からの処理できなかった思いや感情があるよ』と教えてくれているだけなので、それに抵抗せずにただ受け入れていくと劇的に解消され、ありのままの自分の人生を生きることができるようになります。ただただ、『感じても大丈夫』と抵抗せずに、受け入れていくことが、本来の自分を取り戻すための大きな第一歩となります。

今までの自分の人生を抵抗せずに、ありのまま認めて、受け入れていくことでよりよい人生へと変わっていきます。これが、根源的な処理なのです。

多くの方が心の奥に残してきたものを抵抗せずに受け入れて、しあわせな人生を歩んでいかれることを心よりお祈りいたします。


それから、腰痛が感情的な影響を受けるということでいいますと、私の今回のことにはそういう影響もあるのだと感じます。今月のメルマガにも書きましたが、男性社会には「愛」がないので、多くの男性(働く女性もそうです)が、社会に出て仕事をする中でとても傷ついていることがわかりました。それは、会社勤めをしていた時の私自身もそうだったことに気づきました。

このことは、会社を経営しているあるクライアントさんと話していて気づきました。その人の中に、男性社会での傷を強く感じてお伝えして、その部分を癒すお手伝いをさせていただきました。その過程の中で、私自身にもそれと同じものがあることに、初めて気づいたのでした。気づいたので、この時の自分も癒していこうと思います。気づいた時が、癒して解放する最高のタイミングなのです。


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足が治りました v( ^-^ )

2012年12月11日 | 自分の体験からの気づき
火傷していた足が11月末頃には、ずいぶんよくなって長距離を歩くことができるようになりました。先日も、急な山道を歩きましたが大丈夫でした(^_^)

全治に、約三ヶ月ほどかかってしまいました。三ヶ月近く歩けなかったのは、物心ついてから初めてのことだと思います。

そして、この期間で、いつものごとく気づいたことがありました。

特に火傷初期の頃は、立つと血液が下に降りることで痛かったので、あまり動けませんでした。体の流れも滞っていきました。そうして少し落ち着いてきた頃に、前に書きました代替医療ミーティングに参加しましたが、その発表の時になぜかものすごく緊張している自分に気づきびっくりしました。

私は、元々すごく緊張するタイプでしたが、自分の大きなトラウマを癒してからは緊張することがほとんどなくなって、あれほど苦手だった人前で話すということも何ともなくなり、今では何百人と人がたくさんいてもほとんど緊張しなくなりました。

そうなれたのに、すごく緊張したのはどうしてだったのかを帰ってから感じてみました。

わかったことは、しばらくほとんど体を動かしていなかったので、体の重心というか気が普段のおへその下(丹田)にある位置からみぞおちの方へ上がっていることに気づきました。

よく言われることですが、やはり気が上に上がると、緊張しやすくなるのです。そういえば、昔よく緊張した時には胃のあたりが硬くなったりしていました。この時も同じような状態でした。

この時は、胃のあたりを優しくもみほぐして、硬くなっている感じがする部分を下へとゆっくり優しく押し下げていくようにすると、丹田のあたりに収まった感覚がしました。そうすると、また前のように緊張することがなくなりました。

それから、この時期には、出張のため長時間車を運転していると、運転にも不安を感じました。周りの車が気になってなんだかすごく危なく感じられました。

体の重心が上がって、気が上に上がると、緊張感や不安感が強くなるということが自分の体験からもよくわかりました。今では忘れていましたが、昔の私はこんな感覚が普通になって生活をしていたのだと思います。

人間は、心・体・霊(エネルギー)で成り立っていると感じていますので、この三つのバランスをとっていくことが大切です。

心と体でいいますと、心は体に影響を与えますし、体は心に影響を与えます。仕事柄、普段心の方に焦点が当たりやすくなっていますので、自分の体にも、その「体の声」をちゃんと聞いてあげて、しっかりと満たして整えてあげていきたいと思います。

今年は寒くなるのが例年よりかなり早く、気温も低くなっていますので、皆さんもお体には充分お気をつけ下さいませ。やはり、「冷えは万病の元」だと感じます。

それと同時に、東日本大震災前の時のようにイヤな感じはしていませんが、地球全体の流れ(波動?周波数?太陽からの放射線?・・・)がかなり変わってきていることを強く体でも感じています。このあたりのことは、また次の機会に書いていこうと思います。


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火傷の治療から気づいたこと

2012年10月16日 | 自分の体験からの気づき
足に生まれて初めての大きな火傷をしたことは前に書きましたが、その後の治療過程で気づくことがありました。

火傷をしてからすぐに皮膚科の病院へ行き、その後数回治療を受けましたが、この治療法でほんとうにいいのかという疑問がわいてきましたので、ネットで色々と調べてみました。

そして、自分でその後の治療をしていくことに決めました。

この病院でのやり方だと患部をゆっくりと乾燥させていくので、そうすると完治に時間がかかるのと火傷の後が残りやすいと感じました。親も心配をしてくれているので、せっかく五体満足に生んでもらった体ですから、出来るならできるだけ跡を残したくないという思いもありました。

(それから、火傷してすぐに流水で冷やすと、赤くなっていただけの所が一秒もしないうちに大きな水ぶくれになりましたので、ほんとに冷やすことがいいのか疑問が出てこれもネットで調べました。すると、日本では冷やすというのが常識になっていますが、海外では、冷やすと皮膚が収縮してその後がひどくなるので、絶対に冷やさずに熱くしたタオルを当てたりするのだそうです)

火傷治療で気をつけるポイントは一つだけ、「感染症を起こさない」ということだと思います。

ばい菌が入らないように気をつけながら、ネットで知った「湿潤療法」という治療法をとることに決めました。湿潤療法とは、傷口に空気が触れないようにラップ等で完全に密封をして、自分の体液で潤して自然治癒力だけで治していく方法です。かなり早く直り、傷跡もほとんど残らないようです。(バンドエンドなどのしばらく貼りっぱなしにしておくタイプのものと同じ原理です)

水ぶくれを潰した後の浮いている皮(火傷箇所全部でした)をすべてきれいに取って、ラップを貼りました。最初は痛みがありますが、次第にほとんどなくなっていきます。

そして、もう2日目から赤くなっている皮膚の感じが変わっていました。症状の軽い部分の皮膚がなんだか再生を始めてきて、「治っているぞ~」という感じでした。

今、始めてから2週間ちょっとですが、どんどんと皮膚が再生されてきています。(足首を含めた部位なので、どうしても動いてしまうことで少し時間がかかっている感じです)

人間の治癒力には、やはり素晴らしいものがあります。人間の体はすごい!!

病気の治療は、できるだけ体の治癒力を助長していく方法が最もよい治療法といえるのだと実感しました。

私は出来るだけ自分が体験すること、自分の実体験が大切だと思っているので、一人で治療をしていきましたが、今では全国に湿潤療法を行っている病院があるようです。

ネットには、湿潤療法の詳しいサイトがありますので、ご興味のある方は見てみて下さいませ。「消毒とガーゼ」撲滅宣言をしているお医者さんのサイトです。
http://www.wound-treatment.jp/

一般では消毒や抗菌という概念が流行っていますが、菌を殺していくとどんどんと菌はさらに強くなって耐性を持つようになります。それは、害虫と(人間が勝手に)呼んでいる虫に対しても同じです。

人間にとって、自分にとって悪いものと感じても、それと戦って攻撃するとその相手は逆に力を強くして、戦いが余計に激しくなっていきます。

「戦い」からは、さらに激しい「戦い」しか生まれなくなります。

エネルギーという表現でいえば、「戦いのエネルギー」は、相手の中にある同じ周波数の「戦いのエネルギー」に共振共鳴して、そのエネルギーを呼び起こし力を与えて強めてしまいます。

まずは、自分自身の心の状態、エネルギー状態を元々のニュートラルな状態に戻すことが大切です。私もそのために、どんどんと自分の中のとらわれや観念を解放していこうと思います。


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自分が体験して、ほんの少しだけわかったこと

2012年09月13日 | 自分の体験からの気づき
先週、自分の不注意で、生まれて初めて大きな火傷をしてしまいました。

左足首あたりを火傷して、大きな水ぶくれがいくつかできました。

立ったり、歩いたりする時には、かなり痛みがありました。

この体験で、一つ感じたことがあります。

自分が火傷をしてみてこれぐらいの火傷でも痛いのに、広島や長崎で被爆されて大きな火傷を負われた方々が治療も施されないままいて、どれほど痛くて苦しかったことだろうかと心から思いました。

原爆記念日からもう一ヶ月以上過ぎましたが、被爆されて亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

世界が平和でありますように。


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2011年の終わりに思う

2011年12月31日 | 自分の体験からの気づき
早いもので今年も終わりが近づきました。

ここでは、恥を忍んである体の異変から気づいたことを書いていこうと思います。

十数年前に、知人から誘われてネパールに旅行に行きました。一週間ちょっと滞在をした記憶があります。

カトマンズからポカラというネパール随一といわれる保養地に行き、その滞在中に一人で行ったレストランで食べた食べ物にあたったようで、夜にものすごい腹痛が起きました。

痛くてしょうがなく、トイレに何度も行って、出る物がなくなっても腹痛が止まらずに、一晩中5分に一回ぐらいの間隔でトイレに行くようになり、出てくるものは血液ばかりになりました。

大丈夫かなと思いながらも心は冷静でしたが、あまりにも痛みが強く、夜中でどうすることも出来ないので、ちょっと実験をしてみようと思い立ちました。(今までこうやって、自分の身や心に何かが起こると、そこからどうすると抜けられるか人体実験をしてきました。これにより色んなことがわかりました)

痛みを消せなくても軽くするにはどうしたらいいのかの実験です。

結果はというと、痛みから逃げようとするから、余計に痛みが増すような気がしたので、「じゃあ、逃げることをやめて、痛みを積極的にしっかりと感じてやれ」と思い、とことん感じようとしてみたのです。

すると、不思議なことに、あれだけ痛かった痛みが消えることはありませんが、なんだかだんだんと気にならなくなってきて、「これも一つの体験だ」という感じて気楽に味わえるようになってきたのです。

それからも、トイレには行ったので、たぶん計40回近くになったと思いますが、なんだかこの体験を楽しんでいるような不思議な感覚になっていたことを思い出します。

その後は、朝にはだいぶ痛みは治まってきたので、病院に行き薬をもらって飲み翌日には大丈夫になりました。赤痢とかコレラとか重大な病気でなくて安心したのを覚えています。

この人体実験の経験から、「痛みも物事の出来事も、逃げるからより大変になる(大変に感じる)ので、出来るだけ逃げずに、そのことに向き合って受け入れてしまおうとすると、自然に楽にやり過ごすことが出来るようになる」ことがはっきりとわかりました。


そして、ちょっと意味合いが違いますが、今年もそのような感覚を味わった出来事がありました。

2月1日の夜中に、何かよくない感じがするもの(感覚)がすぐそばに近づいてくる感じが強烈にして、こんな感覚を味わったことがないのでかなり動揺すると共に悪寒を感じました。この感覚が何かはわかりませんでしたが、逃れられない感じがしたので、この時にも、じゃあ、恐がらずに近づいてくるその感覚の中に積極的に入っていって、「来るなら来い」と受けとめる思いを持つと、す~っと楽になりました。

ここからは、さらに話しの流れが変わってしまいますが、この感覚は、2月15日の夜中にも起こりました。この時には、自分の背後に漆黒の闇の入口があるような感じがして、背中が冷たくなる感覚がありました。

これらは、日記を見返していて気づいたのですが、今年は他にも変化があり、1月1日から急に毎日悪夢を見るようになり、それは1月14日まで続いていました。

また、3月10日と11日の夜中は普段全くないのに、頭が痛かったのです。そして、その日昼間に東日本大震災が起こりました。

とにかく日記には、2月に入ってからは震災後一ヶ月ぐらいまで、「しんどい、疲れた」のオンパレードで書いていました。

今考えると、どうも何か震災の予兆を感じていたようです。

東日本の方々にとられましては、今年はほんとうに大変な年だったと思います。震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。また、被災された皆様の復興をお祈りいたします。

来年はよりよい年であることを心から願っております。

私は今のところは、特別な悪い感覚は感じていません。

ただ、大自然は日々刻々と変化をしています。そして、大自然の一部である我々の人生もそれと同じように変化をしてゆくものです。

「変化こそ、人生そのもの」といえると思うのです。

何が起こるか起こらないかは、大自然にまかして、日々生起することを恐がらずに出来るだけ受け入れて、今のこの瞬間、今ここに生きてゆきたいと思っています。

起こることはすべて必然なことで、大きな視野で見ると、すべてがよりよくなるための軌道修正として起こっているだけだと感じていますから。

でも、「変化」は出来るだけ緩やかに、穏やかに進んでいってくれることを心から願い祈ります。

皆様のおしあわせをお祈りいたします。


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植物の思い

2009年11月07日 | 自分の体験からの気づき
先日、大変おもしろいことが起きました。

今後ガーデニングをしていくために、庭の整理で木の剪定したり、申し訳ないけどいらない木は切ろうと思い立ちました。

まずは、いらない木を切ろう。

もっと大きかったと思うが、前に住んでいた人が上の方を切ってあまり見栄えがよくなくなった紅葉の木。

申し訳ないけど・・・。ギコギコ、、、、。

次には、何の木かわからない、私の背の倍近くある根本の方から二本に分かれた枯れかかったような木。後でわかったのは、これは蘇芳(すおう)という木でした。

切ろうとすると、何か感じる・・・。

「キラナイデ・・・。キラナイデ・・・」

驚くことに、この木は「切らないで」と私になんだかはっきりとメッセージを送ってきました。

・・・もう切れません。

この木は、下の方の枝分かれしている小さなものだけを切って、残してあげることにしました。

その夜。とても変な話ですが、二階でベッドにもたれて本を読んでいると、なんだか外のその木が私に「アリガトウ」とものすごく思いを送っている感じがひしひしと伝わってくるのです。

次の日・・・。

なんと、たくさんのエンドウ豆のような枯れた実(?)だけしか付いていなかったはずの木に、10数時間の内にかわいいピンク色の花が4~5個咲いているのです!

その翌日の今日は、花も増えて小さな緑の葉っぱが二枚出ていました!

ただただ、驚きです。

植物も色んな思いを周りに発してくれていて、植物にも思いがあるのです(*^_^*)

身近にある色々なものも、出来るだけ受けとめ、受け入れていった方がいいなあと強く感じた驚くべき出来事でした。


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