私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

「さよなら渓谷」

2013-08-20 05:17:06 | 映画(さ行)

2013年度作品。日本映画。
芥川賞作家・吉田修一の同名長編小説を、『まほろ駅前多田便利軒』の大森立嗣監督が映画化した人間ドラマ。とある団地で起きた幼児殺害事件をきっかけに浮かび上がる、容疑者の隣人夫婦の意外な関係を官能的に描く。
監督は大森立嗣。
出演は真木よう子、大西信満ら。




愛情と憎悪は異なるようでいて似通っている。
それは相手に対して強い思いを抱くという点で共通しているからだ。

「さよなら渓谷」はそんな人間の愛憎を描いた優れた作品だった。
設定こそ奇抜だが、人間の心を丹念に描いており心に響く、僕好みの作品である。


主人公の夫婦は傍目には大変仲睦まじく見える。
執拗とも見える性描写もそうだが、賞味期限切れの豆腐について語るところ、一緒に並んで歩いているときの自然な姿など、その思いを強くする。

そんな仲睦まじい夫婦の隣の家で、子どもが死に、その母親が逮捕される。
妻はその事件に際し、夫が子どもを殺害した隣家の女と不倫関係にあったと、夫にとって不利となるような嘘の供述を行なう。

仲の良い夫婦であるのに、妻は夫に対してなぜそのような行為を取るのか。その理由は物語が進むにつれて見えてくる。
それは、二人は過去に起きたレイプ事件の被害者と加害者の関係にあることが原因なのだ。

ではなぜ二人は、そのような関係にあるにも関わらず、夫婦として暮らし、あそこまで仲睦まじくいられるのか。
それが映画全体を貫くなぞとなっている。


レイプ事件の被害者である妻は、事件後ずいぶん不幸な人生を送っている。
レイプのことを相手に知られ、結婚には失敗しているし、DVの被害も受けていた。小林美佳の『性犯罪被害にあうということ』とか思い返しても、たぶんここで描かれる以上の苦しみはあったのだと思う。
そのため加害者の男と再会したときは、相手に激しい憎しみの言葉をぶつけている。
それに対して加害者の男は、謝罪をくり返し、女のために尽くすような態度を取る。

そのときの両者の微妙な距離の取りかたがおもしろい。

二人はその後、成り行きで一緒に旅をすることとなる。
そのとき女は、徐々に加害者の男に対して態度を軟化させているのだが、当然いつまで経っても心を完全には開かない。

だから激しい言葉で男を突き放すようなことを言ったりもする。
しかしそう言葉にしながらも、女は男についてきてほしいと思ったりもする。
また男の方も、贖罪を行なうように女に尽くしながらも、女が死んでくれたら楽になるとも考えたりしているのだ。

そこからは一筋縄ではいかない人間の心がほの見える。
その繊細な描写は見事と言うほかない。


そんな二人の夫婦関係は屈折したものと見えなくはない。
実際、女は取材する記者に対し、「私たちは幸せになるために一緒にいるのではない」と言っている。
だから女の最後の選択は必然とも言えるだろう。

だが始まりはどうであれ、二人の間にはまちがいなく愛情が生まれていたのだ。
それだけにその選択はあまりに悲しいものでもある。
だが男は、失踪した女を捜し出す、とも言っている。そこからは被害者と加害者を越えた、愛情が生まれていたことを裏打ちしていよう。

二人の関係が、幸福かはわからない。
二人が出会ったことは不幸でもあり、得たものは幸福ではあるが、そこに至る過程は地獄のようだ。
だが二人の絆は疑うべくもなく強いものとなっている。それだけが事実であるようだ。


ともあれ幸と不幸では簡単に割り切れない人間の関係を丁寧に描いており、僕の心に突き刺さった。
「さよなら渓谷」はまぎれもなく僕好みの作品である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

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