私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『申命記』感想

2024-07-22 22:08:28 | 本(人文系)
倫理は人間社会において重要なものだが、それが抑圧を伴うことに自覚的であらねばならない。そこで重要になるのは抑圧の程度の問題になる。
それが『申命記』を読んだ後に思ったことだ。


『申命記』はモーセがヨルダン川の東岸を制圧し、民衆に最後の教えを伝え亡くなるまでを描く。
相変わらず侵略行為はやまず、その行動には気が滅入るのだが、それが当時は正義とみなされていたということなのだろう。

そして自身の死期を悟ったゆえか、モーセは最後に神の言葉としていくつもの掟を明示していく。
そしてその内容は侵略行為と同様に、今の価値観と合わなかった。

どれもひどいので、細かくは書かないけど、一番インパクト大なのは奴隷に対する記述だろうか。
15章12節以降で、奴隷を六年続けた者は自由にさせられ、贈物を与えよと記している。
しかしもしこの家に残りたいというのならば、「あなたは錐を取り、彼の耳たぶを戸につけて刺し通さなければならない」と書いてあって、軽く引いた。
比喩か何かかと一瞬思ったが、どうやら本気でそう書いているようなので、あまりの価値観の違いに目がくらむ。すごい時代があったものだと心から思う。
その他にも反抗する息子に関しての規定や、処女の証拠に関する規定には、いくらなんでも愛がないと感じて違和感しかなかった。


さてそうしていくつもの細かい規定を定めていくモーセだが、それを民衆に守らせるために、神に対する畏れを最大限に訴え、原罪意識を強く植え付けようとしている。

先ほど触れた反抗する息子にしろ、処女の証拠にしろ、最終的に罪を犯している者を殺したうえで「あなたの中から悪を取り除かねばならない」と訴えている。
そうして厳しい規定を課すことで、自分たちの原罪意識を植え付けているように見えてならない。
加えて罪に対して過剰な罰をもって報いることで、従順な民衆をつくりあげているようにも見えた。

そしてそのために神への畏れも必要以上に訴えているように感じる。
28章などはその典型だろう。
そこには神の祝福と呪いが記されているが、神の祝福の量に対して、神の呪いはあまりに長い。本当に苦笑が漏れてしまうほどで、悲しくなってしまう。

ただ主が怒る原因の一つはねたみによるものという点は面白かった。
とは言え、その論理はDV夫の言い分のようでもあり、笑えないのではあるのだけど。


結局ここにある掟はあまりに抑圧的に過ぎるのだ。
そこには当時なりの倫理があり、理由があったのだろうとは推察する。
しかしその倫理がどれほど抑圧的なのか、また倫理を守らせるために抑圧的になっていないか。そういうことに自覚的でない者は、一方的な価値観を元に、暴力を行使する支配者でしかないのだ。

最初の言葉に戻るが、倫理は人間社会において重要なものだが、それが抑圧を伴うことに自覚的であらねばならない。
そういう点モーセは実に自覚的だった。悪い意味で。

モーセの内的動機としては、彼なりの使命感であり、民衆に対する憂慮であったろうとは思う。そこにあったのは純粋な動機であったはずだ。
しかしそれゆえに視野狭窄的でもあった。

そんなモーセを私は聖人とは思わないし、むしろ真逆の人間にしか見えない。
『申命記』までを読み終えた今、私は心の底からそう思うのである。


 『聖書(旧約聖書) 新共同訳』
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