映画化もされたドイツのノーベル賞作家、ギュンター・グラスの代表作。
第二次大戦前後のダンツィヒを舞台に、3歳で成長を止めることに決めたオスカルの狂気じみた半生の物語。
『ブリキの太鼓』はきわめて厄介な作品だ。かと言ってつまらない作品というわけではない。むしろかなりおもしろい作品だと僕は思う。
しかしあまりに大量に現われるメタファーがどんな意味をもつかが、まったくわからないときがあり、そのせいで非常にもどかしい気分になってしまうのだ。
おもしろいのに意味がわからない。しかしそれでいて、この作品がかなりすごい作品というのだけはわかってしまう。非常に困ってしまう。
本書はアンチ成長物語というべきお話である。あるいは成長を拒否する物語とも言えるだろうか。
実際、主人公のオスカルは3歳のときに成長を止め、人生の制約を受けず、観察者として位置にとどまろうとする。観察者であり続けるために、イヤなことがあればガラスを割るし、何者にも縛られずに生きていこうとする。ある意味、徹底した態度をとろうとしているとも言えるだろう。
しかし人間というものはいつまでも純粋な観察者のままでいられるかと言ったらそうでなかったりする。実際オスカルは、時として他人の人生に干渉することもあるし、悪意をもって人を陥れることだってある。3人の親はもちろんのこと、塵払いたちだってを間接的に殺してもいるのだ。
では成長をし、観察者としての立場を手放せばいいかと言えばそうでもないから、物事は厄介だ。
成長することを決意し、こぶを持ったオスカルは成長することによって挫折を味わうことになる。嫌気が差した彼は観察者から、観察される側に逃避しようと試みるが、それすら叶わない。
最後は人生の責任というものから必死で逃避を試み、結局は捕らえられるという予感の中で物語は終わっている。成長を拒否しながら、いつまでも拒否するままでは難しいかもしれない。ある意味、苦いお話とも言えるだろう。
しかし本書は苦いお話だけでは終わっていない。
上で触れた部分は主筋とも言えるのだが、それ以外の部分もかなり目を引く部分が多い。
たとえば、3人の親が死んだ後に登場するエピソードはどれも切ないのが印象的だ。特に、ヤンの死後、シュガー・レオに会い、スペードの7をアンナに渡すシーンはお気に入りだ。
その他にも切ないシーンが多くて心に残る。
オスカルと女との関係も印象深い。基本的にオスカルは女たちに愛を望んでも、決してその愛に到達し得ないという感を受ける。その様が何とも物悲しい。
切なさの他にもグロさもあるし(馬とうなぎのシーンは特にすごい)、メタファーに富んだイメージの奥深さと破天荒さは鮮やかなくらいである。
そこにさらにドイツの歴史やドイツ人の心理を重ねていき、さらに物語が重層的になっていくのがおそろしいくらいだ。
多分、大抵の人はこの物語を読めばすごい作品だと思うだろう。そこで語られるイメージの豊かさ、重層的なテーマ性、何もかもがトップクラスだ。
しかし意味がわからない部分があまりに多い。おまえがアホだからと言われればそれまでだけど、そのためにどう捕らえきっていいのかわからない。
厄介な作品だ。こんな作品はそうそうめぐり合うことはないかもしれないってくらいに困った作品である。
評価:★★★★(満点は★★★★★)
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