
くまにさそわれて散歩に出る。「あのこと」以来、初めて―。1993年に書かれたデビュー作「神様」が、2011年の福島原発事故を受け、新たに生まれ変わった―。「群像」発表時より注目を集める話題の書。
出版社:講談社
最初に読んだ川上弘美作品は、著者のデビュー作『神様』である。
感想の語りづらい作品だったけど、何かいいな、これ、と思ったことは覚えている。
今回久しぶりに『神様』を読み返してみたけれど、やっぱりすてきな作品だな、と改めて思う。
大した内容ではないけど、熊との寓話めいた不可思議な交流が、ものすごく自然に描かれていて愛らしく、やわらかい雰囲気になっており、読んでいてほっこりとした気分になれる。
なかなかの佳品だ。
『神様2011』はそれをベースにした作品で、福島原発事故後(作中では「あのこと」)の『神様』の物語を描いている。
「あのこと」の後、「ゼロ地点」から程近い場所に住む「私」と熊は放射線量を絶えずチェックしている。そして彼らの住む地域には防護服に身を包んだ人が、当たり前のように歩いている。熊が取った魚も放射性物質を気にして食べることはできない。
そういう世界である。
はっきり言って、この設定は、『神様』という作品にはまったくもってマッチしていなかった。
そのため読んでいる間、異物を飲み込んだような居心地の悪さを覚えてしまう。
そしてそれが作者の意図するところでもあるのだ。
「あとがき」を引用するならば、「日常は続いてゆく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつものだ」を実践したものなのだろう。
そしてこの作品は、そんな作者の企み通りの作品となっていると言える。
落ち着かない気分にさせる点といい、すばらしい作品だ。
だけど読み終えた後、僕は同時にもどかしい気持ちになってしまった。
作者の企てはほぼ完全に成功している、と思う。
しかしそれでも僕は、『神様』という作品をこういう形にしてほしくなかったらしい。
文学者の中には、震災後の文学に言及する人がちらほらいる(といっても、数人しか思いつかないけれど)。
しかしそんな彼らの態度は、僕から見ると、震災後の異物感だけを抽出しているように感じられ、もどかしく見えてならないのだ。
これは僕の個人的な思いだが、「日常が続いてゆく」のなら、その日常を守るように描くこともまた震災後の文学なのではないか、って気もしなくはない。
これは僕が宮城に住んでいて、作家たちが東京に住んでいるという距離感のせいだろうか。いや、そんな一般化はよくないし、いくらか高慢な見方かな。
著者は『七夜物語』の連載中、被災地の愛読者から、連載小説を読むことで、日常というものがまだこの世界にあるのだと思える、という内容の手紙をもらったと別の場所で言っている。
そして僕が望むのも、その手紙ほど深刻ではないけど、同じ性質のものかもしれない。
『神様2011』は川上弘美の上手さを堪能できるいい作品、と思う。だけど個人的にはしっくり来ない。
結論としてはそういうことである。
評価:★★★★(満点は★★★★★)
そのほかの川上弘美作品感想
『パレード』
『光ってみえるもの、あれは』
『真鶴』
『夜の公園』
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