清明節の休日に、江蘇省の徐州に出かけていたお父ちゃんから、写真が届きました。
ところで、私は「徐州」と聞くと、なぜか軍歌の「麦と兵隊」を脳内再生してしまうのですが、なぜなんでしょうね。
あの、暗い陰鬱なメロディーと厭戦感さえ漂う歌詞で、軍歌?というギャップでしょうか?
さて、ご紹介するのは、日中戦争よりももっと古い時代のお宝です。
徐州は昔は「彭城」と呼ばれ、項羽が都としたところです。
(劉邦の出身の沛県も、徐州市域だそうです)
現在の徐州は江蘇省の大都会で、そこにある徐州博物館は、漢の時代の展示品を主に展示してあるそうです。
錯金銀鳥飾銅戈(前漢)
戈の頭の部分でしょうか?
かわいい鳥がとまっています。
優雅ですが、これで闘うなんてとんでもない。
実戦用ではなくて、儀礼用なのでしょう。
亀鈕金印(前漢)
小さな金印です。
志賀島のもそうですが、金印は概して小さいですね。
金帯扣(前漢)
金のバックル。
お父ちゃんは、虎のようだと言っていますが、私には、龍と熊(または犬)が麒麟を喰らっている図に見えます。
豹形石鎮(前漢)
豹の彫刻は珍しいらしい。(パッと見では虎か豹か判りませんが)
鍍金銅龍架玉枕(前漢)
この枕では、安眠はできません。
金縷玉衣(前漢)
これが、この博物館のイチ押し。
国宝中の国宝です。(他に、銀縷玉衣、銅縷玉衣も展示されています。)
金縷玉衣は漢代独特の埋葬形式です。
あまりに豪華であるために、多くの盗掘者を呼び寄せる結果となり、魏の曹丕によって禁止令が出され、それにより途絶えました。
中国には何体かの金縷玉衣が発見されて日本の展覧会にも来ていますが、その中でも、この徐州の金縷玉衣が一番だといわれています。
(その1)一番古い。BC154年をさかのぼるといわれています。
(その2)一番多くの玉片が使われている。普通の玉衣は玉片の数が2000枚以下だそうですが、これは4000枚以上の玉片が使われていて、
他のものに比べて桁違いに多いのだそうです。
加えて、この金縷玉衣には純度99%の金糸が1576gも使用されていた点も特筆されます。
(ただし、金糸のほとんどの部分は盗掘の被 害に遭っています)
(その3) 玉の質が良い。
(その4) 一番精巧に造られている 。
蟠龍玉佩(前漢)
これも精巧な造りです。
銅鑲玉獣(明)
これは、明の時代の物ですが、可愛いかったので。
ところで、私は「徐州」と聞くと、なぜか軍歌の「麦と兵隊」を脳内再生してしまうのですが、なぜなんでしょうね。
あの、暗い陰鬱なメロディーと厭戦感さえ漂う歌詞で、軍歌?というギャップでしょうか?
さて、ご紹介するのは、日中戦争よりももっと古い時代のお宝です。
徐州は昔は「彭城」と呼ばれ、項羽が都としたところです。
(劉邦の出身の沛県も、徐州市域だそうです)
現在の徐州は江蘇省の大都会で、そこにある徐州博物館は、漢の時代の展示品を主に展示してあるそうです。
錯金銀鳥飾銅戈(前漢)
戈の頭の部分でしょうか?
かわいい鳥がとまっています。
優雅ですが、これで闘うなんてとんでもない。
実戦用ではなくて、儀礼用なのでしょう。
亀鈕金印(前漢)
小さな金印です。
志賀島のもそうですが、金印は概して小さいですね。
金帯扣(前漢)
金のバックル。
お父ちゃんは、虎のようだと言っていますが、私には、龍と熊(または犬)が麒麟を喰らっている図に見えます。
豹形石鎮(前漢)
豹の彫刻は珍しいらしい。(パッと見では虎か豹か判りませんが)
鍍金銅龍架玉枕(前漢)
この枕では、安眠はできません。
金縷玉衣(前漢)
これが、この博物館のイチ押し。
国宝中の国宝です。(他に、銀縷玉衣、銅縷玉衣も展示されています。)
金縷玉衣は漢代独特の埋葬形式です。
あまりに豪華であるために、多くの盗掘者を呼び寄せる結果となり、魏の曹丕によって禁止令が出され、それにより途絶えました。
中国には何体かの金縷玉衣が発見されて日本の展覧会にも来ていますが、その中でも、この徐州の金縷玉衣が一番だといわれています。
(その1)一番古い。BC154年をさかのぼるといわれています。
(その2)一番多くの玉片が使われている。普通の玉衣は玉片の数が2000枚以下だそうですが、これは4000枚以上の玉片が使われていて、
他のものに比べて桁違いに多いのだそうです。
加えて、この金縷玉衣には純度99%の金糸が1576gも使用されていた点も特筆されます。
(ただし、金糸のほとんどの部分は盗掘の被 害に遭っています)
(その3) 玉の質が良い。
(その4) 一番精巧に造られている 。
蟠龍玉佩(前漢)
これも精巧な造りです。
銅鑲玉獣(明)
これは、明の時代の物ですが、可愛いかったので。