我が家のスキーと登山の思い出①
高知ファンクラブ、No.188,1(2018)
スキーと登山に熱中していた若き時代の物語である。新妻を始めとして、息子と娘、研究室の学生達を、夏は登山、冬はスキーツアーに誘い込んだ。
雪の裏磐梯
スキーリフトを降りると、ちえ子は上で私を待っている。ここでもそれなりの景色が楽しめるが、長靴やスノーブーツで来ている大勢の観光客はここ止まりである。リフトを降りた場所から山の向こう側は見ることはできない。ストックを押しながら目の前の小高い丘を登る。5分程で丘の頂上に出れば、志賀高原の360度の展望が開けている。「あの人達、この景色が見られないのね。スキーができて良かったな」と感激している。「あなたの趣味に強引に引き込まれた」と常々言っているちえ子だが、スキーに引き込んだことを感謝しているのだと思える瞬間だった。
結婚式を挙げたのは3月21日である。ちえ子は3年間クラス担任として面倒を見た生徒達の卒業式を終えて、名古屋から東京に戻って来たのである。新婚旅行は誰も行かないところを条件にして、会津・裏磐梯を選んだ。当時は、この季節ならば宮崎や鹿児島と相場が決まっていた。「特急ばんだい」のグリーン車は私たちの専用車両だった。新しくモダンな裏磐梯高原ホテルでは特別室に泊まることができたのである。
五色沼巡りを深い雪に長靴を取られながら楽しんだ。ゲレンデでは、最初はソリ遊びだったが、新妻にとっては、初めてのスキーに誘ってしまったのである。シーズンも終わりに近く、人影も疎らなゲレンデではあるが、ずいぶん無茶なことをしたと思っている。
ヘリコプターでの積丹岳
4月半ばから一か月間、土曜と日曜ごとに、積丹岳のヘリコプター・スキーがある。定員は30人である。申込のメンバーは、朝夫・ちえ子、娘(葉子)と婿、それに北大の寺田君の5人である。娘夫婦はスキー・インストラクターのプロ(SIA)である。
国道脇のドライブインが集合場所で、ヘリの出発点でもある。快晴の空に10人程を乗せ
て山腹を這うように飛び、山頂から一段下がった平らな場所に着陸する。山頂までは雪上車が何回でも運んでくれる。先に滑り降りて、戻って来る雪上車を待つ。下に一段滑り降りれば、もう一台の雪上車が上段に戻して呉れる。標高が高いのでターンする度にスキーのテールから雪煙が上がる最高の雪質である。参加者の皆はさすがに上手である。昼食はコンロを埋め込んだ雪のテーブルに、段ボールを敷いた雪のベンチでのジンギスカン料理である。ビールがないのが残念である。
パウダースノーを満喫した午後3時、「自信のない人から順次下山を始めて下さい」と告げられる。心配性のちえ子に促されて下山を始めた。追い越していく人が沢山いる。標高が下がるに従って、重たい雪に変わっていく。ゲレンデのようには滑れない雪質である。ちえ子はボーゲンが得意で、スキーツアーの経験も豊富である。転んでいる人々を尻目に優雅にゆっくりと滑っている。雪の消えたところにマイクロバスが待っている。「奥さん、お上手ですね」と一旦は追い越されたが、結局は後で追い越してきた人に言われている。
家族スキーは池の平
中野和和夫先生のご家族4人と我が家の4人で池の平へスキーに行くのが恒例になっていた。国家公務員共済が定宿である。国道18号線を北へ、2台の車が連れ立って走っていた。このスキー旅行は10年以上に亘って続いたのである。先生の弟さんご一家の3人とお会いするのは、この時、年1回だけである。
妙高山の西面にある杉の沢ゲレンデから、南面の池の平スキー場までのツアーを計画した。全員が2台に分乗してツアーの出発点に。全員を降ろして2台で戻り、1台を池の平の宿に置き、1台で杉の沢に再度向かう。合流した後、リフトで頂上に向かい、全員でツアーの開始である。池の平に戻って来たら、2人で車を取りに向かう段取りである。沢山ある懐かしい思い出の一つである。
中野先生は東工大山岳部の、私がワンダーフォーゲル部の顧問をしている。それぞれが学生時代からの山男である。中野さんの奥様がどの様に考えていたか不明であるが、「私はあなたの趣味に強引に引き込まれた」とちえ子は良く言っていた。
帰りは決まって大渋滞に引っ掛かった。上田、軽井沢を過ぎ、安中あたりから最悪になる。娘たちは車の窓からの走り書きのビラでの意思の疎通を楽しんでいた。
鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~
鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)
鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年)
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