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孤独の岸辺/8: 72歳母と難病患う35歳娘

2009年01月27日 | スクラップ
8: 72歳母と難病患う35歳娘

 
■2人で選んだ「死に方」 遺品整理、納骨代行を依頼


 「あたしが先にあの世へ行くけど」。母(72)がふともらした言葉を、娘(35)は聞き逃さなかった。「年の順とは限りません」。2人は顔を見合わせて笑ったが、娘の目には大粒の涙が浮かんでいた。母は続けた。「病気のあんたに迷惑はかけないからね」

 千葉県木更津市に独居する母は昨年暮れ、東京都内に住む一人娘を家に呼び、自分と娘が死亡した時の処理を遺品整理会社に依頼した。2人分の納骨代行と、残る1人が死亡した時の遺品処分。その代金として38万円を3年間で分割払いする。遺体の搬送と火葬は葬儀会社に頼んだ。死亡保険金で支払う。

 納骨先は、がんで先に逝った夫の眠る北海道石狩市の霊園。家族3人で長年住んだ札幌市に近く、墓にはすでに母の名前も刻んである。雪がとける5月、母は石狩へ行き、娘の名も刻むつもりだ。

 娘は20歳で難病の膠原(こうげん)病を発症した。細菌やウイルスを攻撃する免疫システムが正常な細胞や組織まで壊す疾患で、完治は難しい。娘の場合、全身各所の炎症や薬の副作用で、苦痛に終わりはない。

 夫が他界する直前の06年春だった。「母さん、一緒に死のうよ」。車で見舞いに向かう途中、助手席で娘が言った。「父さんがこんな時に……」と受け流したが、自分もいつか他界し、娘は肉親の支えを失う。あの日の言葉は、胸に深く突き刺さったままだ。

 母自身、幼くして肉親と離ればなれになった。実母は生後すぐに病死。実父は兄姉4人を連れて北海道から樺太へ渡り、末っ子の自分だけ3歳で養子に出された。養父母宅に着いて1週間、迎えに来るはずのない実父や兄姉を、玄関先で一人待ち続けた。

 引き揚げ後も養父母の意向で一度も姿を見せなかった実父と、85年に再会した。老いた養父母が入院する札幌の同じ病院にいた。病室の名札を確かめ、誰もいない時を見計らってベッドへ近づいた。顔に無数のしわを刻んでいたが、すぐ分かった。「父さん」。手を握ると、払いのけられた。認知症で判断力を失っていた。

 そんな人生で唯一の肉親である娘が難病と判明した時、「この子に、私の人生をささげよう」と誓った。

 娘は8年前、東京の男性から病気を承知で求婚され、母は「いつでも帰っておいで」と送り出した。上京する娘を追うように翌年、母も夫とともに札幌から木更津へ転居し、陰で支えた。だが、娘は病状の悪化や心のすれ違いから昨年、離婚を決意した。近く母と2人暮らしを始める。

 娘と暮らせるのはうれしい。自分がいる間は夫の遺族年金で何とか食べていける。その先を思うと不安だが、せめて死に方をきちんと決め、娘と歩む残りわずかな生を輝かせたい。母娘の納骨代行を引き受けた遺品整理「あんしんネット」(東京都大田区)には、同様の依頼や問い合わせが単身高齢者から相次いでいるという。「ひとり残され無縁仏だわ」と娘は悲観していた。「あんたも父さんの墓に入るの。また家族3人一緒よ」

 年が明け、母は、娘の具合が許せば京都へ2人旅に出ようと思い立った。今月中旬から近所の和菓子店へ桜餅を作る仕事に出る。旅費を得るためだ。娘には、まだ打ち明けていない。【井上英介】=つづく





毎日新聞 2009年1月8日 東京朝刊







9 元テレビマンのタクシー運転手

 
■不況下、東京を撮りたい 乗客の人生、背中に…

 午後5時。年の瀬の日曜日、東京・渋谷。駅のロータリーから数百メートルにわたり、空車のタクシーが列を作った。スクランブル交差点の信号が赤になった。目の前を行き交う若者の群れ。「この中で、客になるのは多くて3人。特権階級だよ」。タクシー運転手の男性(59)がため息をついた。

 02年、運転手に転じてすぐのころ、浜松町で40代半ばの客が乗ってきた。「会社をつぶしたよ」。FMから70年代の音楽が流れていた。ボリュームを下げようとすると「かけっぱなしでやってくれや」。励ましの言葉が見つからない。川崎までの30分が何時間にも感じられた。あれから7年。「来月は会社がないかもな」。ため息とともに漏れる乗客の言葉を、この冬は何度聞いただろう。

 転職前は、テレビ局で番組制作に携わった後、フリーでドキュメンタリーを何本も手がけた。01年、宮大工に小学校で授業をしてもらったのが最後の企画だ。いま、不況風が吹きすさぶ東京で、何もできずにいるのが悔しい。1本、あと1本撮りたいと思う。

 午後5時半。世田谷の商店街から高齢の女性を自宅へ送った。無線が鳴り、高級マンションから若い女性を届けた。その後もディナーに繰り出すカップルや、風邪気味の母子を運んだ。慌ただしく夕飯をかき込み、手放せなくなった頭痛薬を飲む。

 午後11時。蒲田駅前に並んだ。終電まで駅との往復。大半は初乗り料金しか掛からない近場の客だ。運転手たちは遠方の客を狙い、目をギラつかせた。

 午前3時45分。若い男性を民放スタジオへ運んだ。以前に自分も通った場所だ。

 一時は「天才」と呼ばれた。現場にこだわり、苦労と驚きを仲間と共にしながら作品を練るのが喜びだった。大工の棟梁(とうりょう)のような気持ちでいた。

 だが、時代は変わった。若者はネタ探しをパソコンに頼り、番組は制作者ではなくコメンテーターのキャラクターに合わせて作られるようになった。市民マラソンの撮影現場で、局の人間が言った。「ばあさん一人倒れれば絵になるな」。それが許せなかった。途中降板。考え方の違いにいら立ち、人は去り、仕事はこなくなった。2人目の妻にも愛想を尽かされた。そして一人になった。

 運転手仲間にはアルコール依存に苦しむ男がいる。家族に縁を切られ、寮で暮らす40代。夕方、兜町で取引を終えた証券マンを狙う。「高速はどこから乗りましょう」「知らねえよ、いいから行けよ」。容赦なくストレスをぶつけられ、そのたびに傷つく。「勤務明けに浴びるほど飲んじゃうんですよ。妹と遊んだ幼いころのことを思い出しながら」

 弱い人間に運転手は務まらない。明けに4畳半のアパートで、ドキュメンタリーの企画書を書こうとペンを握ると、疲労と睡魔が襲う。情けなくて嫌気が差す。前妻に引き取られた一人娘の顔が目に浮かぶ。今の自分は、幸せにしてやれなかった報いだと、言い聞かせる。

 午前5時半。客などいないと分かっていながら、運だけを待って高級住宅街を流す。あきらめてはいない。まだ誰も絵にしたことのない東京を撮りたい。【市川明代】=つづく




毎日新聞 2009年1月9日 東京朝刊







10止 犯罪繰り返す高齢者

 
■刑務所に「居場所」求め 実家にも戻れず、街うろつく

 眼下に広がる有明海が冬の陽光に輝いていた。長崎県雲仙市にある福祉施設で暮らす男性(68)は久しぶりの穏やかな正月を迎えた。3カ月前、塀の中にいた自分がうそのようだった。

 05年夏、同県佐世保市。一軒の寺でいつものようにさい銭箱をひっくり返した。10円玉が音を立て辺りに散らばった。急いでかき集め、敷地を出たところで警察官の姿が目に入った。被害金額9314円。常習累犯窃盗罪で懲役3年、11犯。半年前に長崎刑務所を出たばかりだった。

 島原半島南端の貧しい農家に生まれた。小さなころの病気で軽い知的障害が残った。40歳で同じ工場で働く女性と結婚。つつましいが幸せな生活のはずだった。

 だが、2年後。近くの神社のさい銭に手をつけた。なぜかは覚えていない。離婚、解雇と転落への歯車が回るのは早かった。

 刑務所を出ては、また盗みの繰り返し。仕事は数カ月しか続かなかった。何度目の出所だっただろう。実家に戻ると、身の回りの物が家の外に山積みに放り出されていた。「ここにはおられん」。自転車のペダルをものすごい勢いで踏んだ。刑務所を訪ねてくれる家族や知人は誰もいなくなった。

 やがて橋の下で暮らすようになった。腹が減ると罪悪感が消え、盗んだ硬貨を郵便局で両替し、焼き肉定食を食べる。その時だけ息をつけた。

    ◇

 08年6月。女性(78)は3年半の刑期を終え、東日本のある刑務所を出た。

 福岡・筑豊出身。父は炭鉱の事故で亡くなり、母は数年後に蒸発した。雑踏ですりを始めたのは8歳。以来、生活費はほとんど他人の財布から得た。重ねた前科は23。刑期は40年を超えた。どこにも行くあてはなかった。

 「放火はおつとめ(刑期)が長い」。受刑者仲間の言葉が頭をかすめた。首都圏のある街で、空き地にあった雑誌に火をつけ、現場近くをうろうろ歩き回った。やがて駆けつけた警察官を見て、ほっとした。だが、返ってきたのは「おばあちゃん、だめだよ」の一言。必死にこれまでの「悪行」を訴えたが、笑ってかわされた。

 昨年暮れの東京・上野公園。炊き出しを待つ200人ほどの列に並んだ。湯気の上がるうどんを無言で受け取り、一本ずつゆっくりと吸い込んだ。家族連れでごったがえすアメヤ横丁を尻目につぶやいた。「人でん殺さんば(人でも殺さなければ)、あそこ(刑務所)に戻れんとでしょうか」

 07年末時点での60歳以上の受刑者は9382人にのぼり、10年前の3783人の3倍近く。同年に法務省が行った高齢犯罪者の抽出調査では、4人に1人が「前科・前歴11回以上」の累犯者だった。

    ◇

 長崎の男性は、障害を持つ受刑者の更生を目指す国のプログラムで、昨年10月の出所後、福祉施設へ入った。仲間と将棋盤を挟んで向かい合ううち、笑みを浮かべるようになった。「寝る場所、食べる場所ができた」

 明けて正月。野菜がどっさり入った島原名物の具雑煮に「夢のごたる(夢のようだ)」と目を細めた。近くの神社に初詣でに行った。投げた10円玉がかすかな音を立て、さい銭箱に落ちた。【林哲平】=おわり




 

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毎日新聞 2009年1月10日 東京朝刊

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