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NHK:古森経営委員会の1年半 政治的思惑抱え、強引運営貫く

2009年01月22日 | スクラップ

 NHK経営委員会の委員長を務めていた古森重隆・富士フイルムホールディングス社長が昨年12月21日、退任した。古森氏は在任中、外国向けの国際放送で国益重視を求め、会長に意中の人物を起用、さらに次期経営計画に異例の修正を加えるなど、強権とも映る運営手法を貫いた。「古森委員会」の1年半を振り返る。【臺宏士】

 


■番組の編集に関与

 「君たちの仕事は重要なんだ。正確に報道してくれよ」。昨年12月9日にNHK内で開かれた記者会見。古森氏は、そう言いながら最後の会見を終えて、席を立った。古森氏は昨年3月の経営委員会で「(外国と日本との間で)利害が対立する問題については、国益を主張すべきだ」と執行部に求めた。いわゆる「国益発言」に対する見解を改めて問われ、古森氏は「世界の常識、歴史に基づいて日本の権利である国益を主張するのは何の間違いもない」と持論を展開した。

 古森氏は07年9月の経営委員会で「選挙期間中の放送は、歴史ものなど微妙な政治的問題に結びつく可能性もある」と執行部に注文を付けている。古森氏を委員長に起用した安倍晋三首相(当時)を囲む経済人の集まり「四季の会」のメンバー。安倍氏は、旧日本軍の従軍慰安婦を取り上げた特集番組の放送前日に、NHK幹部と面会し「公平・公正な報道をしてほしい」と要請した。

 古森氏の一連の発言は、安倍氏の歴史観を色濃く反映したものだと受け止められ「編集権に対する介入」との批判を招いた。このため、07年12月に成立した改正放送法(08年4月施行)では、一連の不祥事を受けて経営委員会の監督権限が強化される一方で、委員が個別の放送番組の編集に関与することを禁止する条文が議員修正で盛り込まれた。

 08年に入ってもNHKの国営放送化を探る自民党有志議員グループメンバーで、富士フイルム出身の武藤容治・衆院議員の「励ます会」の発起人となり、あいさつまでしていたことが国会で取り上げられる。「政治との距離」「番組への関与」が問われ続けた。

 古森氏の言動は波紋を呼び、醍醐聡・東京大大学院教授らが共同代表を務める「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」などの市民団体が福田康夫首相(当時)に罷免を求める署名を提出する動きに広がる。醍醐教授は「古森氏は政治的公平について意に介さず、再発防止は無理だと考えた。人脈からみても任用時点から政治的思惑を背負った人だった」と振り返る。

 


■政府の意向で就任

 昨秋、識者らが「ポスト古森委員会」を見据えた新たな市民グループ「開かれたNHK経営委員会をめざす会」を設立した。政府・与党主導の経営委員の選考方法を見直し、公募・推薦制を求めている。

 桂敬一・元東京大教授と湯山哲守・元京都大専任講師の2人を推薦する活動を展開している。昨年11月には元経営委員の小林緑・国立音大名誉教授を招いたシンポジウムを開いた。小林氏は毎日新聞の取材に応じ、あるエピソードを明かした。

 07年4月、保険金不払いが社会問題化した東京海上日動火災保険社長の石原邦夫氏が経営委員長を辞任。政府が後任の委員長に古森氏の起用を固めたことを各紙が翌月、一斉に報じた。

 しかし、放送法は委員長の選任方法を「委員の互選」と定める。小林氏は自分が出席する最後となる6月12日の経営委員会で「古森委員長内定」問題についての見解を尋ねたところ、橋本元一前会長は「今回の議題ではない」として退けたというのだ。

 経営委員会には、半年後に古森氏に事実上、首を切られる橋本前会長ら執行部も顔をそろえていたが、小林氏に同調する発言はなかったという。議事録には小林氏の問題提起の記載は今もない。小林氏は「こんなおかしなことに対し、経営委員も理事も問題視しなかった」と話す。

 6月26日の経営委員会は、政府の方針通りに全会一致で古森氏を委員長に選任した。委員長代行になった多賀谷一照委員(千葉大教授)は会見で、委員長の選考基準を例示したのみで、詳細なやりとりは明かさなかった。政府の意向通りになった経緯は今もなおはっきりしていない。

 


■残された負の遺産

 「政治との距離については、経営委員長として後ろ指をさされるようなことはしない。企業のトップとして政治家と会う機会はあるが、特定の人に偏っているわけではない」。07年6月26日の就任会見で古森氏は、「安倍政権との距離をどう考えるか」との記者からの質問にそう答えた。

 野党は古森氏と安倍氏との近さなどを問題視して委員長就任に反対したが、国会は与党の賛成多数で同意した。しかし、直後の参院選で安倍政権は大敗し、参院では民主が第1党となり、野党が過半数を占めた。

 そして1年半後の昨年11月、野党は「古森委員会」を支え、任期を迎えた多賀谷氏、篠崎悦子氏(ホームエコノミスト)と、古森氏の後任となるはずだった前田晃伸・みずほフィナンシャルグループ社長の3人の人事案件を不同意とした。

 国会同意権を背景に、経営委員会を通じてNHKに影響力を及ぼそうとする国会議員の思惑も見え隠れする。

 昨年3月の参院総務委員会。世耕弘成委員(自民)は、古森氏の会長選出方法に異議を唱えた保ゆかり委員を資質に踏み込んで批判した。この時、答弁者の古森氏からは、保氏をかばう言葉はなかった。

 あるNHK関係者は「経営委員会は、政治介入からの防波堤の役割を果たすはずなのに、反対に政治の風が入り込む穴が開いてしまった。古森氏が残した負の遺産だ」と話す。

 議事録によると、昨年12月に退任した保氏は、最後の経営委員会で特集番組問題に触れ、「最後まで気になるのは、自主自律の堅持や不偏不党といったことに対する不信感が一部に根強く見られるということだ。重く受け止めていただきたい」と述べている。

 


■放送法の問題浮き彫り--音好宏・上智大教授に聞く(メディア論)

 NHK問題に詳しい音好宏・上智大教授(メディア論)に話を聞いた。

     ◇

 --経営委員長としての古森重隆氏をどう見ますか。

 ◆不祥事が相次ぐ中で就任した前任の石原邦夫氏は、従来ベンチの中にいた委員長という監督の立場から一歩踏みだし、ブルペンの前に出て調整役として助言に乗りだした。しかし、プレーヤーにはならなかった。経営委員会を監督機関として位置づける放送法の解釈に基づく行動だったと思う。一方、古森氏は、市場に向き合う民間企業の経営者のような強い委員長が求められていると解釈し、どんどん前に出てプレーヤーのように振る舞った。



 --古森氏は就任後、経営委員会権限の明確化作業から始めました。

 ◆次期経営計画案に受信料の値下げ幅を明記する修正を自ら行うなど、古森委員会は発議や修正動議の提出権があると解釈して行動した。放送法は経営と執行を分離したが、経営委員会の法解釈上の議論はこれまで十分ではなかった。一連の経営委員会の姿勢に対し、市民グループが経営委員の公募・推薦制の導入を提案するなど、監視しようという動きが出てきたのは、良かったと思う。古森氏の存在は放送法が持っていた問題点を浮き彫りにした。



 --重要な議論の多くは、記録の残らない委員のみの会合で決めました。

 ◆福地茂雄会長と経営委員が初めて面会した会合(07年12月25日)は秘密会合で、その選出過程はいまだに明らかにされていない。古森氏は、国会に選任された国民の代表という認識はあったが、古森氏のようなタイプの委員長を国民が求めているかについては耳を傾ける姿勢がなかった。古森氏の独自解釈で委員会運営が進められたと思う。その結果、古森氏の続投を拒否する声が早くから国会で上がったのではないか。





毎日新聞 2009年1月12日 東京朝刊
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