長岡京市観光協会のブログ

長岡京市の出来事を紹介します。

宮域と京域 ~恭仁宮跡に訪れて~

2016年10月22日 | 情報
先日、京都府木津川市の恭仁宮(くにのみや)跡に行ってきました。



恭仁宮は奈良時代、聖武天皇によって5年間置かれたみやこです。

奈良時代というと平城京が思い浮かびますが、

実際には平城京から何度かみやこの場所を変えており、

恭仁宮もそのひとつです。

都が置かれたのは5年間と短命でしたが、

東大寺の大仏造営が決定されるなど重大なできごとがありました。

歴史が大きく動いた場所なのですね。



恭仁宮跡では、「大極殿跡」と「山城国分寺跡」を見学しました。

大極殿(だいごくでん)とは最も重要なみやこの心臓部。

天皇が政治や儀式を行うところです。

現在の国会議事堂のような役割を、ちかくから発掘された

朝堂院(ちょうどういん)や朝集殿院(ちょうしゅうでんいん)と

あわせてもっていました。

このような、天皇の住まいと政治を行うための中心施設の範囲を

「宮域」と言います。

対して、みやこの全体を「京域」と言います。

宮域はみやこのほんの一部ですが、大きな機能をもっていました。

京域には多くの人が住み、生活を繰り広げていました。

長岡京をみてみましょう。

京都市、向日市、長岡京市、大山崎町の

三市一町にまたがる広い長岡京。

なかでも向日市は政治の中心、長岡京市は経済の中心

と説明されます。

それは、長岡京の大極殿・朝堂院が向日市にあり、

みやこの大部分が長岡京市にあることによります。

つまり向日市が「宮域」で長岡京市が「京域」ということですね。

京域である長岡京市からは、貴族たちが暮らした邸宅の跡やトイレ、

大路の交差点、市で使われていたであろう大量の土器や、

迷子のお知らせ札なんてものも発掘されたそうです。

都の人々の暮らしぶりを知ることができるのが、京域の魅力です。

そんな京域である長岡京市の魅力を感じてもらおうと、

市内の小学校には「長岡京の住所表示」があるんです。


(長岡第九小学校)

「右京七坊一坊一町」とありますね。

長岡京のなかではこんな場所になりますよ、と示しています。

この表示は長岡京市ふるさとガイドの会によって行われました。

何気なく歩いている道を、長岡京の都人が歩いていたかもしれない

…と想像するとわくわくしますね。