6月19日に、NPO法人長岡京市ふるさとガイドの会主催の歴史講演会、
「乙訓古墳群の国の史跡指定へ」がありました。
今年、国指定史跡となった「乙訓古墳群」。
実際に発掘を行った岸岡貴英氏から、
なぜいま注目されているのか、重要性はどこにあったのか、
多くの写真や地図を交えながら、わかりやすくお話しいただきました。
今回の国史跡指定は、「群」であることがポイントです。
ひとつの古墳が指定されることはよくありますが、
複数の古墳をまとめて、ということはなかなかありません。
なぜ、乙訓地域にある古墳たちは重要なのでしょう?
(恵解山古墳)
それは、この地域をみると、古墳時代の歴史のながれが分かるから、なのです。
古墳時代は前期・中期・後期と分かれますが、
そのすべての時代の古墳が乙訓にはあります。
これは、全国をみてもとても珍しいことです。
しかも、中央の政治の権力者が変わると、古墳の場所が移動します。
これは古代政権の権力の動きに連動しているためと考えられ、
古墳の分布が、あたかも古墳時代の縮図となっているかのようです。
「乙訓は、古代の歴史を体感できる場所」
―――という言葉には、胸がわくわくしました。
(埋蔵文化財センター)
お話に登場する古墳は身近な場所にあるものばかりで、
いま住んでいる場所は古代から重要な地域だったのだと再確認し、うれしくなりました。
「あの古墳は蒸し暑かった…」などの発掘担当者ならではのお話も楽しく、
とくに、土からほりあてた瞬間の遺物は空気に触れていなかったため
ピカピカでほんとうに美しい…というお話にはため息がもれました。
会場には100名ほどが詰めかけ、ほぼ満席の状態。
全員が熱心にお話を聞き、最後の質疑応答でも、
「なぜ全期間に古墳があったのか?」「古墳の形の違いには意味があるのか?」
などと盛り上がりました。
長岡京市の歴史ファンはとっても熱い!ということも感じた講演会でした。