長岡京市観光協会のブログ

長岡京市の出来事を紹介します。

9月27日(土)乙訓歴史ウォーク

2014年09月28日 | イベント
秋晴れの中、長岡京市ふるさとガイドの会主催の歴史ウォーク

「黒田官兵衛の活躍した山崎合戦旧跡めぐり」に参加しました。



朝9時、JR長岡京駅前のバンビオ広場に集合した参加者は

総勢45名。説明の後、軽くストレッチ体操をして出発です。



最初のポイントは神足神社内にある「勝龍寺城土塁跡」。



まずは、黒田官兵衛についての説明をききます。

黒田家は、宇多天皇から始まる源氏の一族で

京極家から分かれて滋賀県近江の黒田村に

在住する一族が黒田の名を名乗ったそうです。



土塁は神足神社内にあり、細川藤孝により改修

された空堀で、当時のままの姿残されていることは

大変貴重で、今後史跡公園として保存される予定です。



この細い道は、当時からあるもので、城から外へ出る唯一の道であり、

合戦に敗れ、再起をきすため坂本城をめざし城を出た明智光秀も

間違いなく通った道だということです。急に歴史が近く感じられます。



次に訪れたのは「勝竜寺城公園」の北門跡。ここもまた明智光秀が

城から脱出するときに通った所です。門の礎石も残っています。



その横には発掘で出てきた五輪塔などが一堂に集められています。

城の石垣などに利用されたそうです。






(庭園の金木犀のいい香りがただよっていました。)

山崎の合戦は官兵衛の立てた策で行われたといわれていますが、

命を奪うのではなく、光秀が逃げる道を残しておいたのも官兵衛だと

言われています。その甲斐なく、光秀は小栗栖で絶命してしまいますが。





庭園の中の最も高い所で、ここに天守閣の前身となる2階建ての建物が

あったそうです。天王山も良く見えます。



展示棟の二階には資料展示があり、土日祝日の10時~15時まで

ガイドさんの詳しい説明を聞くことができます。





入り組んだ住宅街を行くと平安時代初期に空海創建といわれる古寺の

「勝龍寺」があります。勝龍寺は勝龍寺城の城内に取り込まれていた

ものと思われ、付近の細い道はその当時のままだそうです。





最近の発掘により、山崎合戦の明智光秀の本陣の可能性が出てきたのが

5世紀中頃の乙訓地方最大の前方後円墳「恵解山古墳」です。整備が進み

史跡公園として10月26日に開園します。上段に、貴人にさしかける傘を

型どった「きぬがさ形はにわ」が並べられているのは、位の高い人の墓で

あることを示しているそうです。開園後、是非探してみて下さい。





最後に訪れたのは、サントリービール工場裏にある、現在、定説となっている

光秀本陣跡の境野一号墳にある御坊塚です。天王山が近く感じられます。





戦国時代の軍師黒田官兵衛、羽柴秀吉、明智光秀らが、たしかに生きて

懸命に戦った息づかいを感じられた充実の3時間でした。