向日市の物集女車塚古墳は、古墳時代後期(6世紀中ごろ)
西側の丘陵からのびる尾根を利用し、ほぼ東西方向に、
築かれた全長46メートルの前方後円墳です。
6世紀前半継体天皇が乙訓地方に「弟国宮」をつくったと
日本書紀に記されていますので、
大和政権の大王と深い関わりを持つ前方後円墳が、
この地にあるのも不思議ではないのでしょうか。
古墳の上にたつ杉は遠く京都駅からも見え、
第二次世界大戦後はこの杉を目印に、
故郷をめざし帰ってこられたそうです。
このお墓に眠る人物もその方向を意識して、
お墓を築造し、権威を示したかったのでしょうね。
石室は「機内型」という6世紀前半以降に流行した横穴式石室です。
特徴はながい通路「羨道(せんどう)」と広い部屋(玄室)からなります。
横穴式は複数の人物を一つの場所に葬る事ができる画期的なお墓です。
後円部山頂から石室にかけてすり鉢状に掘られた
盗掘穴跡が確認されていますが、
これは横穴石室の天井石にはばまれ断念したと思われます。
実際の盗掘は南面の横から掘り羨道の途中の壁を崩して
石室に侵入したとおもわれます。
次回は石室内をご紹介したいとおもいます。
お楽しみに!