長岡京市観光協会のブログ

長岡京市の出来事を紹介します。

長岡京市の民話・乙訓寺の竜神さま

2015年06月11日 | 民話




江戸時代の終り頃、長く日照りが続きました。田植の時期ですが、雨が降りません。

田んぼの表面は日々割れてきました。空を見上げて、必死の思いで雨が降るよう

祈りました。後には、乙訓寺に集まって満身の思いを込めて雨ごいをしました。



乙訓寺には、竜神さまの小さな祠があり、雨乞いの場所として有名です。人々は

小さなほこらの近くに櫓を造り、火を焚いて、何日間も祈り続けました。そうすると、

大きな蛇が祠の前に突然現れました。皆で蛇に祈りました。でも、雨は降りません。

村人たちががっかりして諦めかけたとき、蛇の形をしたとても大きな黒い雲が急に

現われました。蛇の形をした雲は竜神の化身だったのです。それから何日間も雨を

降らしました。村人たちは大変喜び、田植えを無事にすることができました。



長岡京市の民話・学問の神様

2015年06月02日 | 民話
学問の神様



菅原道真は、平安時代の有名な大臣で、中国文学の学者でもありました。

901年にライバルであった摂政職の藤原家によって、九州の大宰府に追放されました。

平安京(今の京都)から九州に向かって長岡の地に来た時、離れたくない気持ちに

なりました。「たとえ私が九州に流されようとも、私の魂はこの地に残る。」

と言い残しました。道真を慕って、3人の若者が長岡から九州へお供しました。

でも、ある日、道真は3人の将来を思って、長岡に帰るように言いました。

離れる前に道真は、自分の姿を彫った小さな像を贈ったと言われています。

長岡天満宮はもらって帰った道真の像を祀ったのが始まりとされています。

道真は大変尊敬されて、学問の神様とも呼ばれています。
  (長岡京市昔話より)


長岡京市の民話・神の住む池

2015年05月27日 | 民話
神の住む池





八条宮智仁親王(はちじょうみやとしひとしんのう)は、長岡天満宮をとても

崇拝していました。この美しい神社を更に美しくする為に何かをしたいと考えて

いました。それで、息子の智忠親王(としただしんのう)が1638年に神社を

取り巻く池を造りました。村人たちはこの池を造った人に因んで、八条が池

(はちじょうがいけ)と呼ぶようになりました。池はやがで村人にとって神聖な

所となりました。その池に住んでいる鯉さえ特別なもので、誰も取ろうと

しませんでした。普通の魚よりも成長が早い神の魚だと思われていたからです。

でも、ある日、淀川の漁師が八条が池の魚の成長が早いと言う信じられない

話を聞きました。ところが、欲深いその漁師は誰にも見つからないように夜に

池に忍び込んで、魚を全部取ろうと決めました。池にやってきて、静かに堤を

壊して、水が抜けるのを待ちました。水かさが少なくなり、魚が池の底で

身動きができなくなってくると、漁師は大変興奮しました。やがて、

夜明け近くなって来ましたが、村人が起きるまでには魚を全部取れると

考えていました。ところが、遠くの橋の上で白い着物を着た人が立って

いるのが見えました。漁師は見つめられて、身動きが取れなくなりました。

すると、突然、大雨が降り始めて、池の水が元に戻り始めました。元の水量になった時、

雨は止み、漁師は動けるようになりました。でも、漁師の力は全て消え失せてしまい、

座って、池を見つめるのがやっとでしたと言う伝説です。
                         (長岡京市の昔話より)


長岡京市の民話 一文橋

2015年05月25日 | 民話


一文橋は日本で最初の有料の橋と言われています。

ずっと昔に造られました。この橋を渡るためには、

一文のお金を払わなければなりませんでした。



一文というのは、昔のお金の事です。

この橋は兵庫県の西宮と京都の東寺を結ぶ西国街道に

架けられたもので多くの人々が利用しました。

長岡京を通るためには、この一文橋を渡らなければなりません。

橋の両橋には、剣と櫓を持った見張り番がおりました。

お金を払わず渡ろうとした者には、容赦なく命を取りました。

夜になると、「橋を渡らして下さい。」という幽霊の声が聞こえたそうです。







橋がかかっている小畑川は当時は大変暴れ川でした。

往来は頻繁でしたが、橋が壊れた時は、費用がかさみました。

それで通行料をもらって、橋を修理することになったのです。

でも、今では、無料で人も車も渡っていいのです。
   (長岡京市の昔話より)