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『本人の人々』 南伸坊

『本人の人々』
南伸坊
マガジンハウス

もう、どんなに辛く、苦しく、悲しく、涙が止まらない時でも、
これを見れば、絶対に笑える!という本。
あっはははは。
本当におかしい。

これは、ダカーポに連載されていた、南伸坊の「本人だもの」を
1冊の本にまとめたものである。
ダカーポ連載の時から、とにかくこのコーナーは、本屋でそっと
立ち読み(すみません!)をし、笑いを隠すことができずに、
本屋からの帰り道には苦労したものだ。

連載していた当時の”時の人”に、南伸坊が「なりすます」。
顔真似だ。本当に本人になりすまし、コメントまで載っている。
このコメントも、本人になりすまして書いているので、まるで
本人のコメントなのだ。爆笑である。

南伸坊、といえば、目が細く、エラも張っていて、とっても特徴的
な顔をしている。個性的だ。
その顔で、なんと、ベッカムや、Gackt、マイケルジャクソンまで
やってのける。それもCGなんて使わない。すべて手作り。メーク
と写真のわざだ。ちなみに写真は伸坊さんの奥様。
この出来栄えの大半は、もしかしたら、この写真の奥様の力かも
しれない。しかし、撮影のとき、出来上がった時には、相当、おかし
かっただろうなあ。

とにかく。ぜひ、見て欲しいです。とにかく笑えます。
とにかく、そっくりなのだ!全然似ていないものもあるのだが、
でも、そっくりなのだ!始めは「エー、似てないよ~」と笑い飛ばす
のだが、しかし!だんだん、本人に見えてくるから不思議だ。

ちなみに、南さんに顔真似されている本人さんたちは、金正日、
カルロス・ゴーン、養老孟司、椎名誠、鳥越俊太郎、安藤忠雄、
キアヌ・リーブス(これは笑える!)、村上龍、清原和博、
瀬戸内寂聴、マイケル・ジャクソン、綾小路きみまろ、ベッカム、
ボブ・サップ、田中耕一、Gackt、窪塚洋介、吉田拓郎、辻仁成&
中山美穂、山崎拓、えなりかずき、五木寛之、ブッシュ、井上陽水、
梅宮アンナ、矢沢永吉、引田天功、デヴィ夫人、アラファト・・・
などなど。どう考えても、南伸坊さんとは、まったく違った顔
ばかりなのだが・・・

本当に、この人の「顔面学」と言う哲学には頭が下がる。

今日は、少しふさぎこむような一日だったが、さっそくこの
「本人の人々」を見て、笑いに笑った!

大げさに言うと、人生で手放せない1冊。

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『おばあちゃんの家』

『おばあちゃんの家』
2002年 韓国映画

そもそも、おじいちゃん、おばあちゃん、子供、動物モノ
に弱い私だ。
とにかく、無条件におばあちゃんの愛情に包まれていた
子供の頃を思い、おばあちゃんが恋しくて、涙してしまった。

美しい韓国の田舎の町。
都会とはあまりにかけ離れた、そんなのんびりとした田舎町
のおばあちゃんに二ヶ月の間預けられるべく、都会のソウルから
孫がやってきた。

口のきけないおばあちゃん、都会と同じように遊ぶことの
できな田舎の生活、何もかもが気に入らず、我がまま放題の
孫に、叱ることもせず世話をやく優しいおばあちゃん。
そんなおばあちゃんに次第に心を許してゆく、孫。

母親が迎えに来て都会に帰る孫とおばあちゃんの、最後の夜から
お別れの場面までが、とにかく、笑って泣けて、泣ける。
ほとんどセリフの無い、本当に淡々とした映画であるが、それだ
けに、胸がいっぱいになる。

おばあちゃんに会いたくなる。
おばあちゃんが生きていたら、もっと優しくしてあげればよかった
かな、もっといろいろな話をしたかったな、と、おばあちゃんを
想う。

ほとんど素人のおばあちゃんと孫の役者さんたちの演技が、また
素晴らしい。本当のおばあちゃんと孫の生活を見ているようだった。
そして、DVDの映像特典、メイキングシーンを観て、納得。
このメイキングシーンで、ポロポロと泣いてしまった私。

この映画、”世界中のおばあちゃんに捧げます”とのこと。
天国のおばあちゃんにも届くだろうか?
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『24時間テレビ』 愛は地球を救える!

先週末、体調を崩して、ずっと寝ていた。
そして、何年ぶり、というか、二十何年前に初めて欽ちゃんが
やっていた時以来だろうか、(確か私は中学生だった)久しぶりに
「24時間テレビ」をまともに見ることになった。

毎年、チラチラ観ているものの、片手間に観る程度で、特に
ここ数年のモーニング娘などの司会には、なんとなく声高で、キャー
キャーうるさくて、ちょっと観るに絶えなくなったり、などして、
まじめに観ることはなかった。
実際にには違うのだろうけど、彼女たちの姿を通して観てしまう
と、なんとなく、お涙頂戴のような、作られた物語、のイメージが
してしまっていた。(ごめんね)

今年は、スマップの草薙くんと香取くんの司会ということで、
あまりお祭り騒ぎのような感じがせず、シンプルで、
落ち着いていた感じもしたし、なんとなくチャンネルも変えず、
見入ってしまった。
実際に、少し大人の二人を通して観ると、いろいろな物語も
ストレートに感じることができたような気がした。

そして、年取ったのかな、たくさんの場面で涙してしまった。
少しかっこ悪い言い方なのかもしれないけど、
「愛は地球を救える!」、などと、寝込んだ布団の中から、強く
そう思ったのだ。

第一回の「24時間テレビ」のときに、番組に感動して、貯金箱
を持って日本武道館に募金をしに行った、あの時の気持ちを、
少し思い出した。

それから、今年のチャリティのTシャツは、とってもよかったね。
デザインも色も。 お手伝いのアンガールズなんかも、芝居がかって
いない、というか、シンプルで、とってもよかった。

今年の「24時間テレビ」は、評判よかったのではないだろうか。
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『パッチギ!』

これも劇場公開を逃して、DVD観た作品。
いや~、笑った~。泣いた~。
まさにパッチギ(頭突き)をくわされました!

日本と朝鮮、その深い溝。
ともすれば重くなったり、軽々しく扱われてしまうような繊細なテーマが、
笑いと涙と音楽と、絶妙なバランスで繰り広げらています。
音楽が大きなテーマのうちのひとつだった、ということにも、救われました。
「歌」と「ケンカ」で、その溝を乗り越えていこうとした当時の若者たちの姿が、
頭から離れません。
がむしゃらになって歌う「イムジン河」。切なく響く「悲しくてやりきれない」。
1968年、その時代だから生まれた歌なのだなあ、としみじみと感じました。

それにしても、こんなに綺麗な歌「イムジン河」は、なぜ放送禁止として
規制されていたのだろうか、と、あらためて不思議で仕方ありません。
どんな歌であれ、どんな理由だろうと誰であろうと規制することなんて
できない。もし、この歌が、放送禁止になんてならず、もっともっと長い期間
たくさんの人の耳に触れていたら・・・もしかしたら、時代は少し変わった
かもしれない、そんな風にも思いました。

韓国に行って観てきた「イムジン河」は、本当に”とうとうと流れ”、向こうに
見える近い北朝鮮からもそう見えるのだ、と、その美しい流れが美しいほど、
胸がいっぱいになりました。

韓流、韓流、といわれている(もう言われてない?)今、こうやって少しづつ
でも、みんなが乗り切ろうとしている”溝”について、何かを思い、感じること
ができれば、きっと何かが変わる、とそう感じました。

やはりこのテーマで、箒木蓬生『三たびの海峡』(新潮文庫)を読んで、
ショックを受けました。今回は、この「パッチギ!」で、それを乗り切ろう!と
言う、少しだけ未来を観た気がしました。

よかった!
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ひとり●●

友人に、ひとりで喫茶店に入れない、という人が居る。
不思議だ。
私の従姉妹などもそうで、ひとりで喫茶店に入れない。
ただ、彼女は、「ひとりで焼肉屋は入れるんだけどね。」
と言う。ますます不思議だ!

何がひとりで出来て、何がひとりで出来ないだろうか。
考えた。
従姉妹は、
ひとり焼肉 ○
ひとりしゃぶしゃぶ ×
だそうだ。
何が違うのだろうか!!

ちなみに私はひとり焼肉もしゃぶしゃぶも辛いなあ。
なんだろうか。焼いている時間、ちょっとした時間をもて
余すのがイヤなのだろうか?
ひとり吉野屋。これはやったことはないけれど、ありだと思う。
ひとりデニーズもありだ。

ひとり映画、というのもある。
私はこのひとり映画、は好きだ。なまじ違った感覚の
人と行ったりすると、映画の後の感想などを言い合うの
が(言わなくてもいいのだけど)辛い。
一人だと、余韻をじっくりと味わえる。
はじめは抵抗があったけれど、やってみると、ひとり映画、
はいい!

ひとり旅。これもまた時にはいいものだ。
寂しいけれど、その寂しい感じが、じわじわと自由気ままな
気持ちに変わってくる。いいものだ。
ひとりドライブ。これもまた、たまにはいい。

ひとりディズニーランドは?
これは、絶対にダメだなあ。ひとり遊園地もしかり。
ひとり水族館。ひとり動物園はどうだろう。
なんとなく微妙だ。
ひとり芝居(これはひとりで芝居を見に行く、の意)。
これはあり得るが、ひとりコンサートはあり得ないなあ。

ひとりカラオケ。これもあり得ない。

ひとりプールはありだが、ひとり海水浴はだめだ。

自分でも、何がひとりではOKで、何がひとりではダメなのか、
基準がよくわからない。
いずれにしても、人間はひとりでは生きていけないのだろう、
と、ひとりごちる。
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おばあちゃんと三味線とセッション

おばあちゃんと三味線

今でも三味線の音と唄を聴くと、胸がじぃ~んとなる。

数年前に大好きなおばあちゃんが亡くなった。
あまり口数多くなく、クールなイメージの、とても美しいおばあ
ちゃんだった。着物とたばこの似合う、粋なおばあちゃん。
三味線が上手だった。
町のお祭りになると、おばあちゃんはお神酒所で三味線をひき、
唄を唄った。小さな舞台の上に居るおばあちゃんが、子供心に
誇らしかったことを覚えている。
その娘である私の母に聞くところによると、おばあちゃんは
娘たちにもクールで、昔からあまり感情を露にしなかったとか。

病気がちになってからのおばあちゃんは、お祭りとも三味線とも
無縁になっていった。
そのおばあちゃんが亡くなる数年間。長女であった母の家で
過ごしたのだが、少しとぼけてきていたおばあちゃんの口から
たびたび、自分の子ども時代の話がでてきていた。
実家に遊びに行っては、そのおばあちゃんの話に耳を傾けて
いたのだが、どうやらおばあちゃん、近々の記憶は薄れても、
一番根強く心に刻まれていたのか、子供の頃の話は、かなり
はっきりと覚えているようで、というかそれしか思い出せない
ようで、まるでその頃に返ったように、何度も何度も、同じ話を
繰り返した。

おばあちゃんの母親は、お三味線のおっしょさんだったが、
それはそれは美しい人で、三味線を教えることに忙しく、家事一切を
やらず、すべて娘にまかせていた。
そして、かなり厳しく、三味線を娘にも叩き込んだ。
時には叩かれ、甘えることは許されず、そんな状況に、娘は
萎縮し、ものすごい緊張の中、三味線や唄を覚えた。
お稽古をしながら、自分の母親のこと、家のことの一切を
やらされていた、という。
とぼけたおばあちゃんの口からは、その時の大変さが、いつも
語られた。

しかし、子供の頃そうやって、体に叩き込まれた三味線や唄は、
そのままおばあちゃんの音楽人生となる。

おばあちゃんが唄うは、浄瑠璃の一種で「常盤津(ときわず)」
というものだ。
現在でも歌舞伎にはなくてはならない音曲のひとつだそうだ。
本来歌舞伎の世界は男だけ。
しかし、お師匠さんの常磐津林中さんに、おばあちゃんは常磐津林豊、
おばあちゃんの母は常磐津林多という名前を頂き、町内会での催し物に
とどまらず、今で言うプロとして、母子で新橋演舞場の舞台にも立った。
ふたりとも、三味線も唄も、本当に上手だったのだ。

もし、生まれる時代が違っていたら、おばあちゃんはきっと、
ミュージシャンになっていただろう。

私が子供の頃、「おばあ部屋」とみんなで呼んでいた”おばあ
ちゃん(とおじいちゃん)の暮らす部屋には、いつも三味線があり、
よくおばあちゃんの唄が聞こえてきていた。
子ども心に、小唄は何を言っているのかわからず、変わったもの
に聞こえていたのだが、おばあちゃんの綺麗な声は、いつも私たち
の心を安心させていたように思う。

そして月日は流れ、おばあちゃんはもう立てなくなっていた。
体も細り、いつも寝転んでは、外を眺める毎日。
割と活動的だったおばあちゃんが、外に出れなくなった。
そして、昔の話を繰り返す。三味線のお稽古のこと。

ふと思った。
おばあちゃんは、まだ三味線弾けるかな?弾いたら、もう少し
元気になるかしら。
そしてある日、孫の私たちは、
おばあちゃんの部屋から、もう押入れの奥に奥に閉まってあった
三味線を探し出し、おばあちゃんに弾いてもらった。
小さい細い体で、よっこらしょ、と三味線を持つおばあちゃん。
不思議なことに、三味線を持ったおばあちゃんは、いきなり背筋が
伸び、若返って見えた。

そして、どこからあんな力が??と思うほどパワフルな勢いで、
三味線の音を合わせだした。しっかりした音感だ。びっくりした。
ちょっとした音のズレが気になるようで、なんども合わせる。
そんなこだわりが、嬉しかった。
綺麗な音にあわせ終わると、どうして覚えていたのか、
三味線に合わせ唄を唄いだした。演目は『将門』。
おばあちゃんは、常盤津だったら、演目を全部覚えていて唄える、
と言った。嬉しそうだった。

常盤津は、語りが多い。歌舞伎風に、その語りを孫の私たちが
歌詞カード(というのかな?)を見ながら、語った。ちんぷんかんぷんだ。
そこにおばあちゃんの三味の音と唄が入る。おばあちゃんはへたくそ
な私たちの語りに、笑いながら、音を合わせてくれた。
おばあちゃんと私たちの、セッションだった。

その時のおばあちゃんの姿が忘れられない。
やっぱり体で覚えているものは強い。そして音楽はすばらしい。
三味線の音がおばあちゃんの命にそっと息を吹きかけた、ような気がした。
おばあちゃんの人生だった。
もっと早くに、三味線をおばあちゃんに持たせてあげていたらよかった、
と、少し後悔した。

それから間もなくして、おばあちゃんは入院した。
病室ではさすがに三味線を弾くことができず、でも音楽があれほど
おばあちゃんを元気にしたのだから、と、常盤津を聴かせてあげ
たくて、浅草の専門店のレコード屋に、カセットテープを買いに走った。
普通のCDショップでは扱っていないのだ。
浅草の、小さな古い、味のあるレコード店だった。
それから、おばあちゃんの病室では、小さな音で常盤津が流れるよう
になり、時折、おばあちゃんも口ずさむ。
とっても綺麗な歌声で。

そして、おばあちゃんは亡くなった。

おばあちゃんの葬儀には、小さな音で、おばあちゃんの唄う常盤津と
三味線の音を流した。綺麗な歌声だった。

お葬式の間中、あの時のセッションの、おばあちゃんの嬉しそうな顔が、
頭から離れなかった。
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『インテリア』 ウディ・アレン

『インテリア』 ウディアレン

もともとウディアレンの映画が好きだ。彼独特のユーモアや
飄々としたストーリー。果てしなく続くセリフの数々や、舞台となる
(主にニューヨークの)素敵な部屋やインテリア、音楽、しゃれた
会話などが心をくすぐってくれるので、たまに観たくなったりしてしまう。
一度観ると、またウディアレンの作品が続けて観たくなったり。
そんな風に、たまに訪れるウディアレンの風。

出てくる女優さんも、みな好きだ。特に、ウディアレンの彼女でもあった
ダイアン・キートン。同棲を経て別れて久しい今もなお、ふたりはいい
関係を続けているそうだが、とにかく、ウディ・アレンの映画の中の
ダイアン・キートンは特に好きだ。なんだか、かわいい。

余談だけれど、一昨年の彼女の作品「恋愛適齢期」。ジャックニコルソン
との競演でしたけど、よかったなぁ。
二人とも、もう大人の素敵な魅力が溢れ出ていて、観ていてドキドキ
してしまった。素敵な女性は、いくつになっても素敵です。

話は戻るが、そのウディアレンの中でも、ちょっと異色のシリアス
な作品、『インテリア』。
撮影は、同じくウディアレンの、これも大好きな映画だが、
『カイロの紫のバラ』や『カメレオンマン』(これ大好き!)などの撮影を手がけ
ている、ゴードンウィリス。
この方、ゴッドファーザー2』の撮影もしているのだが、この『インテリア』
も、なんだかその映像は、ゴッドファーザーを思い出させるような映像だ
な、と感じた。

『インテリア』は、完璧に計算つくされた生活を送ろうとする母。そのインテリア
同様に、作り上げられてきた彼女の家族。一見幸せそうな家族も
インテリアも、美しいかもしれないが、実は冷たく息苦しいものだった。
そんな中30年連れ添った父と母の別れ、娘たちのそれぞれの葛藤。
長女は夫を支えていたつもりが、夫はそれを負担に思っていた。末娘は母を
なぐさめていたが、母にはそれが負担だった。
そうして完璧だったはずの家族が崩壊していく。

美しく冷たい場面の中で繰り広げられる、静かで暗い物語。
完璧なインテリアと、自分の美意識で家族を支配してきた母に耐えられなく
なり別れを切り出す父だが、その父が愛した母と全く正反対の女性が、
一人、常に赤い、明るい洋服を着ている。
その冷たい無機質な色の映像の中で、その明るい色がとっても印象的な
重たいけれど、とても美しい映画。

少し気持ちが重たくなってしまったら、
『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXの
すべてについて教えましょう』 や、『カメレオンマン』 を観よう!(^o^)/
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サザンオールスターズ 『神の島遥か国』

サザンオールスターズ 『神の島遥か国』 がとにかく大好きだ。

実に27年前!のデビューアルバム「熱い胸騒ぎ」というアルバム
は当時中学生だった私には衝撃的で、これはもう今でも大好き
なアルバムである。
当時中学1年生だったし、そんなに音楽は詳しくはなかった。
どちらかというと、あの当時の周りの人たちと同じように洋楽を
聴いていたりしたので、あまり邦楽に興味もなかった。
それでも、まずあのデビュー作「勝手にシンドバッド」の桑田さん
の声とパフォーマンスは衝撃だったし、その曲が入っている
デビューアルバムは、それだけで大好きな1枚となったのだが、
とにかく、このアルバム、おもちゃ箱のようなのだ。

いろいろな曲が入っている。歌詞も楽しいし、何よりも、全部の
曲のテイストが違っていて、レゲエがあったりブギがあったり
ロックがあったり歌謡曲があったり・・・
そして、そのおもちゃ箱の中には、♪小粋な言葉はいらないけ
れど、夢から覚めずにいたいだけ~♪などというしみじみと優しい
歌詞のバラードなんかも入ってる。
子供心にも、めちゃくちゃ楽しい!と感じたし、その気持ちは今
でも変わっていない。
今聴いたって、ちっとも古い感じがしない。パワーもそのまま。

そして、あれから27年経った今、新しいシイングルのカップリング
曲がこの『神の島遥か国』だ。(前振りが長くなってしまったけど)

とにかく、この曲、沖縄(石垣島)をイメージして作られたそうで、
曲には三線と指笛 が使われていたりするのだけど、出だしは、
ニューオリーンズ調だったり、サビは、また違った感じであったり、
と、私にとって、まさにサザンオールスターズらしい!という曲である。

まさにおもちゃ箱のようなのだ!桑田さんの歌い方も、すごい!
この1曲でいろんな歌い方してる。
出だしで、体中にリズムが響いてきて、途中では沖縄の踊りを
踊りたくなるメロディ。海が見えてくる。
CMでも流れている最後のサビでは、キュンと泣かせてくれる。
アタリマエだけど、桑田さん歌上手すぎるよ!(興奮)
そんなサザンオールスターズの魅力がギューギューにつまった
1曲。そう思う。

そしてこの夏、野外のフェスで、夜風そよ吹く中、この歌をライブで
始めて聴いた。
もう、桑田さんがかっこよすぎ。この歌うたっているときの桑田さんは
とっても楽しそうだし幸せそうだし、歌も上手すぎて、とにかく、
ライブで聴くのに最高の曲だとあらためて思い、感激で涙が出てきた
ほどなのだ!(興奮)

またまたサザンオールスターズの曲で大好きな曲が加わった。

まったく衰えない桑田さんの音楽に対する情熱に、またまたやられっぱなし
だった今年の夏も、もう終わろうとしている。
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『ナラタージュ』 島本理生

『ナラタージュ』
島本理生
角川書店

恋愛小説だというが、著者は22歳。
なんとなく興味を惹かれて、読んでみた。

人を好きになる、愛する時の喜びとか、胸が張り裂けそう
な心の痛み、22歳の若い作者なのに、つっぱっているわけ
でもなく、なんとなくスレているわけでもなく、無気力な
わけでもなく、とっても繊細にきちんと描かれているよう
な気がして、とっても好感が持てた。
ギスギスしたところのない、素直な優しい文章だなあ、と
感じた。

そして、こんな若いのに・・・とびっくりした。
文章がとっても落ち着いているように思えたから。

私が22歳のころ、どんなだったろうか。
自分なりに、そんな苦しい恋愛もしたし、いろんな事を考え
ていたし、感じてもいたと思う。
だけど、そんな気持をこんな風に表現できたかな、あの頃。
あんな複雑な(と思っていた)気持、表現できたかなあ・・・
そう思うと、すごいなあ、と思った。

確かにそんな恋愛をして、人をそんな風に好きになって、
それを経て、今の自分が居るんだよな、と、忘れていた気持
が、すーっと思い出された。
忘れていたのではないかもしれないけど。

本の中の台詞に、

 きっと子供だったから愛とは違うとかじゃなくて、
 子供だったから、愛してるってことに気が付かな
 かったんだよ。

とあったが、今の私たちも、大人だからそんな気持を忘れて 
しまったとか、じゃなくて、大人だから、人を愛する気持や
心の痛みとかの感情を、何となくコントロールする術を習得
してしまっていて、気が付かないだけなのかもしれない、
きっと。

それから、一人の人を愛する、ということだけではなく、その
愛の対象が、年齢を重ねるごとに、増えていくような気がする。
愛するパートナーであったり、子供の居る人は子供であったり、
親であったり、家族であったり・・・

などと、久し振りに「愛する」ということについて、ぼんやり
考えたいな、と思わせてくれた本でした。


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Go for 2006!

W杯アジア最終予選。
イラン戦。

すでに出場は決まっているにもかかわらず、一位通過をかけて、
ということで、横浜国際競技場は60000人を越すサポーターで埋めつされていた。

結局2-1で日本がイランをくだし、アジア予選堂々一位で予選を終えた。

おめでとう!

と言う事でいよいよドイツW杯が来年に迫ったわけだが、
2002年には、4年後なんてまだまだ先で、
一体その頃私は何やってるのかなぁ、
などと考えていたっけ。

実際には、4年なんてあっと言う間で、そんなに大きな変化もなく、
2006年のドイツW杯を向かえることになりそうだ。
う~ん、時が経つのは本当に早いものである。

ドイツに行きたいなぁ。

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月島の夜は更けて行く

会社のイベントの打ち上げで、月島に行った。
月島、と言えば、もんじゃ焼きだ。
子供の頃から、よく叔母に連れられて月島には行っていたが、
行くのは古くからある「いろは」と言う、いつも決まった店で、
私は月島では、そこのもんじゃしか食べたことがなかった。

一度行きつけてしまうと、特に食べ物の店は、他の店へ行
ってみる、という冒険がなかなかできないものだ。
これをチャンスに他の店へ突入!
(というほど大げさな話でもないのだが)

月島では初めて別のお店に入った。
そこのもんじゃも、なかなかどうして、とてもおいしい。
たまには冒険もいいね。
暑い日だったが、あんまりクーラーの効いていない部屋で
あちあち言いいながら、ウチワを仰ぎつつ、もんじゃを
ちまちまちまちま頂く。

なかなか風情があっていいのだ。
外からは、何となくドブくさいような、川の匂いがしてみたり。
外の商店街では、近所のおじさんたちが、もんぺ姿?や
甚平姿などで、うろうろしていたり。

シメには、やっぱり「あんこ巻き」だ!
適当に作る私たちに、店のおじちゃんが見かねて、ものすごい
手際のよさで、あんこ巻きを焼いてくれた。
おいしい~。

仕事がらみの会ではあったが、こういう雰囲気は、心なしか、
身も心もリラックスして、なんとなく和気あいあい、のような
状態になるのだ。

おなか一杯になり、汗をかき、月島の夜は更けて行った・・・・
やっぱり夏はもんじゃ食べなきゃね。
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愛を植えましょこの島へ

  この国が平和だと 誰が決めたの?
  人の涙も渇かぬうちに

  蒼いお月さまが泣いております
  未だ終わらぬ過去があります

  愛を植えましょ この島へ
  傷の癒えない人々へ
  歌を忘れぬ人々へ

  愛を植えましょ この島へ
  いつか花咲くその日まで
  語り継がれてゆくために
   
    『平和の琉歌』サザンオールスターズ より


戦後60年。
この歌を聴いていると、本当に音楽で、平和な世界
が創れるような、そんな気さえする。

少し体調が悪くて、駅前の病院へ薬をもらいに行った。
帰りに、国分寺駅からバスに乗ろうとしたとき、
前のおばあさんが、足腰が弱く、荷物が重たくて、
バスに乗るのに四苦八苦していた。小さく細い、80歳
くらいのおばあちゃんだろうか。

手を貸して、バスに乗せてあげた。
おばあちゃんの荷物を椅子まで運ぶ。ものすごく重い。
きっと、おばあちゃんの体重より重い。
おばあちゃんは、何度もお礼を言った。
いいよ、おばあちゃん、そんなのあたりまえなんだから。

頭痛がするので、椅子に座って発車を待っていると、
さっきのおばあちゃんが、後方から、えっちらおっちら、
やってきた。
先ほどのお礼に、と、抹茶味のキャラメルを2つ、くれた。

もともと、おじいちゃん、おばあちゃんに弱い。
子供の頃、何かお手伝いすると、なぜかおばあちゃんが
キャラメルをくれたことを思い出した。

80歳くらい、というと、戦争が終わったとき、このおばあ
ちゃんは、まだ若い女の子だったろう。
きっと、戦争で苦労して、今まで長生きしているのだ。

こんな、戦争を知らない、大変な経験をしていない私なんか
の若いものと一緒の時代を生きる今、おばあちゃんにとっては、
生きやすい世の中だろうか?
こんな重い荷物を、こんな暑い日に一人で持って、曲がった腰
でバスにも簡単に乗れなくて、でも、お礼に孫のような私に、
キャラメルをくれる。

死んだおばあちゃんを思い出して、なぜか、キャラメルを食べた
ら、涙が出てきてしまった。はずかしてく、窓の外を見る。
抹茶の味が、甘くて、ほろにがかった。

ぼんやりと、サザンオールスターズの『平和の琉歌』が
頭の中に流れてきた。いい歌だなあ。

そして、戦争が終わってから、まだ60年しか経っていないのだ、
と、そのおばあちゃんの姿を見て、思った。

おばあちゃん、キャラメル、ありがとう。
  
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本を読む男

本を読む男の人が好きだ。

本を読んでいる人の姿を見るのが好きだ。
男女問わずのことなのだが、今回は男の人の話。

電車の中、喫茶店、カフェ、公園の芝生の上、駅のホーム。
とにかく、文庫本などをさらさら読んでいる男の人を見ると、
無条件に、「ん?いいじゃない?」と思う。
特に、いまどき!という風貌の若い男の子が本を読んでいる
姿はうれしい。
本屋で、読みたい本を物色している姿もまたいい。
その人が一体どんな人で、どんな本を読んでいるのかは
知らないが、とにかくそれだけで、まずは、「ん、いいじゃない?」
なのだ。

逆に。
電車の中でニヤニヤしまりのない顔で、または、真剣に、
漫画を読んでいる大人、サラリーマンを見ると、それがどんな
にかっこいい男の人であろうと、×だ。
漫画を読むことは、決して悪いとは思わないし、それは人の
好き好き、勝手なのだが、なぜか電車の中でその姿を見ると
げんなり~としてしまう。
特に、少年ジャンプ?だとか、なんとかサンデーだとか、
分厚い漫画本を電車の中で読んでいる人の顔は、なぜか決まって
かっこ悪い。間抜けに見えてしまう。

なぜかな。
とにかく、昔から本を読む習慣のある人が好きで、それが男の
人を見る目のポイントの一つになってしまっていたりする。

ちなみに、他のポイントは
・手が綺麗
・絵心がある
・字が上手
・歌が上手
・少しオタクっ気がある(何かにごだわりがある、の意)
・楽器がひける
・映画が好き
・変わった趣味を持っている
・手先が器用
・メカに強い

以上のどれかを持っていると、「ん、いいじゃない?」となって
しまうわけだ。

そうそう、あと、なぜか、電車の中で携帯をいじっている男の人
を見ると、それにもげんなり~としてしまう。

なぜかな。
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おかえりなさい

子供の頃、夏休み、お盆と言うと、この行事が楽しかった。
お盆のお迎え火、送り火だ。

なぜこんな事をするのか、何のための行事なのか、
よく判らなかったのだが、とにかく毎年楽しみで仕方なかった。


夏休みの楽しい日々の最中、家族がみんな集まって、
なんとなく非日常的な不思議な作業をすることにワクワクしたり、
それが子供心にも、静粛なことのように感じ、少し緊張したり、
火を使うからか、花火のをするような、ウキウキした気持になったり、
いろいろな要素が、子供たちの心をくすぐったのだろう。

大好きな祖父が、大切にしていた事だったから、かもしれない。

そんな懐かしくもほんのり切ないそんな気持。
それに浸るのもたまにはいいね。

またお盆の季節。

おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、
海ちゃん、トト、シェル、わか、カル、アッピー
みんな、おかえり。

今年もまた、ほんの数日だけど、帰ってきて、
みんなの側にいてね。

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『ダウン・バイ・ロー』

『ダウン・バイ・ロー』

大好きなジム・ジャームッシュの作品。このモノクロの映画が好きだ。
騙されて投獄されてしまった2人の男、殺人を犯して投獄された
おかしなイタリア人。そして3人の脱走。
自分たちの不運な運命に逆らうわけでもなく、流されるまま人生を行く。
モノクロのシーンがたんたんと流れていく。悲壮感などどこにもない。
肩の力を抜いて、ただただストーリーがゆっくりと進んでいく。
そして、その3人の姿が、しかも、おもしろおかしい。

ジョン・ルーリー、や、これまた大好きなトム・ウェイツの演技も相変わらず
かっこいいのだが、、今や「ライブ・イズ・ビューティフル」でアカデミー賞を
受賞して有名になったRベニーニの演技が最高だ。

ジョン・ルーリーの音楽も、まったく、この自分を含めた3人の主人公の
演技と、モノクロームの画面、ストーリーの流れる時間、すべてにマッチ
していて、これも相変わらず心地よい。

何より、大好きなトム・ウェイツの歌声は、とにかく身にしみる。染み入る!
いいよね、やっぱりトム・ウェイツは。

ラストのシーンでのジョン・ルーリーとトム・ウェイツが、二股の道をそれぞ
れ別の方向を選んで歩いていくというシーンなのだが、このシーンがまた
最高に印象的。心にずーっと残るシーンだ。

トム・ウェイツを聴きたくなったなあ。
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