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『墜落遺体』 飯塚訓

『墜落遺体』 
飯塚訓
講談社

1985年、8月12日520名もの死者を出した御巣鷹山の日航機123便墜落事故から、
もう20年。
事故当時、群馬県高崎警察署刑事官であり、遺体の身元確認班の責任者として、
遺体の確認作業にあたっていた飯塚訓氏による、事故の遺体確認作業の記録だ。
そこには、報道されなかった、たくさんの人たちの必死の姿が記されていた。

題名が衝撃的であったのと、あのような大事故の陰でどれだけの
人たちが、一体どんなことをしてきたのだろうか、という事に興味を
持ち、読み始めた。

遺体処理の現場で働く、警察官、看護婦、医師、自衛隊員、それを
ささえる地元の住民、悲しみに半狂乱になる遺族、その対応に苦しみ悲しむ
日航の社員たち。

生々しい遺体処理のくだりは、ショックだった。
遺体処理、身元確認作業が、これほどまでに大変で、しかし、しっかりと
行われているということ。それに携わった人々の姿に、衝撃を受けた。
あまりにも大きな事故であったため、この作業に携わった人たちの多くの
その後の人生観が変わることになったこと。それほどこの事故が衝撃的
であったこと。
報道では決して知ることのできなかった、たくさんの事実をつきつけられ、
いろいろな事を考えさせられた。

人の頭から違う人間の歯が出てくる。焼け焦げた木の葉かと思うと人の皮膚。
それを広げ、繋ぎ合わせる作業。
遺体確認で家族の目に触れる前に、手足や、頭のない遺体はに包帯を巻き、
何かを詰めて体を作り上げる。薄い死化粧をほどこし、家族と対面させる。
頭のない胴体だけの赤ん坊を泣きながらあやす看護婦たち。
つぎつぎと運び込まれる人間の体とは思えない、悲惨な遺体。
真夏の体育館での作業に、どんどん腐乱していく遺体。発生するウジとの戦い。
そして、時間との戦い。

どこにも持って行きようもない悲しみ、怒り、が渦巻く現場での
彼らのプロフェッショナルな姿に、何度も涙してしまう。

20年経った今、改めてこの事故で亡くなった方々のご冥福をお祈りする
とともに、この作業に携わった、報道もされない影の人々に、
敬意を表させていただきます。


追記:
『墜落現場 残された人たち 御巣鷹山、日航機123便の真実』
(講談社)
同じく飯塚訓さんの著書で、事故後15年の、遺族のその後、
犠牲者の弔いで個人的に御巣鷹山を整備し続ける日航社員の姿、
担当に日航社員と遺族との心のふれあい、未だ苦しむ残された人々、
立ち直り、必死に生きる人々の姿が、心ある取材のもと、
きちんと記されている。
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