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うおがし銘茶

『うおがし銘茶』

お茶は、築地の「うおがし銘茶」と決めている。
人に贈るのも、お茶であれば「うおがし銘茶」だ。
http://www.uogashi-meicha.co.jp/index.html
とても喜ばれる。

特に煎茶が好きで、家では欠かせない。
何とも言えない香りで、しみじみおいしい。
昔から、なぜか家ではうおがし銘茶の煎茶をみんなが好んでおり、
親戚一同、うおがし銘茶。
なくなっては、築地まで買いに行く。

伊勢丹の地下などでも売っているのだが、なぜか築地本店で買う
方がお安い。なので、築地をブラブラしがてら、買いに行く。

数年前から、銀座に、うおがし銘茶の店が出来て、そこでもお安く
購入できるので、それからは便利なので銀座で買うことが多くなって
きた。その銀座の店は、うおがし銘茶「茶・銀座」。
1階ではお茶の販売、2階では煎茶、3階では抹茶がいただける。
どちらもお菓子つき。
この銀座の「茶・銀座」。どのうおがし銘茶の店とも違い、とっても
おしゃれで、建物も美しい。さすが銀座ぁ~と言った感じ。
お茶のパッケージも、「茶・銀座」にしかないシャレたものがある。

個人的には、やはり築地本店の、お茶の店!という雰囲気も
好きだし、築地市場場外にある店などは、市場の中の老舗、という
風で、年末などはお茶をふるまったりしていて、なんとも市場市場
していて、そちらの雰囲気のほうが好きなのだけれど。

ともかく。
今日も明日も、うおがし銘茶なのだ。
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『解夏』 さだまさし

『解夏』
さだまさし
幻冬舎文庫

さだまさしの短編集だ。

どの作品も、とても綺麗だなあ、と感じた。
やはり、歌を作る人だけあって、小説も、言葉がとても美しい。
考えてみると、よくは知らないけれど、さだまさしの歌というのは、
小説のようだな、とも思う。

映画も観たけれど、本のほうがずっといい。

本のタイトルでもある「解夏」。
舞台の長崎の、静かで美しい景色が、その文章からはっきりと
イメージできた。

そして、この「解夏」と言う言葉の意味を始めて知った。
「げげ」。聞きなれているようで聞きなれない言葉。
その言葉の文字「解夏」と、聞こえる音「げげ」とずいぶん印象が違う
な、と感じたが、仏教の言葉だそうだ。

夏に庵に篭って修行をする禅宗の僧呂の、その行の終わりを「解夏」
と言うのだそうだ。小説では、主人公が徐々に視力を失い、視力を
失うまでは、痛みやいつ失明するのかわからない恐怖と戦い続けな
ければならない難病に冒される。
ある日、仏教の「解夏」の話を聞かされるのだが、皮肉にも彼にとって
の「解夏」とは、彼が視力を失う日なのである。

「解夏」。
個々に活動してきた僧侶たちが、一定期間、一箇所に集まって集団で
修行をすることを仏教の言葉で「安居(あんぎょ)」と言う。
「安居」というのは雨期で、雨期には、草木や小動物などが活動する
時期であるために、僧侶たちが外で修行をして、それらを踏み潰すなど
する無用な殺生を防ぐために、その時期には、外での修行はせず、
一箇所に集まり修行をするようになった。
その行の時期の始まりを「結夏(けつげ)」、終わりを「解夏(げげ)」と言う。

こういう仏教の言葉というのは、本当に美しいなぁ、と思う。
きちんと、言葉に意味があり、生きている。

今月は、法事だったり、神社仏閣を巡ったり、書道をしたり、などして、
なんとなく、心が信心深くなっているのだろうか。

解夏かぁ・・・・
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書道の心

たまにやってくるマイブーム、「書道」。

久しぶりにまたやってきた。
以前のマイブームの時に、高校時代以来、何年ぶりかで、書道セット
を揃えた。もう大人だし、ということで、たいした意味は無いのだが、市販され
ている「セット」ではなく、そこそこの道具を、1つ1つ、買い揃えた。

もちろん、書道の道具というのは、ピンからキリまであるわけで、目玉
が飛び出るような値段は手が出ないし、分不相応である。
なので、そこそこ、なのだ。初心者であるのだから、その身分に相当な
道具を、最低限揃えた。

そして、落款も作った。
落款用の石を購入し、こりこり名前を彫る。もちろん、彫るのは難しい
ので、自分の名前を一文字、しかもひらがなの、「み」。
これを彫るだけでも、相当な時間を要した。
もちろん白文(文字が白く抜ける彫り方)で。

書道は、小学生の頃、少し習った。私くらいの年代の人たちは、誰でも一度
は書道の教室に通ったことがあるのではないだろうか?そう、授業でも、
確かあった。書道の時間。
そう言えば、今って、書道教室ってあるのかな。

そしてまた、そうやって揃えられた書道セットは、押入れの奥底にしまわれて
しまい、今再び、脚光を浴びることに!(私の中でだけど)

昔の教えを必死に思い出しながら、心を静かにし、姿勢を正し、気持ちを引き締め、
墨を磨る。透明の水が、じわじわと墨色になって行き、やがて、真っ黒になる。
墨汁は使わない。
墨のいい匂いがする。

そして、何を書こうかと迷い、まずは「夢」「花」「希望」・・・などの定番を。
次に、目に付いた「味の素」「伊藤園」「山本屋」・・・・
うーん。くだらなさすぎる。

それにしても、書道はいいです。本当、心がどんどん静かになっていくし、
精神も落ち着いてくる。墨の匂いと、姿勢と、静かな集中のせいかな。

さて、今日は何と書こうか・・・・
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無償の愛

パグのボン太が家族になって、もう4年半になる。

ボン太は子供をもうけ、今ではその息子と親子で、我らの家族である。

この4年半の間、いろいろな事があったけれど、
どれだけボン太たちに助けられたか、わからない。

大切な人をなくしたり、人に幻滅したり、
気がめいるような事があって、落ち込んだり。
人間は自分勝手に、自分の気持を彼らにぶつけるのに、
彼らと来たら、どんな時でも、いつも全く同じように、
同じ大きさの愛を、私たちに注いでくれる。

何を求めるわけでもない。
たまには、大好物のちくわをおねだりするけれど、
その程度。

そのまっすぐな瞳を見ていると、
これは裏切れない!と思う。まっすぐな愛を感じる。
何も疑わず、信頼して寄り添ってくる。
その愛には、本当に救われる。

「無償の愛」・・・人間には、とても難しいことのようだ。
永遠のテーマ。

いつも、ありがとう!

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森村誠一 『人間の証明』

  母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
  ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
  谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。


森村誠一が好きだったという 西条八十のこの「帽子」という詩。
また作者が若い頃に旅をしたという「霧積」の情景。
作者がホテルマンとして過ごしたというホテルニューオータニ
の建物の、あの形。

作者をめぐる、いろいろな要素が、ひとつの作品となって出来
あがったらしいのだが、なるほど、今読み返してみると、よく出来ている
なあ、と感心。そしてとても切ない。こんなに切ない話だったかな。

子供の頃読んだときには、私の地元である四谷のホテルが舞台であった
ことで、まるで身近で起こった事件が本になった、という気がして、ドキドキ
したものだった。
実際に読んでみると、起こった事件の真実や、悲しい時代背景など、
とても複雑で難しい話だと感じたように思う。

今は、あの頃より、少しだけ、この本の悲しみがわかるようになってきた。

ただ、ニューオータニのビルが「麦わら帽子」に見える、などというところ
は、おもしろい発想だなぁ、と思っていた気持ちは今も同じで、
それ以来、今でもそうだが、ニューオータニを見るたびに、麦わら帽子!
と思ってしまう。ほんとに、おもしろい発想だ。

余談だけど、実は、森村誠一と私は、ちょっとだけ、血が繋がっている。
私の母の母(祖母)のいとこの子供・・・そんな感じで、遠い親戚になるの
である。私の母は子供の頃、よく遊んでいたそうだ。今でも「せいちゃん」
と呼んでいる。
私はもちろん面識はないし、森村誠一も、私のことは知るわけもないのだが、
ほんのちょっとでも血が繋がっているのであれば、私ももう少し文章が
上手になりたかったなあ。

ちょっと血が薄すぎるのだろうか。
どうしたんでせうね?
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『東京物語』

『東京物語』

言わずもがな、小津安二郎の代表作だ。
モノクロの画面の中で、物語は、小説のように淡々と進んでいく。
尾道から東京の子供達を訪ねてくる老夫婦。(笠智衆 東山千栄子が
素晴らしいです)
しかし、子供達は東京でのそれぞれの生活があり、その老夫婦を相手
にすることができない。唯一、戦死した次男の未亡人(原節子!美しい!)
だけが、老夫婦の東京見物に付き合う。

それでも、子供達の元気な姿を見て安心して尾道に帰る老夫婦。
しかし、妻は帰宅後体調を崩し、死んでしまう。
葬儀のために尾道に戻ってくる子供達、そして葬儀のあと、それぞれ
東京に戻っていく。

そんな淡々とした話で、戦後がもたらした「家庭崩壊」(と言っても、
現代のような崩壊の恐ろしさとは少し違うと思うのだけど)の問題や、
人の孤独とか死などが、じわじわと胸に迫ってくる。

東京をはとバスで回ったり、上野の町を歩いたり、とにかく東京の町
も、モノクロ画面の中でとても印象的だ。

老夫婦が東京に出てくるときの
「汽車で一晩で、近いねえ」というセリフ、帰りの東京駅での、
「東京は遠いところだ。もう来れるかどうかわからない」のセリフが、
なぜかいつまでも耳から離れない。

東京深川に生まれ、60歳の誕生日になくなり、鎌倉に眠る小津安二郎。
今なお、日本の、世界の監督たちに大きな影響を与え続けているという。

それにしても、話も台詞も情景も役者たちも、何もかもが美しい。
そして、小津安二郎の独特のショットやアングルの美しさ。
静かで美しい風景の中から、何かを静かに主張しているように思う。

そして小津安二郎の作品は、いつも天気が「晴れ」なのだそうだ。

 「いくら画面に悲しい気持ちの登場人物が現れていても、そのとき空は青空で、
陽が燦々と照り輝いていることもあるだろう。これと同じで、私の映画でも何が
起ころうと、いつもいい天気であってほしいのだ。」 
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『孤宿の人』 宮部みゆき

孤宿の人(上下)
【新人物往来社】
宮部みゆき


いやー、これは!

久しぶりに、本を読み終わって、涙を流してしまいました。
本を閉じたあと、最後の最後の情景が頭から離れず、ずーっとその景色が残り、
少し心が揺さぶられ、しばらく本を手放せませんでした。

讃岐国丸海藩。この小さな藩に、自ら、妻子と部下を斬り殺したという江戸幕府の罪人
の加賀殿が流されてきます。その所業をなぞるように、丸海藩では、不思議な恐ろしい事件
がたて続けに起き、人が死んでいきます。すべてはその加賀殿の祟りなのか。その背後に
ある人間の醜い心と藩の陰謀。それに翻弄される人々。
人々の中に持っている恐怖心や邪心が、恐ろしい噂や迷信などによって表面化し、大きく
膨れ上がっていく。人間の弱さです。

数奇な運命から、加賀殿の幽閉されている屋敷に、下女として奉公することになった10歳
の少女”ほう”。ほうの名は、阿呆の”ほう”。そんな風に言われ生きてきて、やはり丸海藩
に流れついたほうと加賀殿のやがて芽生える不思議な心の交流。加賀殿の言葉と、
ほうの心が、ほうの心の強さが、強く強く胸を打ちます。

そして、”ほう”をとりまく人々。それぞれの思いが、悲しいく切ないけれど、とても美しく
描かれていて、本当に、宮部みゆきという人は、時代モノが上手だなあ・・・と改めて思いました。
情景がとても美しい。しかし、人情だけに流されることなく、しっかりと堂々と話は進んでいきます。

話は、とても悲しいのです。死んで欲しくない人が、たくさん死んでしまう。やるせない。
だけど、悲しいだけでは終わらせないのが、この人のこの作品の最大の魅力だと思います。
この本では、悲しい場面では悲しい涙が出てきてしまいますが、
読み終わって最後に流れる涙は、悲しい涙ではありませんでした。

宮部みゆきは「模倣犯」のような、現代の心の闇が引き起こす事件を扱ったミステリーも描けば、
ファンダジーも描いたりします。そして、私は何より、この人の時代モノが好きです。
”時代”のせいもあるのだと思いますが、起る事件は、今の時代のような心が寒くなるものでは
なく、何かわかりやすい”事情”があるのです。
そして登場人物も、みな、どこか心優しい。だから、あまり心凍るようなミステリーが読みたくない、
でも、ミステリーが読みたい、というようなときには、この人の時代モノに限るのです。

何より、本当に知識が豊富で、振り子の幅の広い人だのだなあ・・・・と関心。
やっぱり、すごいですね、宮部みゆきは。
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『本籍』ってどんな意味があるんだろう?

「本籍」ってどんな意味があるんだろうか?

現住所とは、文字通り、現在住んでいる所だ。なので、住民票の
役割は、わかる。では、「本籍」って、何の意味が?
だって、本籍地って、番地があるところであれば、どこにでも何度
でも移すことができるのだ。生まれた場所でも、育った場所でも、
住んでいる所でもない。

実際に、皇居である、千代田区千代田一番地、を本籍地に置いて
いる人がものすごく多い。というか、日本で一番多いのだ。
東京ディズニーランドや国会議事堂、東京タワーの所在地を本籍地
としている人もたくさん居るらしい。

うーむ。

少しだけ調べてみた。

日本は「戸籍」というものにより、各個人の"存在”を承認する、という
制度がある。
人の出生から死亡に至るまでの、親族的身分関係を、登録・
公証するもので、日本国籍をも公証する唯一の制度、だそうだ。
自らの出自を文書によって証明する、ということは、遺産相続や重婚の
阻止、などに十分効力を発揮するのだそうだ。なるほど。それはそうだ。

その「戸籍」を管理するのが「本籍地」だ。
今は、それ以上の意味はないそうである。
ただし、例えば先ほどの皇居の所在地、千代田区千代田一番地 はたくさん
の人が本籍地としているわけだし、自由に設定できるのだから、同じ番地が
本籍地だという人が数多く出てくる。そうなってくると、本籍地、だけで戸籍を
取るというのはかなり困難である。(役所の人が大変!)
逆に、それだけで請求できてしまっては、他の人でも簡単に請求ができて
しまうということだ。

そこで必要なのが、その筆頭者の名前だ。その、本籍地+筆頭者 が
そろって、初めて、戸籍謄本戸籍抄本が請求できる、というわけだ。
いわゆるパスワードの働きがある。

明治の初期に作られた戸籍制度。
かつては、本籍地を定めるのに一定の制約があったそうだ。しかし、いろいろ
な家族のあり方があり、そんな時代の流れとともにその制約も自由となった。
今では、戸籍謄本などを取りにいくのに便利、などという利便さだけで、
本籍地を簡単に変える人も多いそうである。

なので、本籍地をやみくもに、皇居とかディズニーランドの所在地にして
しまい、戸籍謄本1通とるにも遠くて不便で、苦い目にあっている人たち
もたくさん居る、ということだ。

うーむ。

ちなみに、今の「履歴書」には、以前あった「本籍地」という欄が廃止に
なっているそうです。

戸籍と言えば.....先日、わけあって、曾曾祖父母(というのだろうか!)
祖父のそのまた祖父母の戸籍を目にする機会があった。
おじいちゃんのおじいちゃんだ。

いろいろおもしろいことが判ったのだが、そのお話は、また今度・・・・
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『風の博物誌』 ライアル・ワトソン

『風の博物誌』 ライアル・ワトソン
河出書房新社

風は時に、人間の生活にとても大きな損害もたらす。台風やハリケーン。
風の力は、恐ろしい。しかし、また、風がなければ、人間の命は、いや
地球自体の生命力は保たれない。風が人間の身体や精神や命や、思想や
文化にまで、大きな影響を与えているのだ、ということを、この本を通して、
知った。

『風の博物誌』。 アフリカ生まれの生命科学者、ライアル・ワトソン氏の本。
また、原題がいい。「HEVEN'S BREAH」(神の息吹)。
そして、目に見えないものの”博物誌”。

もともと、科学なんかには、めっぽう弱い私。自然のしくみにも弱い。
本当は一番大切なことかもしれないのに。
そんな私が、難しい!と思いながらも、せっせと読みふけった本だ。
大好きな椎名誠さんが、素晴らしい本だ、と絶賛していたので、挑戦して
みたのだ。
何度も言うが、もともと科学に弱い私なので、読み終わるまでにかなりの
時間を要してしまったのだが・・・。

この本を読んでから、風が吹くと、それがとても神秘的なことのように思え、
まるで風が見えるような錯覚を起こしてしまうことが、ある。
その風が優しい風であれば、ボブディランの「風に吹かれて」のような気持ち
になり、心地よい気分になる。風が何かを運んできてくれるような。
しかし、米南部を襲った超大型ハリケーン「カトリーナ」の被害などには、言葉をなくしてしまう。
自然の力の巨大さ、恐ろしさに、その前には人間は無力だ、ということを
思い知らされる。

地球に、宇宙に生きている、ということは、こういうことなのだ。
人間は小さい。

何年か前に、「風の博物誌」がドキュメンタリーとしてテレビで放映された。
数々の賞を受賞した番組だ。
ライアルワトソン氏自身のナレーションだったのだが、日本では、椎名誠さん
がナレーションをつとめていた。
必死に読んだ「風の博物誌」を、映像として見たわけだが、やはり映像と
いうものはすごい。素晴らしい番組だった。

賞を受賞した制作者の受賞の言葉。
 人間のわがままな営みは、必ず風の動きに異変をもたらします。これは生命に
 関わる問題を惹起します。“人間が自然の仕組みを一番知らない”
 地球上の仲間から、そう言われないように、生活の中で風を感じてほしい。
 “生命体としての地球を守るということは、風の流れを変えないことだ”
 われわれ制作者の願いの正しさを、今回の受賞によって保証されたことを嬉しく
 思います。

こんな本を、何もさえぎるもののない、自然の中で風に吹かれながら読んだら、
素敵だろうなあ。
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『キラーストリート』 サザンオールスターズ

青山通りを南北に縦断する、外苑西通り。通称「キラーストリート」。
どちらかと言うと、「キラー通り」の方がなじみ深いかな。

10月発売の、サザンオールスターズの2枚組ニューアルバムには
「キラーストリート」のタイトルがついた!
ビートルズの「アビィロード」を文字っているところが、にくい!
サザンオールスターズがデビュー以来、レコーディングの多くの時間を
このキラー通りに面する「ビクタースタジオ」で費やしている。

デザイナーのコシノジュンコが70年代に名づけた、と言われる「キラーストリート」
は、青山墓地があるから、とか、当時カミナリ族がよく事故を起こしていたから、
とか、いろいろな説があるのだが、いずれにしても、なかなかステキなネーミング
だと思う。

このキラー通り(外苑西通り)、青山通りから南側は、青山墓地があったり、西麻
布のオシャレな店が立ち並んでいたり、と、どちらかと言うと、北側よりも、こちら
側の方が「キラー通り」なのだ、という説があるそうだが、
私にしたら、北側の千駄ヶ谷、霞町、まさにビクタースタジオのあるあたりが「キラ
ー通り」というイメージがある。それは、そちらの方が私の地元だから、だろうか。
当時、というのは、かれこれ2,30年前!(ひえー)私にとっての「キラー通り」
は、神宮外苑の公園があり、絵画館があり、神宮のプールがあり、東京体育館や
神宮球場、テニスの打ちっぱなしの壁......地元の四谷からは自転車でひとっぱ
しりで来れる絶好の遊び場だった。

日曜日になるとお弁当を持って、通り道の「ナポリアイス」のアイスクリームを
食べながら、神宮へ、と自転車を飛ばして遊びに来た。
あの辺は、都会にありながら緑が多い。子供心に、そのギャップみたいなもの
が楽しかったのだろう、と思う。
お気に入りの場所だった。

そんな場所のひとつ「キラー通り」。
江ノ島や茅ヶ崎、烏帽子岩、横浜、鎌倉のように、またサザンオールスターズに
とってのゆかりの場所、名所となるのだろうか。

初回限定版は、桑田さん本人によるライナーノーツ付だそうで、とても楽しみな
のだけど、アルバムの中に、「キラーストリート」という曲があるそうだ。何でもインス
トロメンタルだそうで、それもまた、とても楽しみ。
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和匠 高円 『風うらら』黒糖どらやき

吉祥寺駅からほど近い御殿山。和菓子の高円。

小さな店だが、ここのどらやきが、ほどよく美味しい。

黒糖どらやき、その名も『風うらら』。
この店の看板商品だ。

どらやきの皮がふんわりしっとり、黒糖味。
中のあんが、また甘すぎず、だけど美味甘い。
黒糖の皮と絶妙な組み合わせだ。

急に食べたくなって、買いに行きました。

う~ん、やっぱり美味しいね。美味しい。

お値段もお手頃105円、税込み!

食べてニコニコ、ドラエもん気分。

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味噌づくり

味噌づくりと、梅干づくりは、毎年の恒例になっている。
今年からは、らっきょも漬けている。

どれも、手間ひまかかるのだが、作る作業も楽しいし、
出来上がっていく過程を見ているのも、楽しい。
また、出来上がってみると、愛着が湧いていて、おいしく
感じるし、達成感があるし、なにしろいい気分だ。

特に味噌づくりは、手間がかかる。
手間がかかる、と言っても、今はブレンダーや圧力鍋がある
から、昔の人に比べたら、本当に楽になっていると思う。

毎年2月か3月くらい。
大豆をコトコト茹でて(今は圧力鍋で時間短縮!)、暖かい
うちにすり鉢で潰す(今はブレンダーで時間短縮!)。
この作業が大変だ。何しろ1キロもの大豆だ。茹でるのも
いっぺんにはいかず、潰す作業も一苦労。
ブレンダーでこれだけ大変なのだから、すり鉢でやるという
のは、一苦労どころか百苦労くらいだろう。

そして、米麹(こめこうじ)。大豆を煮ている間に、麹の”塩きり”
という作業をする。簡単に言うと、麹と塩をまんべんなくまぜあわ
せるのだ。そして、新聞紙などの上で乾燥させておく。

大豆がつぶれたら、塩きりした麹ときっちりと混ぜ、そして、
保存容器に、空気が入らないように、これまたきっちりと入れる。
この”空気が入らないように”保存するために、いろいろな技が
ある。麹とまざった潰れてクリーミーになった大豆を、おにぎり
二個分くらいの大きさに丸める。そして、それを保存容器に、たたき
つけるように次々に投げ込む。その勢いで空気の入る隙間がなくなる
くらいに、大豆たちがくっつくのだ。

そのようにして保存容器に収めたら、重石をのせて寝かす。常温保存
で、発酵させるのだ。
たまに、かき回しながら、数ヶ月。
11月くらになれば、食べごろか。十分寝かしつけたら、冷蔵庫へ。
冷蔵庫に入れてしまえば、もう発酵しない。
手作り味噌の出来上がりだ。

はじめは、白っぽい大豆の色をしているのだが、だんだん月日が経つ
と、味噌化してくる。茶色くなってくるのだ。
その様が、見守っていて、楽しい。

うちの今年のお味噌も、あと二ヶ月もすると、食べごろかな?



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バスでGO! ???

「電車でGO!」が出たとき、あまりゲームをしない私だけど、
本当に運転しているような感覚になることが楽しくて、ちょっと
だけ、「ハマった」。こういうシュミレーションゲームが、楽しい。

それから、こんなゲームないかな、と考えた。
東京都内の(自分のよく知っている道)を、ただただ”ドライブ”
する、というゲーム。その名も「東京ドライブ」。
好きなところに行けるのだ。
交通規則を破ったりすると、減点。
・・・・
しかし、これではゲームにならない、つまらない、と、話す人、
話す人に敢え無く却下される。

あれから数年・・・・
この間、ぷらりと立ち寄った(滅多に行かないのだ)ゲームセン
ターで、見つけた!
とっくの昔にあったのかもしれないけど、ゲームに疎い私は、その
時始めて目にしたわけだ。
えっと、何という名前のゲームかは忘れたけど、都バスの運転手
になるれるのだ!シュミレーションゲームだ。
しかも、そのゲーム機のコースとなっているのは、私の地元を
走っていた路線ではないか!
なるほど、バスであれば、ただのドライブではないのだから、
電車でGO!のように、バス停ごとに停車して、ドアを閉めたり、
アナウンスをしたり、交通規則を守ったり、制限時間を守ったり
しながら、点数が増えたり減ったりする、ということで、きちんと
ゲームとして成り立つ、というわけだ。

そして、私の望んでいた、都内の道を、バスで、とはいえ、運転で
きるのだ!写真を見てください、本当の景色みたいでしょ?
(ゲームセンターに行きなれている人にしたら、アタリマエと
思うのでしょうけど。)

100円!喜び勇んでやったのだが、もちろん、そんなに簡単なわけ
ではない(私にとって)。目的の四谷三丁目付近まで、どうしても
行けず、2回やったのだけど、無理だった。うーん、情けない。
でも、大きなハンドルをくるくる回し、本当にバスを運転しているかの
ような(運転したことはないけれど)気分になり、知った道をゲームの
中で走る、というのは、なぜか楽しいものでした。

調べてみると、PS2で「東京バス案内(ガイド)」という名前で、ソフト
が出ていた!\(^o^)/
家でやると、大きなハンドルがないので、それっぽくは出来ないだろう
けどね。

しかし、ゲームソフトが欲しい、と思ったのは、「パラッパラッパー」
以来だ。 おかしい。
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やる気のない本屋

代々木には、本屋がない。予備校の街であったりするのに、
どうしてだろうか?あったとしても、ちょろりとある程度だ。

ちょっと歩くと新宿があるからかな?大きな紀伊国屋とか
があるからかな。

それにしても、もう少し町の本屋があってもいいと思うのだけど。
職場が代々木なので、気軽に寄れる本屋が欲しい。

そして、そのちょろりとある本屋。代々木の駅前の本屋なのだ
けど、いつも「やる気のない本屋だなああ」と思っていた。
とても小さな街の本屋だ。しかし、小さいのは、問題ではない。

まず店員さん。恐らく家族でやっているのだろうが、若旦那みた
いな人と、その奥さんみたいな人と、あと、何人か人が居る
ようで、交代で1人か2人は必ずレジ付近に居る。
そして、どの人も、みな、無愛想だ。
無愛想なのは、まあ、それも問題ではない。なにしろ、面倒
くさそうに、仕事をしているのだ。
”本が好き”という感じが全然匂ってこないのだ。

置いてある本も、雑誌、地図、マンガ、文庫本、単行本、とある
のだが、充実しているのは雑誌類で、それも本日発売!のよ
うな雑誌。文庫本、単行本にいたっては、何も魅力もないのだ。
今売れているベストセラー!というようなものがチラリと置いて
あったり、その横には、ちょっと前に話題になっていたものが
置いてあったり、何か「適当」に置いてある、といった印象を
受けるのだ。

やる気がある!というような本屋に行くと、店の規模の大小に
かかわらず、その店の人の好みやセンスというものが、少なからず
出ていて、ポップなどで本の紹介をしていたり、とにかく本棚を
見ているだけで楽しかったりするし、思わず買いたくなる。

しかし、その代々木駅前の本屋は、いただけない。
いつも、そう思いながらも、仕方なく昼休みなどに覗いていた。

そして、この間、ついに私は見た!
その若旦那らしい男の人が(おじさん)、本日発売!みたいな
雑誌を何冊かまとめて持ち、運んでいた。
そして、おもむろに、床に、ドンとそれを置いた。置いた、という
か、落とした、というか放り投げた。
すごい音がしてみてみると、落とした雑誌は、もちろんバラけ
て床に散らばったのだが、その若旦那(おじさん)が、なんと、
そのバラけた雑誌を、「足で」、重ねなおしていたのだ!
「足で」だよ、足!

自分の店の商品を、しかも店の中で、しかもあの日は雨の日。
そんな靴で!
思わず私は本屋で立ち尽くし、若旦那(おじさん)の姿をまじまじ
と見つめてしまった。
そんな私の視線に気づきもせず、おそらくいつもそうやっている
のでしょうね、若旦那(おじさん)は、嫌々、また仕事を続けた。

どうなの、これ。

やっぱり、やる気のない本屋なのだな、と確信したし、この本屋
では二度と本を買わない、と心に誓ったのでありました。

おしまい。
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『女性専用車両』に乗ってみた

今日からJR中央線が「女性専用車両」を導入した。
朝の通勤ラッシュ時のみだが、先頭車両1両を、「女性専用」
としてあるのだ。

どんなのなのか!今朝、試しに乗ってみた。

国分寺のホームの先頭部分に、「女性専用車両」とピンクに
花柄、のようなかわいらしい看板がかかっており、
女性が数人、電車を待って並んでいる。

もっと女性ばかりたくさん並んでいるのかな、と思っていたのだが、
同じ時間のほかの車両よりも、少し人が少ないようだ。
並んでみる。

そして、隣の駅から電車が入ってきた。
アタリマエだが、女性ばかりが乗った車両が目の前に止まった。
やはり、他の車両よりも人が少ないようだ。
初日だからかな、雨だから?それとも先頭車両はいつもこんな
ものなのかな。

空いているからいいかも、と思い、乗り込んだ。
これもまたアタリマエだが、車内は女性だらけ。OLや、大学生が多い
ようで、ちょろちょろとおばさまたちの姿もある。
そして、女子高生も乗っている。

女性ばかりだから、"華やか~!”という風でもなく、ただ、女性だらけ、
というオーラのようなものが、見えなくもない、感じ。
うーん。表現が難しい。
やはり一種異様なものを感じる。なんと言うかな、中和されていない、
バランスの悪い、そんな空気。

しかし、思ったより、普通だった。女性だけだから、といって、
お花畑のような雰囲気でも、女子校のような恐ろしげな雰囲気でもない。
普通に、ガンガン人に当たっても平気な顔をしているおばさんも
居れば、座ってお化粧直ししているOLも居れば、大きな声で
キャーキャー話をしている女子高生も居る。

ここに、かわいそうなおじさんなどが、間違えて乗ってきてしまわない
のだろうか、と心配しつつ各停車駅で観察していると、各駅に
きちんと「女性専用車両」というプラカードを持った駅員さんと、
もう一人監視?の駅員さんがホーム先頭に立ち、おじさんたちが、
間違って餌食にならないようにしっかりと監視しているのだった。
あれは、女性専用車両に乗る人のために、「ここから先男子禁制」
という関所を作っている、というよりも、ここから先は怖いよ、と
おじさんたちに優しく注意している雰囲気、のような気がした。(^◇^;)

いずれにしても、おじさんが間違って入らないようになっていて、一安心。
そういえば、国分寺の駅にも監視?の人が居たっけ。

さて。女性専用車両は良かったかどうか。
なんとなく、それに乗っていることや、その車両に乗るべく並んでいる
自分が少し恥ずかしいような気持ちになってしまうのが不思議だけど、
朝のラッシュ時に、気持ち悪い(ごめんなさい)おじさんたちとくっつか
なくてはいけない、という状況よりは、いいのかな。

明日も乗ってみよう。

ところで、痴漢に間違えられたくない男の人たちが、安心して乗って
いられるように「男性専用車両」というものができたら、みんな乗るかな。
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