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我が家のハンカチ王子

どう?

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『茶がゆ』はおいし

わが家では、私がもの心のついたときから食卓に出てくる
『茶がゆ』

私の大好物です。これは父が幼少時代をすごした和歌山県
の郷土料理とも、奈良県とも、山口県とも言われていて、
本当はどこから来た料理なのかは不明ですが、父の大好物
であるので、和歌山なのかもしれません。

ほうじ茶で炊く茶がゆ。
熱々を食べても、また夏は冷やして食べても、とにかく、
おいしいです。食欲がないときにも、胃の調子が悪いとき
にも、茶がゆなら、すーっと入っていきます。

茶がゆと梅干、ひものなどでいただくと、おなかが空いて
いるときなどは、何杯でも食べれてしまいます。
熱い茶がゆを冷や飯にかける(つけ飯)という食べ方も。

たまに、むしょぉ~に食べたくなります。
また、炊いているときの匂いも、ほのかに香ばしいほうじ
茶の匂いと、茶がゆ特有の匂いがたまりません。

茶がゆは、わが家ではなくてはならない一品です。

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祝!早稲田実業優勝

国分寺の駅に戻ってきたら、駅構内で号外が配られていた。
「優勝 早稲田実業」

そうだった。早実は、5年ほど前に新宿の早稲田から国分寺
へ移ってきたのだった。

国分寺駅ではみな号外を手にし、にわかにお祝いムードだ。
こういう雰囲気は、なんとなく地元が一体になっているようで、
なかなかいい雰囲気ではある。
国分寺暦が浅い私だけれど、なんとなく「地元」ということで
特別な思いもあったりして。

私は新宿の四谷で生まれ育ったので、なんとはなしにいつも
早実は身近な存在だった。それに、私の叔父はもう何十年も
前になるが、早実のピッチャーとして甲子園にも出場している。
ということもあり、わたしの家族は、みな何かと言うと早実
びいき。今回ももちろん、初めから早実の応援だ。

私も子供の頃から高校野球と言えば早実をいつも応援していたし、
荒木大輔のときなどは、早実のグランドに練習を見に行ったり、
結構、熱狂的に応援していた。(高校生のときね)
だから、というわけでもないが、早実の校歌は歌えるし、早稲田
の応援歌「紺碧の空」は、なんと2番まで歌える。
そんな自分にびっくりするのだけれど。(~_~)

とにかく。早実が地元から国分寺に移ってしまったことは、寂しい
ことだと思ったのだけれど、今私は国分寺に住んでいる。
(早実が私を追いかけてきたのか?)
なので、また早実は私の身近な存在になっている。というわけだ。

そんな早実が初優勝!今回の高校野球は、どの試合もみなおもし
ろい試合だったし、見ごたえがあった。
特に、決勝戦はすばらしい試合だったと思う。おめでとう!

しかし、なぜ早実の斉藤投手は、いつもあんなに涼しい顔をして
いるのだろうか?私などは運動すると、すぐに顔が赤くなり、
顔にいっぱい汗をかき、はあはあと口を半開き。
見られたものじゃない、というような顔になるのだけれど、彼は
いつもきれいな顔をして、品よくハンカチで汗をぬぐう。
うーん。若いってすばらしいね。

それと、号外を見て、ちょっと笑った。早実の卒業生、というこ
とで、王貞治、荒木大輔、、、などの名前が連なっている。
ほかにもテリー伊藤などの名前もあったのだが、そこに小室哲哉
の名前が!へー、そうなんだ。小室哲哉って早実なんだー。
ふふ。

とにもかくにも、早稲田実業のみなさん、優勝おめでとう!
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音楽寅さんスペシャルライブ

今日、夜中にオンエアされた、桑田佳祐音楽寅さん
の中のスペシャルライブの収録に、先日行ってきました。

ライブに参加できたのは、応援団(サザンのファンクラブ)
で抽選で当選した300名。
運よく当選したので、会社を早退して収録へ。へへへ。

テレビの収録はいつも、ものすごい待たされるし、大変な
のだけれど、やっぱり狭い場所でのライブに参加できること
の魅力には変えられない!
やはり、暑い中ものすごく待たされたけれど、いざライブ
が始まると、そんな事はすっかり忘れてしまった。

あああ。大好きな桑田さんが目の前に!目の前で歌を歌って
いる!あれは夢だったのだろうか?
いつもそうなのだけど、とにかく生で歌を聴くことができる
ということだけで嬉しくなってしまって、詳細は覚えていな
いのだ!

なので、テレビのオンエアでそのときの状態を確認した。
夢ではなかった!あの時と同じように桑田さんは歌っていた
し、なんとバカ面した私まで、ちらりと映っていた。
(これは本当に余計だわー。はずかしい)

とはいえ、最近はドーム級のライブしか行っていなかったの
で、ライブハウス級?の魅力を再確認。
ほんの5曲(アンコール1曲あり)の短い時間ではあったけれ
ど、夢のような、まさに夢心地の時間だった。

桑田さん、相変わらず「手」がきれい。
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類はパグを呼ぶ?

セッティングしたわけでもないのに、我が家のフォーン(茶色)
のパグのアリは、自分と同じ種類(フォーン)のオモチャが
集まっている場所に、自ら仲間入り。

ほほえましいショット。
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犬の耳かき

やっぱり犬も、耳かきって気持ちいいのかな?
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『花はどこへ行った』

『花はどこへ行った』
Where have all the flowers gone

ベトナム戦争当時、平和への祈りを込めて歌われた
「Where have all flowers gone」
邦題「花はどこへ行った」・

1955年、アメリカのフォークシンガー、ピート・シーガーによって作られた
この曲、ピーター・ポール&マリーや、女優のマレーネ・デートリッヒらに
よって歌われ、その後も静かなる反戦歌として、世界中で愛されている。

マレーネ・デートリッヒのこの歌も、映像を見ると、もちろん胸に迫るもの
があるのだが、私の中ではフィギュア・スケートのカタリーナ・ビットが氷
の上で舞ったときのこの歌が、いつまでも忘れられない。

1984年のサラエボ五輪、1988年カルガリー五輪で金メダルを獲ったカタリーナ・
ビット。優雅で美しく力強い彼女のスケートだけれど、確かカルガリーでのカルメンは、
とりわけ本当~に美しかった記憶がある。

そして、1994年。当時、内戦の戦火に曝されていたサラエボの現状に対して黙祷を
ささげることから始まったリレハンメル五輪。サラエボはその10年前に、ビットが
金メダルを獲った国だ。
すでにプロに転向し、もちろん第一線での戦いは無理、金メダルもウクライナの選
手に決まっていた。彼女はメダルのためではなく、サラエボの平和のために
リレハンメルの銀盤に立ったのだった。
フリーの最後の選手として氷の舞台へ立った彼女の選んだ曲は
「Where have all the flowers gone」。

大きな技があったわけでも、すばらしいジャンプがあったわけでもなかった。
ただただ、あの美しい、悲しい音楽に乗せて、彼女は指先からつま先まで平和の祈
りを込めて演技をした。

真っ赤なコスチュームを着て美しく悲しく舞う彼女の姿と、あのメロディ。
胸がいっぱいになった。会場もシーンとしていたと記憶している。 
結果は7位。
観客席からのブーイング。やがてその声はビットをたたえる拍手に変わり、声援に変わった。

彼女の平和への祈りは、間違いなく世界中に届いたことだろう。と信じたい。

終戦記念日に、平和への祈りを込めて。
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やっぱり生歌は・・・

今日は、スタジオライブに行きました。
(この詳細の報告は後日また!)

本当に狭い場所でのライブ。
なんだか夢のようなひと時でした・・・・
あれ?本当に夢だったのかなあ?

しかしやっぱり、大きな会場のドッカーンとした
コンサートもいいけれど、狭い狭い場所のこじん
まりとしたライブというのは、最高ですね。

音楽っていうのは、本当すばらしいねえ!

このライブは、8/20の深夜オンエア。
桑田佳祐の音楽寅さん2006。
放送後、また報告させてください!

お楽しみに!?
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宝物

桑田佳祐のオールナイトニッポン!
♪ チャラッチャ ちゃっちゃちゃら チャッチャラ!♪
(ビタースイートサンバ)

22年前のこと。私が19歳(あ!歳がバレる)の夏の終わり。
私にとって、人生の?と言っても過言ではない、一大事が
起きる。今となれば、夢のような出来事であった。

あることから、なんと当時桑田さんがパーソナリティを
務めていたオールナイトニッポンの中で行われたスタジオ
ライブ(生放送)に行くことができた。
当時から、桑田さん桑田さん!とことあるごとにいろんな
人に話しをしていたのだけれど、その話をききつけた知人が
そのまた知人にお願いして、そのスタジオに特別に入れて
くれたのだった。(もう時効だからいいよね?)

ところは当時の日比谷、ニッポン放送「銀河スタジオ」。
狭い狭いスタジオに、桑田さんが!サザンのメンバーが!
私が入った時にはリハーサル中で、それを見ただけで、私の
のどはカラカラに。
さあ、どうぞお座りください、とついた席は一番前の桑田さん
のまん前。・・・・ああ。話をすれば長くなるので
またいずれお話したいと思うのだけど、とにかく、そのライブ
で、私はなんと!なんと!桑田さんとちょっとだけ一緒に歌を
歌ったのであった!本当だよ!
一番前の席で桑田さんの歌を聞いていた私に、歌を歌いながら、
桑田さんがやってきて、ひとつのマイクでほんのちょっとだけ
だけど、一緒に歌ったのだ。ほんとほんと。
歌は「夕方ホールドオンミー」という曲。本当に短い時間だった
けれど、私のその上ずった声がマイクを通し、ラジオから流れ
たのだった。「♪ふたりだけの~言葉でアイガッタホードンユ~♪」

本当に話をはしょるのだけれど、とにかく、その時私がどんなに
嬉しかったか、どんなに興奮したか、どれだけ言葉にしてもし
足りないのである。機会があったら、いずれ書きたいと思うけれど、
相当に長い話になるだろうなあ・・・

だけど、今でもあの時のあの2時間あまりのことは、つい昨日の
ように覚えているし、あのドキドキも忘れてはいない。

後日、たまたまそれを録画していた友達にダビングをしてもらい、
そのテープは今でももちろん、私の宝物。
今となってしまえば、もう二度とあるわけのない大事件。
録音状態は悪いけれど、このカセットテープこそ、その時からの
私の宝物なのである。

22年経った今でも、時々思い出して、ニヤニヤしているのである。
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親ということ

パグネタが続きますが・・・・

我が家の黒パグには、6匹の子供がいる。
6匹の息子、娘たちの父親である。

もう子供たちはそれぞれ違う人たちのお家で飼われ、
別々の暮らしをしている。
我が家に残った1匹の息子パグと同様、みな大きく
立派に育っているようだ。

写真はまだ子供たちが小さかった頃。

今でも時々、息子や娘たちと一緒に遊ぶのだけれど、
果たして父親パグは、自分が父親だ、とわかっている
のだろうか?父親、という意識はあるのだろうか?

恐らく、ない、と思う。が、それでも久しぶりに会って
も吼えるわけでも威嚇するわけでもなく、なんとなく
知ってる人(犬?)だなあ、という雰囲気でいい感じ
ではある。だけど、おお息子よ!という風でもない。

もっとも、一緒に暮らしている息子パグに対しても、
父親らしきことは、何もしていないのだけれど。

なんだか、不思議だなああ・・・・
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『太陽に吠える!』サザンオールスターズ

好きです!コレ好きです!

サザンは最近カップリングの曲がいい!
ニューシングル『Dirtyold man ~さらば夏よ~』
のカップリングは2曲とも、とてもいいです。

好きで~す!
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癒しパグ

いや・す【癒やす】

(1)病気や傷などをなおす。
「温泉で傷を―・す」
(2)悲しみや苦痛をなくす。
「恋の痛手を―・す」「かわきを―・す」

あ~、癒される~

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犬の時間

人間の赤ちゃんも、もちろんかわいいのであるが、犬の赤ちゃんも
負けてない。

いつの間にか、親パグと同じくらいの大きさに育ってしまった我が家
の子パグであるが、つい3年ほど前までは、かわいいかわいいミニ
パグであった。(この写真撮影時)
本当にすくすく育ってしまったものである。かわいい内はあっという間
ですね。(今もかわいいけれど)もう3歳だものなあ。
犬の時間というのは、人の時間のおよそ7倍で進むといわれている。
だから、犬の3歳とは、人間で言うところの21歳というわけだ。

親パグにボン太は5歳半なので、もう40歳に近いおじさん、というわ
けだ。

「馬鹿で間抜けな発明家たち」主婦の友社 という本に、
通常の7倍の速さで時を刻む「ドッグウォッチ」が載っている。
(この本についてはまたの機会に!おかしすぎる)

そんな時計があったら、犬の寿命の短さを毎日毎日実感しなくては
ならず、辛いなー。

犬と時間も、もっとゆっくり進んでくれますように。
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『おばー部屋』とおじいちゃん

小さい子供だった頃住んでいた四谷の家は、鍵もないような家。
鍵をかける必要もないほど、常に玄関は開け放されれていた。

いつでも人が何だか出入りしていて、ゴチャゴチャしていた。
家の1階ではレストランをしていたり、おじいちゃんは職人で石屋
をしていた、というせいもあるだろうけれど、どにかく、いつでも人が
居て、本当にゴチャゴチャしていた。人や犬や猫。

子供達は、そんなゴチャゴチャしている家の中でも、「おばー部屋」
と呼んで遊び場にしていたおじいちゃんとおばあちゃんの部屋が
大好きで、外で遊んでいた記憶以外は、この「おばー部屋」で過ご
した時間が、子供の頃の記憶の多くをしめているような気がする。

今は四谷の家自体、建て替えてしまって跡形もないけれど、当時の
おばー部屋には、今思うと楽しいモノがあった。今思うとおそらく6畳
一間だったおばー部屋。
その中には職人さんであり手先の器用なおじいちゃんの遊び道具
がたくさん置いてあったっけ。

もちろん石屋としての仕事の道具ももちろん、釣りをこよなく愛すおじ
いちゃんの釣り道具。釣り道具を作る何かの道具。それから山に
入り鉄砲撃ちをしていたおじいちゃんの鉄砲も、あった。
考えるとすごいことだけれど、おじいちゃんは鉄砲撃ちに行く前には、
孫たちが遊んでいるおばー部屋で、薬莢をつめたり鉄砲を磨いたり、
時にはそれらを孫たちに触らせたりしていた。驚きだ。

とにかく、おばー部屋にはいろいろな刺激があったわけだ。
だからわたしたち孫たちは、おばー部屋で遊ぶのが好きで、おじい
ちゃんのそんな姿に触れていることも大好きだったのだ。
楽しかった。

おばー部屋とおじいちゃん。
2世帯で暮らすことも少なくなってしまった今、あんなゴチャゴチャ
した生活をすることももうないだろう。
だけど、あの頃のおばー部屋での様々な経験が、今の私には、
大きな大きな何かを残しているように思うのだ。

大切な大切な思い出。
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赤ちゃんのチカラ

赤ちゃんは生後4ヶ月も過ぎることになると、だんだん視力がはっきりと
してくるのだそうだ。漠然と見ていた(見えていた)ものが、右目と左目
の見え方の違いが現れ、モノが立体的に見えてきたり、空間が認識され
て、モノや人が区別できるようになるという。

そして、視力や聴覚だけでなく、この頃になると、握ったガラガラをしゃぶ
ったりしてやモノの味や暖かさ冷たさ重さ、などの触感も感じるようになる。
脳の中でいろいろな感覚がつながってきて、だんだん心が出来ていく、という。

手足が大きくなったり体ができあがってきたり、と、目に見える成長もさる
ことながら、目に見えない感覚や心も着実に育っているのだ、と思うと、
本当に不思議。

小さな体はやがて自分で立ち上がるようになり、小さな頭はやがて自分で
モノを考えるようになり、小さな心はやがて自分で様々なことを感じるように
なる。短期間に急速に成長していくチカラたるやものすごいパワーだと思う。

自分も辿ってきた道であるというのに、全く覚えていないのだけれど・・・

写真は兄の子供で私の甥っ子。
もうすぐいろいろなモノがちゃんと見えてくるようになるのかな。
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