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『薄化粧』 1985年

緒方拳さんが亡くなった。

大好きな俳優さんだった。

歳を重ねて、ますますいい役者さんだなと思っていたけれど、
緒方拳の、若い頃のギラギラとした凄みのある役どころも好きだった。

「鬼畜」とか「復習するは我にあり」「必殺仕置き人」「火宅の人」なんかも
よかったけれど、「薄化粧」という映画が好きだった。
あの時の緒方拳の、なんとも言えない、暗~い色気っていうのかなあ。

山奥の鉱山で働く男が、ある出来事をきっかけに、妻子を惨殺。その後も
爆発事件などを起し、逮捕される。しかし、刑務所を脱走し、逃亡生活へ。
素性を隠しながら、各地を転々とする。
そんな逃亡生活で、一人の女性と知り合いのだが、その女がある時、
ふざけて、男に眉墨をひく。照れて嫌がる男だったが、鏡を見ると、そこ
には、自分とは違う顔があった。それから男は、眉墨をひき、外を出歩く
ことになる。
女との生活にも、警察の捜査の手が忍び寄り、男はまた逃亡することと
なるのだが、別れ際、女は男に自分の居場所を紙に書いて渡すのだった。

その後も逃亡を続ける男。しかし、女を忘れられず、彼女に渡された住所
をたよりに、男は女を訪ねる。つかの間の再会。そしてまた旅に出る男を、
女は駅のホームまで追っていく。

そこには警察が待ち受けていた。

という話しだ。人を殺し、罪を犯し、過酷な逃亡を続けてきた男が、たった
一度、気を許した瞬間にすべてが終わってしまう。

妻子を殺害するシーンが薄ら恐いのと、とにかくギラつく緒方拳の演技。
それに、人間のもろさ、弱さを演じさせたら、緒方拳はうまい、と思った
映画で、とても印象に残っている。

素敵な俳優さんでした。
ご冥福をお祈りします。
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『クィーン(The Queen)』

『クィーン(The Queen)』 2006年

2006年イギリス映画。
観たい観たいと思いながら、タイミングを逃してしまい、遅ればせながらやっと観ること
ができた。

ダイアナ元皇太子妃の事故 その時のイギリス王室の舞台裏(?)、エリザベス2世の
苦悩や心の動き、伝統と威厳を守りつつ、国民に開かれた王室を目指すとした女王と、
開かれた王室を目指したダイアナ妃との確執や葛藤などを描いた作品。

当然、女王の心のうちなどは、想像でしかないのだろうけれど、イギリスってすごい。
ああやって、すべて実名で、映画にしてしまう。
もちろん、そこには王室に対する敬意と愛があるからなのだろうけれど、王室に対して、
真剣だからこそ、こんな映画が生まれれるのだろうと思う。

イギリス人にとっての王室の大切さが感じられる。
少し前、イギリス人と話しをする機会があったのだけれど、彼は数々のイギリス王室の
スキャンダルに心を痛め、悲しみ、それでも敬意を表する姿にびっくりしたものだ。

私にはそんな気持ちがあるだろうか。
皇室のスキャンダルを悲しい、と心を痛め、それでも敬意を表するような気持ちが・・・。
残念ながら、ない。無関心だからだと思う。

それにしても日本では考えられない。皇室のスキャンダルや例えば天皇陛下の心の内
を実名で映画にするなんて。
未だにテレビでは、皇室アルバムなど、作られた皇室のイメージが放送されている。
すべてさらけ出す必要はないかもしれない。でも、もう少し、国民にとって人間味のある
皇室であってはいけないのだろうか?
雅子様のことで皇太子がちょっと本音を吐露しただけで大騒ぎ。
なんだか、気持ち悪い。

エリザベス2世を演じたヘレン・ミレンがアカデミー賞主演女優賞を獲得したときには、
エリザベス2世、ブレア首相から、祝福のメッセージが発表されたそうだ。

ヘレン・ミレンの威厳のある上品な演技に、乾杯!
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『イントゥ・ザ・ワイルド Into The Wild』

『イントゥ・ザ・ワイルド Into The Wild』

ショーン・ペン監督・脚本。原作は、
9月8日の日記にも書いたけれど、ジョン・クラカワー『荒野へ(Into The Wild)』。

とっても難しいテーマではなかったかな、と思ったのだけれど、さすが映画の力
というものはすごいなー。
主演のエミール・ハーシュがまるで本の中のクリス・マッカンドレス本人のような
錯覚をした。ちょっとしたドキュメンタリーを見ているような。
実際のクリスの状況は、映画どころではなくもっと過酷なものだったに違いない
のだけれど。それほど映像には静かな迫力があった。
内容の感想は、またそのうち・・・。

それから、ショーン・ペンの映画はいつも、どこか暖かいな、という印象を受ける。
とても好きだ。

それからそれから、なんて久しぶり、ウィリアム・ハート。確か58歳くらいだろう。
役柄も役柄だから、だろうと思うけれど、きっちりと歳をとっていた。
でも相変わらず素敵でした。
『蜘蛛女のキス』から一体何年たったのだろうか。


『イントゥ・ザ・ワイルド』とてもよかったです。
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『疑惑』

『疑惑』 1982年

松本清張の小説を、野村芳太郎監督が映画化した作品。

交通事故で死亡した富山の財閥。保険金殺人を疑われるその夫人。
この夫人を演じるのが、桃井かおりなのだけれど、これがまたすごい!
役名もこれまたすごい、鬼塚球磨子。(>_<")
彼女独特の雰囲気がかもし出すちょっとユーモラスな悪女ぶり。
そしてその弁護を引き受けるのが、女弁護士、演ずるは岩下志麻。
この二人のぶつかり合いがまた見ていておもしろいし、恐ろしい。

ラストシーン。無罪を勝ち取った球磨子の顔が印象的。
好きな映画です。

この映画、好きな理由はもうひとつ。
実はこの映画に出てくる子役の男の子。死亡した財閥の息子を演じて
いる、”たんご よしかつ君。(字がわかりません)
この子に思い入れがあるのです。
この息子役、とってもいい。最後の裁判のシーンでは重要な役割を
果たします。

私が1977年か78年に卒業した新宿区立四谷第四小学校。(現四谷小学校、
跡地は東京おもちゃ美術館)
私が小学校6年生になった時、新6年生がその時の新入生(ぴかぴか
の1年生)に一人一人担当として着き、ちょっとしたお世話係りになる、
というような事をやっていた。そして私の担当になったのが、たんご君
であったのだ。かわいらしい顔と名前が珍しかったのでよく覚えている。
お世話係、って具体的には何をしていたのだっけな?(^◇^;)
それは覚えていないけど、新1年生と手をつないで校庭を歩いたり、
体育館に連れて行ったりしていた記憶はある。何せもう30年(!)も
前の話だ。

そしてこの映画を観ていたら、どこかで見たことのある顔。この息子役
の子、誰だっけな、あの子、タンゴ君じゃないかな?と、最後のクレジ
ットを確認したら、やはりそうだった。
そうかあ、彼は役者になったんだ!
なんだかとても嬉しくて、それ以来、この映画にはちょっとした思い入れ
があります。

タンゴ君。その後名前は聞かないけど、どうしているかな?
私のことは覚えていないに決まっているけれど、ちょっと懐かしい。
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『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』

『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』

久しぶりに映画館へ。
随分歳とってしまったインディだったけれど、やっぱり、
♪ターンタラッターン タータターン ターンタラッターン タッタターラーラ♪
を聴いてしまうと、ワクワクする。
「考古学者」「冒険」「伝説」という響きにも、ワクワクする。

映画版第一作「レイダース/失われたアーク」が1981年。27年も前なのかぁ。
確か私は高校生だった。

何年たっても、やっぱり楽しい映画は楽しい!
そして、映画館で食べるキャラメルポップコーンは美味しい。
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『白い巨塔』 1966年

『白い巨塔』 1966年公開。

原作は、山崎豊子の小説 『白い巨塔』。(1963-1965)
1965年にラジオドラマ(!)として放送され、1966年に映画化。
その後何度もテレビドラマ化された。

私にとって『白い巨塔』は、テレビドラマだ。
初代のドラマは、主人公の財前五郎教授を、佐藤慶が演じていたそうだ。
1967年(わたしは2歳!)のことなので、もちろん記憶にない。
私が見ていたのは、1978年の放送のものだ。
田宮二郎の財前教授も非常に印象的だったし、、放送終了前の彼の自殺
も自殺の方法も、とても衝撃的だった。

その後小説を読んでも、イメージとして浮かんでくる財前は田宮二郎だった。
それくらい強烈だったのだ。
当時私は13歳。中学1年生だったのだけれど、あのドラマの重たくて暗い
雰囲気は、今でもよく覚えている。

そうかぁ・・・あの頃の田宮二郎は43歳。今の私と同じ歳なのだ・・・(-_-)

さて。今回は1966年の映画の『白い巨塔』がWOWOWで放送された。
私が見ていたテレビドラマより約10年前の作品だ。なので、ドラマの財前よりも、
やや若い財前。モノクロの画面がいいねえ。

だけど、この時点の映画(今風に言うと”劇場版”)は後のドラマ版とは
ラストシーンが違っている。
後のテレビドラマでは、小説の続編で完結された”その後”の話が放送されたが、
映画では続編前のストーリーで話しが終わっている。
実は完結版の最後、財前教授の死が、1番の見所のような気がするのだ
けれど・・・・
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『まぼろし』

まぼろし

2001年、フランス映画。
この時、主役のマリー演じるシャーロット・ランプリングは55歳。

まず、彼女の美しさに息を呑む。55歳!こんなに年齢を重ねてきた顔の皺の
美しい人は他にいるだろうか?彼女の視線や表情で多くを語る凛とした演技が
とても印象的だ。

長年連れ添った伴侶が、バカンスでやってきた海岸で、泳ぎに行った
まま姿を消す。失踪なのか、事故なのか、それとも自殺なのか。
自殺だとしたら彼に何がおきていたのか?
行方がわからないまま、マリーは夫になにが起きたのか理解できない
まま、現状を受け入れることができず、受け入れようとせず、苦悩する。

愛するものを失ったとき、人はどのように心の整理をし、それを受け入
れるのだろうか・・・

やがて長い心の旅を終えた彼女が、夫の死を受け入れる時、
その深い愛は、彼女の心を満たしていく・・・

・・・と書いてしまうと簡単なのだけれど、その長年連れ添った夫とのさりげない
時間を過ごすマリー、夫を見失った時の困惑するマリー、夫の死を理解しない
まま悲しみの中夫のまぼろしに救われるマリー、夫が波に消えていった
浜辺で嗚咽するマリー・・・・そしてすべてを受け入れたマリー・・・・・。
どのシーンをとってみても、その心の葛藤が美しくて、シャーロット・ランプリング
が美しくて、最後の海岸のシーンなどは、もう言葉を失う。

中でも、マリーが、マリーを気に入っている男性ヴァンサンに、ヴァージニア・
ウルフが入水自殺をする前に残した言葉を語るシーンがあるのだけれど、
その時のシャーロット・ランプリングの表情が素晴らしかった。

「気が変になりそう。声が聞こえてきて仕事に集中できない
の。努力したけどもうこれ以上耐えられない。貴方のおかげで私は
しあわせでした。愛しい貴方の人生を台無しにすることは出来
ません。」

この映画の最後で、マリーが夫の死をみとめ嗚咽するシーンがある。
確かにマリーは死を受け入れるのだけれど、
ただ、そのとき、彼女はその悲しみを乗り越え現実に戻れたのか、それとも
乗り越えられずに夫のまぼろしと生きていくのか・・・・
その辺は私ももっと年齢を重ね、そして伴侶を失ったその時にならないと
わからないのかもしれない、と、そんな事を思った。

ちなみに、この『まぼろし』、フランス映画で、原題は「Sous le Sable」直訳すると
「砂の下」だそうです。
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『カッコーの巣の上で』

何気なくBSをつけたら、「カッコーの巣の上で」が放送されていた。
久しぶりに見入ってしまう。

あらためて、静かで重くて、いい映画だな、と思う。
そして、あらためて、ジャック・ニコルソンをはじめ、俳優陣たちのすばらしさを
感じた。いい映画。何度見ても、最後のシーンは胸が締め付けられる思い。

刑務所の強制労働から逃れるために、精神異常を装って、オレゴン州の精神病院
に入ったジャック・ニコルソン扮するマクマーフィ。
マクマーフィは、そこで見た精神病院の実態に驚き反発する。
しかし・・・・・・・

「カッコーの巣の上で」、原題は、「One Flew Over The Cockoo's Nest」。
この”One”は、ジャック・ニコルソンではなく、チーフという名の入院患者。
チーフ(One)が、最後には自由を求め、この精神病院(Cockoo's Nest)から
脱出(flew over)するというところから来ているが、もともとは、
マザーグースの詩の一文らしい。
この邦題は、なかなかよく出来ているな、と思う。

ともあれ、1975年(30年以上も前!!)のアカデミー賞を総なめにしたこの映画。
制作には、マイケル・ダグラスの名前も。

正常とは?普通とは?自由とは?尊厳とは?
30年以上もまえから、いや、もっともっと前から問題になっていること。この映画が
言いたかったこと。今も何も解決されていないし、何も変わっていない。
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ヨーダ、依ー田

スターウォーズのヨーダ。

これは日本人がモデルになっている、という話は有名で、それが
溝口健二映画の脚本で有名な「依田義賢」氏である、
依田氏は、大阪芸大映像学科で長らく教鞭をとっており、すで
なくなられた。しかし、これはあくまでウワサ、である。
かなり真実に近いウワサのような気がするのだけれど。

これらの話は、ネット上でも飛び交っており、最後にはジョージ・
ルーカス本人が、このウワサを「NO」と否定した、となっている。

もともとジョージ・ルーカスは親日家として知られているけれど、その
彼が、溝口健二監督の大ファンであり、そこで知った依田氏に
「あなたの耳は面白い形をしている」と言ったり、その後ヨーダの
ぬいぐるみがルーカスから依田氏に届けられたり・・・などの話が
あるそうだ。そんなところから、ヨーダのモデルが依田氏だ、という
ことになったのだろうか。何しろ顔がそっくりらしい。

これって、ことの真相は別として、楽しいお話ですよね~。

ヨーダに似ている顔の人が居るというところも、なんだか微笑ましい
し、その人をモデルにキャラクターを思いつくことも楽しいし、
依田氏をモデルとしているとするならば、ネーミングの
「ヨーダ」というのも、いいネーミングだなあ、などと思う。
ふふふ。

それにしても、ヨーダ好きの私としては、このデッカイヨーダ、
欲しいなああ。
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『死刑台のエレベーター』

『死刑台のエレベーター』
1957年
フランス

フランス映画界の巨匠、ルイ・マル25歳のときの作品。
モノクロ映像に、マイルス・デイビスのトランペットの音色が
何しろ、カッコいい。

物語は、社長夫人の愛人である技師の男が、じゃまになった
社長を殺害し、完全犯罪をもくろむ。社長を殺した技師が、証拠
を忘れたことに気づき、途中で現場に引き返すのだが、
そのまま、電源の切られたエレベーターに閉じ込められてしまう。
その間に、現場に止めてあった技師の車が盗まれ、別の
犯罪に使われてしまう。
愛人である、その社長夫人は、約束の時間になっても現れ
ない技師を捜し求め、街を彷徨う。

小さな失敗が大きなアクシデントを次から次へと生んでいく。
そして、皮肉なラスト。

やたら複雑で、トリックを考えることだけに一生懸命になって
しまう昨今のサスペンスと違い、やはり昔の映画というのは
シンプルで安心する。その安心感が、また何とも言えない。
シンプルなだけに、心に残る。

そして、何より、冒頭のジャンヌ・モローのアップの美しさ。
クールでドライなモノクロ映像と、マイルス。

ため息が出てしまうのだ。
驚くことに、50年も前の映画だ。
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『かもめ食堂(rulkala lokki)』

『かもめ食堂(ruokala lokki)』

久しぶりに、のんびりとしたいい映画を観た。
フィンランドはヘルシンキの街角にある小さな食堂。「カモメ食堂」。
日本人のサチエは、そんな店を持つのだが、日本人と同じように
はにかみ屋さんで遠慮がちなフィンランドの人たちは、遠巻きに
覗くことはあっても、なかなか店に入ってくれない。
毎日毎日、ヒマな日が続く。

それでもサチエは、そんなゆったりとしたフィンランドの人たちに
あわせるように、お客さんが一人も来ない日でも、毎日グラスをピ
カピカに磨き、テーブルを拭き、準備をしている。

ガイドブックに載せるでもなく、派手な宣伝をするでもない、「道行く
人がふらっと入ってくれて思い思いの時間を過ごしてくれるような食堂」
にしたい、と、メニューも素朴でシンプルだ。
サチエの考える看板メニューは「おにぎり」。

そんなかもめ食堂を、ぷらっとフィンランドに来て見たはいいけれど、
何をしていいのかわからないミドリが手伝うことになる。
これまたぷらっとフィンランドを訪れ、なくした荷物が出てこないまさこ
も店を手伝うことに。

そのうち、カモメ食堂にも少しずつお客さんが入ってくるようになる。
本当にちょっとした出来事はあるけれど、何か特別なことがあるわ
けでもないこの映画。

映画の中で、「フィンランドの人たちはどうしてこんなにゆったりとして
いられるのか」という問いかけに、「森がある」とフィンランドの男の子
が答えるシーンがある。

白夜の国、サウナ、サンタクロース、ムーミンの国。
私はフィンランドに行ったことがないけれど、フィンランドの人たちは
なるほど、普通に大自然と共存して暮らしている。そして、そんな中で
お互いに癒されているようだ。
そんな心の余裕の中で、フィンランドは、国民一人当たりの観劇回数、
汚職のないクリーン度、国民一人あたりのコーヒーの消費量、水質、
図書館利用率が、世界の統計でトップにランキングされているそうだ。
しかも、そんなランキングなど意識せず、あくせくせずに、地味に素朴
に毎日を生きている。あああ、なんとうらやましいことか。

そんなフィンランドで、そんな食堂を開く、そんな人たちの話。

ほとんどが、かもめ食堂の中のシーンだけれど、きっちりとフィンランド
でロケをしたそうだ。その空気が画面からすーっと伝わってくる。

忙しい毎日を過ごして、いつの間にかストレスの中で生活している私
たちだけれど、この映画を観て、”生活する”ということ、”ゆったりと
した時の流れ””自然の中に生きること” そんな事を考えて、反省。

心が癒されるかもめ食堂でした。
そして、小林聡美(サチエ)、片桐はいり(ミドリ)、もたいまさこ(まさこ)
の演技にかんぱーい。
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『スパイ大作戦』

「M:i:lll (ミッションインポッシブルⅢ)」を観ました。

ツッこみたいポイントはいくつかあったものの、初めから終わりまで
息をつかせぬスピーディな展開と、派手なアクションでと、ワクワク
するような”大作戦”で、結構楽しめた。

この映画のシリーズはすべて観ているのだけれど、そう言えば、
ミッションインポッシブル2がどうやって終わったのだっけ?としばら
く思い出せなかった。これまでの話ってどういうのだっけ?
そうだそうだ。リーダーであった、ジム・フェルプス(映画ではジョン・
ヴォイドが演じる)が、なんと殉職したんだったっけ。それでそれで、
なんと、実は裏切り者だったんだっけ!
で、2作目では、スパイ大作戦、というよりも、トム・クルーズが単独
で活躍するアクション映画、という風になってしまっていたのだっけ!
スパイ大作戦は、チームで繰り広げる大作戦が魅力だったような
気がしていたので、ちょっとガッカリしたことを思いだした!
だから、この3作目には、ジム・フェルプスは居ないのだ!
そっか。
よく考えてみたら、それはものすごく寂しいこと・・・のような気がする。

「ミッションインポッシブル」。日本では「スパイ大作戦」としてテレビ
シリーズで有名だ。1966~1973年に放送されていたらしいけれど、
恐らく私が観ていたのは、再放送だろう。その後何度も何度も再放送
されていたように思う。
「おはよう、フェルプス君。」確か司令官はいつもこんな調子で指令を
していた。そして今回の指令を告げ、「君やメンバーが捕らえられ、
あるいは殺されても当局は一切責任をおわないこととする」
当時、「当局」ってなんだろう、とうすら怖い響きをもって、この指令を
聞いていた。(今も「当局」が何なのかわからない)
そして、極めつけ、「尚、このテープは自動的に消滅する。健闘を祈る」
のセリフを最後に、小型のテープレコーダー(だったような)が、プシュ~
と消滅する。
そして、テーマ・ミュージック!スタート!

今観たら、多分笑ってしまうような、様々な”工作”、チームで行う大作戦。
謎の「当局」。とにかく、毎回毎回、ワクワクしていたものだ。

そして、そこにはやはり、フェルプス君。ジム・フェルプスの存在感だ。
演じるのは、ピーター・グレイヴス。やっぱりこの人じゃないとね!
フェルプス君がリーダーとして大活躍し、とにかく、スパイ大作戦といえば、
この人。この人なくては作戦は成功しない。

なのに、映画では、そのフェルプス君があっさりと殉職し、しかも裏切り者
であった・・・そして、トム・クルーズが1人大活躍。
よくよく考えてみたら、「スパイ大作戦」=フェルプス君 ファンの人たちに
とってみたら、これはものすごいショッキングな出来事だったのではない
だろうか。私でさえ、寂しいのだ。

やはりこの映画は、あのテレビシリーズの「スパイ大作戦」とは全く別物
として楽しむべきなのだろう。フェルプス君は裏切り者であってはならないのだ!

というわけで、今になってきちんと、テレビシリーズの「スパイ大作戦」を
観たいなあ。おもしろい”スパイ映画”を観たいなあ、と、今回のM:i:Ⅲ」を観て
思ったのでした。

尚、このコメントは自動的に消滅する。 ・・・プシュ~。
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『チキンハート・ブルース』

1989年アメリカ
『チキンハート・ブルース~詐欺師と娼婦と殺し屋と』

キース・キャラダイン
サリー・カークランド
トム・ウェイツ

トム・ウェイツが好きで、当時、小さな劇場に足を運んだ1作。

メキシコからアメリカへと、宝石を馬のお腹に埋め込んで密輸しようと
企てる。国境を越えると、キース・キャラダインがその馬に乗って、逃亡
を計る。その宝石で、一人娘とまともに暮らすためだ。
しかし、キース・キャラダインに夢中のサリー・カークランドとちょっと
おかしな!トム・ウェイツに後を追われ・・・というようなドタバタ珍騒動
のいわゆるB級映画だ。
詐欺師と娼婦と殺し屋と、という邦題のサブタイトルがまた・・・

主演に、しぶしぶしぶいキース・キャラダインと、サリー・カークランド。
そしてトム・ウェイツ。なんて贅沢な!

トム・ウェイツはとにかく歌声も曲も、あのサル顔も大好きなのだけど、
彼の出演する映画、役どころは、本当にイイ!
きっとトム・ウェイツだから、よくなっているのだろうけれど、とにかく
味があって、イイ。この『チキンハート・ブルース』の変人ぶり、『ダウン・
バイ・ロー』の控えめだけど存在感のある脱獄犯。ちょい役すぎてクレジット
されていないけれど『フィッシャー・キング』のこじき役。
どれもこれも、とにかくトム・ウェイツなのだ。

あのしゃがれた声の、だけどささやくような優しい歌声の酔いどれ詩人。
ウエットにとんだ、かわいい、おかしい俳優としてのトム・ウェイツ。
ほんと、かっこいいです。

ひさしぶりに『Closing Time』が聞きたくなったなあ。
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『ピンチクリフ グランプリ』

子供の頃に映画館で観た映画で、印象深い映画があった。

今でこそ、パペットアニメなどと言われよくある映画かもしれないが、
当時はきっと斬新だったのかもしれない。私が小学生のときだ。
かれこれ、30年ほど前。
人形をコマ撮りしたアニメーションで、たしか「グランプリ」という
題名だったと思う。

印象深いのでよく覚えているのだけれど、細かいことが思い出せず、
あの当時であんな楽しかった映画があったっけ?あれは幻だった
のか?と思ったりしていた。

どうしても存在をきちんと思い出したくて、調べてみた。

あったあった~!やっぱり幻なんかじゃなかった!
調べたところによると、
「ピンチクリフ グランプリ」というノルウェーの映画だったのだ。
1975年劇場公開 90分の作品。
ピンチクリフという小さな村で自動車修理屋のおじいさんが、
グランプリレースに出場するべくスーパーカー作りに動物達と奮闘
する、という話。そうそう、そうだったそうだった!

スーパーカーの名前は、「イル・デンポ・シガンテ号」だったらしい。
そっかそっか!チラシまで載ってる!!!うえーーーーん。懐かしい。

公開当時のコピーは:
   製作年数5年-遂に完成した世界初《スーパー・パペット・アニメ》!
   これは凄い!ウルトラ・スーパーカー
   ”イル・テンポ・シガンテ”号
   グランプリをめざして レッツ ゴー!

ノルウェーの作品だったんだ!どうしてこんなシャレた映画を観に
行ったのだったか。まったく経緯は覚えていないけど、人形が人間の
動きのようにスクリーンの中で動いて、その不思議な感覚と絵の綺麗
だったことにムチャクチャ感動したのだ。

今、CGを駆使した映画がたくさんあるけれど、私はあまり好きではない。
なんとなく手作りっぽくて、(っぽくって、じゃなくて本当に手作りなんだよね)
素朴なこんな映画が私は大好きなのだ。

あれから30年以上たった今、ふたたび「ピンチクリフ グランプリ」を観たら
何を感じるのかなあ?
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『普通の人々』

『普通の人々』
1981年

ロバート・レッドフォードの監督デビュー作であり、この年のアカデミー賞
最終作品賞、監督賞、脚本賞を受賞している。

この映画を観たときに、なぜだかわからないけど、涙がポロポロと出て
来た。悲しいのか何なのか、今もよくわからないけれど、とにかく、あれ
から25年ほど経った。

平凡で幸せで普通の家庭が、長男の事故死をきっかけに、崩壊していく。
そして、残された家族の心が病んでいく。
狂った歯車が、かみ合わないまま、家族の間が、バラバラになっていく。
一体、「普通の人々」ってどういう人々のことなのか?
大体「普通」って何?

普通に生きていく、ということが、実はどんなに大変なことなのか。
なにが、普通で何が異常であるのか?

25年前は、まだ若くて、自分のことで精一杯なところがあって(って
まだ高校生だったからね)、気づかなかったのだけれど、今になってよ
うやく、この映画がどうして「普通の人々」なのかが、少しわかる。

自分も歳を重ねてきて、今まであまり考えていなかった家族間の問題に
直面するようになって、その難しさに心痛めてみて、なぜか今
この映画が思い出された。
25年前に観ていて感じていた気持ちとは違うのだろうけれど、きっと
今観たら、もっと何かせまってくるものがあるだろうな。

地味で静かではあるけれど、非常に心に響く、好きな映画です。
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