goo

本村洋さん

山口県光市の母子殺害事件の被害者遺族、本村洋さん。

彼の重みのある発言は、いつも非常にわかり易く、理路整然としており、
あのような事件さえなければ、この人は素晴らしい家庭を築き、幸せに暮して
いたのだろうな・・・と、胸がいっぱいになってしまう。

事件から9年。その間、とても私達には想像もできないことを経験してきた
本村さん。彼の手記を読んだのだけれども、事件当時、事件のことが頭から
離れず、勤めていた会社に辞表を出したという。
その当時の上司が、こう言ったのだそうだ。

  「この職場で働くのが嫌なのであれば、辞めてもいい。ただ、君は社会人たりなさい。
  君は特別な経験をした。社会へ対して訴  えたいこともあるだろう。でも、労働も納税
  もしない人間がいくら社会へ訴えても、それは負け犬の遠吠えだ。だから君は社会人
  たりなさい。」

そして本村さん。

  私は、この言葉に何度助けられたことでしょう。今になって思えば、私は仕事を通じ社会
  に関わることで、自尊心が回復し社会人としての自覚も芽生え、その自負心から少しず
  つ被害から回復できてきたと思います。もし、会社という媒体で社会との繋がりがなく一
  人孤立していたら、今の私は居なかったと思います。私は、周りの方々に本当に恵まれ
  たと思います。

今回の死刑判決後の記者会見でも、これからどのような生活をされていきますか?の
質問に、私は会社員ですから、今後も労働し、納税し、普通に暮して行きます。と答えて
いた。
きわめて、普通の、いや、非常に真面目なきちんとした人なのだ。

当然、いつも私達が目にする本村さんは、時に怒りをあらわにし、涙し、きびしい顔をして
いる。けれど、この9年、彼も自分の人生を必死に生きてきたはずで、もちろん素晴らしい
仕事もしてきたのだろう。

今回の裁判のことをネットで見ていたら、こんなサイトを発見した。事件とは全く無関係に
仕事のことを語る本村さんだ。私達がニュースからでは見ることのできない彼の顔や、仕事
の話。読んでいて、なぜかとっても安心したし、嬉しかった。

新日鉄住金ステンレス株式会社 リクルートサイト
http://ns-sc.co.jp/recruit/voice/int8.html

彼は私達が想像もできない経験をしていながら、きちんと”社会人たる”生き方をしており、
きっと、いい仕事をしているのだろうな、と思う。
本村さんには、これから先、あらたな人生、幸せになってほしい、と本当に思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『愛してるよ、カズ』を観た

小さな生命スペシャル「愛してるよ、カズ 君はママの宝物でした~小児ガン・涙の全記録」
長崎放送で放映されたドキュメンタリーがテレビ朝日で再放送された。

長崎県に住むカズくんは、2歳のときに小児ガンを発症し、長きにわたる入院生活と、
十数回の手術を繰り返し、7歳で、ついに余命2ヶ月と宣告される。
番組は、宣告された余命2ヶ月をすぎた時点から始まる。

望みの薄い過酷な治療を続けるか、治療をやめて、残りのカズくんの人生を、
家族とともに過ごす時間にするか、両親はつらい選択を迫られるが、結局、治療を
断念し、家に戻ることを選ぶ。カズくんとかけがえの無い思い出づくりをして
いくことを選ぶ。つらく悲しい決断だったに違いない。

これまでも、病気をかかえ、つらい治療に耐えながらも、明るく強かったカズくん。
その姿に、母親のリョウさんはいく度となく励まされてきたという。
なるほど、映像を見ていても、カズくんは非常に明るく、がんばり屋さんだ。
とってもかわいい。
つらい時期、涙を見せる母親に、カズくんは「ごめんね」と言ったという。
そんなカズくんの前で泣かない決心をしたリョウさん。

カズくんは退院後、治療をやめた関係で一時的に元気になったように見えた。
小学校に復帰し、運動会にも出た。夢のような時間が過ぎていく・・・
カズくんの病気は治ったのではないか?と錯覚さえしてしまう。

しかし、いつ訪れるかもわからないカズくんとの別れは、着実に近づいている。
もう宣告された余命の時間はとっくに過ぎていた。

この想像を絶する悲しくつらい現実と、カズくんの明るさのギャップに、いたたまれ
ない思いがした。どうにかならないの???

番組は、カズくんの最期までカメラで収めていた。
カズくんの意識がなくなる直前、母親のリョウさんが、すっかりカズくんと仲良く
なった番組のディレクターの方をベットの脇に呼んで、カズくんと話しをさせて
くれていたのを見て、この番組作りの裏にある、”愛”のようなものを感じた。
とってもいい番組だ、と思った。

「愛してるよ」というのは、カズ君の死の直前に母親がカズくんに伝えた言葉だ。
それまでも、何度も何度も伝えてきたこの言葉。最後にどうしてもまた伝えたかった
といい、意識が朦朧とするカズくんの耳元でリョウさんがささやく。
カズくんは、「オレも・・・」と答える。
ディレクターの方は、この「愛してるよ」のこの一言の純粋なメッセージの重みを
視聴者に伝えたかったという。

このような番組を観て、ありきたりの感想かもしれないけれど、普段の私達の
生活で、あまりにも当たり前すぎて、その大切さに気付いていないこと、
その幸せに気付いていないことが、たくさんあるのだ、ということ。当たり前来る
自分や家族の生活の今日、明日がどれだけありがたい事なのか、ということを、
あらためて、感じた。

そんな事に思いを馳せることなく、毎日何気なく暮している自分に、喝を入れた。


番組の最後。なんとカズくんの告別式の夜に、カズくんが楽しみにしていた
”妹”を、母親のリョウさんが出産する。
命の不思議さと、リョウさんの深い悲しみの中での過酷な出産、新しい生命の
誕生を思うと、胸がいっぱいになってしまった。

誕生した女の子は、カズくんが生前につけた”はなこ(花香)”と名づけられた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

スノーサーフィン

そう言えば、いつから『スノーボード』と呼ばれるようになったんだろう?
あれ?

兄が『スノーサーフィン』を始めたのは、かれこれもう26年前くらいにな
るだろうか?私が中学生の時だったように思う。

雪の上を、まるで波に乗るかのように滑るから『スノーサーフィン』。
”板に乗る”のではなく、雪を”滑る”この遊びには、この名前がぴったり
だったように思う。
小さい頃からスキーに親しんでいた兄には、スキーとはまた違った形で
雪を自由に滑るこの『スノーサーフィン』は、かなり魅力的にうつったのだ
ろう。それからもう何十年もこの世界に居る。
生活の場所も、東京からニセコに移してしまった。

いつからか私は、兄は『スノーサーファー』だ、と思うようになり、友達にも
そんな風に言っていたっけ。

いつの間にか、『スノーボード』と呼ばれるようになり、兄は『プロスノー
ボーダー』と呼ばれるようになった。

それにしても、なんでかな?山を、波を、自由に滑る、泳ぐ。その感覚で
いくと、『スノーボード』よりも、『スノーサーフィン』という響きの方がピン
と来るのではないかな?
なんだか、『スノーサーフィン』のほうがいいな。
どうして名前が変わってしまったのか、今度兄に聞いてみよう。

写真は、もうすぐ1歳になる兄の息子。
彼も雪の中で遊びながら育ち、世界の山々を登っては滑る『スノーサーファー』
になるのだろうか?

きっと、なるね。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

祝!毎日ファッション大賞

祝!毎日ファッション大賞受賞

デザイナーであり、私にとっては仲のよい親戚の一人である皆川明くんが
2006年の毎日ファッション大賞の大賞を受賞した。

この賞は、ファッションに携わっている人でないと知らない人も多いだろう
けれど、由緒ある賞で、1983年に、毎日新聞の創立110年を記念して創設
された賞だそうだ。
毎年、その年でも最も輝いてる日本のファッションデザイナー(個人や企業)
に与えられるそうで、今年で24回目。
歴代の大賞には、早々たるメンバーの名前が並ぶ。
三宅一生、高田賢三、山本耀司、鳥居ユキ、コシノヒロコ・・・・

普通の人生で、なかなか、賞をもらう、ということはない。小学校の頃に、
何かで「よくできたで賞」や、「がんばりましたで賞」などという賞はもらった
記憶はあるけれど。

自分の信じてやってきた事が、こうして評価され、讃えられ、認められると
いうことは、本当に嬉しいことじゃなかな、と思う。
私にとっても、この受賞はとっても嬉しいことで、彼の活動を影で表で支えた
家族を思うと、これまた本当に喜ばしい。

そして、こんな大きな賞をもらった明くんが、ますます活躍してくれることを
お祈りしているし、これをひとつの機に、今まで同様、毎日一生懸命働ける
場所や機会がますます増えればいいと思うし、何よりも、それが家族みんな
のハッピーに繋がることだ・・・と思っています。

何より身体に気をつけて、ますます活躍ください!

明くん、おめでとう!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『花はどこへ行った』

『花はどこへ行った』
Where have all the flowers gone

ベトナム戦争当時、平和への祈りを込めて歌われた
「Where have all flowers gone」
邦題「花はどこへ行った」・

1955年、アメリカのフォークシンガー、ピート・シーガーによって作られた
この曲、ピーター・ポール&マリーや、女優のマレーネ・デートリッヒらに
よって歌われ、その後も静かなる反戦歌として、世界中で愛されている。

マレーネ・デートリッヒのこの歌も、映像を見ると、もちろん胸に迫るもの
があるのだが、私の中ではフィギュア・スケートのカタリーナ・ビットが氷
の上で舞ったときのこの歌が、いつまでも忘れられない。

1984年のサラエボ五輪、1988年カルガリー五輪で金メダルを獲ったカタリーナ・
ビット。優雅で美しく力強い彼女のスケートだけれど、確かカルガリーでのカルメンは、
とりわけ本当~に美しかった記憶がある。

そして、1994年。当時、内戦の戦火に曝されていたサラエボの現状に対して黙祷を
ささげることから始まったリレハンメル五輪。サラエボはその10年前に、ビットが
金メダルを獲った国だ。
すでにプロに転向し、もちろん第一線での戦いは無理、金メダルもウクライナの選
手に決まっていた。彼女はメダルのためではなく、サラエボの平和のために
リレハンメルの銀盤に立ったのだった。
フリーの最後の選手として氷の舞台へ立った彼女の選んだ曲は
「Where have all the flowers gone」。

大きな技があったわけでも、すばらしいジャンプがあったわけでもなかった。
ただただ、あの美しい、悲しい音楽に乗せて、彼女は指先からつま先まで平和の祈
りを込めて演技をした。

真っ赤なコスチュームを着て美しく悲しく舞う彼女の姿と、あのメロディ。
胸がいっぱいになった。会場もシーンとしていたと記憶している。 
結果は7位。
観客席からのブーイング。やがてその声はビットをたたえる拍手に変わり、声援に変わった。

彼女の平和への祈りは、間違いなく世界中に届いたことだろう。と信じたい。

終戦記念日に、平和への祈りを込めて。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

トップランナー 『皆川明』

6月25日。
デザイナーで私の親戚でもある皆川明くんがNHK トップランナーに出演!
(2005年5月20日のひとりごと日記参照)

本当に、彼の熱意とこだわりは、年を経るごとに、きちんとした形になって
行っているように思う。素晴らしいことだ。
好きなことを追いかけ続け、それが成功する、ということは、やっぱりすごい
ことだ。その陰では、一流の努力があるのだけれど。

私達家族にとっても、とても誇らしいことで、彼の子供たちが父の思いがこ
もった服に身を包んでいるのを見ると、何とも言えない暖かい気持ちになる。

しかし。
トップランナーでは、本上まなみが、minaの服を着ていたけれど、彼女には
とても似合うなあ!逆に山本太郎が、まったく場違いなハードな格好をして
いたのが、ものすごくおもしろかった!笑えました。

トップランナー(皆川明)
8月13日(日)19:00 NHK教育テレビで再放送の予定。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「夢を忘れずに!」清志郎、がんばれ!

忌野清志郎が、喉頭がんと診断されて、長期治療入院治療
に入るそうです。

歌を歌う人が喉頭がん・・・・
運命とはなんと残酷なものでしょうか。

清志郎は、自身のHPで、”何事も人生勉強と考え、この新しい
ブルースを楽しむような気持ちで治療に専念できれば、と思い
ます。またいつか会いましょう!夢を忘れずに!”
と、とても彼らしいコメントしています。

ブルースを楽しむような気持ち・・・か・・・

必ずや復活してきてくれると信じています。

がんばれ!清志郎!「夢を忘れずに!」
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

上川徹さん

評価される「ジャッジング」。

今回のW杯ドイツ大会で、前回の日韓大会に続き2大会連続して
主審に選ばれた上川徹さん。43歳。

日本人として始めて決勝トーナメントで笛を拭いた。
ポルトガルvsドイツの3位決定戦だ。
シロウトの私にはよくわからないのだけれど、そのジャッジがとても
高く評価されていた。
試合後の表彰式での上川さんの誇らしげな表情が印象的だった。
地元ドイツの勝利に沸くスタジアムで、その堂々とした姿は、日本人
の私には、誇らしい姿であった。

大会前にNHKの特番で上川さんの特集をしていた。
前回の日韓大会でも主審として笛を吹いた上川さん。前回は、1試合で
しか主審を勤められなかったそうだ。

「決勝戦で笛を吹くのが夢」と上川さん。

審判が1試合1試合評価され、優秀な選ばれし人だけが次の試合の笛
を吹ける、ということを始めて知った。
普段何気なく見ているサッカーの試合。審判員にとっても、特にW杯で
笛を吹く、ということは、夢であり誇りであるのだ。

日韓大会で、審判による誤審に対する苦情がFIFAに殺到し問題になった
ことが教訓となり、今大会から、審判テストなるものに合格した人だけが
審判に選ばれる審判テスト制が導入された。
見ているとわかるように、審判は、選手と同じようにずっとピッチを走り回る。
1試合で主審が走る距離は12キロにもなるそうだ。選手が10キロというか
ら、選手以上に走り回ることになる。
審判テストは、40mを6.2秒以内で6回走り、その10分後に150mを30秒以内
で20回走る。というような体力テスト、もちろん規則の知識テストに加え、
英語力のテスト、と実に過酷なものだ。
そのテストをクリアし、候補の44名のうちから23名の審判に、上川さんは
選ばれた。

元サッカー選手だった上川さん。大学から社会人チームへ。しかし右ひざの
怪我が原因で、現役を引退。その後もサッカーに対する夢が棄てきれず、
サッカーに関わっていたい、と審判テストを受ける。
やがてJリーグの審判になるのだが、当初は吹いた笛が選手達の反感をかい、
コントロールできずにラフプレーの続く試合になってしまったという。
それでも、試合の流れを読むことと体力トレーニングに努力を続け、笛を吹き
続けた。
そして、今回、ドイツ大会の候補になり、テストにより23名の主審の1人に
選ばれたのだ。

「選手達の精神状態をコントロールし、反則を未然に防ぐ試合を作りたい」。
審判が試合をコントロールし、いい試合を作っている、ということを、はずかし
ながら、初めて知った。
反則によって、表情を変えアピールするフェイスコントロール、試合全体
を見ることのできる位置取り、的確な判断力と毅然とした態度が、評価
された。そして立派に決勝トーナメントの笛を吹いたのだ!

スーパースターの素晴らしいプレー、歴史に残る試合は、こうして審判の
コントロールによって生まれるのだ。

サッカーへの夢を別の形で実現し、堂々とピッチに経った上川さん。
そんな父の姿をみて、13歳の長男は今年4級審判員の資格をとったのだ
そうだ。そんな彼に、スーパースター達と共にピッチに立つお父さんの
姿は、どう映っただろうか。

審判の定年は45歳だそうだ。上川さんにとっても最後のW杯。
けれど、この功績は大きいと思う。審判の立場から、国際基準のサッカー
を日本にもたらしてくれるのだろう。

今回から、言葉による意思の疎通がしやすいように、と、主審と副審は
同じ大陸連盟でチームを組むことになった、ということで、上川さんと
チームを組んだ広嶋さん。2人の日本人が歴史に残る試合を作ったのだ。

本当に誇らしい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ZICOありがとう!

「美しいサッカーを」

ジーコ監督が辞任。日本代表に残したメッセージ。

なるほど、ブラジルのサッカーというのは、美しいな、と思う。
本当にまるでサンバを踊っているかのように、リズミカル。
いつかの何かのインタビューでジーコは、
2、3本のパスで、シュートまで持って行く形が理想的。
シンプルだからこそ美しい。ボールをこね回した小手先だけの
技術は評価できない。
ボールを持ったときに、ゴールに向くのがすべての基本。
と語っていた。

現役時代のジーコのプレイスタイルが度々映像で流れるが、
やはり、その通り、正確無比なパス、攻撃的なダイレクトプレー
は流れるようであり、シンプル、かつパワフルで美しい。

サッカーの技術や何かに詳しいわけではないので、専門的な
ことはもちろんわからないけれど、その華麗さだけは、わかる。

世界のトッププレイヤーたちのヒーローであり、今なお崇拝され、
母国ブラジルでは英雄だ。
ブラジルを愛し、国を背負って戦ってきた国民の英雄が、日本
サッカーのために、この何年間を費やしてくれた。
「日本への恩返し」と、日本サッカーの発展のために力を注いで
きてくれた。母国でもない日本に。
その最後の試合が、対ブラジル戦だったということは、何か
胸に迫るものがある。

ジーコの采配が、とか、ジーコジャパンは失敗だった、といよう
な声を聞くけれど、ドシロウトの私には、そんなジーコに
指揮を取ってもらっていた、ということだけで、日本サッカーの
財産になったのではないのかな、と、ひそかに思っている。
サッカーに詳しい人たちには、何言っちゃってんの?などと
怒られるかもしれない。(^^;ゞ

日本での大任を終え、ようやくブラジルに帰ることになったジーコに、
こんな私達にさえ、サッカーの楽しさと、世界の大きさを見せて
くれて、ありがとう、と、そっと言いたいのだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

マラドーナったらあ!

マラド~ナ~

すごすぎる。
アルゼンチンの英雄マラドーナの、アルゼンチン代表をスタジアムで
応援しているシーンが、今回のW杯では、度々放送されている。

いやー、すごいよね。
あれって、貴賓席なのかな?招待席なのかな?いずれにしても、普通
はベッケンバウワーのように、スーツでも着て、それっぽく試合を観戦
するのではないだろうか?あのような英雄は。
少なくとも、今回のW杯でも、そのような英雄たちの姿が流れていた。

が、が、が!
マラドーナは違う。アルゼンチンのレプリカを来て、タオルをグルグル
とまわし、すっかりサポーター(またはそれ以上)の熱狂ぶりなのだ。
口元を見ていると、大声で「ブラボ~~!」と叫んでいるようだ。
たまに、わけのわからない雄たけびのようなシーンもある。
アルゼンチンが苦戦しているときなどは、しょんぼりと小さくなって椅子
に座っていた。

あー。おもしろい。
今年のW杯はゲームもおもしろいけれど、このマラドーナの応援姿も
私にとってはひとつの見どころとなっている。
だから、アルゼンチンに敗退してもらっては困るのだ。
まだまだ、このマラドーナの両手に時計をはめ、レプリカを着込み、タオル
をブンブン振りまわし「ブラボーーーーーー」と叫んでいる姿を見続けたい。
アルゼンチンが優勝したら、一体マラドーナはどうなってしまうのか!
必見だ!

しかし、彼は本当にサッカーが、アルゼンチンが好きなのだ。こよなく愛し、
そして愛されているのだなあ、としみじみと思う。
歳をとっても、エラくなっても、英雄になっても、マスコミにたたかれても、
太っても、痩せても、隠し子が居ても、愛人が居ても、とにかく、サッカー、
サッカー。アルゼンチン。
こんなに楽しく情熱的に観戦できるっていうのは、すっごく素晴らしいこと
じゃないかな、と思う。

アルゼンチンのベスト4をかけてのドイツ戦は、7月1日。
この際だから、画面の下かどっかに、ずっとマラドーナを映しておいてくれ
ないだろうか?

個人的には、ブラジルかイタリアを応援する私だけど、やっぱりマラドーナ
に消えてもらっては困るなあ。
ブラボー!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ひとりごと

山口母子殺人事件の被害者の遺族である本村さん。

彼の記者会見やインタビューを見ていると、いつも涙
してしまう。
自分の家族があのような目に遭い、自分が本村さん
の立場になった時、果たしてあのような活動ができるだろうか?

自分のプライバシーをさらけ出し、自分の心情をメディアに立派
に語り、個人の力では到底かなわいであろう、司法
や法律と戦わなければならない本村さんの状況は、
とてもとても、私なんかには理解できるレベルのもの
ではないのだろうけれど、いつもいつも、本当に立派だ、と
胸がキュッとしめつけられてしまう。

どうして、あんな被害に遭いながら、1人の非力な人間が
必死に戦わなくてはならないのだろうか?
どんなに辛かっただろうか、と、想像するに余りある。

本村さんが、普通の人間でありながら、この7年間、恐らく
たくさんの人の力を借りながらも、司法や法律のことを勉強し
戦っている姿を見ていると、もし、亡くなった奥さんや赤ちゃん
が生きていたら、間違いなく、この人と幸せな人生を送って
いただろうな、と思ってしまう。
こんなに立派に戦ってくれているのだから。

怒りや憤りや悲しみを抱え、それでも生きていかなくては
ならない。これから裁判がやり直しになり、判決が出るまでに
長い年月がかかってしまうかもしれないが、もし、犯人が極刑
になったら、きっと本村さんの中では、大きな区切りになるの
だろうけれど、またそれからが本当の長い長い、本村さんの1人で
戦わなくてはならない戦いがあるのではないだろうか、と思うと、
本当にやるせない。

インタビューで、被告の父親が、
「罪を憎んで人を憎まず」でしょ。 というような事を言っていた。
失礼な言い方かもしれないけれど、この親にしてこの子だ、と
感じた。

一刻も早く、本村さんが少しでも平穏な日々を送れる日がくれば
いいなと願っています。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

声の人

叔母が亡くなった。

父の姉にあたる人で、私はそんなに交流があったわけではなか
ったのだが、彼女は、TBS(ラジオ?)の第一期生のアナウン
サーだった人だ。子供の頃、何かの機会で会うたびに、はっき
りとした大きな、綺麗な声の人だった、という印象を持ったこ
とは覚えている。

いろいろな事情があり、最期は78歳で、少し悲しい死を迎え
てしまったのだが、骨になった彼女の「のど仏」は、驚くほど
しっかりと美しかった、という。参列した母が言っていた。

係(係、というのだろうか)の人も、びっくりしていたそうだ。
亡くなり方や年齢からしても、焼いたあとにこんな立派なのど仏
が残る人はめずらしいのだそうだ。

もう、アナウンサーでなくなってから、それこそ何十年も経って
尚、やはり、彼女は「声」の強い人だったのだろうか、と、思う。

きっと波乱万丈だったであろう彼女の人生。それでも最期には、
そうやって彼女の人生がくっきりと残ったのだ。

自分はそんな風に、何かを残せるのだろうか。そんな事を考えた。

ご冥福をお祈りします。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『新宿のタイガーマスク』を知っているか?

久しぶりに『新宿のタイガーマスク』に会った。
新宿のウェンディーズで。

『新宿のタイガーマスク』とは、タイガーマスクのお面をかぶり、
派手派手な衣装をつけ、大音量で音楽を流しながら、自転車
で新宿界隈の新聞配達をしているおじさんのこと。
新宿に住んでいる、もしくはウロウロしたことのある人なら、
必ず一度は見たことがあるだろう。

私が中学生くらいのときにも、すでに存在していたので、
かれこれもう25年以上経つということになる。

今では、歩いて新聞を配っている、とか、映画マニアなので、
映画館によく出向いている(マスクをつけたままで)、とか、
新宿南口のタワーレコードのイメージキャラクターになっている
などのウワサは聞いていた。

久しぶりに見た『新宿のタイガーマスク』は、ウェンディーズで
レジに並び、ハンバーガーを注文し、当然、食べていた。
25年以上にもなるが、初めて、彼の素顔を見ることになった。
やはり、マスクをつけたままでは、ハンバーガーは食べれない
らしい。(^-^)
初めて見るその素顔は、なぜか、林屋ペーに似ていた。
ように思ったのは気のせいかしら。(^◇^;)

それにしても、長いことがんばっているのだなあ・・・・

何でも、長いこと続ける、ということは大変で、そしてすごい事
だと思うのだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

クーリエ ジャポン創刊!講談社

講談社より、クーリエジャポンが創刊された。

編集長は古賀さん。
古い知人だ。

FRIDAYの記者として活躍していた。
以降もがんばっている様子は聞いていた。

久しぶりに名前に聞いたと思ったら
それが、編集長として、雑誌の創刊だ!

しかも講談社の編集長だ!
びっくりしたし、とても嬉しい!
創刊にあたって、いろいろなメディアに顔をだしているが
やっぱり活躍している姿をみると、
胸がいっぱいになりますね!

がんばれ!クーリエ ジャポン!

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

クラウディア

ビデオの整理をしていて、何気なく目にとまった。

去年録画しておいた、ミュージカル「クラウディア」。
WOWOWで放送したものだ。

岸谷五朗と寺脇康文らの地球ゴージャスによるミュー
ジカル。サザンオールスターズの楽曲が使われる、
ということと、この舞台のために桑田さんが曲を書き
おろした、というので、舞台は観に行けなかったけれど、
テレビ放映したものを録画しておいたのだ。

このミュージカルには、先日亡くなった本田美奈子さん
が、ヒロインとして出演していた。
この舞台の再演が決まり、しかしその時に病気が発覚した
ので、今年5月の再演は、代役で工藤夕紀さんが出演した。

去年放送されたのは、病気発覚前。放送当時は、
あの小さな身体から、どうしてこんなに声が出るのかしら、
と、つくづく感心しながら観ていた記憶がある。

今あらためて観てみると、つくづく、本当につくづく、
人の命の儚さを感じる。
こんなにパワフルで、こんなに元気で、こんなに歌っていた
彼女が、これから1年ほどで死んでしまうなんて、
この体がこの世の中からなくなってしまうなんて、誰が想像
しただろうか?

こんなに存在感がある人が居なくなってしまう。
小さな小さな箱の中のお骨となってしまう。

そんな風に思って観ていたら、なぜか泣く場面ではないのに、
涙がこぼれてしまった。

桑田さんの歌を、こんなに魂込めて歌ってくれて、ありがとう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ