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おばあちゃんと三味線とセッション

おばあちゃんと三味線

今でも三味線の音と唄を聴くと、胸がじぃ~んとなる。

数年前に大好きなおばあちゃんが亡くなった。
あまり口数多くなく、クールなイメージの、とても美しいおばあ
ちゃんだった。着物とたばこの似合う、粋なおばあちゃん。
三味線が上手だった。
町のお祭りになると、おばあちゃんはお神酒所で三味線をひき、
唄を唄った。小さな舞台の上に居るおばあちゃんが、子供心に
誇らしかったことを覚えている。
その娘である私の母に聞くところによると、おばあちゃんは
娘たちにもクールで、昔からあまり感情を露にしなかったとか。

病気がちになってからのおばあちゃんは、お祭りとも三味線とも
無縁になっていった。
そのおばあちゃんが亡くなる数年間。長女であった母の家で
過ごしたのだが、少しとぼけてきていたおばあちゃんの口から
たびたび、自分の子ども時代の話がでてきていた。
実家に遊びに行っては、そのおばあちゃんの話に耳を傾けて
いたのだが、どうやらおばあちゃん、近々の記憶は薄れても、
一番根強く心に刻まれていたのか、子供の頃の話は、かなり
はっきりと覚えているようで、というかそれしか思い出せない
ようで、まるでその頃に返ったように、何度も何度も、同じ話を
繰り返した。

おばあちゃんの母親は、お三味線のおっしょさんだったが、
それはそれは美しい人で、三味線を教えることに忙しく、家事一切を
やらず、すべて娘にまかせていた。
そして、かなり厳しく、三味線を娘にも叩き込んだ。
時には叩かれ、甘えることは許されず、そんな状況に、娘は
萎縮し、ものすごい緊張の中、三味線や唄を覚えた。
お稽古をしながら、自分の母親のこと、家のことの一切を
やらされていた、という。
とぼけたおばあちゃんの口からは、その時の大変さが、いつも
語られた。

しかし、子供の頃そうやって、体に叩き込まれた三味線や唄は、
そのままおばあちゃんの音楽人生となる。

おばあちゃんが唄うは、浄瑠璃の一種で「常盤津(ときわず)」
というものだ。
現在でも歌舞伎にはなくてはならない音曲のひとつだそうだ。
本来歌舞伎の世界は男だけ。
しかし、お師匠さんの常磐津林中さんに、おばあちゃんは常磐津林豊、
おばあちゃんの母は常磐津林多という名前を頂き、町内会での催し物に
とどまらず、今で言うプロとして、母子で新橋演舞場の舞台にも立った。
ふたりとも、三味線も唄も、本当に上手だったのだ。

もし、生まれる時代が違っていたら、おばあちゃんはきっと、
ミュージシャンになっていただろう。

私が子供の頃、「おばあ部屋」とみんなで呼んでいた”おばあ
ちゃん(とおじいちゃん)の暮らす部屋には、いつも三味線があり、
よくおばあちゃんの唄が聞こえてきていた。
子ども心に、小唄は何を言っているのかわからず、変わったもの
に聞こえていたのだが、おばあちゃんの綺麗な声は、いつも私たち
の心を安心させていたように思う。

そして月日は流れ、おばあちゃんはもう立てなくなっていた。
体も細り、いつも寝転んでは、外を眺める毎日。
割と活動的だったおばあちゃんが、外に出れなくなった。
そして、昔の話を繰り返す。三味線のお稽古のこと。

ふと思った。
おばあちゃんは、まだ三味線弾けるかな?弾いたら、もう少し
元気になるかしら。
そしてある日、孫の私たちは、
おばあちゃんの部屋から、もう押入れの奥に奥に閉まってあった
三味線を探し出し、おばあちゃんに弾いてもらった。
小さい細い体で、よっこらしょ、と三味線を持つおばあちゃん。
不思議なことに、三味線を持ったおばあちゃんは、いきなり背筋が
伸び、若返って見えた。

そして、どこからあんな力が??と思うほどパワフルな勢いで、
三味線の音を合わせだした。しっかりした音感だ。びっくりした。
ちょっとした音のズレが気になるようで、なんども合わせる。
そんなこだわりが、嬉しかった。
綺麗な音にあわせ終わると、どうして覚えていたのか、
三味線に合わせ唄を唄いだした。演目は『将門』。
おばあちゃんは、常盤津だったら、演目を全部覚えていて唄える、
と言った。嬉しそうだった。

常盤津は、語りが多い。歌舞伎風に、その語りを孫の私たちが
歌詞カード(というのかな?)を見ながら、語った。ちんぷんかんぷんだ。
そこにおばあちゃんの三味の音と唄が入る。おばあちゃんはへたくそ
な私たちの語りに、笑いながら、音を合わせてくれた。
おばあちゃんと私たちの、セッションだった。

その時のおばあちゃんの姿が忘れられない。
やっぱり体で覚えているものは強い。そして音楽はすばらしい。
三味線の音がおばあちゃんの命にそっと息を吹きかけた、ような気がした。
おばあちゃんの人生だった。
もっと早くに、三味線をおばあちゃんに持たせてあげていたらよかった、
と、少し後悔した。

それから間もなくして、おばあちゃんは入院した。
病室ではさすがに三味線を弾くことができず、でも音楽があれほど
おばあちゃんを元気にしたのだから、と、常盤津を聴かせてあげ
たくて、浅草の専門店のレコード屋に、カセットテープを買いに走った。
普通のCDショップでは扱っていないのだ。
浅草の、小さな古い、味のあるレコード店だった。
それから、おばあちゃんの病室では、小さな音で常盤津が流れるよう
になり、時折、おばあちゃんも口ずさむ。
とっても綺麗な歌声で。

そして、おばあちゃんは亡くなった。

おばあちゃんの葬儀には、小さな音で、おばあちゃんの唄う常盤津と
三味線の音を流した。綺麗な歌声だった。

お葬式の間中、あの時のセッションの、おばあちゃんの嬉しそうな顔が、
頭から離れなかった。
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