らぷんつぇる**

日々のささいな出来事をつづったり
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あいのりの「チェルノブイリ」

2005年11月08日 00時37分46秒 | きょうのできごと
書記として出なきゃいけない会議が長引いた。
議論が活発なのはいいことだけど、2/3がうんざり顔だった。
もっと話をコンパクトにできないものか。

夜に用事があるといつも自分のペースがくるってしまうのは問題だと思う。
気がついたらごはんもまだなのにあいのりが始まっていた。
とほほ。

あいのりのメンバーはウクライナの首都キエフにいた。
ウクライナといえばチェルノブイリ。
彼等はチェルノブイリ博物館を訪れ、被災者たちにも会って話を聞いた。
「国に死ねと言われている気持ち」という被災者の女性。
「夫は事故当時事故現場にいた。いまでも放射能のためにその場所は立ち入り禁止で、遺体はそこに放置されたまま」と訴えた女性。
聞いてるメンバーの目が赤くなっていた。

一行はチェルノブイリ市にむかったけれど、これ以上先は放射能の残留濃度が高くて危険だということで一人スタッフだけが行くことに。
危険地区ゲートのところで放射能の濃度を測ると基準の5倍。
さらに20分ほど車で行ったところでは入口のさらに5倍の数値に。
その付近に廃墟になった家があり、その壁には「ごめんなさい さようなら 私の家!」と書かれていました…。
悲痛。。。

そしてさらに事故現場の近くへ。
ぬいぐるみや子供の靴やガスマスクが放置されたままの幼稚園。
ついには悲劇の舞台、4号炉の前へ。
この中にはまだ核燃料が大量に残っていて、壁の割れ目から漏れだしているのだとか。
そんな事故現場には防護服を着た作業員の姿。
地道な工事によってなんとかさらなる災害をくい止めている状況。

帰り際、スタッフは危険区域内に暮らすおばあさんに会う。
「夫は2年前亡くなった。ここは夫と出会った思い出の場所だから、離れるわけにはいかないの」
愛する場所に住み続けるため、常に高濃度の放射能を浴びて暮らすおばあさん。

原発事故で思い出に溢れた故郷を捨てなければならなかった人たち。
チェルノブイリを離れてなお様々な症状に苦しめられる人たち。
被災した親から生まれた子供達…。

核の力は絶大です。
平和利用していてさえ、ちょっとした間違いでこんな事故が起きるほどのエネルギー。
こんな力を兵器に利用するなんてとんでもないです!
核で武装してる国・しようとしている国はもっとこの悲惨な現場を知るべきです。
こんなこと言っても無駄なんでしょうが…。


あいのり見てたくせに書くことがこれか~?って感じですが、なかなかインパクトあったので…。
今日のあいのりのメインはチェルノブイリだってことで許してくださいー。