らぷんつぇる**

日々のささいな出来事をつづったり
本や映画や食べ物の感想を載せてみたり
ひとりごとを言ってみたり。など。

『サルファ剤、忘れられた奇跡 【世界を変えたナチスの薬と医師ゲルハルト・ドーマクの物語】』

2014年06月10日 14時46分02秒 | Books
最近読んだ本の中でも内容の詰まった厚い本でした。
サルファ剤の話って知らなかったんですが、医学の歴史を変えた薬であり、医薬品開発の礎になった化合物なんですね!
これはひとりの医師を核に、奇跡の薬の発見からそれがペニシリンなどの抗生物質に取って代わられるまでの物語です。

*あらすじ*
第一次世界大戦において、細菌による感染症にかかることはほぼ死を意味した。
重症のガス壊疽になれば医師に残された手段は感染部位の切断のみであり、このようにしても生き残る者は僅かであった。
衛生兵であったゲルハルト・ドーマクは野戦病院での惨状を見て、この人類の恐ろしい敵に立ち向かうことを心に誓った。

戦後、医師となったドーマクは「細菌を痛めつける薬」を探す研究に取りかかる。
おりしも、ドイツの有力コールタール染料会社、フリードリッヒ・バイエル&カンパニーでは医薬品の開発に力をいれようとしており、医薬品研究プログラムのリーダーであるハインリヒ・ヘルラインはドーマクを主要メンバーとして引き入れることに決める。
ドーマクはここで連鎖球菌に感染させたマウスを用いた評価系を確立し、社内で合成された化合物を片っ端からこの評価系にかけていった。
しかしどれも効かず、世界的な不景気により資金が干上がってきたころに、効果を示したと思われる化合物が見出だされる。1931年の夏のことであった。
さらに合成展開を進め、得られた赤い化合物は、副作用の殆どない、まさに魔法の薬であった―


なんと、この薬のスタートが色素染料であったことにまずびっくり。
動物を染めてしまう、ってそりゃあねぇ。。
でも、染色される=タンパク質と強く結合する、つまりなんらかの薬効を示すのでは?ってところに着目したと考えると、なるほど…と思う。

この薬以前の薬は化学に基づいたというよりも民間療法に近いものがほとんどで、動物実験や臨床試験も不要、宣伝には何書いてもOK、処方箋なしでも買える、、って今から思うと怖くて使えないようなものばかりだったらしい。
あちこちで色んな種類のサルファ剤が作られるようになった結果の延長で、大規模で悲惨な薬害事件が起き、それがきっかけとなってアメリカではFDAによる医薬品の管理体制が出来上がった…ということからも、ほんとに医薬品の世界を大きく変えた薬なんだなと思った。
バイエルにおける創薬の体制もまさに今の医薬品開発の体制と同じだし、歴史を知ると同時に医薬品開発の実際も理解できるんじゃないかなーと感じる内容でした。
今と決定的に違うのは臨床試験の大変さだと思いますが。
当時は治療法がなかったり、戦時中で負傷者がたくさんいたりで、臨床試験はわりと簡単にできたんですね。
軍隊は生活がほぼ完全にコントロールされているし、傷口から感染症にかかる兵士も多かったから、絶好の試験の場だったんでしょう。
戦争が医薬品開発を後押ししたっていうのも皮肉な話ですけど。

ここの本では科学の話と、第一次世界大戦~第二次世界大戦の歴史が絡んできてるので、物語が壮大になってます。
特にナチス政権下でのノーベル賞受賞妨害、強制収容所における人体実験など、ぞっとする話も…。
ほんとは化合物の色素の部分には活性はなく、ただのサルファに活性があることに気づかなかったっぽいところは片手落ち感があるものの、最後にドーマクの仕事が認められるあたりに救われます。

*データ*
著者:トーマス・ヘイガー
訳者:小林 力
出版社:中央公論新社
ISBN:9784120044793


『東京プリズン』

2013年01月12日 22時36分43秒 | Books
とりあえずこの本で年末年始読書特集は最後の予定。
結構話題になった本じゃないかな?
赤坂真理の『東京プリズン』です。
表紙、なかなか怖いね。

*あらすじ*
日本の中学校になじめず、アメリカ・メイン州の高校に留学したマリ。
そこでのホストファミリーとの間にも距離感を感じている彼女に、「アメリカン・ガヴァメント」の単位と進級の条件として「日本に関する研究」という課題が課された。
担当のスペンサー先生は「天皇の戦争責任」についてのディベートを行うようにマリに命じるのだった。

一方で、大人になったマリ。
「夢」のなかでとった電話はアメリカにいる高校生のマリにつながり…。


どういうジャンルに入れていい本なのかわからないくらい盛りだくさんでした。
ところどころ哲学的であり、ファンタジーでもあり、綿密な調査のもとにかなりマジメに歴史認識についても論じているようでもあるし、、アメリカでマリが孤軍奮闘している感じや、そんなマリに周囲のアメリカ人が投げかける様々な言葉が妙にリアリティがあって、アメリカパートは実際に著者が経験したことではないかと思ったのだけど…。
ネット検索しても赤坂真理さんがどんなひとなのかいまいちわからなかった。
ボンテージファッションと思想の雑誌の編集長をつとめる、ってどういうこと??

「鹿」「大君」「梅の花」などところどころにちりばめられたメタファーが、エンディングに向けて集約していく感じはファンタジーとして面白かった。
戦争に関して、日本人がアメリカ人に言いたいけどうまく言葉にならないようなことを、ぎゅっとまとめて16歳のマリの口に出させているところ、すごくスッキリ。
こんな風にちゃんと議論できるようにならないといけないんだけど(ちゃんと過去を知るということも含めて。)、日本人も。
自分の国の歴史をちゃんと理解していないと、こういうときには相手の言われるがままになってしまって、ものすごく苦い思いをするんだろうな。

大人になったマリは「アメリカから逃げ帰った」過去を背負っているように描かれているので、この物語のラストで行われる公開ディベートでマリが喋ることは、「これだけは言っておきたかった」という過去への反省や悔恨を結晶にしたようなものなんだと思う。
17歳がここまで調べ上げて、ここまで英語で話せたらすごいよなぁ。


「日本人は今の天皇の名前をどうして知らないのか?」って話題が昔出たことがあって、そういえば私もちゃんとはわかってないなぁ、皇后や皇太子妃の名前はわかるのに、、と思っていたけど、この本の中でスペンサー先生が昭和天皇を「ヒロヒト」と呼んでいるのに対して、「何この人、なんか失礼!」って思ってしまうくらい、日本人にとっては天皇は名前で呼ぶような存在じゃないってことでしょうね。
ファーストネームを知らなくても、「明治天皇」「昭和天皇」といえば特定の個人になるわけだし…。
そもそもファーストネームで呼び合う習慣、日本にはあまりなかったし…。

なんとなく右側へ右側へいってる感じのするラストではあるけど、結構引き込まれました。
もし自分が、アメリカでたったひとり天皇の戦争責任について話さなければいけない高校生の自分にアドバイスをしなければいけなくなったら、何が言えるだろう…。

日本の高校で歴史と英語のコラボレーション授業として、こういうディベートなりディスカッションなりをやる機会を設けてもいいんじゃないかな?と思いました。
天皇の戦争責任に限らず、領土問題や慰安婦問題なんかについても。
それが本当の国際化なのでは??

*データ*
著者:赤坂真理
出版社:河出書房新社
定価:1800円(税別)
ISBN:978-4-309-02120-1


『100の思考実験 あなたはどこまで考えられるか』

2013年01月11日 23時14分28秒 | Books
ちょっと哲学的な感じの本も読んでみました。
これは、著者が読者に100のたとえ話を投げかけて、普段真剣に考えたりはしないことをじっくりと考えることを促す本。
たとえば、

「ATMで1万ポンドおろしたのに出てきたのは100万ポンドだった。これはわざと盗ったものではないが、このお金を返さないと窃盗になるのだろうか?」
「道徳的に嫌悪感をもよおす映画でも、映像や音楽など芸術的に素晴らしければ賞賛されるべきなのだろうか?」
「全能の神は四角い丸を作れるか?」

などなど。
たとえ話はちょっとわかりづらいものや、内容がSF的すぎて自分に置き換えて考えられないものも少なくないのですが、普段意識にのぼらないことを考えてみるきっかけになると思う。

で、この本を読んでいて文化の違いをすごく感じた話が2つありました。

48.合理性の要求 理性はいつでも正しいのだろうか?
例題として、
つねに合理的であることを心がけてきた女性が、とても頭のいい友人に説得されて爆弾を爆発させ、罪のない多くの人を殺そうとしている。彼女はこれが間違っているとたしかに感じるのだが、友人の論拠のどこが間違っているのか言い当てられない。合理的な議論を拒んで感覚や勘に頼るのは間違いだとずっと考えてきたが、この場合は合理的でない道をあえて選ぶべきなのか?
という話が書かれたあと、著者のコメントが続くのだけど、

「わたしたちはこれまでの経験から、人々が合理的な主張をかたく信じて、ひどい行いをしてきたことを知っている。たとえば、スターリンのロシアや毛沢東の中国では、友人を告発するのが最良のことと教えこまれていた。広島と長崎への原爆投下に異議を唱える人でも、原爆を落とす決断を下した人間は、大部分が、やむにやまれぬ理由によってそうしたのだと受け容れるだろう」って書いてあって、ホントにビックリした。
反対論を唱える人でも「落とした方の立場も考えたら仕方がないよね」って考えてくれている、って根拠もなく思いこんでいるのが信じられない。。。
原爆を落とした人間が合理的な判断をしたのかどうかもかなりあやしいので、例としてあげるのもどうかと思うんだけど…。
てかこれ、文章がおかしいのでは?
ふつうに「原爆を落とす決断を下した人間は、それが合理的だと思いこんで、沢山の民間人を凄惨な死に追いやった」って書けば話の筋道がたつのに(そういうニュアンスにしないとその前の中国の例と噛み合わない)、そういわないあたりに著者の葛藤が感じられるような。
(著者は原爆投下が間違いだと思ってはいるが、世論は賛成派が多いので表立って主張できない、と感じる。。。)

もうひとつ、
54.ありふれた英雄 道徳的行為と英雄的行為はどう違う?
仲間を助けるために、手榴弾を抱え込んで死んだケニー二等兵。
しかし彼が軍人の勇気を讃える勲章を授からなかったことに家族はとても驚いた。
すべての軍人はつねに全連隊の利益となる行動を求められるので、この行動は軍人としてはとるべくしてとった行動だから、という理由で…。
という話。

この、英雄であることが賞賛される感じ、日本にはないなぁーと思った。
日本人の家族なら死んで勲章を授かるくらいなら平凡でも生きていてほしいと思うだろうし。家族が戦死して動揺して嘆き悲しんでいるところから、「なんで勲章もらえないのよ!」って感情にはなかなか行き着かないだろうなぁ。
「家族はとても驚いた」のところにとても驚いた。

という感じに、私はなんだか斜に構えて読んでしまったけど、なかなか考えさせられるところもある本でした。

*データ*
著者:ジュリアン・バジーニ
訳者:向井和美
出版社:紀伊国屋書店
定価:1800円(税別)
ISBN: 978-4-314-01091-7


『放蕩記』

2013年01月10日 22時50分54秒 | Books
女同士の難しい関係その2、今度は母と娘です。
この小説は作者の自伝的小説らしいです。

*あらすじ*
夏帆は38歳の作家、離婚歴あり、今は7歳年下の恋人、大介と同棲している。
夏帆は母・美紀子に会うたびに感じてしまう苛立ちを隠すことができず、実家に訪れたあとに大介に指摘されてしまう。
どうしてだろう、昔はあんなに好きだったはずなのに…。
冗談好きで、快活で、茶目っ気があっておしゃれで…、でも裏を返せば、どんなときも自分が中心でないと気がすまず、自分が絶対の厳しい躾をする母だった。
わだかまりなどと一言でいえるものではないが、そうとしかいいようのない気もする。
思えば色々あった家族だった…父と母の馴れ初め、音信不通の兄、父の不倫と母のヒステリー、それに続く事件…。
大介に語りながら過去を思い出す夏帆だったが、そんなある日に父から電話があり…。


母と娘、ってすごくうまくいっている家もあるけど、こじれてしまったらこれほどどうしようもないものもないと思う。
なんか読んでて、あー、こういうところ私もいやだったな、とか、そうそう、もうちょっと子どもの気持ちをくんでこうしてくれればよかったのに、とか、いやいやうちの母はここまではしない(笑)とか思うところがいろいろあった。
うちの母はどっちかというと女っ気がなかったほうなので、綺麗なお母さんってうらやましいなと思っていたんだけど、こんな「いつまでも女」なお母さんだったらこんなにしんどいんだっていうのを疑似体験できた感じ。
やっぱりほどほど・そこそこ・中庸がいいってことか。

かなりいろんな事件が起こる家だけど、こんな家も実在するんだろうな。
結局激しくぶつかることはあっても、大概のおかあさん、って年をとると丸くなって可愛くなってしまうような気がしてる。
(そうじゃないはげしめな人もいるけど。)

「子どもなんて産んだことのない私が言ったら(妹の)秋実に鼻で嗤われちゃうかもしれないけど」という夏帆に大して、大介の「子育てってものを親側の理屈や都合で考えるんじゃなくてさ。子どもだった時に苦しんだことのある人の側から、自分はこういうふうにされて辛かった、だからそれだけはやめようよって声をあげることは、じつはすごく大事なことなんじゃないかと俺は思うよ」という一言に、なるほど、と思ったのでした。

*データ*
著者:村山由佳
出版社:集英社
定価:1600円(税別)
ISBN:978-4-08-771422-7



『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』

2013年01月10日 20時55分02秒 | Books
あけましておめでとうございます。
まだまだ本続きます。
この本は、ピダハンと呼ばれるアマゾンとともに暮らしながら住民の言語を研究したいたキリスト教の宣教師が書いたもの。
私たちが当たり前だと思っている世界観を、この本は見事に覆してくれます。

*あらすじ*
著者のダニエルは、ピダハン語を研究しピダハン語の聖書を作るため、妻・幼い娘・息子とともにピダハンの村に住み始める。
前任者からある程度の情報は得ていたものの、ピダハンの世界観はあまりにもダニエルの世界観とは異なっていた。
戸惑いつつもピダハンに魅せられていったダニエルは、ついには当初の目的であったはずの信仰も、家族も捨て、ピダハン研究に人生を捧げることに…。

そうなんです!!
ビックリすぎるのですが、この著者は宣教師であるにも関わらず、ピダハンに魅せられてキリスト教を捨ててしまうのです。
宣教師が信仰を捨てるってよっぽどのことですよね。。。
彼の奥さんは両親が宣教師で、彼らの赴任地であるアマゾン育ち。
もちろん熱心なキリスト教徒で、布教への思いも強い。
ピダハンの村でこの奥さんと娘はマラリアにかかってしまうのですが、あまりの病状の悪さにダニエルが小さいボートで病院のある町に連れて行こうとすると「信仰を捨てるつもり?!」と抵抗するくらい気丈なひと。
そういう状況で、信仰を捨てるということは家族との離別も伴っていたのです。。
(てか宣教師って赤ちゃんまで赴任地に連れて行くんですね…!)

で、宣教師にそこまでさせるほど魅力的な人々、ピダハンとは。。
彼らの言語体系や世界観はびっくりするほどに私たちとは違っているのです。

まず、自分の体を基準にした「右」「左」という言葉がない。
彼らは常に川の見えるところで生活しているため、川を基準に位置づけをしているそうなのです。
そして、赤ちゃん言葉がない。
彼らの生活環境は厳しいため、子どもでもひとりの人間として扱われているからだそう。
ひとつの単語に複数の修飾語がつくこともなく、文章に入れ子構造が見られない。
例えば、「ダン(ダニエル)が買ってきた釣り針を持ってきてくれ」と言うのには、「釣り針を持ってきてくれ、ダンがそれを買った、同じ針だ」というように。
そして、創造神話がない。
だいたいどの文化にも、この世界がどんなふうにできあがったのかという神話があるものらしいのだけど、ピダハンにはそれがない。
基本的に自分が直接見聞きしたことやものしか言葉にしないらしいのです。

だから、ダニエルがキリストの話をしても、
「イエスはどんな顔をしているんだ?」
「ずっと昔の人だから、私は会ったことがないんだ」
「じゃあどうして、そいつのことがわかるんだ?」
「…」
ということになってしまう。
ここでは、聖書に書かれているとかはまったく根拠にならない。

一番違いを感じたのは、彼らの「死」にたいする態度。
アマゾンの厳しい環境で暮らす彼らには、死は常にそこにあるもの。
だから、妻と娘がマラリアで死にかけて、ダニエルが必死で窮地を訴えても、遠巻きに見守るだけだったのは、彼らから見たら二人はすでに助からない状況にあることは明確であり、助からない人間に手を貸すよりも彼ら自身が生きるためにしなければいけないことが他に沢山あるから。
秘境ともいえる地に、人々を幸せにするという名目で赴任してきながら、その生活は文明の利器に頼り、家族が病気になればさっさと元いた文明の地に助けを求めに行く…それってものすごい偽善だと思う…ピダハンは同じ病気になっても死ぬしかないのに…。
(てかこんなところまできてコーヒー飲む習慣くらい我慢できないのか。。。)
また、ダニエルがある程度ピダハン語を解するようになって、キリスト教の話を始めた頃。
彼は自身が宣教師になるきっかけとなったおばの自殺を語ったのです。
もちろん、いままで彼の話を聞いた人たち誰しもが涙を流したように、ピダハンたちも感じ入ってくれることを疑いもせず。
しかし、ピダハンの反応はまったく予想外のもので、なんと彼らはその話を聞くなり大爆笑したというのです。
「ハハハ、バカだな、なんで自分で命を絶ったりするんだ?ピダハンはそんなことをしない」

命の大切さにきちんと向き合い、幸せに生きているのは結局、ピダハンのほうではないのか?
ダニエルは結局それに気がついて、信仰からはなれて行ったのです。
結局幸せなひとたちに、むりやり別の信仰を押し付けることはできないのだから。
ダニエルの恩師であるバイオラ大の教授の言葉が重い。
「救いの前に彼らを迷わせなければならない」
この先生がどういう立場で言ったのかあまりよくわかりませんが、、これは本当だと思う。

最後にピダハン語にない言葉をもうひとつ。
「心配する」

*データ*
著者:ダニエル・L・エヴェレット
訳者:屋代通子
出版社:みすず書房
定価:3570円(税込)ハードカバー
ISBN:978-4622076537




『はぶらし』

2012年12月30日 21時27分54秒 | Books
図書館で予約していた本が年末にどどっと…。
いやおうなく読書三昧です。
まずはこれ、『はぶらし』。
主人公は恋人と別れたばかりの独身女性、そこに昔の友人が訪ねてきて、、、という設定です。
自分だったらどこまでできるか?と考えさせられてしまう。

*あらすじ*
脚本家の鈴音は最近恋人と別れたばかり。
そんなところに中学校のときの友人、水絵が電話をかけてくる。
せっぱつまった様子の水絵に呼び出されて最寄り駅まで行くと、こどもを連れた水絵の姿が。
話を聞くと、夫の暴力が原因で離婚して、なかなか仕事につけず困っている、一週間だけ家に泊めてくれないか、、、と頼まれる。
鈴音は断りきれず、二人を家に上げる。
しかし、別の中学時代の友人との話で水絵に窃盗癖があったことを聞いた鈴音の心には重苦しいものがのしかかるのだった。
それでも一週間だけ、とわりきって考えていた鈴音だったが。。。


重いテーマですね。。。
苦境に落ち入っている友人を(それもだいぶ長いこと連絡をとっていない友人を)どこまで助けられるか?って。
好きな異性(もしくは同性でも親しくしている友達)なら当たり前ですることなのに、どうして水絵には優しくできないんだろうと鈴音が思い悩むのも無理はない。
てか、ちゃんと考え方が合えばいいけど、借りたはぶらしを返すのに、新しく買った方ではなくて使った方を返すって、、、これはのけぞってしまうー。
実は水絵にもいろいろ事情はあったのだと、後の方で少しは明かされるものの、この状況はつらい。

「二十年後、立場はまるで逆転しているかもしれない。水絵には頼りになる立派な息子がいて、鈴音は仕事もうまくいかなくなって、たったひとりのままでいるかもしれないのだ」

鈴音が悶々とするように、人生なんて何が転機になって、何がどう転ぶかなんてわからないのだ。

*データ*
著者:近藤史恵
出版社:幻冬舎
定価:1500円(税別)ハードカバー
ISBN:978-4-344-02241-6






『LOVE & SYSTEMS』

2012年11月04日 19時59分20秒 | Books
最近の読書。
新聞の書評に載っていたので気になった本。
中島たい子って読んだことあったような気がしていたけど、この本が初めてでした。

*あらすじ*
国が決めた相手と結婚することが定められており、国民はファミリーネームのみでファーストネームを持たないN国。かたや、結婚という制度が無く、子供は全員施設で育てられることが決まっており、国民はファーストネームのみでファミリーネームを持たないF国。
大学を出たばかりで来年国が決めた男性との結婚が決まっているN国の女性・ヤマノは、F国から取材にきたジャーナリスト・ロウドの取材を受けることになり…(『アマナ』)。

『アマナ』『トレニア』『ナコの木』『ヒメジョオン』と題した4つの短編が収録されているのですが、全部ロウドが軸になってつながっています。
『アマナ』のN国は日本、ロウドの国F国はフランスを極端にした未来の姿を彷彿とさせます。
『トレニア』の舞台になっている、高齢化が進んで衰退の一途をたどっているJ国も日本みたい。
現状に政府が強く介入した姿がN国、問題を放置した姿がJ国という感じ。
ここに描き出されるどの国も極端なんだけど、未来としてはありえなくもないか。。とも思えます。
N国では女性は全員結婚して専業主婦となるため、少子化は食い止められていますが、恋愛感情や女性の自己実現は無視された世界。
対照的なF国では男女ともに「自分であること」を強く求められ、恋愛も自由でつきあっては別れを繰り返す世界。その代わり、自分の手で子供を育てることはできず、家族という単位は存在しません。
どっちも今の私たちから見ればゆがんでいるように見えるけど、昔の貴族の世界ではどこの国でも政略結婚が当たり前にされていたし、高貴な人となれば乳母が子供の面倒をみていたから実の子であっても現代よりはふれあうことが少なかったはず。
誰かを好きになって、結婚して、子供ができて、、、という人生の花盛りで迎えるイベントが、個人の意志決定を超えていかに時代背景や政策に左右されるか考えさせられます。

日本は結婚する人が減ったと言われていますが、恋愛結婚の割合はしばらく前からほとんど変わっていないそうで、ようするにお見合いに持ち込む世話焼きな人が減ったことは結構大きなファクターみたいです。

「たぶん、かなり薄いんです。恋愛に対して抱く感情が。あなた方よりも。それよりも私たちは、家族や親族という集団に抱く愛情の方が強くて深い。家族主義の制度になって、よりそうなったのかもしれませんが、もともとそういう素質、DNAを持っていた民族なんだと思います」というヤマノの台詞にはそうなんだよなぁ、、と思わされるところがあります。
「結婚はともかく、子供が欲しい!」っていう未婚女子、まわりに結構多いもんなぁ。
何をきっかけにしてここまで国民性が違ってしまったのか、不思議。

*データ*
著者:中島たい子
出版社:幻冬舎
定価:1400円(税別)
ISBN:978-4-344-02229-4

『舟を編む』

2012年08月26日 13時04分29秒 | Books
ブログ放置してしまった。。。

最近あまりぐっとくる本が無かったのだけど、あの話題作を読んだら意外とぐっときたのでご紹介☆
三浦しをんの『舟を編む』です。

*あらすじ*
荒木公平はこれまでの人生を出版社での辞書編纂のために捧げてきたが、新たに刊行が決まった辞書『大渡海』の仕事をやり残したまま定年を迎えることになった。
そんな彼が自分の後任として営業部から引っ張ってきたのは入社三年目の馬締光也。
日本語に人生を支える老学者の松本、この上なくチャラく自信過剰だがだんだんと辞書の編纂に愛着を覚えだす西岡、いつも冷静な契約社員の女性・佐々木らと辞書編纂の仕事に携わることになる。
しかしお金のかかる辞書の発行に会社は乗り気でなく、刊行中止との噂も流れ始める。
そんな折、下宿人が馬締ひとりだった下宿先にひとりの女性が現れ…。


馬締のキャラクターが最高にいいです。
常に敬語だし、ことばのことになると周りが見えなくなるし、発想がとんでるときがあるし、会話部分のテンポがよくて面白いです。
西岡のツッコミもなかなか的確だし(西岡自身もつっこみどころ満載なんですが)。
ひとつの仕事が形になっていくところは感動的です。
世の中にはたくさんの仕事があって、たくさんのモノが作られているけど、普段何気なく接しているモノの背後にはたくさんの努力や、思い入れや、知識や、技術がつまっているんだなぁ~と改めて思います。
辞書はもちろん、モノを見る目が変わるかも。

「島」はどうやって定義づける?
「のぼる」と「あがる」の違いは?
「めれん」の意味は?
この本を読むとわかるようになります

*データ*
著者:三浦しをん
出版社:光文社
出版年:2011年
定価:1500円+税(ハードカバー)
ISBN:978-4-334-92776-9




『森に眠る魚』

2012年02月26日 14時53分02秒 | Books
角田光代の本です。
これまでの角田光代にはないドロドロぐあいで、びっくりしました。
ジャンルはホラーですな・・・。

*あらすじ*
同じ幼稚園にこどもを通わせることになった高原千花、久野容子、小林瞳
千花は比較的裕福でしっかり自分の考えを持っているタイプ、容子はわりとおとなしく地味なタイプ、瞳は昔不登校を経験しているものの中庸なタイプ。
さらに瞳が産婦人科で知り合った、若くサバサバした繁田繭子も含め、ママ友として親しくつきあうようになる。
仲良く出かけたり楽しく過ごしていた時もつかの間、小学校受験のシーズンが近づいてくる。
はじめはまったく気にかけていなかった小学校受験や幼児教室が、だんだんと気になってきた千花、容子、瞳。
飛び交う情報に翻弄され、いつしか相手の裏を読もうとし始め、やがて3人は険悪な雰囲気に…。


いやいや、ママ友怖いよ~!!
今の幼稚園って、お受験って、こんな感じなのかな?!
だんだん生活がすさんでいく繭子も怖いし。
そしてママが怖いのと対照的に、その夫たちの存在感のなさといったら。脇役ですらない。
温かいホームドラマなどここにはないのです・・・。
ドラマ「名前をなくした女神」と同じ空気。(原作ではないみたいだけど。)
誰も幸せにならないってすごいですね。
主人公のママたちにしても、そのこどもたちにしても、人生まだまだ長いのに。

この話、明らかに1999年の音羽幼女殺人事件を下敷きにしてます。
最後の方に、事件現場になった幼稚園前の駐車場と公衆トイレがモチーフとして出てきて、、個人的にこの場所よく知ってるのでリアルに想像してしまって怖かった。
事件そのものを物語にしているわけではないので、ほんとうに断片的にしか差し込まれないんだけど、出てくるお母さんが加害者・被害者に似てる設定だったりする。

こども持つ前のひとがこんな本読んだらこどもを持つのが怖くなりそう。
こんなにドロドロしてることもそんなにないと思うんだけどな??

角田光代の本は、『八日目の蝉』にしても、女性ならではの苦悩にとらわれても最終的には女性ならではの見方で未来への光が見えたりするんだけど、ここまで救いのない話をなんで書いたのか…。
「女性ならでは」ってとこに収束するのかもしれませんが。
人間にとって一番怖いのはやっぱり人間なのかもね。

*データ*
著者:角田光代
出版社:双葉社
定価:1500円(ハードカバー、税別)
ISBN:978-4-575-23649-1

『こちらあみ子』

2012年02月05日 10時45分26秒 | Books


*あらすじ*
一風変わった女の子、あみ子。
家族はお父さん、お母さん、そしてお兄ちゃん。
母が開いていた書道教室に通ってきていた「のり君」が大好き。
無邪気なあみ子の行動や発言は、家族も、のり君も巻き込んで、大きな変化のきっかけをつくってしまう。。。


2010年太宰治賞受賞作。

あみ子は痛々しいほどに無邪気で、裏表がなく、まわりとはちょっと違う自分の世界を持っている。
周囲の人が傷ついたり、悩んだりしている中で、相手の気持ちを汲み取ることができずにまったくの善意からつっぱしり、結局相手をよけいに傷つけてしまう。
最初の方は「ちびまる子ちゃん」がイメージとして浮かんできたけど、読み進めるにつれてあみ子の激しさに「ひ~~!それをやっちゃいかんやろ~~」とびびってしまいました。
冒頭に登場するのはおとなになったあみ子で、前歯がない。
近所の女の子にその理由をきかれ、熱愛していた男の子にパンチされてどっかとんでった、と答える。
ストーリーとしてはそれがプロローグで、あみ子が大好きなのり君に殴られて歯を失うまでのいきさつが主軸になっている感じ。
のり君は品のいい好少年(?)として描かれているのに、歯を折るほどなぐるの??この子が??あみ子何した??と気になって、仕方なくなります。
そして、のり君がついにあみ子を殴るシーンまでいきついて、納得
そりゃ殴っても仕方ない!!と思えるほどのショックがのり君を襲うわけです。
あみ子の破壊力半端ないです。

普通に考えたら、あみ子は善意と熱意しか持っていないような子で、それが周りの人を不幸にするなんて話、まったくもって暗いのに、話があみ子の一人称で「ど~してかな~、なんかおこってる~~??」みたいな流れで進むので、ショックは受けつつもあんまり悲しくならない。
最後の方で出てくる、名前すら語られない坊主頭もちょっとした希望を与えてくれるし。

でも自分のまわりにあみ子いたら、、、大変だなぁ。。。

*データ*
著者:今村夏子
出版社:筑摩書房
定価:1400円(税別、ハードカバー)
ISBN: 978-4-480-80430-3