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藤川三渓生誕200年記念祭、ハングル書芸講習会

2015年11月21日 | 日記

11月21日(土)、多忙な一日の始まりです。朝7:00に家を出て高松市三谷に向かいました。幕末の儒学者で日本近代水産業の開拓者で藤川三渓の生誕200年祭に参加するためです。藤川三渓の略歴は下記のとおり。ここ数年調査している中山城山の重要な門下生の一人です。

藤川三渓 (ふじかわさんけい) 文化13年~明治24 (1816~91)  76歳      讃岐山田郡三谷村の生まれ。名は忠猷(ただみち)、字は伯孝、通称は求馬・能登・将監など。儒医である父南凱から学問の手ほどきを受け、中山城山に経史を学ぶ。長崎で高島秋帆に砲術を学び、江戸で輪王寺一品親王の侍講となり、高杉晋作ら尊王志士と交わった。日米和親条約締結後は北海道に渡り北辺を視察した。高松へ帰藩後は日柳燕石・小橋香水と交わった。海防のために農兵500名を組織し龍虎隊を結成、自ら隊長となって洋式訓練を施し屋島長崎ノ鼻に砲台を築いた。維新後は太政官正院権小史などを務め明治14年に退官。長崎で習得した銃殺捕鯨を生かし開洋社を設立した。また大日本水産学校・大阪水産学校を設立し、水産事業の発展に尽くした。

8:30ごろに会場に到着。少し歩いて、まずは9:00から藤川家墓地でプログラムがありました。銅像の除幕式というイベントを生まれて初めて見ました。除幕の直前の状況が興味深かったです。こんな風にひもを両側から引っ張ります。左手前が実行委員長の植田氏です。

銅像製作者の彫刻家 池川直(いけがわすなお)先生です。香川県出身で現在は鹿児島大学教授。日本の彫刻界でご活躍中の方です。製作にあたって、三渓の生涯を詳しく調べてイメージを作りあげたそうです。芸術家にとっては事前のイメージ作りがとても大切です。威厳のある銅像になりました。池川氏の略歴は下記のサイトをご覧下さい。西郷隆盛像なども手掛けているそうです。

http://www007.upp.so-net.ne.jp/sunao-ikegawa/biography.html

その後、三谷地区コミュニティセンターに移動して、記念式典が始まりました。三渓の名前を付けた「高松市立三渓小学校」の子供たちが、藤川三渓の歌を歌いました。とても好感の持てる子供たちでした。素晴らしい教育が行なわれていることがわかります。儒学者の雅号が名前に付けられた学校というのは、全国的にも珍しいと思います。偉大な学者の精神は現代にも引き継がれています。

その後に、田山泰三先生の講演が始まりました。「藤川三渓先生を讃えて ー三渓をめぐる新発見を中心にー」という題名です。

講演直前に、「今回は小学生に大志を抱かせるための講演だ」とおっしゃっていました。たいへんわかり易い、楽しい講演でした。

懇親会に30分だけ出席した後に、神戸市長田区に移動しました。約2時間で神戸韓国文化教育院に到着しました。ハングル書芸の講習会の講師として呼ばれたためです。学外でハングル書芸を指導するのは、数年ぶりの事でした。兵庫県や大阪府の高校・大学で韓国語を教えておられる韓国語の先生たちのための研修会です。参加者は14名。以前から知っている先生もいました。ほとんどが韓国から来られて、日本で韓国語を教えておられる方です。兵庫県には韓国語授業がある高校が20校もあるということでした。1時間ほどパワーポイントの映像によって説明し、約1時間で実際に書いて作品化しました。

今回は事前に、研修の表題の横断幕も書かせて頂き、送ってありました。版本体です。その前のホワイトボードに参加者の製作した作品を貼りました。皆、なかなか力作です。あっという間に2時間が過ぎました。

終了後は場所を移動して、懇親夕食会に1時間ほど出席しました。チョンキテク院長さんや韓日語学院のホンソンフン先生、韓国の延世大学から営業に来られていたハンスンク先生と楽しく会話してから帰りました。帰ると21時を回っていました。なかなか多忙でしたが、良い経験をした一日でした。

 

 


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