<日本兵は正直者だった!代表が鹿内信隆と中曽根康弘>
新年早々、読者の一人がかつてフジ産経グループを率いた鹿内信隆と日経連会長の桜田武の対談集の一部をメール送信してくれた。先には大手出版社の編集者が、明治天皇と三菱の岩崎弥太郎が、日本郵船を使って無数の日本人未婚女性を海外に売り飛ばしていたという秘事に度肝を抜かしてしまったばかりである。「近代化の明治」というねつ造史を、根底から暴いているが、今回も侵略日本軍(皇軍)の正体を暴いて余りあろう。隣国の半島と大陸で、現在も歴史認識・慰安婦問題・徴用工問題が噴火している元凶だ。まさに、こうした土壌下でのTBS山口強姦魔もみ消し事件や、やくざ強姦魔による「木更津レイプ殺人事件」が起きたものだ!伊勢神宮での「神の国」記者会見を痛烈に批判している。戦後民主主義が、厳しく問われていることでもある。
<日本軍と慰安所開設の史実>
韓国の議会関係者は、安倍が首相として、生存している元慰安婦に直接会って、真摯に謝罪するほか、解決の道はないと語っている。寝た子を起こした張本人である安倍晋三の責任であるのだから、それは当然のことであろう。
それを、国内でのモリカケ強姦事件のように逃亡してやり過ごそうとしても、国際社会では困難であろう。たとえ今日の伊勢神宮で「吹かないカミカゼ」を吹かしても不可能である。
日本軍による慰安所開設は、鹿内の証言によっても事実なのである。サンケイ出版が現在も裏付けている。
筆者は、上海で慰安所の一つを見ている。ナベツネの前の読売政治部長の多田実先輩も一緒だった。
<現地調達の指令>
鹿内は、慰安所は現地調達で行うものだ、ということも証言している。
主として半島と大陸の女性、中にはオランダ人女性も含まれていたことも判明している。フィリピンなど東南アジアの女性も、である。中曽根康弘の記述だと、インドネシア人女性を「土人」と呼んで、慰安所に送り込んでいたことも発覚している。
<靖国神社の文庫に所蔵>
これらの鹿内証言記録は、戦争神社の靖国神社の文庫に保管されている。
韓国人の元慰安婦が声を上げることで、日本侵略戦争の性暴力が表面化したものだが、正直な日本兵が、この恐ろしい秘事を打ち明けていたのである。その点で、鹿内は正直な日本兵だったことになる。
<大勲位 中曽根康弘も記述>
同じく中曽根康弘も、インドネシアでの慰安所開設を自画自賛している記述を残した。問題は、鹿内も中曽根も、反省も謝罪もしていない点である。
現役記者のころ、中曽根に尊敬する人物を聞いたところ、彼は即座に明治天皇と答えたものだ。明治天皇が、岩崎と共同して、日本の未婚女性を売り飛ばしていた史実を知らなかったのかもしれない。軍刀を前にしての明治天皇のポーズにあこがれた中曽根も、軽薄な人物に他ならない。
<やくざ浜名に強姦・性奴隷・殺害された「木更津レイプ殺人事件」の美人栄養士>
不覚にも現役時代には、こうした性暴力についての認識が欠落していたジャーナリストだった。2014年4月28日に急死した美人栄養士の取材で「やくざによる強姦・性奴隷・脅迫殺人」(木更津レイプ殺人事件)を知るまで、やくざによる無数女性の性暴力に気付かなかった。
筆者レベルの記者は、いまも多いに違いない。週刊誌記者や社会部記者は知っているだろうが、なぜか活字に残さない。この点について今も不思議でならない。
記事にすることによる報復を恐れているのかもしれない。合わせて警察力の無力さが災いしているものか。
列島の多くの歓楽街・性風俗ビジネスの全ては、やくざの縄張りである。そこで働かされている女性の大半は、やくざにレイプされ、性奴隷を強いられている悲劇の女性らだ。
その被害者数は、数万人どころか、数十万人以上である。人生を奪われたこれら現代の性暴力に対して、見て見ぬふりをしている神社神道首相に怒りを覚えるものである。
<伊藤詩織さん支援を忘れるな!>
2014年4月の時点から、しばらくしてやくざによる性暴力犯罪に重大な関心を抱くようになったジャーナリストである。同時に従軍慰安婦問題にも、格別の思いで対応してきたものだ。
その延長線に勇気ある伊藤詩織さん事件に遭遇した。国会の女性議員が支援の国会活動を始めるだろうと思い込んだのだが、悲しいことに自民党と公明党の女性議員は、見て見ぬふりをした。
卑怯者である。自公の女性議員は、女性の人権問題とは向き合えない悪党なのだ。日本国民は、このような議員を罷免する運動をしなければならない。
日本国内で大活躍できる伊藤詩織さんにするための環境づくりを急がねばならない。伊藤さんを強姦した人物は、安倍の悪徳権力で救済されたものであることを、国民は承知している。
本日の安倍会見は、憲法違反の伊勢参拝の下でのものである。女性の敵の代表でもある心臓に屈してはならない。主権者は、安倍の野望阻止を本年の目標にすべきで責任と義務があろう。
2019年1月4日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
おはようございます。
ネットのなかに晒されていた文章を見つけたので貼り付けます。
八千代 青柳
鹿内信隆 (醜い産経グループの議長❓)
鹿内は戦中、陸軍経理部に招集されていたのだが、産経新聞社長就任後に桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版/絶版)を出版。陸軍時代の思い出話をこんなふうに語っている。
「鹿内 (前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋が……。
桜田 そう、慰安所の開設。
鹿内 そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった」
鹿内は召集後、1939年4月から9月にかけて陸軍経理学校で軍の後方支援のノウハウを学んでいたのだが、そのときに、慰安所の作り方も叩き込まれたというのだ。しかも、その内容は今、右派メディアがしきりに喧伝している「公衆衛生の管理だけ」というようなレベルではない。鹿内の発言に「調弁する女」という表現が出てくるが、「調弁」というのは軍隊用語で兵馬の糧食などを現地で調達するという意味。つまり、これは陸軍が慰安婦の調達に関与していたということではないのか。
さらに衝撃的なのが「女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか(中略)といったことまで決めなければならない」という発言だ。当時の日本軍が現地の女性を完全にモノ扱いし、どんな女がいいのかを品定めする作業までをも士官に命じていたことを証明するものだ。
断っておくが、この鹿内発言は老人の妄想でも記憶違いでもない。靖国神社の一角に靖国偕行文庫という図書館があるのだが、そこにこの鹿内発言を裏付ける一冊の本が所蔵されている。
300ページ以上はあろうかという分厚いその本のタイトルは『初級作戦給養百題』。昭和16年に陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書だ。
表紙はハードカバーで、「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」という文字。その9ページ目、第一章総説に、師団規模の部隊が作戦する際に経理将校が担当する15項目の「作戦給養業務」が解説されているのだが、その最後の項目「其他」の解説に以下の任務が列挙されていたのだ。
1 酒保ノ開設
2 慰安所ノ設置、慰問団ノ招致、演藝會ノ開催
3 恤兵品ノ補給及分配
4 商人ノ監視
ようするに、陸軍の経理将校向け教科書に任務として「慰安所ノ設置」が掲載されていたのである。軍が関与したのは衛生面の管理だけという保守派の主張が、明らかな嘘だということがよくわかるだろう。
もちろん、こうした事実を産経新聞をはじめとする右派、保守派が知らなかったわけはない。少し前に中曽根康弘元首相が「土人女を集め慰安所開設」していたという戦時記録を紹介したが、今回は自分たちが中興の祖とあおいでいる人物が自社の単行本で軍の組織的な関与を認めていたのだ。
しかも、中曽根元首相の証言でも明らかになったように、軍は現地で娼婦でない女性たちも徴収している。これでほんとうに、従軍慰安婦のことを「自ら志願した高級娼婦」などと信じているとしたら、どこかおかしいとしか思えない。
ようするに、保守系メディアはこうした事実を知っていながらそれをネグり、あらかじめ強制連行の定義を「軍が銃剣を慰安婦に直接突きつけて連行した」という非常に狭いものに限定し、それを否定することで、巧妙に情報を誘導してきたのである。朝日が歴史を捏造したというなら、産経をはじめとする保守メディアもまったく同罪なのだ。
しかも、中曽根首相、今回の鹿内信隆フジサンケイグループ元議長の発言でもうひとつはっきりしたことがある。それは、彼らが従軍慰安婦に対していささかも自責の念を抱いていない事だ。それどころか、まるで笑い話のように、「慰安所をつくってやった」「女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとかまで決めなきゃならない」と語っている。
狂気のるつぼだった戦中ならともかく、戦後20年以上たってもこんな発言を嬉々としてできるというのは、そのベースに「女性はセックスのための使い捨ての道具」という差別意識が横たわっているという事に他ならない。そして、このメンタリティは、従軍慰安婦像に紙袋をかぶせるような性差別ギャグを嬉々としてほめたたえる今の右派メディアや嫌韓本、百田尚樹などの右派言論人にもしっかりと引き継がれている。
彼らの姿が今の日本人を代表するものだと思われているとしたら、それこそが「日本の恥」ではないか。
(エンジョウトオル)
白馬事件
産経新聞が「慰安婦は強制性がなかった」「自発的な売春婦」と先頭に立って喧伝してきた事は衆知のことだが、“産経のドン”として君臨していた鹿内信隆産経新聞社長・フジサンケイグループ会議議長が日本軍の経理担当の主計将校時代に自ら慰安婦の設置・運営業務に携わっていた事実を知る人は少ない。
当の産経新聞がひた隠してきたからである。
事実を知っていながら隠蔽し、全く逆の言辞を紙面で臆面もなく書き連ね、読者を欺いてきたことになる。
言論機関として、それ以前に、人間として許されるのか、大いに疑問である。
鹿内は1990年に没するまで産経グループに君臨したが、1983年に桜田武日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版)で以下のような対話を交わしている。
桜田「慰安所の開設」
鹿内「その時に調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか、悪いとか・・・、持ち時間が将校は何分、下士官は何分・・・といったことまで決めなければならない(笑)
こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった。」
この会話は、慰安婦が旧日本軍によって組織的系統的に運営されていた事実を如実に語っている。
強制性があったことも明白だ。調弁というのは、兵馬の糧食などを現地調達することを意味する軍隊用語である。牛馬同様に見なしていたことが分かる。
業者を使ったので軍が直接関与していていないというのは本末転倒の詭弁である。
鹿内の道徳的な退廃度は噴飯ものである。
手柄話のように笑いながら慰安婦を話題にしており、女性への性暴力との認識は欠片もなく、女性を男性の性奴隷のようにみなしている。
それが当時の日本軍の風潮であり、戦後も続いていたということである。
やはり主計将校であった中曽根康弘元首相も今は口を閉ざしているが、「土人女を集めた慰安所開設」について語っていた。
鹿内は産経新聞の経営権を強引に掌中に収めた後、800人もの首切りで経営方針を自分に従わせた。産経グループを今日のように戦争犯罪を隠蔽、合理化する体質に変えた張本人と言える。
鹿内の話を裏付ける史料も研究者によって発見されている。
旧日本軍作成の部厚い『初級作戦給養百題』がそれで、9ページの「第一章創設」に「2 慰安所の設置」とある。
鹿内は1939年4月から9月まで陸軍経理学校で学んでおり、同教材で学んだ後に現地に赴いたとみられる。
中国に侵略していた北支那方面軍の岡部直三郎参謀長が「兵士による強姦事件が激増している」として速やかに慰安所設置を求めた通諜(1938年6月27日付)も発見されており、慰安所設置が軍紀維持のために不可欠とされていた内情が浮かび上がってくる。
今後とも中国での元戦犯の証言などが明らかになろう。
オランダ人慰安婦が強制された裁判記録も残されている。
1948年のインドネシアのバタビア臨時軍法会議で旧日本軍のB、C級戦犯11人がオランダ人慰安婦35人に対する強制連行、強制売春、強姦で有罪となり、少佐が死刑判決を受けたのである。首謀者の大佐は日本に逃亡し、自殺した。
スマラン慰安所事件(白馬事件)と呼ばれるもので、南方軍第16軍幹部候補生が収容所のオランダ人女性をスラマンの慰安所に連れ去った。
鹿内が明らかにした慰安所もそれと大同小異のものである。
新年早々、読者の一人がかつてフジ産経グループを率いた鹿内信隆と日経連会長の桜田武の対談集の一部をメール送信してくれた。先には大手出版社の編集者が、明治天皇と三菱の岩崎弥太郎が、日本郵船を使って無数の日本人未婚女性を海外に売り飛ばしていたという秘事に度肝を抜かしてしまったばかりである。「近代化の明治」というねつ造史を、根底から暴いているが、今回も侵略日本軍(皇軍)の正体を暴いて余りあろう。隣国の半島と大陸で、現在も歴史認識・慰安婦問題・徴用工問題が噴火している元凶だ。まさに、こうした土壌下でのTBS山口強姦魔もみ消し事件や、やくざ強姦魔による「木更津レイプ殺人事件」が起きたものだ!伊勢神宮での「神の国」記者会見を痛烈に批判している。戦後民主主義が、厳しく問われていることでもある。
<日本軍と慰安所開設の史実>
韓国の議会関係者は、安倍が首相として、生存している元慰安婦に直接会って、真摯に謝罪するほか、解決の道はないと語っている。寝た子を起こした張本人である安倍晋三の責任であるのだから、それは当然のことであろう。
それを、国内でのモリカケ強姦事件のように逃亡してやり過ごそうとしても、国際社会では困難であろう。たとえ今日の伊勢神宮で「吹かないカミカゼ」を吹かしても不可能である。
日本軍による慰安所開設は、鹿内の証言によっても事実なのである。サンケイ出版が現在も裏付けている。
筆者は、上海で慰安所の一つを見ている。ナベツネの前の読売政治部長の多田実先輩も一緒だった。
<現地調達の指令>
鹿内は、慰安所は現地調達で行うものだ、ということも証言している。
主として半島と大陸の女性、中にはオランダ人女性も含まれていたことも判明している。フィリピンなど東南アジアの女性も、である。中曽根康弘の記述だと、インドネシア人女性を「土人」と呼んで、慰安所に送り込んでいたことも発覚している。
<靖国神社の文庫に所蔵>
これらの鹿内証言記録は、戦争神社の靖国神社の文庫に保管されている。
韓国人の元慰安婦が声を上げることで、日本侵略戦争の性暴力が表面化したものだが、正直な日本兵が、この恐ろしい秘事を打ち明けていたのである。その点で、鹿内は正直な日本兵だったことになる。
<大勲位 中曽根康弘も記述>
同じく中曽根康弘も、インドネシアでの慰安所開設を自画自賛している記述を残した。問題は、鹿内も中曽根も、反省も謝罪もしていない点である。
現役記者のころ、中曽根に尊敬する人物を聞いたところ、彼は即座に明治天皇と答えたものだ。明治天皇が、岩崎と共同して、日本の未婚女性を売り飛ばしていた史実を知らなかったのかもしれない。軍刀を前にしての明治天皇のポーズにあこがれた中曽根も、軽薄な人物に他ならない。
<やくざ浜名に強姦・性奴隷・殺害された「木更津レイプ殺人事件」の美人栄養士>
不覚にも現役時代には、こうした性暴力についての認識が欠落していたジャーナリストだった。2014年4月28日に急死した美人栄養士の取材で「やくざによる強姦・性奴隷・脅迫殺人」(木更津レイプ殺人事件)を知るまで、やくざによる無数女性の性暴力に気付かなかった。
筆者レベルの記者は、いまも多いに違いない。週刊誌記者や社会部記者は知っているだろうが、なぜか活字に残さない。この点について今も不思議でならない。
記事にすることによる報復を恐れているのかもしれない。合わせて警察力の無力さが災いしているものか。
列島の多くの歓楽街・性風俗ビジネスの全ては、やくざの縄張りである。そこで働かされている女性の大半は、やくざにレイプされ、性奴隷を強いられている悲劇の女性らだ。
その被害者数は、数万人どころか、数十万人以上である。人生を奪われたこれら現代の性暴力に対して、見て見ぬふりをしている神社神道首相に怒りを覚えるものである。
<伊藤詩織さん支援を忘れるな!>
2014年4月の時点から、しばらくしてやくざによる性暴力犯罪に重大な関心を抱くようになったジャーナリストである。同時に従軍慰安婦問題にも、格別の思いで対応してきたものだ。
その延長線に勇気ある伊藤詩織さん事件に遭遇した。国会の女性議員が支援の国会活動を始めるだろうと思い込んだのだが、悲しいことに自民党と公明党の女性議員は、見て見ぬふりをした。
卑怯者である。自公の女性議員は、女性の人権問題とは向き合えない悪党なのだ。日本国民は、このような議員を罷免する運動をしなければならない。
日本国内で大活躍できる伊藤詩織さんにするための環境づくりを急がねばならない。伊藤さんを強姦した人物は、安倍の悪徳権力で救済されたものであることを、国民は承知している。
本日の安倍会見は、憲法違反の伊勢参拝の下でのものである。女性の敵の代表でもある心臓に屈してはならない。主権者は、安倍の野望阻止を本年の目標にすべきで責任と義務があろう。
2019年1月4日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
おはようございます。
ネットのなかに晒されていた文章を見つけたので貼り付けます。
八千代 青柳
鹿内信隆 (醜い産経グループの議長❓)
鹿内は戦中、陸軍経理部に招集されていたのだが、産経新聞社長就任後に桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版/絶版)を出版。陸軍時代の思い出話をこんなふうに語っている。
「鹿内 (前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋が……。
桜田 そう、慰安所の開設。
鹿内 そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった」
鹿内は召集後、1939年4月から9月にかけて陸軍経理学校で軍の後方支援のノウハウを学んでいたのだが、そのときに、慰安所の作り方も叩き込まれたというのだ。しかも、その内容は今、右派メディアがしきりに喧伝している「公衆衛生の管理だけ」というようなレベルではない。鹿内の発言に「調弁する女」という表現が出てくるが、「調弁」というのは軍隊用語で兵馬の糧食などを現地で調達するという意味。つまり、これは陸軍が慰安婦の調達に関与していたということではないのか。
さらに衝撃的なのが「女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか(中略)といったことまで決めなければならない」という発言だ。当時の日本軍が現地の女性を完全にモノ扱いし、どんな女がいいのかを品定めする作業までをも士官に命じていたことを証明するものだ。
断っておくが、この鹿内発言は老人の妄想でも記憶違いでもない。靖国神社の一角に靖国偕行文庫という図書館があるのだが、そこにこの鹿内発言を裏付ける一冊の本が所蔵されている。
300ページ以上はあろうかという分厚いその本のタイトルは『初級作戦給養百題』。昭和16年に陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書だ。
表紙はハードカバーで、「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」という文字。その9ページ目、第一章総説に、師団規模の部隊が作戦する際に経理将校が担当する15項目の「作戦給養業務」が解説されているのだが、その最後の項目「其他」の解説に以下の任務が列挙されていたのだ。
1 酒保ノ開設
2 慰安所ノ設置、慰問団ノ招致、演藝會ノ開催
3 恤兵品ノ補給及分配
4 商人ノ監視
ようするに、陸軍の経理将校向け教科書に任務として「慰安所ノ設置」が掲載されていたのである。軍が関与したのは衛生面の管理だけという保守派の主張が、明らかな嘘だということがよくわかるだろう。
もちろん、こうした事実を産経新聞をはじめとする右派、保守派が知らなかったわけはない。少し前に中曽根康弘元首相が「土人女を集め慰安所開設」していたという戦時記録を紹介したが、今回は自分たちが中興の祖とあおいでいる人物が自社の単行本で軍の組織的な関与を認めていたのだ。
しかも、中曽根元首相の証言でも明らかになったように、軍は現地で娼婦でない女性たちも徴収している。これでほんとうに、従軍慰安婦のことを「自ら志願した高級娼婦」などと信じているとしたら、どこかおかしいとしか思えない。
ようするに、保守系メディアはこうした事実を知っていながらそれをネグり、あらかじめ強制連行の定義を「軍が銃剣を慰安婦に直接突きつけて連行した」という非常に狭いものに限定し、それを否定することで、巧妙に情報を誘導してきたのである。朝日が歴史を捏造したというなら、産経をはじめとする保守メディアもまったく同罪なのだ。
しかも、中曽根首相、今回の鹿内信隆フジサンケイグループ元議長の発言でもうひとつはっきりしたことがある。それは、彼らが従軍慰安婦に対していささかも自責の念を抱いていない事だ。それどころか、まるで笑い話のように、「慰安所をつくってやった」「女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとかまで決めなきゃならない」と語っている。
狂気のるつぼだった戦中ならともかく、戦後20年以上たってもこんな発言を嬉々としてできるというのは、そのベースに「女性はセックスのための使い捨ての道具」という差別意識が横たわっているという事に他ならない。そして、このメンタリティは、従軍慰安婦像に紙袋をかぶせるような性差別ギャグを嬉々としてほめたたえる今の右派メディアや嫌韓本、百田尚樹などの右派言論人にもしっかりと引き継がれている。
彼らの姿が今の日本人を代表するものだと思われているとしたら、それこそが「日本の恥」ではないか。
(エンジョウトオル)
白馬事件
産経新聞が「慰安婦は強制性がなかった」「自発的な売春婦」と先頭に立って喧伝してきた事は衆知のことだが、“産経のドン”として君臨していた鹿内信隆産経新聞社長・フジサンケイグループ会議議長が日本軍の経理担当の主計将校時代に自ら慰安婦の設置・運営業務に携わっていた事実を知る人は少ない。
当の産経新聞がひた隠してきたからである。
事実を知っていながら隠蔽し、全く逆の言辞を紙面で臆面もなく書き連ね、読者を欺いてきたことになる。
言論機関として、それ以前に、人間として許されるのか、大いに疑問である。
鹿内は1990年に没するまで産経グループに君臨したが、1983年に桜田武日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版)で以下のような対話を交わしている。
桜田「慰安所の開設」
鹿内「その時に調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか、悪いとか・・・、持ち時間が将校は何分、下士官は何分・・・といったことまで決めなければならない(笑)
こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった。」
この会話は、慰安婦が旧日本軍によって組織的系統的に運営されていた事実を如実に語っている。
強制性があったことも明白だ。調弁というのは、兵馬の糧食などを現地調達することを意味する軍隊用語である。牛馬同様に見なしていたことが分かる。
業者を使ったので軍が直接関与していていないというのは本末転倒の詭弁である。
鹿内の道徳的な退廃度は噴飯ものである。
手柄話のように笑いながら慰安婦を話題にしており、女性への性暴力との認識は欠片もなく、女性を男性の性奴隷のようにみなしている。
それが当時の日本軍の風潮であり、戦後も続いていたということである。
やはり主計将校であった中曽根康弘元首相も今は口を閉ざしているが、「土人女を集めた慰安所開設」について語っていた。
鹿内は産経新聞の経営権を強引に掌中に収めた後、800人もの首切りで経営方針を自分に従わせた。産経グループを今日のように戦争犯罪を隠蔽、合理化する体質に変えた張本人と言える。
鹿内の話を裏付ける史料も研究者によって発見されている。
旧日本軍作成の部厚い『初級作戦給養百題』がそれで、9ページの「第一章創設」に「2 慰安所の設置」とある。
鹿内は1939年4月から9月まで陸軍経理学校で学んでおり、同教材で学んだ後に現地に赴いたとみられる。
中国に侵略していた北支那方面軍の岡部直三郎参謀長が「兵士による強姦事件が激増している」として速やかに慰安所設置を求めた通諜(1938年6月27日付)も発見されており、慰安所設置が軍紀維持のために不可欠とされていた内情が浮かび上がってくる。
今後とも中国での元戦犯の証言などが明らかになろう。
オランダ人慰安婦が強制された裁判記録も残されている。
1948年のインドネシアのバタビア臨時軍法会議で旧日本軍のB、C級戦犯11人がオランダ人慰安婦35人に対する強制連行、強制売春、強姦で有罪となり、少佐が死刑判決を受けたのである。首謀者の大佐は日本に逃亡し、自殺した。
スマラン慰安所事件(白馬事件)と呼ばれるもので、南方軍第16軍幹部候補生が収容所のオランダ人女性をスラマンの慰安所に連れ去った。
鹿内が明らかにした慰安所もそれと大同小異のものである。
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