詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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首里城が焼け落ちた日に起きたこと – 饗宴の儀と渋谷ハロウィンと

2019年11月12日 | 犯罪
首里城で未明に火災が起きた31日。その日は皇居で饗宴の儀の4回目が開かれた日だった。饗宴の儀のスタートは午後1時で、関係者は首里城焼失のニュースが流れる中で祝宴の支度をし、華やかな立食会の時間を過ごしたことになる。

饗宴の儀の2回目は、千葉が今年三度目の大雨に祟られた日で、千葉駅が冠水し、茂原が水没して多くの犠牲者が出た日だった。私は皇室と宮内庁の無神経に憤り、被災者に寄り添うのなら3回目以降の祝宴は中止せよとブログで訴えた。蟷螂の斧を試みた

祝宴は何事もなかったかのように平然と行われ、新天皇夫妻が楽しそうに乾杯する写真が報道記事で配信されている。「ここに皆さんと饗宴を共にすることを誠に喜ばしく思います」と新天皇が挨拶している。新天皇にとって、31日午後は「誠に喜ばしい」時間だった。この逸脱と倒錯は、歴史に刻まれて二度と消すことができない。

寄り添い主義の、徳の高い平成天皇が、とりわけ強い気持ちで寄り添い、内在したのが、沖縄だったこと、あらためて言うまでもない。

「払われた多くの尊い犠牲は一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、一人一人、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」。この平成天皇の言葉は何度もテレビで紹介され、本土の人間一般が沖縄に向き合うときの態度的指針として定着した感がある。

そして、新天皇は今年5月の即位後朝見の儀において、「皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し(略)常に国民を思い、国民に寄り添いながら(略)象徴としての責務を果たす」と誓いの言葉を述べていた。

わずか半年前のことだ。新天皇は見事に自身の誓いを裏切った。露骨に公然と裏切った。即位の言葉を空文にした。国民の前で。沖縄の人々の前で。これを見ていた上皇上皇后はどんな気分だっただろう。


祝賀パレードも日程を変更したのだから、饗宴の儀の4回目を中止することなど造作もないことだ。新天皇の決断一つでできたことだ。誰もが中止に納得しただろうし、誓いの言葉の証として受け止めただろう。

国民に寄り添うことを第一に考えるならば、首里城が焼け落ちて沖縄の人々が凍りついているときに、そのときに、祝宴を張って、マスコミに撮らせて、飲み食いに興じるなどということが、どうして象徴天皇にできるだろう。

姫路城が焼け落ちても、東大寺大仏殿が焼け落ちても、その日に饗宴の儀を行うことができただろうか。全焼した首里城の煙がくすぶる中で盛大に行われた饗宴の儀を、批判するマスコミの言論は一つもなく、ネットを見回しても一つもなかった。

誰も、新天皇の行動の矛盾について指摘する者がない。タブーにして黙過している。この事実にも驚かされる。マスコミはともかく、なぜネットで苦情を言う者がいないのか。新天皇の欺瞞と背信を責める者がいないのか。


1日は渋谷のハロウィンの日で、多くの外国人と若者がいつものように渋谷の街に繰り出して騒いでいた。沖縄の人々の心のよりどころが焼け落ちる様を目の当たりにしながら、その当夜に、あのバカ騒ぎがどうしてできるのだろうと不思議だし、憂鬱になるし、それを浮かれた調子で撮って流すマスコミも不謹慎だ。

せめて、テレビでは絵を流さないという自粛措置がなぜ選択できないのだろう。沖縄の人々は全員が泣き崩れ、打ちひしがれ、心を苛まれ、悲しみに沈んでいる夜である。そんなときに、あの渋谷の乱痴気騒ぎの祝祭模様を、どうして嬉々としてテレビで放映できるのだろう。そのテレビ報道を見せることが、どれほど沖縄の人々を傷つける非情な行為か、テレビの責任者は考えないのだろうか。

信じられないことだが、しばき隊の活動家が渋谷に出かけ、現地の様子をツイッターで報告、しばき隊の仲間が拡散するという唖然とする一幕もあった。誰もその非常識に制止を入れず、素通りされたままだった。


翌日、安倍晋三のTwアカウントをチェックしたら、案の定と言うべきか、首里城についての言及はなかった。首里城火災については全く触れず、沖縄に対するお見舞いの言葉もなく、26日から更新が止まっていた。これは見逃せない一事だと思い、ツイッターで告発したら、瞬く間にRTが殺到して大量に拡散されるところとなり、望月衣塑子や東京新聞の労働組合がRTに加わって、広く周知されて行った。

右翼には具合の悪い情報だ。早速、右翼の反撃が始まり、1日に「全力で再建に取り組んでいく」と言っていて、毎日の記事になっているではないかと反論が返っている。だが、もし本当に首里城焼失の意味の大きさが理解できていて、沖縄の人々をいたわることが必要急務だと思うのなら、こうした事務的な対応を官邸の番記者に書かせて済ますのではなく、自分の言葉を直接にツイッターに載せ、沖縄の人々に読んでもらうべきだっただろう。

実際には、安倍晋三は首里城のことなど、沖縄のことなど、全く意に介してないのだ。


その証拠に、安倍晋三のTwは、11月2日にラグビーW杯の閉幕式に出席した件を書き込み、大会の成功を祝賀している。ラグビーW杯のことは書くけれど、首里城のことは書かず、沖縄の人々に向き合うことはしないのである。

1日に上京した玉城デニーとも会わなかった。その後、この件は意外な方向に展開し、私の発見を拾った望月衣塑子に対して、しばき隊が非難の集中砲火を浴びせ、袋叩きにするという「内ゲバ」事件に発展する。有田芳生も顔を出し、久しぶりに私に侮辱と罵倒を浴びせる一幕も出現した。

しばき隊にとって、左翼世界で影響力のある望月衣塑子が、私の発信を紹介することは、非常に具合の悪い、許せない事故なのであり、恫喝して圧力をかけ、二度とやらないように脅し上げなければならない非常事態の発生なのだ。

なぜなら、しばき隊が「陰謀論者」のレッテルを張り、「社会運動の攪乱者」として全否定し排斥している私を、望月衣塑子が公平に扱うことは、封じ込めているはずの私の発言力が、左翼世界一般に解放されることを意味するからである。


醜いセクト主義の動機。それは、私の「市民権」の復活を意味し、しばき隊の地位と影響力が相対的に低下することを意味する。現在の評価のバランスが崩れ、しばき隊が左翼世界で異端化することを意味する。この事件は、山本太郎派としばき隊との政治闘争の一端として説明されなければならないが、それはまた別に論じよう。

いずれにせよ、しばき隊にとっては、安倍晋三が首里城焼失を無視したことなどどうでもよく、望月衣塑子が私のツィートを拡散したことの方が大問題で、血相を変えて糾弾しなければならない重大な「悪事」であった。有田芳生は立憲民主党の沖縄県連代表でもあるのだが、沖縄の人々にはこの騒動がどう映ったことだろう。


by yoniumuhibi | 2019-11-05 11:30 | Comments(3)
Commented by 愛知
首里城をご案内頂いたご年配のガイドさんの誇らしげで明るいお顔と声が思い出されて暗鬱な気分に・・・。早速2日は首里城再建街頭募金のお手伝いを。全部合わせても、自民議員のパーティー券1枚分にも満たないのですが、それでも新基地建設反対に比べれば、多くの方に善意をお寄せ頂いて。

今年、沖縄県以外では初上映で1回限りの『山原(やんばる)街道』の名古屋での上映会に参加。沖縄の女性だけの歌劇団「乙姫劇団」の作品で、1958年、沖縄県内だけで上映された作品。上映会では「乙姫劇団」のトップ俳優、故・上間初枝さんの長女で、『母の問わず語り・辻遊郭追想』(琉球新報社)の著者、真喜志きさ子さんの講演会も。琉球時代から続いていた語られてこなかった女性哀史秘史とも対面、大いに勉強に。私と同年代の沖縄の方でも作品含めてご存知ない方が少なくないと。

映画は吹き替えでもなく、字幕もなかったため、言葉はまるでわかりませんでしたが、大いに感じるところが(沖縄ご出身の方は、度々、爆笑)。

頂いた手造りの案内によれば、沖縄の架空の義賊、運玉義留(うんたまぎるー)がテーマ。飢餓に苦しむ18世紀の庶民と義賊VS官憲というお話。遊女(当時のです)も含めて、明るく強く耐え抜いてきた沖縄の様々な人たちの心の拠り所が再建された首里城だったと勝手に解釈しています。出でよ義賊という思いを込めて。いつも乍ら、真っ当なご教授に感謝いたします。

Commented by 宇津木洋 at 2019-11-07 10:58 x
沖縄の象徴である首里城の火災当日に新天皇は祝宴を催しました。先の台風災害の時も祝賀行事が予定通り行われました。
上皇様であれば、どちらも中止されたと思います。本ブログのご意見に賛同します。
私が思いますに、新天皇は、上皇様ほど強い思いがない、若しくは、首相に頭が上がらないかではないかと推測します。
皇室を敬っておりますが、元号の選定時から何か違和感を抱いております。首相が何度が皇居へ説明?に上がった時からです。
首相は、上皇様の退位の時期を遅らせ、元号を定め、新天皇を操り、自らの力を誇示しているように感じています。
メディアが官邸に牛耳られ、一方的な見方による報道のみに接して、元々弱い思考能力の国民が、益々思考停止することを恐れています。
ヘイトや差別以外にいろんな考え方があっていいと思いますが、表面だけの言葉に惑わされることなく、どういう考え方が根本として大切なのか、その時々足を止めて考えていきたいと思います。

Commented by 玄明 at 2019-11-10 22:04 x
首里城火災、2つもの大型台風、酷暑になるまでの梅雨から続いた日照不足…京都アニメーションのような人為的なことを除いても、改元以来連続する災厄。
王朝文化華やかなりし時など、災厄が続くという理由でも元号を改めたとか。反対に「令和」というものの出自、正当性が怪しいがために、元号自ら変えてくれることを望んでいるのか。
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