詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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 牛さん ルンペン放浪記から

2021年02月12日 | 日本低国

4つ、5つのちびの頃、九州筑豊で炭坑夫をしていたおとんが結核で倒れ、食えなくなったので鬼の木というど田舎の、爺さん婆さんの掘っ立て小屋に捨てられた。

その頃、カンテラの明かりで庭に作られた五右衛門風呂に入ると、いつも牛さんが寄ってきて最初は怖かったが、顔をこすりつけて目をとろんとさせて気持ちよさそうにしているのを見ると、可愛らしかったことを思い出す。

今年は、うし年だという。

敵な詩だ!!

 


                    高村光太郎

牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは
まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を掘り土を掘り石をはねとばし
やっぱり牛はのろのろと歩く

   牛は急ぐ事をしない
   牛は力一ぱいに地面を頼って行く
   自分を載せてゐる自然の力を信じきって行く
   ひと足、ひと足、牛は自分の道を味はって行く
   ふみ出す足は必然だ
   うはの空の事ではない
   是でも非でも
   出さないでは堪らない足を出す
   牛だ
   出したが最後
   牛は後へはかへらない
   足が地面にめり込んでもかへらない
   そしてやっぱり牛はのろのろと歩く

      牛はがむしゃらではない
      けれどもかなりがむしゃらだ
      邪魔なものは二本の角にひっかける
      牛は非道をしない
      牛はただ為たい事をする
      自然に為たくなる事をする
      牛は判断をしない
      けれども牛は正直だ
      牛は為たくなって為た事に後悔をしない
      牛の為た事は牛の自信を強くする
      それでもやっぱり牛はのろのろと歩く

    何処までも歩く
    自然を信じきって
    自然に身を任して
    がちり、がちりと自然に突っ込み食い込んで
    遅れても、先になっても
    自分の道を自分で行く

       雲にものらない
       雨をも呼ばない
       水の上をも泳がない
       堅い大地に蹄をつけて
       牛は平凡な大地を行く
       やくざな架空の地面にだまされない
       ひとをうらやましいとも思わない
       牛は自分の孤独をちゃんと知ってゐる
       牛は喰べたものを又喰べながら
       ぢっと淋しさをふみごたへ
       さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く
       牛はもうとないて
       その時自然によびかける
       自然はやっぱりもうとこたへる
       牛はそれにあやされる
       そしてやっぱり牛はのろのろと歩く

     牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ
     思い立ってもやるまでが大変だ
     やりはじめてもきびきびとは行かない
     けれども牛は馬鹿に敏感だ
     三里さきのけだものの声をききわける
     最善最美を直覚する
     未来を明らかに予感する

    見よ
    牛の眼は叡智にかがやく
    その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
    形のおもちゃを喜ばない
    魂の影に魅せられない
    うるほひのあるやさしい牛の眼
    まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
    永遠を日常によび生かす牛の眼

      牛の眼は聖者の眼だ
      牛は自然をその通りにぢっと見る
      見つめる
      きょろきょろときょろつかない
      眼に角をたてない
      牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ
      外を見ると一緒に内が見え
      内を見ると一緒に外が見える
      これは牛にとっての努力ぢゃない
      牛にとっての当然だ
      そしてやっぱり牛はのろのろと歩く

        牛は随分強情だ
        けれどもむやみとは争はない
        争はなければならない時しか争はない
        ふだんはすべてをただ聞いてゐる
        そして自分の仕事をしてゐる
        生命(いのち)をくだいて力を出す
        牛の力は強い
        しかし牛の力は潜力だ
        弾機(ばね)ではない
        ねぢだ
        坂に車を引き上げるねぢの力だ

    牛が邪魔者をつっかけてはねとばす時は
    きれ離れのいい手際だが
    牛の力はねばりっこい
    邪悪な闘牛者(トレアドル)の卑劣な刃にかかる時でも
    十本二十本の鎗を総身に立てられて
    よろけながらもつっかける
    つっかける
    牛の力はかうも悲壮だ
    牛の力はかうも偉大だ

         それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
         何処までも歩く
         歩きながら草を喰ふ
         大地から生えてゐる草を喰ふ
         そして大きなからだを肥やす
         利口でやさしい眼と
         なつこい舌と
         かたい爪と
         厳粛な二本の角と
         愛情に満ちたなき声と
         すばらしい筋肉と
         正直な涎を持った大きな牛
         牛はのろのろと歩く
         牛は大地をふみしめて歩く
         牛は平凡な大地を歩く


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