エミシの国の女神を読んで-その1

2012-02-20 10:52:56 | インポート

※ これは日本とキリスト教の接点を探しての一環として書いているものです。諸事情あって詳しいことは書けないこともあり、なぜこのように思うに至ったかは説明が欠けているのですが、おそらくご存知の方々もおいでのはずなので書いてみました。第三者の迷惑になるようなことはなさいませんように。

 

昨日は風邪気味で調子が良くなかったので、余計な外出はせずにひたすらウォークマンの音楽の入れ替え作業と読書だけの一日でした。今回は本当に自分の好きな曲で統一してみたのでちょっと偏った感じです。まあ、録音のほうにお気に入りの放送劇なども詰め込むつもりなので今回はこんなところでしょうか。

読んでいた本は、「エミシの国の女神」、杉並区の図書館にはなくて他所の区の図書館から取り寄せていただいたものです。当方、先祖代々の関東人で、同じ日本史の時間の流れの中ではエミシの国、東北地方の勢力を朝廷の支配下に置くために戦った側の歴史なら、郷土史で知っていたわけですが、東北地方の歴史についてはまったく知らなかったことが今回よくわかりました。

関東の、というか大昔の東海道だった海の要衝に近い、香取や鹿島の古代からの大きな神宮や、成田の新勝寺などはその昔の西のほうから朝廷の関東制圧のために建立されたものだったということは知っていました。その前に、関東勢が朝廷の東北制圧のために駆り出されてエミシと戦っていたことくらいまでは知っていました。

しかし、その後の東北の歴史については、奥州平泉の名がチラッと浮かぶくらいで、まるで知らずにきていました。ましてや東北の独自の文化や宗教に関してはほぼ、殆ど知らなかったわけです。ただ、書物をとおして、座敷ぼっこや、おしらさまの名前は知っていました。宮澤賢治や柳田國男の著作がなければ、東北に関しての知識は当方には無縁のものだったろうと思うのです。

ところがあるきっかけで、おしらさまとはいったい何かということが気になり、機会があれば調べていたのです。情報ではおしらさまは幼い子供たちの姿(複数)なのだということと、巨大な女性、女神が背後にいるというはなしで、それはいったいどういうことなのかと思っていたときに、この「エミシの国の女神」という本を知り、読んでみようと思ったわけです。

この本をほかの方々がどう評価するかはわかりませんが、これは相当真実に近いものだろうと感じています。

以前、日本は神の国だとおっしゃった首相がおいででした。それって本当は事実なのかもしれません。ただし、神といってもこの世界、いや時間も空間も、すべてあらゆるものを超越する創造主なる真の神ではない、人間を超えた力はあるけれど、小さな神々というか、精霊、妖精のような存在、ただし、怒らせると危険、恐い存在でもある大自然の精霊なのです。特定の地域を守り、特定の一族を守り、特定の個人を守る、家の神です。先祖崇拝にもつながっている根深いものです。正統派の神社神道ではほとんど表面に出てこない知られない存在です。深層心理学的に、日本人の深層に生きている古代からの遺産と言い換えてもいいかとも思いますが、もっと現実的なものでもあります。

そして、今の多くの日本人が失ってしまったものは、その大自然の精霊を感じ取る能力。そのために必要なのは、正直、清浄、慈悲、幼子の無心なのですが、今の時代、毎日のニュースを見ても日本人の心がどんなに荒廃しているかがよくわかるはず。ただの欲得だけでは近づけない世界もあることが忘れられてしまっているのです。この世界を表面的にしか掴めない日本人が増えてしまったためのさまざまな問題が事件になってあらわれているのでしょう。

今、こんな話が出てくるというのは、何か意味がある筈。知識だけではどうにもならないもっと重要なことに誰もが気が付いてほしいという何者かの願いを感じてしまいます。

多分、多くの方はこれだけでは何のことかお分かりにならないかと思いますが、このままにしておきます。