明日はわが身か

2012-02-26 22:21:39 | インポート

今、友人と電話で少々長話をしていたところだった。この方は病気療養中の友人とは別の方でやはり同世代。実は未亡人でお姑さんも亡くなって今は一人暮らしのカトリック信者。六本木のフランシスコ在世会に通っている方で、こちらは吉祥寺の在世会をちょっと今後の見通しがつかないまま、今は離れてしまっているのだけれど、今度の3月5日の赤羽教会にイタリアから総長が来ての集まりに一緒に行かないかと誘ってくれた。でも、今の立場では部外者だし、さすがに気がひける。どうしようかと考えて、結局在世会の別の知人に電話でちゃんと申し込みをして参加することにした。

それはとにかく、友人との長話の中身がすごかった。彼女のご近所の60代の一人暮らしの女性の方が、ある時期から急に大変なことになってきて、記憶はしっかりしているところと、ぼやけているところがまじっているし、日常的に身なりの清潔を保つどころか、垂れ流しの汚れっぱなし、どろどろで道端にひっくり返っているような状況で、相談して民生委員さんに状況を見ていただいたところこれは大変ということで、認知症の患者として何らかの手を打たなくてはいけないということになったのだそうだ。

ところが、その先が全然話が進まなくて、行きがかり上、その患者さんの様子を見守っている友人としては、できる限りのことはしていても役所のレベルの話が動かないので毎日、どろどろの汚物まみれのまま外へ出歩いている患者さんを心配しながらどうすることもできないという。お互いにその患者さんと年齢はさして違わない二人なので、なんだか明日はわが身のような気がして見ていられないと言い合ったものだ。

彼女は文京区だから、杉並区とはまたいろいろ違うのだろうが、それにしてもこういうのってなんとか打つ手はないのだろうか。聴けば聴くほど切なくなるばかりで毎日どろどろになって道端にひっくり返っている患者さんをもうちょっとなんとかしてあげたいという友人の言葉に胸が痛くなるばかりだった。