本棚の裏の小部屋

大人の広汎性発達障害の
確定診断を受ける前も受けた後も
相変わらず冴えない日々を送っています

捨てても捨てても

2012-08-09 | ADHDだけど部屋の大掃除
一昨日、
粗大ごみを自己搬入した。
もう何度目になるのか分からない。

今回は自分の車では運べない大物を
夫にも手伝って貰い、清掃工場へ持って行った。

しかし何だろう。

捨てても捨てても大小に関わらず毎日ゴミは発生する。
生きている限り消費は続き、消費する限り、ごみは出続ける。
生物として、あまり残りカスを出さない生き方の方が正しいと感じるのだが。

何かに書いてあったけれど、戦後間もない時代と違って
今は店に物を置けば何でも売れるという世の中ではない。
そこで企業はこぞって、『無い需要』 を、『わざわざ掘り起こしている』 のだそうだ。
それを持たないと(しないと)まるで常識を知らず、流行から取り残されているかの様な気分に仕向けられる。

大体気になっていたのは電化製品で
自分が子供の頃は、電化製品には最小限の機能しか付いておらず、
その代わり、とんでもなく長期間使用しても壊れなかった(事故が起きる可能性はあっただろうけど)。

それが今は何だ。
多機能ゆえに、ある一定期間が過ぎると、すぐに壊れやがる。
こんな優秀な民族である日本人の作るものがそんなすぐに壊れる筈がない。
もっと妄想を大爆発させて言えば、もはや「始めから、わざと壊れる様に作っている」 としか思えない。

消費を促す為、企業はあらゆる手段を使って我々に生物として不自然な生活を強いているんじゃないですか?!

勿論それを好んで選ぶのは我々消費者の自由意思に違いないけれど、
3.11の大震災の時に感じたのは、停電すると一日が長く感じる上に健康的な生活になるという事で
大昔の生活に迄は戻れませんが、私達の今の状態が過剰に電力を消費している事は間違いないと思います。

大量生産、大量消費、各々の家庭に溢れるゴミの山。断捨離すると、それが無くても不自由しない事に驚く。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿